retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線高田馬場駅(大久保三丁目 東西に伸びる幅広の通り)

2011-11-20 07:33:11 | Weblog
東西に伸びる、幅広の通りを、東へ。
昔、学生の頃は、高田馬場から、新宿へ、行くのに、金がないので、よく、歩いたものだが、この通りは、そのときの、コースだった。
通りを、東へ、歩き、南側の、戸山公園。公園内を、東に抜けて、明治通りへ。
明治通りを、南へ南へと、歩き、新宿に、行っていたのだ。
昔は、歩くのは、平気だったのだろう。
そういえば、大震災の夜、帰宅難民だったときも、延々と、歩いたな。
某大ターミナル駅から、歩き始めは、軽快そのもの。
道路沿いの、開いている、飲食店は、たいてい、満席で、よろしく、やっていた。
帰宅難民、というより、最初から、夜通し、飲み食いする、と腹を決めれば、いいわけかな。
ただ、しばらく、歩いていると、さすがに、疲れてきたが。
ふと、道路を見ると、歩き始めたときと、同じ、クルマがいる。
歩くスピードと、さほど、変わらないのだ。
そのクルマの間を、すり抜けるようにして、バイク、そして、自転車。
そんな風にして、帰宅難民の、長い長い列は、都心から、郊外へと、移動していく。
途中、やや大きな駅前。
ここまで来て、JRが、動いていないような、完全に、諦めようと、思っていたのだが。
ちょっとは覚悟していたけど、駅のホームが、真っ暗で、まったく、再開するようには、見えない。
ということで、最後の手段。
このくらいの、大きな駅なら、近くに、ビジネスホテルかなんか、あるだろう、と考えていたのだ。
さっそく、駅前の交番で、聞いてみることにする。
交番に近付いたら、すでに、先客。しかも、自分と同じこと、聞いていた。
警察官は、先客に、手を振り、曰く、だめだめ、どこもやってないし、やってるとこは、すでに、満員で、泊まれるようなところは、ないよ。
最後の、そのまた、最後の切り札も、だめだったか。
(2011年3月記)

山手線高田馬場駅(大久保三丁目西地区開発計画工事現場)

2011-11-19 07:24:22 | Weblog
歩きながら、このあいだの震災のことなど、思い出しているうちに、東西に伸びる、広い通りとの、交差点。
その交差点の、南東側一帯、大久保三丁目西地区開発計画の工事現場になっている。
巨大なビルが、複数棟、建つらしい。
こんな場所で、このような、大規模な、再開発を、行うなんて、想像もしていなかったな。
たしか、バブルの頃あたりまでは、JRの社宅が、あったように記憶している。
いつの間にか、更地になって、ずいぶんと経つな。
バブルの盛んな折、何かの、再開発は、始まると、思っていたけど。
おそらく、その頃、更地にはなったものの、そんなバブルも崩壊して、なくなり、あとは、そのまま。
ところが、最近になって、俄かに、再開発が、動き出したわけか。
都心への集積化と、さらに、コンパクトシティ、いろいろな、条件が、重なったのだろう。
もっとも、まわりは、公園や集合住宅、学校などの、施設が、集まっていて、もともと、再開発されやすい、ということもあるようだが。
ともあれ、高田馬場の南側、この場所に、新しく、街が誕生しようとしている。
(2011年3月記)

山手線高田馬場駅(高田馬場一丁目 南へ伸びる道路)

2011-11-18 03:37:16 | Weblog
ビッグボックスの東側、南北に伸びる通りを、南へ。
昔は、よく、高田馬場界隈、歩き回ったのだけど、最近は、めっきりだ。
だから、ここらに来るのも、本当に、久しぶり。
そういえば、こうして、歩いていると、大震災の日を、また、思い出してしまった。
たしか、某大ターミナル駅の手前で、帰る手段を、断たれ、呆然としたところまでだったかな。
とにかく、鉄道はストップ、幹線道路は、大渋滞。
後で、聞くと、都心からの、幹線道路は、皆、同じだったみたい。
しかたがないので、とりあえず、幹線道路を、多くの、帰宅難民の列に、加わり、西へ西へと、歩き始める。
まだ、この時点では、ひょっとしたら、JRが、動き出すのでは、なんて、思っていた。
最初は、余裕があって、ウォーキングの気分。
途中、コンビニに入る。何か、食べておこうと思ったのだ。
だが、棚は、空っぽ。
かろうじて、菓子パンがあったので、買って、歩きながら食べる。
もっとも、こうして、歩いていても、辿り着けるような距離でないことは、わかっていたけど。
JRが動き出すか、あるいは、道路が空いて、バスが、動き出すか。
もう、どうにもならなくなれば、タクシーでもいいかな。
そういう、気楽な気分も、多少あったには、違いない。
(2011年3月記)

