retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営大江戸線西新宿五丁目駅(西新宿五丁目 細い路地)

2013-08-21 04:50:09 | Weblog
淀橋、というと、本来、新宿ではないのだが、西新宿高層ビル街が、整備され、さらに、西側に、拡大するうち、いつの間にか、新宿みたいに、なってきた。
淀橋東岸から、南東に、伸びる、路地に、入ってみる。
こちらも、新宿とは、無関係の、商店街だったのだが。
今、歩いてみると、更地も、多くなり、もはや、商店街ではない。
そういえば、たしか、ちょっと前、某テレビの旅番組で、ここらへんの、だんご屋だったかな、登場したのは。
もう、ほとんど、忘れてしまっているけど。
まだ、覚えているのは、じきに、再開発で、今の、店も、なくなる、という話。
その時は、現に、だんごを、売っているわけで、ずっと、遠い先のことに、思えたな。
現在、すでに、その、だんご屋、なくなっているに、違いない。
近々、一帯は、再開発され、高層ビルが、建つよていだからだ。
そんな、路地を、通り抜けると、南北に伸びる、十二社通り。
ここから、先は、西新宿高層ビル街、といっていい。
今日は、このまま、西新宿高層ビル街を、抜けて、新宿駅から、帰ることにする。
次、来るときは、どうなっているのだろうか。
(2012年8月記)

都営大江戸線西新宿五丁目駅(中央一丁目 淀橋)

2013-08-20 06:09:39 | Weblog
山門には、仁王像。
江戸名所図会にも、描いてあるが、今、あるのは、新しく作られた、像かもしれない。
境内は、かなりの、広さ。
その、広い、境内の中、壮麗な、三重塔や、石臼の塚、なんていうのもあって、なかなか、興味深い。
テーマパークのような、趣だろうか。
宝仙寺を後にして、青梅街道を、さらに、東へと、向かう。
しばらく、歩いていくと、南北に伸びる、山手通りとの、交差点、中野坂上。
巨大な、高層ビルが建ち、すっかり、街並みが、変わってしまった。
もっとも、高層ビルが建つ前、ほとんど、来たことがないので、もとは、どのような、街並みだったのか、今となっては、もう、わからないけど。
そんな、中野坂上を、過ぎると、長い、下り坂。
下りきったところには、神田川と、神田川に、架かる、淀橋。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中央二丁目 宝仙寺)

2013-08-19 04:44:16 | Weblog
東へ東へと、歩いていくと、しばらくして、北側には、有名な、宝仙寺。
創建は、平安時代の、終わり頃らしい。
創建の地は、今の、阿佐ヶ谷駅の北、神明宮神社の、西隣、世尊院のある場所。
近くを、南北に、鎌倉街道が、通っていたのだが、鎌倉時代よりも、古いので、当時、鎌倉街道とは、言わなかったのだろうけど。
時代は、下り、鎌倉時代の次、室町時代、この地に、移ってきている。
こちらも、もう一つの、鎌倉街道の、近く。
江戸時代になると、さらに、南側、青梅街道も、開通する。
各時代、交通の要衝の、一画に、常に、宝仙寺は、あり続けたようだ。
明治時代になると、中野町役場が、設置されたりする。
交通の、要衝なので、役場も、建てられるわけだ。
ちょっと、境内に、入ってみる。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中央三丁目 慈眼寺)

2013-08-18 07:15:17 | Weblog
青梅街道を、東へ。
すぐに、通りの、北側に、慈眼寺。
創建は、江戸時代の前。
ただ、創建の地は、この場所ではなく、ここから、北東側、今の、堀越学園のあたりだったらしい。
桃園川の、南側、畔。さぞ、風光明媚な、場所だったに違いない。
江戸時代になって、しばらくして、青梅街道沿い、この地に、移ってきている。
こちらの方が、往来が、繁くなってきたからかもしれない。
そして、今も、こうして、この地にある。
近くには、鍋屋横丁も、あるし。
さぞ、賑わっていたことだろう。
さらに、青梅街道を、東へ、歩いていく。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中央四丁目 鍋屋横丁交差点)

