イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

高級(笑)

2007-12-17 21:22:13 | テレビ番組

もうすぐ楽しいクリスマスだというのに非正規雇用の最たる悲しさでボーナスも燃料手当も、餅代も鼻血も出ねぇや…という底冷えのする師走のど真ん中に、高齢家族その2の号令のもと、なんと高級デジタルハイビジョン液晶テレビと、高級デジタルハイビジョンレコーダーをおまとめ購入することになってしまいました(爆死)。

いままで「テレビなんか映ればいい」と言い張っていた高齢チームがなぜ手の裏を返したか、陰にどうも国産大手メーカーS社社員の暗躍がちらつくのですが、とにかく寒いフトコロに激痛が走り、かつ昂奮と期待と不安に心拍数は↑↑↑激♂アゲ。

お値段のほうは1円でも2円でも激↓↓↓サゲといきたく、一日この商談で声がガラガラ。

おかげで本日は『真夏の薔薇』25話も未見。

高齢家族が何を思ったか知りませんが、月河のいちばんの心配は23日放送のM1グランプリ決勝までに納品設置、て言うか操作マスターが間に合うかどうか、です。

それよりも高齢チームの気が変わらないことを念じるべきなのかな。

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最良の刀は鞘に

2007-12-15 21:47:28 | テレビ番組

年賀状書きがここ数年、年年歳歳大した枚数でもないのにめっきり負担になってきたので、今年は小さな方針転換。

毎年筆ペンやフェルトペンなどなるべく肉太の筆記用具を使って、字のヘタなのを勢いでゴマカす作戦をとっていたのですが、こういう姑息な小細工をきっぱりやめ、日常のデスクワークでいちばん書き慣れている028㍉のゲルインクボールペンを使って押し切ることにしました。

これで年末最大の宿敵・年賀ハガキに立ち向かうときの面倒くさ感、しぶしぶよそ行き感が五割方後退。どんな剣豪でも、いきなりあてがわれた村正より、手になじんだ無銘刀のほうが斬り易いのではないでしょうか。どうなんだ椿三十郎。いや映画の出来じゃなくて。

ポケット手帳の細い罫線推奨の極々細ですから、何書いても当然大きな文字にはなりません。新年早々ちんまり弱々しいスケールの小さい人間に見られるかもしれませんが、なに、宛名ソフトで機械的にレイアウト印字された字を見るよりは心温まるだろうよ。て言うか温まれ。温まらねぇかこの野郎(自爆)。やっぱり年賀状は肉筆だよ。にんげんだもの(?)

さて、新年17日から放送開始の『安宅家の人々』公式サイト制作発表ページを読むと、プロデューサーとして西本淳一さんの名前が見えます。

西本さんと言えば現在当地ローカル再放送中の『真夏の薔薇』でもメイン演出家として、14日までに放送された24話までの中でも、かなりの話数を演出担当しておられます。

演出畑から局プロデューサーというのも、業界では普通のコースなのかな?よくわかりませんが、昨年の同じ1月期『新・風のロンド』で西本さんが演出担当されていた回は、電話や卓上の小道具のアップから人物に高速パンしたり、ブライアン・デ‐パルマばりに人物の周囲をカメラが回転したり、後半は特に大方ダレ気味だったストーリーや脚本を煽り嘲笑うかのごときサスペンスフルな絵展開が印象深かった。

西本さんの演出・プロデュース最大ヒット作と言えばやはり『牡丹と薔薇』にとどめをさすでしょうが、公式を読むと『安宅家』は真逆の作風そうですよ。

カメラが遠藤久美子さんの周りを回転する場面はあるのでしょうか。

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あるいは「そなた」

2007-12-14 23:21:48 | テレビ番組

人間の顔、左右対称に見えて全然そうじゃないってことは、普通の、証明書レベルの写真の鼻筋に鏡立ててみても明らかですが、目より眉より、こんなとこまで非対称なのか」と愕然とするのが耳。なかんずく耳の内部

就寝時はもちろん、昼間もデスクワーク時は集中のため耳栓を愛用するようになって数年たちますが、いまだに左の耳はたとえば夜、就床前に耳栓を入れれば朝までそのままなのに、右耳はちょっとした寝返りや立ち、座り、後ろを振り返ったり腕の上げ下げなどの動作で抜けてしまいます。