山手線高田馬場駅(高田馬場一丁目 ビッグボックス)

2011-11-17 06:08:08 | Weblog
西武新宿線で高田馬場駅。
いつもは、ここから、乗り換えるのだが、今回は、目的地が、高田馬場なので、楽だ。
駅の、東側に出ると、駅前広場の、南側に、ビッグボックス。
高田馬場を代表する、建物だな。
完成したのは、高度成長期の終わり頃。
高度成長を達成し、世の中、余裕ができた、ということか。
そういえば、正面の壁画、最初は、ランニングする姿、だった気がする。
ちなみに、某テレビ番組によると、その壁画は、裏表が、変えられる、パネル式で、裏側には、大阪、道頓堀の、グリコネオンのような、絵があったそうだが、なぜか、一度も、日の目を見なかったそうだ。本当かな。
そんな絵も、いつしか、改装されて、今のようになっている。
あと、ちょっと前かな、上の階には、催事場があって、たまに、大規模な、古本市を、やっていた。今は、地階の、広場でやっているが。
さらに言うと、書店が、ずっと、あったのに、なくなったのは、いつだろう。改装された時期だろうか。
今でも、その書店、昨日のことのように覚えている。なくなっていること、忘れて、ビッグボックスに、入っていくかも。それぐらいだ。
昔のことを、思うと、懐かしさで、いっぱいになる。
過ぎ去った過去には、どうあっても、手が、届かない、ということだな。
(2011年3月記)

りんかい線東京テレポート駅(誰もいないテレポートブリッジ)

2011-11-16 05:05:12 | Weblog
パレットタウンから北へ。
湾岸高速に架かる、テレポートブリッジがある。
いつもは、けっこう、賑やかなのだが、やはり、今日は、誰もいない。
そんなテレポートブリッジを歩いて、北側、台場の方へ。
そういえば、大地震があった日、寒空の中、駅舎から、閉め出されたのだった。
子供連れの母親や、かなりの高齢者、そう、目の不自由な方も、いたな。
それでも、まだ、これは、当分、電車、動かない、と思っていた程度。
すぐに、バス停へ。
なんとか、西へ向かう、バスに乗り継ぎながら、少しでも、家に近付こうと、思ったのだ。
ところが、バス停には、信じられないほどの、行列。
しばらく、並んでいたが、諦め、某大ターミナル駅へ向かう。
そちらの方が、バス停が、たくさんあるからだ。
線路に沿って、南へ南へと、向かうと、逆に、北へ向かう、大勢の、帰宅難民とすれ違う。もちろん、自分も、帰宅難民。
これは、かなり、不味いな、と思いつつも、さらに、南へ。
某大ターミナル駅近くに、達すると、駅の方からの、放送が、聞こえた。
曰く、JRは、終日、ストップする、ということ。
ちょっと、待ってくれよ。それじゃ、それまで、どうしているのだ。
だから、帰宅難民が、某大ターミナル駅から、脱出してきていたわけか。
いや、もとより、電車は、当てにしていない。
バスに乗るために、ここまで、来たはず。
ところが、幹線道路に来てみると、クルマが、道路に、溢れている。まったく、身動きできない状態。
もはや、万策、尽き果て、呆然としてしまったな。
他者に何もしてあげられないどころか、自分の身すら、どうにもならない状況。
今から、思い出しても、この、無力感は、こたえる。
苦い思い出に、うちひしがれながら、台場の、海岸に、行ってみると、静かな海原。
そこには、いつもと、変わらぬ光景が、広がっている。
でも、それが、今では、まだ、信じられない。
早く、帰ろう。
なにが、起こるかわからない。交通機関が、ストップするかもしれないし。
すぐに、ゆりかもめのお台場海浜公園駅に向かう。
(2011年3月記)

