『炎神戦隊ゴーオンジャー』の、ドラマとして好感持てるところは、たとえば先週GP-7(3月30日)で言えば、“炎神キャリゲーター初登場”“バルカ・ガンパードと合体してガンバルオーに”“ガンバルオー、剛力無制限!”“ガンバルオーグランプリ!”という、玩具販促上の必修ポイントてんこ盛りを、ガイアーク三大臣の“キャリ:ゴーオンジャー分断作戦”→“ゴーオンジャーを敵と思い込んだキャリが、ブラック軍平とガンパードのパートナーシップの熱さに触れて味方につく”のストーリーで見事に消化し切った上で、“ボンベ蛮機「~だべぇ」を電話で遠隔操作するうちに、ケガレシア「~で汚じゃる」ヨゴシュタイン「~なり」キタネイダス「~ぞよ」語尾がごちゃごちゃになる”という小ネタを、エンディング前の軍平×範人のキャリゲーターキャストの奪い合いできっちり拾っている。
“小ネタといえども撒きっぱなしにしない”、これですよこれ。
キャラやキャストが魅力的であることももちろん不可欠な要素ですが、ドラマとは虚構、つまりウソなわけだから、「ウソをつくならすみずみ丁寧についてほしい」ってことです。
キャリゲーターを味方につける転換点になる軍平とガンパードの絆にしても、最初から既定不動のものではなく、エピソード冒頭では言い合いや、射撃のタイミングがずれる描写を入れて、プライドの高い同士、歯車の噛み合いイマイチという表現にしている。キャリゲーターを敵に回しての戦いの中で、互いに自然と覚醒するような形で「潰されるなら一緒だ!オレたちは…相棒だろうが!」と持って行ったから、小さなお友達も大きなお友達も燃えるというもの。
“何月第何週の第何話でこれこれのキャラ、ツールを登場させなければならない”“その後何話で強化パワーアップさせなければならない”“設定パワーや戦法も紹介しなければならない”という縛りは、玩具メーカー主導のヒーローキャラクターものドラマ・アニメにおいては避けて通れない、と言うよりまず玩具企画ありき、発売予定スケジュールありきでドラマが作られるのがつねです。脚本家さん・監督さんにとっては、毎作のこととは言えある局面では「頭が痛い」と思わない年はないと思う。
しかし、この枠のスタッフは、縛りがあることで作品をドラマとして窮屈にしていない。むしろ、縛りを楽しんでさえいるようなふしさえ窺える。
「今年のレッドはガキっぽいけどカッコいいな」「イエローは大人っぽいな」「今年のブルーは昨年の、○年前のブルーに比べると芝居はいまいちだけど、顔限定ではハンサムかな」など、作品による、キャラによる好悪は若干凸凹あるものの、TVドラマとしてのおもしろさが色あせないのは「一生懸命に、丁寧にウソをつく」姿勢が一貫しているからこそだと思います。
長丁場のウソを上手についていただきたいもう一枠、昼ドラの『花衣夢衣』は本日第2話。
“双子”という主役の属性は、「自分が誰か別の人の替え玉・象徴・代理人に、知らず知らずのうちになっている」「自分が生きるかもしれなかった、でも実際には生きなかった人生を生きている別の人がいる」という、設定だけでじゅうぶんドラマチックな磁界を醸出させていますが、いまのところ、ドラマキャラとして読み解いていちばん深いのは真帆&澪双子姉妹の母・和美(萩尾みどりさん)でしょう。
金沢の加賀友禅老舗の娘に生まれ、大店の跡取りとの縁談も進んでいたにもかかわらず、圭二郎(長谷川初範さん)と万平(斉木しげるさん)2人の貧乏画学生に惚れられ、芸術の才能は優れるが身体虚弱で生活力のない圭二郎のほうと結ばれ、妊娠して勘当されて駆け落ち婚。双子の娘を産んだものの、夫は召集されて、シベリア抑留を経て肺結核に冒され画家としての創作意欲も失った抜け殻となって復員。生活苦からかつてのもうひとりの崇拝者で、商売で成功していた万平に言い寄られて関係を持ち、いまは彼の金銭援助を夫の薬代や食費に充てる日々。
今日2話で、万平の店の奥で転地療養の費用援助をちらつかされながらスソを割られ、「真帆の声…?」と飛び起き帯を結び直したあと、万平の渡した紙幣をきっちり袂に入れて帰りを急ぐ場面に静かなリアリティがありました。臥したきり稼ぎもなく転地療養しなければ回復の見込みもない夫に、別に愛想が尽きているじゃなし、夫として娘ふたりの父として、駆け落ちまでした情は残っているんだけど、人間、カネがないのは命がないのと一緒だからねー。男なら、たとえば絵描きが絵描けなくなったら一文も生み出さないけど、女には、女である限り“値”は付くわけだし。
何よりすごいのは、彼女と万平の継続的不倫関係に気づき“侮辱”と感じた万平妻・雅代が、和美を名指しで恨む遺書を残して店の奥で首をくくったにもかかわらず、その死から1年経った現在でも、その同じ店奥で関係が続いているということ。普通、怖いだろう。神経が鉄骨。どんだけ鬼畜、て言うか花も嵐も泥も踏み越えた男女なんだ、和美と万平。
人の道、親の道より下半身、倫理より道徳よりカネ。
こちらの2人、あるいは圭二郎を加えた3人を主人公にしてもじゅうぶん昼ドラ原作一本出来上がる濃密さ。
それにしても、設定昭和25年時点で17~8歳の娘ふたりを持つ和美は推定40歳に届くか届かないか。ならば大正初期の生まれです。“和美(かずみ)”という役名は実にモダン。モダン加賀友禅老舗。この年代の日本人女子なら“和子”“かずえ”もしくは“かづ”が多数派でしょうに。
同じ津雲むつみさんの昼ドラ化された作品『風の輪舞』にも、昭和17年時点で建設業者長男と政略結婚し戦争未亡人となる没落華族令嬢、どう考えても大正10年前後生まれで“麻美(あさみ)”(←ドラマでは旧作新藤恵美さん、新版田中美奈子さん。切れ長吊り目モダン顔立ちシスターズ)が出てきたし、津雲さんの中では“宿命のタネをまく女はモダン名前”という回路が出来上がっているのかもしれません。