右耳は右手で、左耳は左手で装着するのがつねですから、入れ方の手指の癖ではないか?といろいろ工夫してみたのですが、どうもそういう問題ではない。

薬局薬店でよく売っている、エレキバンでおなじみピップフジモトが販売している“イヤーホリデイ”はアメリカ製、きれいなオレンジレッドの裾広がり釣鐘型。日本シイベルヘグナーの“サイレンシア”はクリームイエローの、先端が細丸になった円錐台形です。どちらもポリウレタン製で、触感としては前者はちょっと粘っこい高反発感があり、後者はひたすらふっくらふわふわソフトですが、どっちも同じように左は安定、右はすこぶる外れやすい。

どうも右の耳道のほうが左のそれに比べて広く浅いみたいなのです。

まぁ、目でも左と右で一重瞼、二重瞼と違う人もいますしね。耳の穴だって深さや“幅員”が左右違っていても不思議はないのですが。

このせいで、どうしても左右2コでひと組の耳栓が、右に入れたほうから紛失してしまうんだな。

『真夏の薔薇』は今日14日放送分が第24話でした。碧の妊娠が判明、日数から逆算して夫となった靖顕の子ではなく、葉山での稲彦との短い愛の日々で身篭った子らしい…ということで、昨日23話での碧との別れから一日、あっさりみまかった福岡の実家母の葬儀のため靖顕が留守の間に、堕ろす堕ろさないでひと騒動あるのですが、最近このドラマで特に気に入っているのは靖顕(入江達也さん)が職場で外科医として腕を競う同僚であり恋敵でもある稲彦(池田政典さん)を呼ぶ二人称「おまえさん」

「きみ」でも「○○くん」でもなく「おまえさん」。

設定年齢ともに29歳から30歳。術後感染症で残念な結果に終わったとは言え腎移植手術のチーフをつとめたり、外科部長を媒酌人に立てての碧との結婚式を盛会裡にまとめたりでいまのところ上司受けは靖顕が一歩リードしていますが、稲彦と職場での地位は同等です。

本放送96年、第1話からの設定は“平成7年(95年)”。三十路そこそこの現代の若手医師が同年代の同僚を「おまえさん」は普通なかろうと思うのですが、外科医としての技量へのリスペクトと競争意識、職業倫理や生命観上の微妙な対立と反感、何よりともに運命の女性と思う碧をはさんでの意地と誇りと拭いがたい苛立ちが微妙にからまった「おまえさん」で、なんかこのドラマをずっと見ていると“アリ”というか、むしろほかに呼びようがないようにすら思えてきちゃうんだな。

脚本中島丈博さんの、TV脚本家としての“臨床経験のたまものでしょうか。こういう大時代な言葉を台詞の端々に忘れ物のように、あるいは軽い悪戯のように嵌め込んで置くことによって、ドラマ世界を“ありそうであり得ない”“現実世界と地続きなようで続いていない”絶妙の距離感で成立させているんですね。

この『真夏』の後、02年『真珠夫人』→04年『牡丹と薔薇』→06年『偽りの花園』→07年『麗わしき鬼』と、“ドラマというよりネタコント”と時おり揶揄されながらも、中島脚本作に根強いファンが多い理由は、こういう細部のしたたかさからしっかりと窺い知ることができます。

「こんなヤツいねーよ!(噴)」が“バカらしくて観続ける気がしない”に直結せず、いねーよあり得ねーよと言わせながら最終話まで視聴者を引っ張って行く手腕は“剛腕”“計算”の両輪で成り立っているのです。

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ドライアイスの煙

2007-12-13 22:05:43 | コスメ・ファッション

別に切らしているモノはないのに、立ち寄る時間があると12点はつい買ってしまうのが百円ショップ無印良品です。

特に無印の入浴剤バスソルトは、詰め替え用が定番で置いてあるのも魅力で、特にカモミールとヒノキの香りを贔屓にしてリピートしていました。

しばらく行ってなかった間に、パッケージがリニューアルして円筒形に。しかも、いままで見たことのない、蜜柑の香り、の香りなんかもラインナップに加わっている。

入浴剤に限らず、オーデトワレであれボディローションであれ、はたまた消しゴムであれ“食いモン以外に食いモンの匂いを付けるな!”がモットー(?)の月河ですが、好奇心と、半透明容器から透けて見えるミルキーベージュの色の優しさに負けてハチミツの香りを買って来てしまいました。