りんかい線東京テレポート駅(止まったままのパレットタウン大観覧車)

2011-11-15 05:04:21 | Weblog
シンボルプロムナード公園を、西へ。
ドリームブリッジで、運河を渡り、さらに、歩いていくと、やがて、南側に、パレットタウン。
パレットタウン、運営は、していないだろうし、大観覧車も、止まったままだ。
あるいは、大地震が起こる前から、止まっていたのかもしれない。
たしか、パレットタウン、再開発される予定だった気もする。
また、地震の日を思い出した。
大地震が発生して、騒然とした中、しばらくして、会社を、後にし、帰宅。
もとより、地下鉄は、動いていなさそうなので、そのまま、家の方角目指して、歩く。
家に、電話するため、公衆電話を探してもいたのだが。
公衆電話は、最近、あまり、見かけなくなったものの、それでも、少しはある。
だが、どの公衆電話も、長い列。
かなり、歩いたところで、ようやく、公衆電話を、見つけ、家に電話をいれ、一安心。
近くに、バス停が、あったので、待っていると、すぐに、乗客を、満載した、バスが、やってくる。
なんとか、そのバスに乗り、某駅へ、辿り着いた。
まだ、電車は、動いていなかったので、とりあえず、駅舎の中で、待つことにする。
退屈してきたので、いつもいく、近くの大型の書店に、行ってみると、閉まっていた。
なんで休みなんだろうと、思いつつ、小さい書店に行くと、開いていたので、そこで、雑誌、買って、駅舎に、戻る。
しばらくすると、小腹が空いてきたので、いつも行く、蕎麦屋へ。こちらも、閉まっていた。おかしいな、と思いつつ、今度は、うどん屋。
ここで、ようやく、事態が、深刻なことに、気付き、急いで、駅に、戻る。
すると、ちょうど、駅舎の、シャッターを、下ろしているところ。
そんな馬鹿な、と思いつつ、暮れゆく寒空の下、閉め出されてしまう。
(2011年3月記)

りんかい線国際展示場駅(誰もいないシンボルプロムナード公園)

2011-11-14 03:27:49 | Weblog
東京ビッグサイトも稼動していないはずだし、誰もいないのは、当たり前か。
シンボルプロムナード公園に入り、西へと、歩いていく。
再び、あの時、震災の直後のことが、よぎった。
強い地震があった後、建物の外へ、出るよう指示。
強い揺れではあっても。激しい揺れ、ではなかったし、だいいち、けっこう、寒かったので、ぐずぐすと、職場にいたけど。
ただ、とにかく、騒然としていて、なにか、とんでもないことが、起きているようで、とりあえず、外へ。
しばらくすると、外に立っているのに、あきらかに、足をすくわれるような、強い揺れが、やってくる。
この揺れで、建物にいた、社員も、あわてて、ぞろぞろ、外へ、出てきた。
臨海副都心のどこかで、黒煙が上がっているとか、近くの建物の壁が、倒壊したとか、さまざまな、噂が飛び交う。
断続的にやってくる、強い余震。
見上げると、電線は、大きくしない、隣り合った建物同士が、揺れるたびに、ぶつかりあっているように、見える。
信号機は、ゆらゆらと揺れ、路上は、オフィスビルから、出てきた、サラリーマンで、埋め尽くされていた。
ただ、強い揺れではあっても、激しい、というほどではなく、余震が続くことが、異様だな、と感じたぐらい。
ほどなくして、解散の指示。
明日は、休みだし、早く帰れる、と思っていた。
それにしても、シンボルプロムナード公園、西へ西へと、歩いているのだが、誰とも、すれ違わないな。当たり前か。
(2011年3月記)

りんかい線国際展示場駅(誰もいない東京ビッグサイト前)

