イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

テレビrun ran run

2009-07-02 00:14:04 | 昼ドラマ

先日入手したとここで書いた『ザ・テレビ欄 19751990』(TOブックス刊)、資料として以上に、普通に読みふけってやめられなくなってしまうので、とうとう今週から職場に持ち込んで、ファイルロッカーに置きまんまにしておくことにしました。だって自宅にあったら、ついつい開いて、眠れなくなるんだもの。

前回に書いた通り、この本は表題期間の、4月と10月の各第二週、7日分ずつの新聞テレビ番組表を時系列に並べたものですが、東京地区の番組表ですから、月河にとって東京に住んでいなかった期間の番組構成はそれだけでも新鮮でしょうがありません。東京12チャンネル(現・テレビ東京)などは、80年代いっぱい当地ではネット自体が存在しませんでした。

特にゴールデンタイムに注目すると、70年代は、「とにかくドラマが多かった」の一言ですね。ドラマだらけ。

75年以降といえば月河は10代半ばにはなっていたはず(“はず”って何だ)ですが、『クイズグランプリ』や『お笑い頭の体操』、同枠の後番組『クイズダービー』などのクイズ番組か、『紅白歌のベストテン』など歌謡曲番組、あるいは洋画劇場のほうが記憶があり、あまりドラマの印象がないのです。つまり、当時のドラマは大人志向で、大人が見るものだった。

4月第2週のゴールデンというとプロ野球ナイター中継があるのでさほどでもありませんが、10月、たとえば1975年の109日(木)を見ると、夜9時台は民放5局のうち、4局が1時間枠の連続シリーズドラマです(想像がつくと思いますが残り1局は12チャンネルで、木曜洋画劇場)。NHK総合も9:40から1000は帯ドラマ。

NET(現・テレビ朝日)800『遠山の金さん』とフジテレビ900『江戸の旋風』は時代劇で1話完結ですが、前者は杉良太郎さん、後者は加山雄三さん主演のロングシリーズ。単発でお茶を濁したタイトルはひとつもありません。

特にTBS8時台も、10時台もドラマ。730からの『おそば屋ケンちゃん』も算入すると、3時間半立て続けにドラマなんです。いま“ドラマのTBS”と昔日のキャッチフレーズを引用されても、若い視聴者諸君と同じくらい月河もピンときませんが、そういうキャッチを冠せられるだけの実績は、確かにこの頃にはあったのです。

20097月のいま、ゴールデン同時間帯で4局がドラマをぶつけ合うなんてあり得ないでしょう。2局競合した段階で、3局めは避ける。75109日午後9時、競合4作のタイトル・出演者名は、スペースの都合上割愛しますが、いま思えば信じられないくらいの本格重量級の名前揃いです。旬のアイドルやお笑い芸人などを並べて、バラエティっぽく軽く逃げてたくさいタイトルはひとつもありません。どこから押しても突いてもガチの“純”ドラマです。

月河はゴールデンより、つい昼の番組表に目が行ってしまうのですが、75年のコレすごいよ。TBSとフジとで、100130145と、3枠もぶつかり合い。130200は日本テレビもドラマで、3局が取っ組み合ってたことになります。

NHK総合も10525は、夜940~のドラマの再放送をやっているので、「午後1時から2時までの間にTVつけてた人の大半は、どれかこれかドラマを見るためにつけてた」という日本だったのでしょう。

TBS040100も、所謂“ポーラテレビ小説”枠でドラマですから、ひとつずつのロットが小ぶりとはいえ、ゴールデン同様ここも4枠ぶっ通しで4作のドラマを作り、月~金、週5日放送していたことになる。

ひるがえって2009年に戻ると、“ドラマ離れ”と言われるのは、30数年前のこの時期、こんなにTVからドラマが溢れ返っていた反動なんじゃないかという気がします。

“俳優さんが演じる作り話をお茶の間TVで見る”ということに、日本人、いい加減疲れて、飽きてしまったのではないでしょうか。そんなに無尽蔵に、新鮮で魅力的な、映像化に向いた、かつ放送に耐えない(残虐や刺戟的あるいは偏向思想的な)要素のない作り話のネタが続くとも思えません。「前にもこんなお話見た」という経験が何度か続くうち、“そして誰も見なくなった”。