なに、ハチミツを食いモンと思うから抵抗があるのであって、蜂という動物が生存のために収集する、植物の受粉繁殖のための分泌物だと思えばいいのだ(余計抵抗あるか)。

数年前に販売されていたレモングラスの香りと、ビワ葉の香りも好きでした。レモングラスは果実やジュースのレモンとは違う野性味ある柑橘香、ビワ葉はふわっとした癒し系の青臭さがあって何度か詰め替えリピートしたのですが、意外に早く定番から消えましたね。カムバック販売はないものかな。

再放送『真夏の薔薇』は第24話、曲折のすえ覚悟を決めて靖顕(入江達也さん)との挙式まで来た碧(安永亜衣さん)、媒酌人の外科部長(79年の映画『病院坂の首縊りの家』でのサブリミナル怪演が記憶に残る久富惟晴さん)の大きなお世話で披露宴の受付係を押し付けられた稲彦(池田政典さん)が『卒業』ダスティン・ホフマンばりの掠奪行に出るかと思いましたがさすがにそこまでのベタはなし。

碧が稲彦に走った頃靖顕に肉弾誘惑仕掛けて玉砕した江里子(野村ちこさん)の、披露宴での再軍備自爆テロもありませんでした。

式の翌朝、福岡の実家へ帰る靖顕母(草村礼子さん)と碧の別れの挨拶の場面では、地味にじーんとなってしまいましたよ。

このお母さん、まだ見た目元気で身ぎれいで、周囲は伏せていますが癌で余命わずかなことを自覚しています。

「靖顕のことよろしゅうね、2人仲良うね、私はもういつ死んでもよかとやけん、本当によか結婚式だったよ、ありがとね、さよならね」と手を握る義母に「お義母さん、またお会いしましょうね、きっとね」とにこやかに答える碧。息子が東京で働いている地方在住高齢お母さんなら、99パーセント“東京の女なんか嫁にしたら終わり”と思っていますから、碧のような見るから清楚で家庭的で廉直そうな娘さんと縁があったら宝くじに当たったような幸福の絶頂でしょう。

“自分の幸せのためでなく、誰かを幸せにしてあげるために結婚するのも生き方としてアリ”という碧なりの潔さを表現した、いいシーンだったと思います。

一方、つらい役回りを終えて二次会の賑わいを背にウツウツとひとり飲んでいる稲彦には、靖顕の妹ですでに碧の友人となっている典子(福家美峰さん)が好感を持った様子。「誠実そうな人に見えたけど、なぜ碧はうまくいかなかったのかしらねぇ?」なんて、碧は「異母兄妹と知らされたから断腸の思いで自分から別れた」ということを、靖顕側の人たちにはもちろん明かしていませんからね。ドロドロの火種がまたひとつ。

ところで、本放送96年のこのドラマの音楽担当で、主題歌『悲しみのためじゃない』も作編曲している岩代太郎さんは、ちょうど1年前の95年夏『沙粧妙子 最後の事件』の音楽も手がけておられますね。『沙粧』サウンドトラックCDのジャケットブックレットで、同ドラマのプロデューサー和田行さんが“乾いた優しきヒューマニズム”と岩代さんのコンポーザーとしての持ち味をリスペクトしています。

『沙粧』では「“殺人”という行為が持つ怪しげな魅力に身を委ねながら制作した」(同ブックレットより)と語る岩代さんが、1年後に『悲しみのためじゃない』の甘く透明感あふれる旋律を作っているというのも、プロなら仕事として当たり前でしょうが、なんだか不思議な感じがします。