2011-11-13 07:21:26 | Weblog
明治通りを、南へ。
しばらくして、東西に伸びる、永代通りに入り、東へ歩く。
それにしても、今まで、誰とも、すれ違っていない。不安な気持ちを、煽られるな。
南砂町駅に戻り、改札を抜け、ホームへ。
いったい、電車は、すぐに、来るのだろうか。
そう、あれは、忘れもしない週末、もう、昼が、かなり過ぎていた時刻。
ゆさゆさと、激しい横揺れが、やってきたのは。
思わず、パソコンが、転倒しないように、押さえたっけ。
その大きな、横揺れ、終わると思うと、まだまだ、続き、さすがに、まわりは、騒然となっていたな。
なぜか、窓が、開け放たれていて、妙に、寒かったのは、今でも、覚えている。
しばらくして、やってきた車両に乗り込み、門前仲町駅で、下車。
ここから、バスで、臨海副都心に行くことにする。
特に、理由はないけど。
折り良く、停留所にやってきたバスに、乗り込む。
バスは、さすがに、地元客が、利用するので、ガラガラ、ということはないな。
それに、車窓から街並みの風景、それほど、変わっているように思えない。
江東の埋立地に広がる、下町を、ぐるぐる、巡って、東雲。
東雲を、過ぎて、西へと進んでいく。
途中、南側に広がる、荒野に、白砂が蒔かれたような場所が、あったけど、あれは、液状化なのだろうか。今となっては、わからない。
有明コロシアムの手前、バス停で、下車。
南北に伸びる通りを南へ。
湾岸高速を渡り、りんかい線国際展示場駅駅前広場に入り、今度は、西へ向かう。
すぐに、南側、東京ビッグサイト。
しかし、そこには、まったく、誰も、いなかった
(2011年3月記)

東西線南砂町駅(テラス東陽町ネクスタワー)

2011-11-12 05:45:19 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
電車の本数が、減ったので、面倒なことこの上ない。
それ以前に、まだ、不安な気持ち、治まっていないな。
たしか、この間の、週の中日あたりだったか、昼前に、ちょっと、強い揺れが、あって、それが、宮城県沖の地震。
そういえば、宮城県沖地震が、来るって、いっていたっけ。それが、予想通り、来たわけか。
だとすると、被害は、それほどでもなさそうだし、肩の荷が、下りたのかも。
そして、そんなことは、忘れて、また、普段の、日常。
あと少しで、やっと、週末に、辿り着く。そう思っていた。
今は、そのような、日常が、どこか、遠くに行ってしまったみたい。
南砂町駅で下車。
地上に出て、東西に伸びる、永代通りを西へ。
歩いていても、それほど、以前とは、変わらないな。
影響は、それほどでもないのかもしれない。
それよりも、異様なのは、誰もいない、ということ。
実際、交通機関が、不安定なので、出掛けるわけにはいかないのだろう。
南北に伸びる明治通りに入り、北へ。
しばらくすると、明治通りの西側に、テラス東陽町ネクスタワー。
最近、完成した、高層住宅。(工事中はこちら
とりあえずは、この、高層住宅は、無事だったのか。
(2011年3月記)

千代田線日比谷駅(日比谷公園心字池)

2011-11-11 05:02:47 | Weblog
目の前に立ちはだかる、といっても、江戸城が、攻囲されたことは、一度もないので、日比谷見附、無用の長物、だったのかもしれない。
そんな日比谷見附を過ぎると、心字池。
心、という字を、模っているらしい。
このような池は、日本庭園には、よくある、ということだ。
さらに言うと、この、心字池のある場所、江戸時代には、内濠と外濠をつなぐ、南北に伸びる、濠が、あったのだ。
とすると、その濠の、東側に、日比谷見附があるわけで、江戸城に対する、仮想敵は、西側から、攻めて来る、と想定していたのだろう。
そういうわけで、いろいろな面を持つ、心字池なわけだが、近くにいってみると、暖かい陽光を、たっぷりと、浴びて、すっかり、春めいた感じ。
心の字でも、濠、でもいいけど、それ以前に、季節感溢れる、一つの池であるようだ。
もう、ちょっと、のんびりしていたいのだが、帰ることにする。
それにしても、こうして、春が来る、というのは、ほっとさせられるなあ。
毎年、いつも、来るので、当たり前なんだけど。
でも、最近、妙に、有難く思ってしまう。
ちょうど、近くに、千代田線の日比谷駅。
千代田線で、帰ることにする。
(2011年3月記)