イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

あるいは「そなた」

2007-12-14 23:21:48 | テレビ番組

人間の顔、左右対称に見えて全然そうじゃないってことは、普通の、証明書レベルの写真の鼻筋に鏡立ててみても明らかですが、目より眉より、こんなとこまで非対称なのか」と愕然とするのが耳。なかんずく耳の内部

就寝時はもちろん、昼間もデスクワーク時は集中のため耳栓を愛用するようになって数年たちますが、いまだに左の耳はたとえば夜、就床前に耳栓を入れれば朝までそのままなのに、右耳はちょっとした寝返りや立ち、座り、後ろを振り返ったり腕の上げ下げなどの動作で抜けてしまいます。

右耳は右手で、左耳は左手で装着するのがつねですから、入れ方の手指の癖ではないか?といろいろ工夫してみたのですが、どうもそういう問題ではない。

薬局薬店でよく売っている、エレキバンでおなじみピップフジモトが販売している“イヤーホリデイ”はアメリカ製、きれいなオレンジレッドの裾広がり釣鐘型。日本シイベルヘグナーの“サイレンシア”はクリームイエローの、先端が細丸になった円錐台形です。どちらもポリウレタン製で、触感としては前者はちょっと粘っこい高反発感があり、後者はひたすらふっくらふわふわソフトですが、どっちも同じように左は安定、右はすこぶる外れやすい。

どうも右の耳道のほうが左のそれに比べて広く浅いみたいなのです。

まぁ、目でも左と右で一重瞼、二重瞼と違う人もいますしね。耳の穴だって深さや“幅員”が左右違っていても不思議はないのですが。

このせいで、どうしても左右2コでひと組の耳栓が、右に入れたほうから紛失してしまうんだな。

『真夏の薔薇』は今日14日放送分が第24話でした。碧の妊娠が判明、日数から逆算して夫となった靖顕の子ではなく、葉山での稲彦との短い愛の日々で身篭った子らしい…ということで、昨日23話での碧との別れから一日、あっさりみまかった福岡の実家母の葬儀のため靖顕が留守の間に、堕ろす堕ろさないでひと騒動あるのですが、最近このドラマで特に気に入っているのは靖顕(入江達也さん)が職場で外科医として腕を競う同僚であり恋敵でもある稲彦(池田政典さん)を呼ぶ二人称「おまえさん」

「きみ」でも「○○くん」でもなく「おまえさん」。

設定年齢ともに29歳から30歳。術後感染症で残念な結果に終わったとは言え腎移植手術のチーフをつとめたり、外科部長を媒酌人に立てての碧との結婚式を盛会裡にまとめたりでいまのところ上司受けは靖顕が一歩リードしていますが、稲彦と職場での地位は同等です。

本放送96年、第1話からの設定は“平成7年(95年)”。三十路そこそこの現代の若手医師が同年代の同僚を「おまえさん」は普通なかろうと思うのですが、外科医としての技量へのリスペクトと競争意識、職業倫理や生命観上の微妙な対立と反感、何よりともに運命の女性と思う碧をはさんでの意地と誇りと拭いがたい苛立ちが微妙にからまった「おまえさん」で、なんかこのドラマをずっと見ていると“アリ”というか、むしろほかに呼びようがないようにすら思えてきちゃうんだな。

脚本中島丈博さんの、TV脚本家としての“臨床経験のたまものでしょうか。こういう大時代な言葉を台詞の端々に忘れ物のように、あるいは軽い悪戯のように嵌め込んで置くことによって、ドラマ世界を“ありそうであり得ない”“現実世界と地続きなようで続いていない”絶妙の距離感で成立させているんですね。

この『真夏』の後、02年『真珠夫人』→04年『牡丹と薔薇』→06年『偽りの花園』→07年『麗わしき鬼』と、“ドラマというよりネタコント”と時おり揶揄されながらも、中島脚本作に根強いファンが多い理由は、こういう細部のしたたかさからしっかりと窺い知ることができます。

「こんなヤツいねーよ!(噴)」が“バカらしくて観続ける気がしない”に直結せず、いねーよあり得ねーよと言わせながら最終話まで視聴者を引っ張って行く手腕は“剛腕”“計算”の両輪で成り立っているのです。

コメント
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