もうひとつ、連続シリーズというのは、1話見たら次回まで待たなければいけない。作って放送する側も、今話見てくれたお客さんに、次回も見てもらうよう持っていかなければならない。これ、気がつけば、見るほうにも作るほうにもかなり難儀なハードルだったのではないでしょうか。1977年にテレビ朝日が設けた“土曜ワイド劇場”を皮切りに、1話完結のノンシリーズ単発ドラマ枠がひとつまたひとつと増え、この頃から、かつては全13週が普通だった連続ドラマの“1クール”も、12話、11話と徐々に短縮されていったように思います。次回まで一週間続きを待つリズムが、10週、9週はもっても、13週はもたない人が増え、待ってもらうに足る話を作れる局や作り手も減ったのです。

…この話題、掘り下げると、TVの枠を超えて昭和~平成の時代論になり、日本人論にまでなりそうですが、それはまたの機会と場所に。論より証拠、TV世代だった月河も、現行、レギュラーで、「見逃すまいぞ」の気持ちを持って録画視聴続けているのは『夏の秘密』だけです。

今日(=71日)はフキ(小橋めぐみさん)の伊織(瀬川亮さん)への体当たり告白に続き、柏木(坂田聡さん)の終盤のまさかの行動であらかた吹っ飛んじゃいましたが、蔦子姐さんの放蕩弟・護(谷田歩さん)が、樋口一葉『大つごもり』みたいでちょっと見直した。ギャンブル中毒に借金癖で毎度台無しになっちゃうけど、ナツヒミワールドの天使・紅夏ちゃん(名波海紅さん)のパパだしね。極悪なだけの人のはずがない。「半端もの同士」とシンパシーありそうなセリちゃん(田野アサミさん)と、いっそ付き合っちゃえばいいのに。社会性ゼロなカップルになるか。

それにしても“紅夏(べにか)”という柑橘類みたいな役名もなかなかだけれど、演じる子役さんも“海紅(みく)”とは。しかも名字が“名波(なわ)”と、名字とファーストネームがサンズイつながりで、役名“染谷紅夏”以上に役名っぽいですな。本名かしら。こういう名前で幼い頃から、日々暮らしてると、日常がそのままドラマか小説のような気分になるのではないかしら。

……このブログの中だけで“月河たびと”な月河は、かなり……いや現実だな。現実どっぷり。

それはともかく、思うに、夏の“秘密”とタイトリングされたドラマなわけです。誰が殺したか、どんな動機で、どんな手段で殺したかという“謎”ではない。誰かが、意図を持って隠蔽し、秘匿して、その状態が維持されて、初めて“秘密”と称され得る。

”はですが、“秘密”は、意図ある継続が必要な“です。

ちょっと心配なのは、ここの3ヶ月クール枠での、金谷祐子さん作の帯ドラマ、人間関係なり人物の出自や経歴なりについて「実はこういうことが隠されていました」と劇中“秘密”が明らかにされると、その瞬間一時的に、すとんとテンションが下がることがいままで多かったんですね。

「あれは、○年前のことだった。私はその頃云々カンヌン」式に台詞が説明的になったり、モノクロの回想シーンが多くなるなど、一時的にせよ尺が集中して辻褄合わせに費やされるせいかもしれない。いい例が『危険な関係』の、美佐緒さんが矢内の実の娘で、美佐緒の母と矢内は将来を誓い合った相愛の仲だったと、DNA鑑定をきっかけに矢内のクチからカミングアウトしたくだり。“出生の秘密”“法律上の親子が血縁では他人(もしくはその逆)”は昼帯伝統のモチーフのひとつですが、昼帯にしては“伝統”“お約束ホラ来た”という要素の少ない作品だっただけに、あのくだりの取ってつけ加減は、立ち直って視聴続ける気になるまでに少し時日を要しました。

『金色の翼』では、とりわけひどかったのは玻留の身体の或る部分の或る特徴について、話のだいぶ前のほうでバスタブ溺死しかけの全裸の玻留を救助したときに、槙が気づいて記憶しており、迫田の洩らした“故・日ノ原氏の愛人”情報と符合させて「さては!」と閃くくだり。

