六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「ぼく知らないもんね」の体系

2007-08-14 01:49:49 | 歴史を考える
 NHKスペシャル「A級戦犯は何を語ったのか~東京裁判・尋問調書より」を観てのとりあえずのメモです。

1)処刑された7人のうち、自分の罪を認めたのは、唯一の文民であった広田弘毅のみであったこと。

         
              広田弘毅
 
2)悪名高い『戦陣訓』で、「死して虜囚の辱めを受かるなかれ」と書き、多くの軍人と一般市民に降伏の機会を与えず、無為に殺した東条英機は、自らは自決に失敗し、その取り調べの中で、自分にも天皇にも戦争責任はないと語っていること。
 では、誰に責任があったかということについては、日本の海外進出を阻止した連合軍や、それに抵抗した中国の人たちにあったと広言してはばからないこと。
 真珠湾奇襲攻撃については、宣戦布告が届いているはずだったと言い訳をしていること。


         
               東条英機

3)南京の残虐事件については、当時の日本の外務省の文書にも現地からの報告としてあり、それによれば、あまりにも酷いのでやめさせるようにとのことで、広田外務大臣から陸軍大臣への申し入れがなされたこと。

4)判決への少数意見として、インドの判事が無罪を主張したが、それは共同謀議が成立するかのどうかの問題であって、その判事自体が南京での虐殺は許し難いと述べていること。

5)もうひとつの少数意見として、オーストラリアの判事が、前記の広田について無罪を主張しているが、その根拠は、当時の統帥権のありよう(後述)からして、広田は一連の軍部独走を阻止できる手段がなかったと主張していること。
 なお、判事ではないが、オーストラリアの検事は、昭和天皇裕仁を被告とすべきことを主張している。


6)先に触れた統帥権についてであるが、戦前の明治憲法下においても、一応、司法、行政、立法の三権分位があるように見えながら、それらを超越したものとして、天皇を大元帥とした統帥権の体系があり、閣議たりといえどもそれに言及することは出来ず、天皇の御意を掲げた軍部の独走を許したこと。

 私は、子どもの頃東京裁判があったことは知っていましたが、その詳細は知らず、こんなに沢山の人間が死んだのだから、誰かが責任をとるべきだろうぐらいに考えていました。
 今回、この番組を観て、この無責任な体制下において、日本人三百万人余、そして近隣諸国一千万人が死ななければならなかったのかと改めて憮然とした思いに駆られました。
 以上、とりあえずのメモです。





 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする