retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線渋谷駅(井の頭線神泉駅のトンネル)

2013-01-21 03:39:25 | Weblog
渋谷駅の北側、JRの高架を、潜り、西口に出る。
スクランブル交差点を、渡り、文化村通りを、さらに、西へ。
しばらくすると、北側には、東急文化村。
バブルの頃、開業した、デパートだ。
こちらも、懐かしいな。
東急デパートと西武デパートが、しのぎを削っていたのだっけ。
そんな時代も、昔になってしまったなあ。
東急文化村、過ぎたあたりで、南へ曲がり、細い道を、南へと、進んでいく。
上り坂、まわりは、ホテル街。
かつては、繁華な、花街だったそうだ。
稲荷神社があったりするのは、当時の、痕跡かな。
ホテル街の中、今度は、西へ。
すぐに、急な、下り坂。下りの、階段になっているけど。
階段を、下りると、井の頭線神泉駅。
谷の底にある。
この、谷底に、泉が、あって、その、泉が、神泉、だったようだ。
さらに、西へ。
今度は、急な、坂道を、上っていく。
(2012年4月記)

山手線渋谷駅(渋谷ヒカリエ)

2013-01-20 07:11:59 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
渋谷駅で下車。
いつもは、喧騒に包まれている、渋谷の街、今日は、ちょっと、静か。
たまの休みには、混んでいるものだが、連休ともなると、落ち着くものらしい。
渋谷駅の、東口へ。
東口広場の、東側には、渋谷ヒカリエ。
最近、完成した、高層オフィスビル。(工事中はこちら
かつては、この、場所に、東急文化会館が、あったのだけど。
ずいぶん、様変わりしたものだ。もう、かつての、面影は、微塵もない。
ちなみに、東急文化会館が、できたのは、高度成長期が、始まる頃。
「ALWAYS三丁目の夕日」よりも、古い。
そういえば、東急文化会館内の、本屋に、何度か、行ったな。
たしか、同じ、フロアに、映画館もあった。
つい、昨日のことのように思える。
でも、映画館にも、行って、いないし、有名な、プラネタリウムにも、行っていない。
行く前に、なくなってしまったわけだ。
もっとも、実際、行ったからどうだと、いうわけでもないけど。
渋谷駅西口へ。
今回は、渋谷駅の西側を、訪れることにする。
(2012年4月記)

日比谷線神谷町駅(麻布台二丁目 ノアビル)

2013-01-19 08:33:15 | Weblog
外苑東通りを、東へ。
すぐに、南北に伸びる、桜田通りとの、交差点。
その、交差点の、南西側には、ノアビル。
高さは、それほどではないものの、窓のない、黒い、のっぺりとした、壁面、円筒形の形状、低層部、レンガの臙脂色、その姿は、印象的なばかりではなく、重厚さ、高級感をも、漂わせている。
完成したのは、高度成長期の終わり頃。
高度成長を、達成し、安定期目前の、日本。
そういった、時代の、雰囲気を、この、建物、体現しているように、思える。
実際、近くを、通ると、坂を、上ったところにあるし、奇抜な、デザインだし、とにかく、目立つのだ。
でも、ここ最近の、都心中心部に、あい続く、大規模な、再開発を前にしては、ノアビル、完全に、圧倒されている。
まるで、使い古された、玩具のようにも、思える。
規模が違うのだから、それは、そうかもしれない。
でも、そのことは、高度成長で、達成されたものが、実は、小さく、他愛のないものだった、ということかも。
さあ、もう、帰ろう。
連休中ということで、都心は、とても、静か。
ひょっとして、もう、このまま、ずっと、静かなままなのかと、思ってしまう。
桜田通りを、北へ。
日比谷線神谷町駅で、帰る。
(2012年4月記)

日比谷線神谷町駅(麻布台二丁目 真浄寺)