2013-08-17 07:12:47 | Weblog
東へと、流れる、桃園川跡、谷地、を越えて、さらに、南へ。
商店が並び、それなりに、賑やかになる。
南へ南へと、歩いていくと、しばらくして、東西に伸びる、幹線道路、青梅街道。
鍋屋横丁交差点となる。
なんでも、江戸時代は、ここから、かなり、離れるが、今の、杉並区堀ノ内、妙法寺の、参道として、賑わったそうだ。
もっとも、それよりも、ずっと、昔、鎌倉街道が、通っていたので、それなりには、往来が、あったのだろう。
その、賑やかさが、ずっと、今に到るまで、継続しているわけでもないが。
とりあえず、今は、青梅街道沿い、ということで、賑やかなのかな。
青梅街道を、東へと、向かう。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中野二丁目 紅葉山公園)

2013-08-16 07:08:32 | Weblog
もみじ山通りを、南へ、歩いていく。
中央線の高架を潜り、さらに、南へ。
すぐに、通りの西側、ホール、図書館などの、施設、もみじ山文化センター、がある。
その、南側には、紅葉山公園。
施設の、本館は、バブルの頃に、完成しているが、公園全体は、高度成長期の、終わり頃からだ。
公園の、中に入ると、鬱蒼とした、木々。広場などもある。
鎌倉街道沿いであり、さぞ、謂れのある、一帯なのでは、と思ってしまうが。
もともと、紅葉山、という山が、あったわけではない。
何十年か先、紅葉の、美しい山、ということに、なるのかもしれないけど。
紅葉山公園を出て、さらに、南へと、歩いていく。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中野六丁目 もみじ山通り)

2013-08-15 07:27:23 | Weblog
神社の近くは、それなりに、飲食店などが、あって、昔日の、面影は、残っている。
ひょっとしたら、昔は、中野駅まで、商店街が、伸びていたのかもしれない。
そうではないにしても、かつては、けっこう、賑やかだったのは、確かだろう。
そんな時代、高度成長期の前、あたりかな。
どこの下町も、活気が、あった頃。
それとは別にして、北野神社の、すぐ、東側、鎌倉街道が、通っていたのだ。
江戸時代よりも、昔は、往来が、あったはず。
その当時の方が、北野神社、大きかったかもしれない。
今となっては、まったく、わからないけど。
などと、昔に、思いを馳せ、東へ、歩くと、すぐに、南北に伸びる、もみじ山通り。
おそらく、昔の、鎌倉街道。
今度は、もみじ山通りを、南へ、向かう。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中野五丁目 北野神社)

2013-08-14 06:10:17 | Weblog
東に向かうと、いつもの、賑やかな、中野駅近く。
商店街、サンモールを、横切って、さらに、東へ。
たしかに、サンモールは、今も、賑やかだが。
記憶によると、サンモールから、東側、路地に入っていくと、まだ、街が、広がっていたように、思う。
今は、もう、そんなことはないようだ。
細い道を、東へ。
住宅地の中の道路だけど、いちおう、昔は、天神商栄会、という商店街だったらしい。
東へ東へと、進んで行くと、しばらくして、北野神社。
創建や、謂れについては、わからない。
ただ、近くを、南北に、鎌倉街道が、通っていたことから、それなりに、古い、と思われる。
おそらく、鎌倉時代、だろうか。
北野神社を、後にして、東へ。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中野セントラルパークサウス)

2013-08-13 06:08:59 | Weblog
広大な、再開発地、南側、中央線沿いには、中野セントラルパークサウス。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
オフィスビル、中野界隈にも、なくはないのだけど。
でも、オフィスビル、という雰囲気でも、なかったな。
商店街、下町、そういう雰囲気。
それが、今や、巨大オフィスビルを、擁する、整備された、街並みへ。
駅近くは、凄い、スピードで、変わっていく。
駅が、都心と、直結しているからだろう。
都心の変化の波が、押し寄せているようだ。
東へ。中野駅へ、向かう。
(2012年8月記)

中央線中野駅(中野四丁目 整備された警察大学校跡地)

2013-08-12 04:10:05 | Weblog
南へ南へと、歩いていくと、しばらくして、東西に伸びる、早稲田通り。
早稲田通りを、渡り、さらに、南へと、向かう。
いつもの、街並みの風景なのだが。
西側、ずいぶんと、開けた感じ。
新しく、西に伸びる、道路も、整備されている。
さっそく、新しい道路、西へ。
まだ、完成はしていないが、広々とした、緑の、芝地が、美しい。
道路も、幅広で、まっすぐだ。
まるで、中野の街ではないみたい。
どこか、郊外の、新しい、街並みの風景。
数年前、このような、場所、まったく、存在していなかったのに。
変化のスピード、早いものだ。
(2012年8月記)