retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

りんかい線国際展示場駅(有明コロシアム)

2011-09-20 04:02:51 | Weblog
コロシアムブリッジを北へ。
昔、有明方面に行くには、この陸橋しかなかったな。
だから、何度も、通ったものだ。
コロシアムブリッジを、渡った先には、有明コロシアムがある。
完成したのは、バブル期前半。バブル期を代表する施設。
この施設の前身が、田園コロシアム。もとは、田園調布にあったのだ。
田園調布といえば、山の手。
事実上、その、山の手の施設が、江東区の埋立地へ移った、といっていいだろう。
だからといって、何か、特別な、感じではなかったな。
当時は、山の手も、埋立地も、一緒だったのだ。
ちなみに、その頃の地図を、見てみると、有明コロシアムのまわりには、りんかい線、国際展示場駅は、おろか、臨海副都心も、何もかも、まだ、存在していない。
湾岸道路と、倉庫だけ。あとは、荒野が広がるばかり。
とても、山の手とは、思えない。
今から、考えると、とても、不思議だ。
いったい、どうしたわけだろうか。
(2011年1月記)

りんかい線国際展示場駅(有明三丁目 コロシアムブリッジ)

2011-09-19 05:08:57 | Weblog
高田馬場駅で、山手線。
大崎駅で、りんかい線に乗り換える。
国際展示場駅で下車。
いつの間にか、正月は、終わってしまったな。
あいかわらず、あっけない。
そういえば、昔は、正月、どうだったのだろう。
バブル期以前は、本当に、全部、休みで、ゲームセンターぐらいしか、開いてなかったな。それはそれで、なんとも、侘しくて、よかった。
バブルが崩壊して以降だったかな、正月関係なく、あちこちの店が、開き出したのは。
それもまあ、普通の休日、という感じがして、よかった。
最近は、正月なんだけど、休日でもあるわけで、仕方なく、店が、開いてる、という感じ。
それは、気のせいかもしれないけど。
などと考えているうちに、地上に出る。
そこそこに、賑やか。
成人の日、祝日だからかな。
いつの間にか、三連休になったんだっけ。
ひょっとしたら、正月の有り難味が、なくなったのは、すぐ、次に続く、三連休のせいかも。
休みだから、どうでもいいことだけど。
駅前広場を、西に歩くと、しばらくして、北に伸びる陸橋、コロシアムブリッジ。
高速湾岸線を渡って、有明方面へ、向かう。
(2011年1月記)

山手線田町駅(芝浦四丁目 とても古い店)

2011-09-18 07:22:33 | Weblog
交差点の南側は、すぐに、運河。
その運河に架かる、高浜橋と、さらに先には、新幹線の高架がある。
そして、その向こうには、広大な下水処理施設。
いかにも、あまり、住環境は、よくなさそう。
そんな場所には、昔ながらの街並みが、残っていたりする。
実際、交差点の南西側には、いかにも、昭和の時代から、という飲食店。
おそらく、当時から、このままなのに違いない。
たぶん、バブルの頃でも、まわりは、あまり、変化は、なかったのだろうな。
そういえば、芝浦アイランドの西側、運河を、橋で渡ったところにも、古い、タバコ屋があったように記憶している。
細々と、なんとか、残っていたのかな。
でも、これからは、再開発が進んで、賑やかになって、そうなれば、店も、繁盛、とまではいなくても、一息つけるな、と思っていたのだが。
いつの間にか、なくなっていた。
そういうものだろう。
なんか、年の初めにしては、始まる前から終わっている、という感じだが。
ということで、もう、帰ろう。
今年は、どんな年になるのかな。
(2011年1月記)

山手線田町駅(シティタワー芝浦工事現場)

