イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

緯度がたけーよ

2008-04-10 17:25:03 | CM

携帯にストラップじゃらじゃらぶら下げるのは死ぬほど嫌いなのですが(て言うか携帯自体プリペイド方式のヤツしか持ってないし)、34年前にプレゼントでもらった、直径1.7㌢ぐらいのクリスタルガラスの地球儀のついたのが別格に気に入ってしまい、ずっとぶら下げっぱなしです。

ガラスと言えどもちょっと水晶っぽい、鉱物っぽい質感がパワーストーン大好きマインドにフィットしたんでしょうな。陸地部分はマット、海洋部分はクリア。緯線経線つき。“地球感”たっぷり。

昔、肝臓の元気な頃、球形の氷を作ってオンザロックにして「今宵はグラスに地球をひとつ」「だんだん小さくなって行く」なんてCMを気取ってワイルド・ターキーをクイクイ空け、腰抜けて立つのが難儀になったことを思い出します。また、恐怖のアルコール度数50.5度と裏腹に舌触り甘くて、なんぼでもいけるのよワイルド・ターキー。

……脱線しました。ガラスはガラスですからねえ。携帯常備の皆さんも経験あると思いますが、出先でバッグの中を携帯携帯…と探して、おっしゃ見っけ!と掴み出した途端手が滑って硬い床に落としてしまう、という。

それを二度ほどやらかして、気がつけばヨーロッパの、ウラル山脈辺り以西まるまると北アフリカのモロッコ近辺、あと北米大陸のアラスカ一帯と、ベーリング海を挟んでカムチャツカ半島の付け根ぐらいまでが、極小の鑿(のみ)で削いだように欠けてしまったのです。あー、こんなミクロなとこまでちきゅうにやさしくない人間だなあ月河は。

地図、しかも地球儀状になってる図版の一郭がキズモノになるっちゅうのは、どうにも縁起の悪い気がしてならない。なんかね、いずれこの欠けた地帯に天変地異っつうか、核施設のメルトダウンとか隕石衝突とかが起きて大陸消失に至る、その前触れのような気がしてならないわけですよ。ウラル山脈以西、つまりヨーロッパ・ロシアに北アフリカ、アラスカにカムチャツカ。

これでウラジオストクが加わったらトータルテンボスの旅行代理店みたいですが、ざっと地名をあげつらっていっただけでキナ臭いではありませんか。かつての鉄のカーテン、東西ツノ突きあわせてた、人類の傲慢と手前勝手我田引水が直球で露呈してた地帯がすっぽり入ってるよ。

直径1.7㌢のミクロ地球、よくよく見ると南半球の、南アフリカの西岸ケープタウン~ナミビア辺りも掠め取られてるな。取られてるってのもなんだが、欠けてるな。でもこのへんは陸地が少ないからいいや。「いいや」ってことはないか。申し訳ありませんバスコ=ダ=ガマ。せっかく“喜望峰”なんて景気のいい地名つけてくれたのに。サッカーW杯もあるしな。

…そんな不吉な予感にプチおののきつつ、我らが日本はどういうことになっておるだろう?と見ると、見にくいねー日本。て言うか小さいね。カムチャツカ半島のあおりを食って、北半分~三分の二ぐらいは欠けゾーンに入ってるような気もする。九州ぐらいは残ってないかな。よくわからないんですよ、とにかく小っちゃくて。台湾らしきものは確認できるんだけど。

直径1.7㌢の世界で、どこが欠けたの欠けないの言っててもね。地球をワレモノガラスでかたどって、さらに落としたりぶつけたりこすったり波乱万丈の携帯ストラップなんかにすると、余計なことが縁起めいて気になるからしょうもないな、という結論になりました。

『花衣夢衣』が第9話。アバンタイトルで17歳ふたりだけの成人式真帆(尾崎亜衣さん)澪(尾崎由衣さん)の振袖姿を再見して、昨日思い出せなかったことがやっと出てきた。

蒲公英イエロー、93年のご婚約会見での皇太子妃雅子さまのスーツ&お帽子と同じお色ですよ。やはり肌の色が地黒め、透明感無さめの若い女性の顔を明るく見せるには(雅子さまは若さの点ではギリでしたが)ホワイト優勢のクリーム~プリムローズではなく、緑み寄りのレモンでもなく、橙みの山吹色でもない、蒲公英イエローがいちばんのレスキュー、セーフティゾーンですな。

無茶な自傷挺身の澪を救出した真帆、娘二人の帰宅を深夜まで待っていただけでも病身に毒なのに、「いまの私たちを絵に描いて」と輪をかけて無茶な真帆の希望にこたえた圭二郎(長谷川初範さん)、2週めに入って、男女キャラを通じて初めて「カッコいい!」と思える場面でした。

せっかく軽井沢療養で小康を得ていた(回復というより延命)のに、真帆の子宮摘出と妻(萩尾みどりさん)の不倫行方知れず騒ぎで喀血を繰り返してもう肺結核も末期の末期どん詰まり。娘たちの花の盛りに、自分の命が残り少ないことを悟って、花の盛りったって無名の、親の自分が見るから清らかで美しいけれど、他人が見ればただのお多福な娘らモデルの絵なんか描いたって、もう彼女らへの気休めと、画家としての自分の「何もせずにいるわけではない」「描きたい、描ける、創作意欲はある」ということの自己満足にしかならないわけですよ。それは娘たちはともかく、大人の圭二郎は百も承知。

“何の得にも実利にもならない”ことが自分でわかっていて、わかったうえで命を賭ける、命をすり減らす、そういう姿はやっぱりカッコいい。死にかけた父さんが絶筆描いてくれてるんだから、娘たちもポーズとりながら居眠りしてるなよ。バーでの立ち回りの後だし、ひと騒ぎ終わったら眠くなる、眠れてしまうのは若さの特権だろうけど。

コメント
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