イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ひゃくまんえん

2008-02-29 00:39:41 | テレビ番組

『安宅家の人々』39話。イタリアへのソムリエ留学を中途放棄して高原ホテルに転がり込んできた仁美(宮下ともみさん)が金策やら活動を始めて、なんだかちょっと様相が変わってきました。宗一中心のお話ではそろそろもたなくなってきたかな。

このドラマは何と言っても宗一という強力な磁場をせっかく設定したのだから、人物ごとに“宗一をどう捉え、どう接していこうとしているか”をまず決めて、それを軸にお話を動かし“宗一との接触によってその人物がどう変わったか”に至ればいいと思うのですが、仁美にしてもホテルの従業員ひとりひとりにしても、そもそも宗一をどう思っているのかが明確に描写されていないので、関心事が宗一に集中し“とにかく盲愛溺愛”だった先代安宅夫妻が物故したあと、どうしても焦点がぼやけ揺れがちです。

もちろん雅子(小田茜さん)、譲二(小林高鹿さん)といった“宗一観”が当初からはっきり描写されていた人物はしっかり輝いており、直接宗一にかかわらない行動やセリフを発しても、“この人ならこういうこと言いそう、やりそう”と説得力がある。このドラマは一にも二にも宗一で、宗一が物差しとなって人物の立ち座標を決定して行ってこそなのです。

宗一のような三十路過ぎの男の知的障害者に身近で接した場合の一般人の反応は、雅子のような“讃美と称揚”から“好奇”“憐憫”“過干渉”“怖いもの見たさ”“怖れ混じりの嫌悪”“お荷物面倒くさ”“見て見ぬふり”などを経て“軽侮”あたりまでのスペクトルの間でさまざまな位置になることでしょう。類型的にでいいから、たとえば従業員のマリちゃんは“面倒くさ担当”、幸太郎は“好奇担当”、志乃さんは“憐憫担当”みたいに色分けしていけば、おのずと人物同士の衝突の波動も見えてくる。

前半暗示された宗一の“心の目”や花に関するセンスも伏線なのか伏線でないのか、ちょっと触れられてはすぐ“埋められて”しまうし、変な言い方ですが、このドラマ、宗一の知的障害を“活かして使っていない”ように思えます。

コメント (2)
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