2003年、北京に住む日本人女性が中国各地をめぐる旅をしていました。
彼女が乗り合わせたバスが土砂崩れのため迂回して辿り着いた紅棗(ナツメ)が実る村、その村との出会いこそ、彼女にとって、またその記録を見る機会を得た私たちにとって、得難い歴史の実像を語る出会いとなるものでした。
その出会いには二つの驚異があります。
そのひとつは、戦後約60年、彼女がはじめてその村を訪れた日本人であったということです。
もうひとつの驚異は、にもかかわらず、彼女がその村を訪れた最初の日本人ではなく、日中戦争の4年間にわたって、その村は日本軍の三光作戦(奪い尽くす、焼き尽くす、殺し尽くす)の対象であり、多くの死者や犠牲を被った村であったということです。
こんな中、彼女に最初に話しかけた老婦人が、彼女が日本人であることを知るや、憤怒や憎悪をもって迎えたことは当然といえば当然です。
しかし、彼女はめげませんでした。翌年には、戦争の実像をほとんど知らない若者たちと共に再びその村を訪れ、長老たちの戦争体験を聞いて回ったのです。こうした姿勢が村人たちの態度を和らげ、戦時体験を語る言葉が口をついて出るようになりました。
そしてその翌2005年、なんと彼女はその村へ転居してしまうのです。
決して生活して行く上で快適な村ではありません。「国家級貧困地区」に指定されているような場所です。
私たちが今日聞く中国の大躍進からも取り残されているような場所です。
そこで彼女は、もはや旅行者としてではなく、そこの住人として村人と生活を共にしながら、写真を撮り、村人の証言を聞き取ります。二年間にわたるそれは、写真、ヴィデオ、録音等、膨大な量だといいます。
今回の「中国黄土高原紅棗(ナツメ)が実る村から」と題された写真展はその一部、写真と証言をコラボレイトしたものです。
その証言内容は、そうした事実をすでにかなり知っている私にとっても衝撃的なものを含みます。
しかし、私にとって感動的だったのは、それらを語る古老たちの表情でした。
それは残念ながら私たちの住む日本では、孤島か僻地に僅かに残されているかもしれないというものでした。
そして、ご当地中国においても、次世代はおそらくそうした表情を持ち得ないであろうような素晴らしい表情なのです。
三光作戦で身内を失い、自身が危機にさらされ、そして今なお決して裕福ではない彼等の表情は、にもかかわらず、本当に生に根ざして精彩を放っているのです。
こうした彼等の豊かな表情と、その証言内容の過酷さとの落差はある種の目眩を感じさせるようなものですが、これが間違いなく歴史なのです。
そしてそれを引き出せたのが、通りすがりの旅行者や報道目的のジャーナリストではなく、かの地で共に生活をしている大野のり子なのでした。
私はすべての人にこの展示に足を運ばれることをお勧めします。
辛気くさい証言などいまさらという人は、それを読まなくても結構です。
そこに撮された人々の表情を見てください。
彼等は、私たちのこのこまごまとした時間と空間の呪縛を離れたところで生きているのです。
癒し系?結構でしょう。彼等の表情には、商品化された癒しではない本物の癒しがあります。
私は人に何か(映画や音楽や本など)を勧めることはあまりしないのですが、この写真展はお勧めです。
【哲学的補足】
20世紀フランスの哲学者、レヴィナスは、人の顔(ヴィサージュ)という絶対的な他性の中に私たちの倫理の基盤を見いだします。
それは、伝統的な西洋形而上学を越えるばかりか、それを批判したハイデガーの存在論をも越えようとするものでした。
顔が語る「汝、殺すなかれ」は、あらゆる存在論的な規定に先立つ出発点にされたのでした。
ここにはそうした顔があります。
【感想ノートに関する補足】
会場には、これまでの会場のものも含めた「感想ノート」があります。
大半は、そうした事実に遭遇した人の驚きと、それを明らかにした彼女への感謝と賛美ですが、それに混じって、果たせるかな、歴史修正主義的な人の書き込みが若干ありました。
三光作戦自体が「なかったこと」であり、中国のプロパガンダに過ぎないという主張ですが、会場に展示された写真の顔たちは、そうした狭小なイデオロギーや国家間の利害などを越えたところで語っているのであり、そうした歴然とした事実に気圧されたのか、その筆は萎縮していました。
はっきり言って、ここで描かれているものは日中の国益とか、現在の中国が抱えている様々な問題とは異なる次元における、そしてそれらを越えた人間のありように関する歴史の痕跡なのです。
【大野のり子と六文錢の関係】
もう30年以上前から知り合いという怪しい関係です。もっというと、最初に知ったのは彼女の父親でした。
さまざまな面で交流がありましたが、彼女はいつも毅然としていて、年齢差とは逆に、姉さん面した彼女からよく諫められたものでした。
彼女が中国へ行ってからは淋しい思いをしているのですが、でも、こんないい仕事をして時折帰ってくる彼女は素敵だと思います。
●この写真展に関する今後の日程
*8.7~8.12 名古屋中区役所 7階 市民ギャラリー
*8.28~9.3 寝屋川市立ふれあいプラザ香里
*9.8~16 埼玉県富士見市立中央図書館展示ロビー
*11.1~11 松本市Mウイング 2F展示場
*11.13~19 長野もんぜんぷら座 2Fギャラリー