2013-01-18 06:09:49 | Weblog
一乗寺の南側には、真浄寺。
さっき、訪れた、熊野神社の、西側でもある。
創建は、わからないが、江戸時代の、地図に、載っているので、おそらく、江戸時代、だろう。
ひょっとすると、熊野神社も、同じ頃、この地に、移転してきたのかもしれない。
ちなみに、熊野神社、もとは、今の、増上寺北側、東京プリンスホテルの場所に、あったようだ。
そして、その、南側には、芝大神宮。
江戸時代の、直前に、増上寺が、移転してきて、芝大神宮、熊野神社は、ともに、移転したらしい。
その際、熊野神社の方は、しばらく、増上寺の境内に、留まった後、旧地に、一つ、残しつつ、移転した、というところかな。
本当かどうか、わからないけど。
それはそれとして、そう見ると、今の、増上寺を含む、芝公園周辺は、かなり、興味深い、場所であることは、間違いないようだ。
今度、ゆっくり、考えてみよう。
再び、外苑東通りに、戻る。
(2012年4月記)

日比谷線神谷町駅(麻布台二丁目 一乗寺)

2013-01-17 06:10:04 | Weblog
坂道を、上りきると、北西側から、伸びてくる、外苑東通りとの、交差点。
一帯の、地名は、飯倉、という。
飯倉、とは、米倉、のこと、だろうか。
その、米倉、どこに、あったのか、というと、どうやら、いまの、増上寺が、あるあたりらしい。
米倉と、セットであったのが、芝大神宮。
芝大神宮は、江戸時代に、入る前、今、増上寺がある、場所にあったのだ。
ということは、米倉も、同じ場所に、あったに違いない。
発掘して、本当に、米倉の、遺構が、出土したら、すごいことだが。
では、米倉が、あったとして、蔵に貯蔵した、米は、どこで、作られたのだろうか。
その、場所が、大昔、田圃があったことで、そのことが、地名になった、三田、なのかもしれない。
ここから、西側、今の、三田一丁目あたりが、当時の、三田。
古川の、南側になる。
三田で生産された、米を、輸送すれには、古川は、ちょうどいい。
そんなことを、考えながら、外苑東通りを、西へ。
すぐに、南側、細い道に入ると、一乗寺。
道路から、奥まったところ、ひっそりと、寺院がある。
(2012年4月記)

日比谷線神谷町駅(麻布台二丁目 熊野神社)

2013-01-16 05:01:38 | Weblog
街中を、東へ。
坂下、ということで、連休の最中でなくとも、静かなのかもしれない。
あたりは、しんと、静まり返っている。
そのまま、歩き続けていると、南北に伸びる、桜田通り。
こちらは、平日であれば、たいそう、往来が、忙しそう。
今は、静かで、クルマ、一台、通らない。
桜田通りを、北へ。上り坂となる。
しばらく、歩いていくと、通りの、西側に、熊野神社。
創建は、古いようだが、わからない。
創建の地は、芝浜、ということだ。
芝浜、というと、ここから、東側、海岸沿いかな。
ただ、芝浜の、どこか、というと、こちらも、わからない。
ひょっとすると、増上寺境内にある、熊野神社が、そうなのかも。
増上寺が、今の地に、移転してくる前から、あったそうだが。
そちらの、熊野神社から、分かれたのかもしれない。
もっとも、増上寺境内の、熊野神社も、創建は、よくわからないのだ。
もう少し、あとで、考えてみよう。
再び、桜田通りの、坂を、北へ。
(2012年4月記)

日比谷線神谷町駅(麻布狸穴町 狸穴公園)

2013-01-15 03:21:16 | Weblog
鼠坂を、下りきった先には、狸穴公園。
鼠ではなく、狸、とはどうなっているのかな。
地下に棲む、生き物を、「ねずみ」、とすると、鼠、ばかりではなく、鼬、狸、等も、「ねずみ」、ということになる。
鼠坂の別名が、鼬坂、だったり、ここから、東側にある、坂道が、狸穴坂、であったりするのは、同じ、「ねずみ」、だからだろう。
だから、地名も、狸穴、公園も、狸穴公園。
もっとも、さすがに、「鼠」公園、というのは、まずいのかもしれない。
ところで、鼠坂、下りている途中、都心とは、思えないほど、一帯には、緑が、多かったな。
開発しようにも、勾配が、急すぎるのだろうし、宅地化するのも、容易ではないのだろう。
六本木なら、そのような、急な斜面でも、再開発が、進んでいるが、ここまでは、それも、ないはず。
これからも、狸穴という地名に、そぐわない、場所であり続けるに違いない。
坂の下を、東へと、歩いていく。
(2012年4月記)