槙が全裸玻留に蘇生措置を施しつつ何かを見て取った描写、気になって修子に由来を訊くなり他の人物に吹聴しかけてやめるなりの、糸口的描写が救助場面とその直後にほぼ皆無なため、物語のずっと後になって迫田の情報を頭の中でリプレイして「そうだったのか」という自問自答反応を槙が見せたときに、観客には「そう言えばあの救助場面で、槙、何か気がついた様子だった」と記憶をたどり思い至るヒントが何もないわけです。

観客に対しフェアであることをはなから捨てている。ドラマがドラマであるということでのみ可能な叙述トリックにここまで頼らなければならないかと、あのときもだいぶ視聴意欲が減退しました。それに比べれば、直後に修子が打ち明けた、実弟との淋しい少年少女期の禁断の関係は、「そんなことじゃないかと思ったら、やっぱりそうだった」という想定済み納得性のほうが若干上回り、その分テンション下降は軽微で済みました。

今作『夏の秘密』も、「実は誰某は○○でした」「誰某と何某はこれこれの関係でした」、あるいは「あのときのアレは、実はこういうことでした」が解明されたときに、テンション“すとん”になるのではないか。人物の性格付けや伏線張りはかなり丁寧に運ばれていると思うだけに、それだけが心配ですね。

先日は「殺されたみのりにはなんらかのジェンダーに関する悩みが?」と考察してみましたが、今日の23話を見て、一瞬、そっち方向の悩みはむしろ伊織がともふと思いました。“女を、男として愛するのが困難な(或いは、いままで困難だった)心身”の人ではないかと。簡単に紀保(山田麻衣子さん)のいる前で(衝立に入ったとは言え)着替え過ぎだし、これ以上体当たりになれないくらい体当たりなフキの求愛に困り果てた表情には、「世話になったフキさんがここまで…」という同情憐憫からくる逡巡より、もっと素の、生理的な「勘弁してよ!」という当惑が見えたようにも思います。

物語序盤、夕顔荘に越して来て間もない頃の紀保が、とっつきにくい伊織について「あの人、恋人はいるの?」など聞き出そうとすると、雄介(橋爪遼さん)が「恋人ならここにひとりいるよ」と、おネエ演技ではぐらかす場面がありましたが、あれも単なるコミカル演出ではなく、天然な雄介だから何の計算も無く偶然踏んじゃったなんらかの暗示だった気も。

思い過ごしかもしれない。ただ、伊織側にそういう障壁があったとすると、みのりが龍一(内浦純一)に薬物を盛ってまで行為と妊娠にこだわった理由もちょっとは解釈の“通路”ができる気がするのです。なぜ龍一でなければいけなかったか?に依然、謎が残りますが。

伏線張りが丁寧だなと思うのは、たとえば今日23話での、フキの宝物=鼈甲櫛紛失の張本人セリの行動などそうですね。杏子(松田沙紀さん)側について紀保をあの町にいたたまれなくする細工の動機に、快感原則の人であるセリが1話での“現場でクビ”の屈辱をいまだ少しは根に持っているというのがある。アトリエKの専属モデルに取り立ててくれたという恩義はあっても、セリが“紀保さんのためにだけ、火の中、水の中”となるタマではないことはちゃんとエピソードの布石を打ってあるわけです。

それでもセリに対して杏子に「あなたも、いつまでも私みたいな口うるさい女にガミガミ言われるのはうんざりで、早く紀保さんにこのアトリエに戻ってほしいでしょ」と言わせ、セリが基本的には紀保シンパなことをさりげなく印象付けています。セリ自身は、物語にとってものすごく重要人物というわけではないかもしれませんが、ヒロイン紀保から見て、“どいつもこいつも本性隠してそうな、敵ばかり”ではなくすることが大事。平気でウソはつくけれど、魂胆がすぐバレるセリのような人物を配しておくと、物語進行のすべりがよくなる。

昼帯によくある“誰も彼も頭のネジが何本か抜けてるような非常識人ばかり”“まともな思考で、頷ける対応をする人物が皆無かせいぜい1人”みたいな状況になる危惧は、この作品に限っては不要そう。ドラマを垢抜けたものにする、そうしたバランス感覚のようなところはまったく「ノープロブレム」ですが、“秘密”をタイトルに謳っていることだけが、前述のような理由で心配なのです。

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