2011-09-17 04:17:12 | Weblog
再び、南北に伸びる、旧海岸通り。
旧海岸通りとの、交差点の北東側には、シティタワー芝浦の工事現場がある。
一帯の、高層住宅の建設は、まだまだ、続いてるようだ。
でも、さすがに、これが、最後かな。
ふと、反対側を見ると、いつの間にか、旧海岸通りを挟んで、西側には、新設された小学校。
なんとなく、ニュータウンという感じ。
もっとも、新設、というより、田町駅近くにあった、小学校が、移転してきたのだろうけど。
ところで、そういえば、昔は、ここから、さらに、南へ、歩いたな。
そちらの方にも、高層住宅が、次々と、建っていたのだ。
近未来の到来を、予感させるには、十分だったけど。
結局、巨大な再開発、というよりも、コンパクトシティ、だったようだ。
狭い範囲内に、なんでもあるし。
なんだか、近未来、というのとは、違う。
まあ、いいけど。でも、近未来を夢見て、足繁く、通っていた頃が、懐かしい。
さて、この先は、もう、高層ビルは、建たないので、引き返すしかないな。
(2011年1月記)

山手線田町駅(ベルファース芝浦タワー)

2011-09-16 05:11:51 | Weblog
旧海岸通りを、南へと、歩いていく。
一帯は、マンション地帯。とすると、いちおう、住宅街、なのかな。
いつも、ひっそりとしているので、住宅街とは、思えないけど。
正月は、いっそう、静か。
そんな中、外国の子供らが、はしゃいでいる声が、響いている。
外国では、日本ほどに、新年は、特別な意味を、持たないのかもしれない。
しばらくして、交差点を東に曲がり、そのまま東へ。
再び、南へ、曲がる。
南へ向かうと、ほどなく、道路の西側に、ベルファース芝浦タワー。
最近、竣工した、高層住宅だ。(工事中はこちら
かつて程ではないが、こうして、まだ、高層住宅は、増えている。
もっとも、増えるに従い、だんだん、住宅地として、賑やかになっていく、というふうにも思えないけど。
あいかわらず、まだ、外国の子供らの声が、ビルに反響しているぐらいだ。
道なりに、西へ曲がり、そのまま、西へ。
(2011年1月記)

山手線田町駅(芝浦四丁目 八千代橋から見る運河)

2011-09-15 06:15:43 | Weblog
ペデストリアンデッキから、エスカレーターで地上へ。
かつて、何度も、降り立った場所。
田町駅周辺は、高層ビルが、幾棟も建ってきたので、そのたび、何度も、来たのだ。
最初は、本当に、京浜工業地帯、芝浦の下町、という感じが残っていた気がする。
今は、整備されて、垢抜けた街並みになったな。
メインストリートを南東へ。
途中、新芝運河を、新芝橋で、渡る。
渡り終えると、昔は、古ぼけた、芝浦工業大学の校舎が、建っていた。
通りの向かい、ロッテリアから、その、くすんだ校舎を、ぼんやり、眺めていたな。
いまは、そんなことも、思い出になってしまった。
さらに、北東へ歩くと、南西に伸びる、旧海岸通りとの、交差点。
旧海岸通りに入り、そのまま、南西へ。
また、交差点があるが、ここには、歩道橋しかなく、いつも、面倒に感じていた。
そこを過ぎると、再び、運河、そして、八千代橋。
橋から、東側を、見やると、水面の果て、巨大な高層住宅群。
かつては、密林に覆われた、島だった。
本当に、すっかり、変わってしまったな。
もう、昔の日々は、帰らない。
(2011年1月記)

山手線田町駅(芝浦三丁目 田町駅から南東に伸びるメインストリート)

2011-09-14 06:07:52 | Weblog
高田馬場駅で山手線に乗り換える。
田町駅で下車。
改札を出て、駅南側のペデストリアンデッキへ。
今日は、正月、ということで、さすがに、閑散としているな。
駅から、南東に伸びる、メインストリートには、誰もいない。
静かなものだ。
ところで、それはいいけど、最近は、どうも、年が明けても、実感が沸かないのは、なぜだろう。
忘年会、いくらやっても、脳裏に残る、過ぎ去りし日々。
そういえば、昨晩の、紅白歌合戦、「トイレの神様」、楽しみだったが、結局、半分しか見ていない。そんなことも、心残りだったりする。
つまり、年末が過ぎても、そのまま、いっこう先に、進まない気分。
こんな気持ち、数年前からだ。
たしか、そう、郊外の、モスバーガー。
そのときも、正月だった。もう、日が落ちていて、外は、真っ暗。
店内にいるとき、突然、そんな気分が、訪れたのだ。
過ぎ去りし日々が、なんとも、いとおしくなるばかり。年が改まった気がしない。
だからだろうか、こうして、ペデストリアンデッキから見る、がらんとした、メインストリート、なんとも、侘しく、思えてしまう。
(2011年1月記)