日比谷線神谷町駅(麻布狸穴町 鼠坂)

2013-01-14 07:11:57 | Weblog
バブルの頃だったかな、外苑東通り、もう少し、先に行ったところ、パキスタン料理の、店が、あって、よく、行ったことがある。
当時、この手の、レストラン、あちこちに、できはじめたのだ。
今では、もはや、珍しくは、ないだろうけど。
そういえば、その店、行くときは、たいてい、浜松町駅で、下りたんだっけ。
それで、西へ西へと、歩き、増上寺、東京プリンスホテルの、間を抜け、東京タワーの北側を、坂、上っていったのだ。坂を、上りきれば、外苑東通り。
たしかに、日比谷線神谷町駅の方が、近いのかもしれない。
でも、当時は、遠回りも、さほど、気にならないほど、のんびりしていたな。
そんな、昔を、思い出しながら、工事現場の、西側を、南へ。
急な、下り坂になっている。
鼠坂、という、名前の、坂であるらしい。
鼠とは、根に棲む、生き物のこと。そして、「根」とは、地中のこと。
そういえば、この坂、細く、急だし、そればかりではなく、かなり、長い。
まるで、地中、穴倉に、入っていくような感じだ。
そのまま、鼠坂を、下っていく。
(2012年4月記)

南北線六本木一丁目駅(グランスイート麻布台ヒルトップタワー工事現場)

2013-01-13 07:11:20 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で、南北線に、乗り換える。
六本木一丁目駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる、大通り。
宙には、首都高都心環状線の高架。
いかにも、都心中心部、というところだが、ゴールデンウィーク、ということで、しんと静まりかえっている。
空は、五月晴れ。溢れる陽光が、眩しい。
大通りを、南へ南へと、歩いていく。
途中、下りと、上り、谷地を、通るが、全般的には、上り。
先にあるのは、台地、あるいは、尾根、だろうか。
その、台地、尾根に、辿り着くと、南西に伸びる、外苑東通りとの、交差点。
外苑東通りに、入り、南西へ。
すぐに、通りの南側に、グランスイート麻布台ヒルトップタワーの工事現場。
最近は、都心部の、再開発集中で、台地でも、高層ビルが、建つものらしい。
(2012年4月記)

日比谷線入谷駅(下谷一丁目 正洞院)

2013-01-12 06:16:42 | Weblog
交差点の、北西側には、正洞院。
創建については、わかっていないが、おそらく、さっき、訪れた、真源寺と、同じ、江戸時代の、前半、といったところだろうか。
ところで、江戸時代の前、この、一帯は、湿地帯、あるいは、入江、だったわけだが、例えば、日比谷入江とは、少し、様相が、違っていたらしい。
水域への、開口部が、北側に、なっていたのだ。
そして、北側には、隅田川の流れ。
ひょっとすると、河川の、船運で、関東平野、内陸部と、繋がっていたのかも。
一帯が、湿地帯、入江だった頃、すでに、浅草は、あったわけで、そういうことで、発展していたのかな。
そんな入江なのだが、江戸時代に入ると、入口の部分を、土堤で、封鎖、干拓される。
後に、その、土堤が、山谷堀、になったらしい。
こうして、昔を、振り返ってみると、今は、静かな、街並みも、かなり、変化していたのだと気付く。
次は、件の、山谷堀跡を、訪れてみよう。
ということで、交差点を、離れ、北へ。
すぐに、日比谷線入谷駅。
日比谷線で、帰ることにする。
(2012年4月記)