しかも、サントラCDの盤面やブックレットデザインにもフィーチャーされている通り、『沙粧』も薔薇がひとつのイメージキーワードになる作品でした。

そんなことに思いをいたしつつ『真夏』のOPを見ると……幕開けのカットが“薔薇の冷凍死体”にも見えなくもないな。

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歌ってたらごめんなさい

2007-12-12 21:15:02 | テレビ番組

先日の春風亭小朝師匠と泰葉さんの離婚といい、昨日の橋下徹弁護士の「やっぱり(府知事選に)出ます」宣言といい、どうも“キーマンはたかじん”案件が続きますな。

このやしきたかじんという人がTVに映るたびに(と言っても当地では実質日曜1330『そこまで言って委員会』のみ)、高齢家族に「コイツは何をしている人なんだ、本業は何だ」と、自宅にアポなしで連れて来た彼氏みたいに問い詰められるので、月河は大いに迷惑なのですが。

「関西基盤に作詞作曲して歌ってる、シンガーソングライターみたいなもんじゃないですか、いま歌ってるかどうか知らないけど」「歌わなくなったギター弾きか、円広志みたいなもんか、トンデトンデの」「そんなとこでしょう」「なぎら健壱が役者にならなかったみたいなもんだな」「そんなとこでしょう」「松山千春みたいなもんだな」「現役で歌ってますよ」「最近日本ハムファイターズの解説と応援ヨイショ番組でしか見ないぞ」「それは元・日ハムの広瀬哲朗さんですよ、別人ですよ、似てるけど」「こないだ笑っていいともに出て肉は食わないって言ってたヤツは」「サンプラザ中野ですよ、それも別人ですよ、ラジオとかでは歌ってるんじゃないですか、聴いてないけど」

………そのうち香川県の祖母&2女児殺害事件のお父さんとかも出て来そうな流れになる。

なぜスキンヘッドは大して似てない人を似せて見せるのか。それにしても“歌ってるのを見なくなったミュージシャン”って結構多いですね。歌う人が歌ってるとこを見せるTV番組が少なくなり、お笑い芸人や俳優女優アイドルと同列に座ってただMCに振られてトークして終了、な番組が増えたこともあるのかな。

そうこうしている(何を)間に、来年1月からの東海テレビ昼ドラが公式発表されています。

『安宅家の人々』、吉屋信子さんの同名新聞小説が原作です。“○○家の人々”式のタイトルはお文学な、お大河な香りがする反面、ぶっちゃけコンサバで地味な感もあります。

遠藤久美子さん、小田茜さんの準ダブルヒロインも、小田さんがTBS系の昼ドラですでに当たり役を経験済みということもあり、さほど新鮮味はありません。かつてのアイドル路線女優さんが、可愛い可愛いのピークを過ぎた頃昼ドラへ…という流れも踏襲され尽くしていますしね。

いま放送中の『愛の迷宮』から月河が脱落した理由は、物語を動かす主力モチーフが‘血縁’に拠りかかり過ぎ”、結局これに尽きたような気がしています。

自分が、あの人が、本当は誰の子なのか、誰とどんな事情でもうけた子なのか、誰と誰がきょうだいで、誰がきょうだいでないのか、誰が実の子であって、誰が実の子でないのか。なんだか人物が全員、ずーーーっとそんなようなことばっかり考えたり問い詰めたり、嘘ついたりつかなかったり、聞いて絶望したり逆上したり翻心したりの繰り返しなんですな。

まぁそういう特殊な家庭環境に生まれ育った人の気持ちになりかわれば、それはそれは深い意味を持つ、疑問を抱き始めると他のことが何ひとつ考えられなくなるくらい重い事柄なのかも知れないけれども、フィクションとして鑑賞していると「血縁がナンボのもんじゃい!」「地に足つけて仕事なり勉強なりせんかい!もっとガツガツ野心とか欲はないんか!ゼニはどうじゃい、オンナは?名声は?」「話を前に進めたれよ、自分が動いたれよ、ま・え・に!」とつい“俄か『そこまで言って委員会』調”になってしまうわけで。

『安宅家』、少女小説の元祖的存在吉屋さんのイメージに一見そぐわない、モダンな公式サイトトップにちょっと驚きますが、昭和末期バブルの只中が舞台ということでもあります。

例によっての“不倫もしくはレイプで望まれぬ妊娠出産”や“生き別れの親子きょうだい”に頼らない、ダイナミックで人間臭い、何より“次回が待ち遠しいと思える”ドラマを期待してみましょうか。

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