南北線清澄白河駅(白河二丁目 宜雲寺)

2011-09-13 06:06:36 | Weblog
南側へ。再び、清洲橋通り。
西へ向かう。清澄白河駅へ。
大晦日だから、というわけでもないが、もう、帰ることにする。
それに、ちょっと、寒いし。
歩いていくと、しばらくして、通りの南側に、宜雲寺。
創建は、江戸時代の前半。
ここから北にある、深川神明宮にあったらしい。
しばらくして、この地に、移っている。
小名木川の開削と共に、その北側も、大規模に、開拓されるのだが、一段落した頃合、ということか。
そういえば、宜雲寺、別名、一蝶寺、ともいう。
江戸時代の有名な絵師、英一蝶が、寄寓していたかららしい。
そういう、文化的な逸話がある、とすると、やはり、当時、開拓も、一段落した、ということなのだろう。
寒いので、先を、急ぐ。もうすぐ、歩けば、清澄白河駅の入口だ。
そして、あと、8時間で、今年も、終わり。
以前は、年の区切りなんて、どうでも、よかったんだけど。
最近は、過ぎ去り行く、時間が、いとおしくなったのだろうか。
妙に、意識してしまう。
今年は、ほんの、あとわずか。
早く、帰らねば。
(2010年12月記)

南北線清澄白河駅(白河三丁目 小名木川)

2011-09-12 03:31:55 | Weblog
三ツ目通りを、北へ進む。
すぐに、東西に流れる、小名木川。
川というよりも、運河なのだが。
おそらく、江戸時代、最初に、造られた運河。
海岸の、すぐ、内陸側を、海岸線に沿って、開削されたらしい。
ということは、当時、ここらへん、海辺だったわけだ。
小名木川は、そのまま、東へ、伸び、途中、今の荒川、当時の、中川で、新川と、名前を変え、さらに、行徳まで。
行徳には、塩田があって、とりあえず、塩を江戸まで、輸送する、ということだったのかな。
江戸の街、先立つものは、塩、かどうか、わからないけど。
ちなみに、小名木川の西側、隅田川の先は、道三堀。
そのさらに、先には、江戸城の和田倉門。
江戸の街が、造成される前、おそらく、物資は、和田蔵、という蔵に、いったん、集積されたのだろう。
そのように考えると、江戸時代の息吹、時代を、感じるなあ。
(2010年12月記)

南北線清澄白河駅(パークハウス清澄白河タワー)

2011-09-11 08:28:13 | Weblog
北へ。再び、清澄通り。
東に歩くと、すぐに、三ツ目通りとの交差点。
この、交差点には、それぞれ、四隅に、高層住宅が建っている。
このうち、北東側が、一番、新しい。
パークハウス清澄白河タワー。(工事中はこちら
こうしてみると、壮観だな。
南西側には、イーストコモンズ清澄白河フロントタワー、南東側には、イーストコモンズ清澄白河セントラルタワー。そして、北西側には、D’グラフォート清澄白河スパークリングタワー。
最後、北東側、パークハウス清澄白河タワー。
駅前、というわけでもないが、まあ、駅近くではある。
さらに言うと、ここから、東側、四ツ目通りの地下に、地下鉄が、新設されるらしい。
豊洲駅から、東陽町駅、住吉駅の間。
ここから近くだとすると、東陽町駅と住吉駅の中間、おそらく、江東区役所近くの、葛西橋通りあたりかな。
ちょっと、離れるけど、これで、西側に、清澄白河駅、北側に、菊川駅、東側に、新設される駅。
地下鉄路線と駅に、囲まれるわけだ。
いつの間にか、交通の利便性が、高い、場所になる。
だから、高層住宅が、これだけ、建ち並ぶことになるわけか。
(2010年12月記)