retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線根津駅(谷中一丁目 言問通り)

2016-03-11 04:46:46 | Weblog
言問通りは、環状3号線でもあるのだが、ここらへんは、そうなるのか、わからない。
言問通りではあっても、環状3号線ではないのかも。
道幅を、広げるとも、思えないし。
そういえば、「言問」、という名前、言問団子から、ということらしい。
もちろん、直接、そうなったわけではないだろうけど。
ただ、このあたり、こうして、歩いていると、「言問団子」、というのは、いかにも、正しい、と思える。
言問通り、南西へと、歩き続ける。

千代田線根津駅(谷中一丁目 天眼寺)

2016-03-10 04:59:21 | Weblog
南西へ歩いていくと、しばらくして、通りの南側には、天眼寺。
もとは、牛込、少林庵、という寺院だったが、江戸時代、ほどなくして、江戸の街、拡張のため、この地に、移転してきている。
牛込、少林庵については、まったく、わからない。
おそらく、江戸時代になってから、創建された、と思われるが、わからない。
それはそれとして、こうして、このあたり、寺町が、形成されていったようだ。
言問通り、さらに、南西へと、向かう。
(2013年6月記)

千代田線根津駅(谷中一丁目 玉林寺)

2016-03-09 04:29:24 | Weblog
北へ歩いていくと、しばらくして、北東へ伸びる、言問通り。
通りの、北側には、玉林寺。
創建は、江戸時代直前。
江戸時代への画期、といえる。
このあたり、開拓が、始まった、ということか。
不忍池、当時は、北側に、かなり、広がっていたらしく、ひょっとすると、このとき、埋め立てられ、開拓されたのかもしれない。
言問通り、南西へ、歩く。
(2013年6月記)

千代田線根津駅(池之端三丁目 六龍鉱泉)

2016-03-08 05:40:22 | Weblog
北へと、歩いていくと、路地の中、六龍鉱泉、という銭湯。
創業は、昭和の初め頃。
あたりが、宅地化された時期だろうか。
かなり、古い、銭湯だ。
ひょっとして、水月旅館が、温泉を、掘削しよう、などと、思いついたのは、六龍鉱泉の、ことがあっての、ことなのだろうか。
場所の近さを、考えると、そういう気がするけど。
路地の中、北へ北へと、向かう。
(2013年6月記)

千代田線根津駅(池之端三丁目 鴎外温泉)

2016-03-07 04:50:20 | Weblog
北へ、しばらく、歩いていくと、通りの、西側には、鴎外温泉。
鴎外、というのは、森鴎外のこと。
森鴎外が、住んでいた、住居に、由来するらしい。
もっとも、外観からは、どう、由来するのか、よくわからないけど。
森鴎外の居宅跡、更地に、ビルを、建てた、ということではないと思える。
ビルに、入ると、ちゃんと、森鴎外の、居宅、執筆した部屋、等、がある、ということだ。
ちなみに、鴎外温泉を擁する、水月旅館が、開業したのは、昭和の前半、終戦間際。
終戦直後、隣にあった、森鴎外居宅を、買収したらしい。
しばらくして、高度成長期、近くに、温泉旅館があることから、水月旅館でも、掘削したところ、温泉に到達。
温泉旅館となり、現在に至る。
アーバンリゾート、テーマパークの温泉、というところか。
路地に入り、北へと、歩いていく。

千代田線湯島駅(上野公園 上野動物園モノレールとイソップ橋)

2016-03-06 05:31:41 | Weblog
再び、北へと、進む。
景観は、深山幽谷、という感じ。
木々が、鬱蒼と、茂っている。
といっても、実は、上野動物園なのだが。
しばらくすると、上空、上野動物園モノレールと、イソップ橋。
高度成長期の頃、モノレールは、開通。数年後に、イソップ橋も、完成している。
ちなみに、動物園自体が、開園したのは、明治時代の初め頃。
やはり、テーマパークの、一環、ということか。
そして、高度成長期、動物園の施設は、大幅に、改良され、モノレールや、陸橋、他にも、大水族館等、ができている。
経済成長の、産物、なのだろう。
さらに、北へと、向かう。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 東照宮不忍口鳥居)

2016-03-05 05:27:41 | Weblog
しばらくすると、通りの東側、鳥居がある。
上野東照宮不忍口鳥居。
鳥居自体は、もともと、江戸城紅葉山東照宮に、あったものを、移築したものらしい。
明治時代になり、江戸城紅葉山東照宮は、廃棄されたのだが、鳥居が、残され、この場所に、移されたのだ。
時期的にみて、上野公園、テーマパークとしての、出展品みたいなのもかも。
いずれにしろ、江戸時代のいつ頃、作られたのか、わからないが、残ったのは、よかったのだろう。
通りを、北へ、歩いていく。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 精養軒)

2016-03-04 04:31:25 | Weblog
しばらくすると、通りの、東側には、上野精養軒。
創業は、明治時代初め頃。
もとは、築地に、あったらしいのだが、数年後、支店として、上野、不忍池に、開業している。
上野公園が、開園するのと、同じ頃だ。
アーバンリゾート、という感じだったのだろう。
今でも、十分、そうなのだが。
さらに、北へと、向かう。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 不忍池東側を南北に伸びる道)

2016-03-03 04:34:14 | Weblog
不忍池東岸、南北に伸びる道を、北へ。
不忍池西岸、不忍通りなら、何度も、通ったことはあるが、こちら側は、あまり、来たことはない。
ひょっとすると、初めて、通るのかも。
江戸時代は、寛永寺の境内。
いかに、広大だったか、ということがわかる。
また、都心とは、思えないような、山深い感じもする。
上野の山、というところか。
南北に伸びる道、北へと、進む。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 不忍池北側から湯島方面を臨む)

2016-03-02 04:33:44 | Weblog
南の方を見やると、不忍池の、向こうには、小さく、湯島の街並み。
ますます、原風景、という感じ。
湿地帯の、多かった、関東平野、太古の昔、こういう、景観だったのだろう。
そういえば、不忍池、かつては、今よりも、大きかったようだ。
北側に、広がっていたらしい。
そちら側は、埋め立てられてしまったのかな。
などと、考えながら、東へ東へと、歩いていく。
(2013年6月記)