*11.22~25 京都大学11月祭
彼女が乗り合わせたバスが土砂崩れのため迂回して辿り着いた紅棗(ナツメ)が実る村、その村との出会いこそ、彼女にとって、またその記録を見る機会を得た私たちにとって、得難い歴史の実像を語る出会いとなるものでした。
その出会いには二つの驚異があります。
そのひとつは、戦後約60年、彼女がはじめてその村を訪れた日本人であったということです。
もうひとつの驚異は、にもかかわらず、彼女がその村を訪れた最初の日本人ではなく、日中戦争の4年間にわたって、その村は日本軍の三光作戦(奪い尽くす、焼き尽くす、殺し尽くす)の対象であり、多くの死者や犠牲を被った村であったということです。
こんな中、彼女に最初に話しかけた老婦人が、彼女が日本人であることを知るや、憤怒や憎悪をもって迎えたことは当然といえば当然です。
しかし、彼女はめげませんでした。翌年には、戦争の実像をほとんど知らない若者たちと共に再びその村を訪れ、長老たちの戦争体験を聞いて回ったのです。こうした姿勢が村人たちの態度を和らげ、戦時体験を語る言葉が口をついて出るようになりました。
そしてその翌2005年、なんと彼女はその村へ転居してしまうのです。
決して生活して行く上で快適な村ではありません。「国家級貧困地区」に指定されているような場所です。
私たちが今日聞く中国の大躍進からも取り残されているような場所です。
そこで彼女は、もはや旅行者としてではなく、そこの住人として村人と生活を共にしながら、写真を撮り、村人の証言を聞き取ります。二年間にわたるそれは、写真、ヴィデオ、録音等、膨大な量だといいます。
今回の「中国黄土高原紅棗(ナツメ)が実る村から」と題された写真展はその一部、写真と証言をコラボレイトしたものです。
その証言内容は、そうした事実をすでにかなり知っている私にとっても衝撃的なものを含みます。
しかし、私にとって感動的だったのは、それらを語る古老たちの表情でした。
それは残念ながら私たちの住む日本では、孤島か僻地に僅かに残されているかもしれないというものでした。
そして、ご当地中国においても、次世代はおそらくそうした表情を持ち得ないであろうような素晴らしい表情なのです。
三光作戦で身内を失い、自身が危機にさらされ、そして今なお決して裕福ではない彼等の表情は、にもかかわらず、本当に生に根ざして精彩を放っているのです。
こうした彼等の豊かな表情と、その証言内容の過酷さとの落差はある種の目眩を感じさせるようなものですが、これが間違いなく歴史なのです。
そしてそれを引き出せたのが、通りすがりの旅行者や報道目的のジャーナリストではなく、かの地で共に生活をしている大野のり子なのでした。
私はすべての人にこの展示に足を運ばれることをお勧めします。
辛気くさい証言などいまさらという人は、それを読まなくても結構です。
そこに撮された人々の表情を見てください。
彼等は、私たちのこのこまごまとした時間と空間の呪縛を離れたところで生きているのです。
癒し系?結構でしょう。彼等の表情には、商品化された癒しではない本物の癒しがあります。
私は人に何か(映画や音楽や本など)を勧めることはあまりしないのですが、この写真展はお勧めです。
【哲学的補足】
20世紀フランスの哲学者、レヴィナスは、人の顔(ヴィサージュ)という絶対的な他性の中に私たちの倫理の基盤を見いだします。
それは、伝統的な西洋形而上学を越えるばかりか、それを批判したハイデガーの存在論をも越えようとするものでした。
顔が語る「汝、殺すなかれ」は、あらゆる存在論的な規定に先立つ出発点にされたのでした。
ここにはそうした顔があります。
【感想ノートに関する補足】
会場には、これまでの会場のものも含めた「感想ノート」があります。
大半は、そうした事実に遭遇した人の驚きと、それを明らかにした彼女への感謝と賛美ですが、それに混じって、果たせるかな、歴史修正主義的な人の書き込みが若干ありました。
三光作戦自体が「なかったこと」であり、中国のプロパガンダに過ぎないという主張ですが、会場に展示された写真の顔たちは、そうした狭小なイデオロギーや国家間の利害などを越えたところで語っているのであり、そうした歴然とした事実に気圧されたのか、その筆は萎縮していました。
はっきり言って、ここで描かれているものは日中の国益とか、現在の中国が抱えている様々な問題とは異なる次元における、そしてそれらを越えた人間のありように関する歴史の痕跡なのです。
【大野のり子と六文錢の関係】
もう30年以上前から知り合いという怪しい関係です。もっというと、最初に知ったのは彼女の父親でした。
さまざまな面で交流がありましたが、彼女はいつも毅然としていて、年齢差とは逆に、姉さん面した彼女からよく諫められたものでした。
彼女が中国へ行ってからは淋しい思いをしているのですが、でも、こんないい仕事をして時折帰ってくる彼女は素敵だと思います。
●この写真展に関する今後の日程
*8.7~8.12 名古屋中区役所 7階 市民ギャラリー
*8.28~9.3 寝屋川市立ふれあいプラザ香里
*9.8~16 埼玉県富士見市立中央図書館展示ロビー
*11.1~11 松本市Mウイング 2F展示場
*11.13~19 長野もんぜんぷら座 2Fギャラリー
*11.22~25 京都大学11月祭