retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

つくばエクスプレスみどりの駅(みどりの駅構内)

2010-07-21 04:25:54 | Weblog
なぜか、高層住宅の地階のあたり、たぶん、どこかのお店からだろうが、妙に、古い、洋楽が流れてくる。
とても、けだるく、物憂い感じ。そんな音楽が、終わることもなく、ひたすら、流れているのだ。
有線放送、つけっぱなしにしているんだろうな。たぶん、聴く者が誰もいないまま、なのかもしれない。
季節外れの、行楽地という雰囲気。
実際、どうでもいいことだけど。特に、他に用もないので、戻ることにする。
再び、高架に沿って、南へ。
みどりの駅に着いたが、早く着き過ぎて、次の列車が来るまで、しばし、駅構内にとどまることになってしまった。乗り遅れたわけではないので、いいかな。
それにしても、東口には、まったく、何もないようだ。駅構内から、見るとはなしに見ているだけなので、本当にそうかどうか、わからないけど。
一見すると、駐車場があって、クルマが停まっているだけ。
駅舎から、すぐに、住宅地になっている。
それでも、西口には、いちおう、駅前広場は、設けてあるようだが。
でも、さっき、通ったが、まわりに、何もなかった。ちょっと離れたところに、スーパーがあるぐらい。広場というより、空地に見えたな。
こう見てくると、つまり、駅が、街の中心になっていないわけだ。
それ以前に、そもそも、街の中心、核が、ないのかも。
もっとも、都心に行って、帰ってくるだけなら、特に、街の中心なんて、いらないんだろうな。無理に作る必要もないし。
でも、なんか、ちょっと、妙な感じだ。
(2009年10月記)

つくばエクスプレスみどりの駅(ライオンズタワーみどりのスタイリーナ)

2010-07-20 03:57:28 | Weblog
また、延々と、駐車場の中を歩いて、通りに出る。
急いで、東に向かい、駅前広場へ。
今回は、時間がないので、なるべく、無駄のないように動くつもり。
なるべくなら、ホームで待ちたくない。次の列車が、来る直前に、駅に戻ってこようと思っている。
だから、あらかじめ、次の列車が来る、時刻を覚えておき、その時間に合わせて、駅に戻ってくるのだ。
果たして、ホームに出ると、頃よく、列車が、滑り込んでくる。
さっそく、乗り込んで、次の目的地、みどりの駅へ。
このような道行、合理的なのか、余裕がないのか。後者のような気もするが。
とりあえず、駅改札を通り、西口駅前広場に出る。
実は、この駅に、高層住宅が建つことは、最初は、知らなかった。
前回、あるいは、前々回、つくばエクスプレスに乗ったとき、偶然、大規模な工事を、見つけて、ひょっとしたら、高層ビルかな、と思っていた程度なのだ。
調べてみると、実際、高層住宅だったわけだが。
ただ、その後、なんとなく、忘れているうちに、もう、とっくに、高層ビルは、完成してしまっていた。
遅ればせながら、ということで、駅前広場から、つくばエクスプレスの高架に沿って、北へと、歩いていく。
しばらくすると、東西に伸びる通りがあり、その通りの、南側に、ライオンズタワーみどりのスタイリーナ。
知らない間に、いつの間にか、高層ビルが、できあがっている、という感じだな。
(2009年10月記)

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅(パークシティ柏の葉キャンパス二番街工事現場)

2010-07-19 03:32:21 | Weblog
閑散としてはいるが、きれいに整備された、駅前広場。
そこには、澱んだような、呑み屋街もないし、迷路のような、商店街もない。
開けっぴろげで、爽やかで、どこまでも、明るい。
今しも、そんな、駅前広場の果て、盛んなる、工事現場を遠望できる。
おそらく、駅西口の、再開発に違いない。
勇んで、その工事現場に向かうことにする。
すると、その手前に、妙に、広々とした、駐車場。
駅に、それほど、近いわけでもないし、そもそも、がらがらだし。
それに、いかにも、急ごしらえで、作ったことが、わかるような、そんな雰囲気。
とりあえず、この、妙な駐車場は、どうでもいいのだが、ただ、そのおかげで、工事現場に、近付けない。
迂回するのも、面倒なので、広大な駐車場の中を歩いていくことにする。
荒れ果てて、でこぼこになっている、路面を歩いていき、工事現場の、すぐそばまで、辿り着いた。
あと、何年かすれば、東口と同じように、ここにも、巨大な、高層住宅が、建つのだろうな。
そんなことを思いながら、ふと、建築計画のお知らせの看板を見てみると、どう考えても、計画より、かなり、規模が、小さい。
当初の予定より、規模を、縮小したのだろうか。
そうだとしても、これでは、縮小し過ぎだ。ちょっと、それは、考えられない。
とすると、今、立っている、この、荒れ果てた、廃墟のような、駐車場こそが、いまだ、着工されていない、西口の再開発なのではないかな。
どう考えても、そうに違いない。
なるほど、そういうことか。
ふと、空を見上げると、秋晴れ。
雲一つなく、爽やかで、どこまでも、明るく澄み切っている。
(2009年10月記)

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅(柏の葉キャンパス駅西口駅前広場)

2010-07-18 06:58:29 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で、総武線に乗換え、秋葉原駅で下車。
つくばエクスプレスに、乗り込む。
久しぶりなのだが、もう、何回か、乗っているので、慣れてしまって、普通の通勤電車、という感じ。
ただ、この、スピード、他の、通勤電車では、ありえない。
暖かな、秋の日和の中、車窓の風景は、ものすごい早さで、後ろへと、流れていく。
こんな風に、スピードから見れば、他の路線なら、通勤特急クラス、なのだろう。
ただ、つくばエクスプレスの車内は、特急というよりも、やはり、通勤電車。
だから、余計に、速く感じるのかもしれないな。
そんなこと、考えているうちに、もう、柏の葉キャンパス駅に着いてしまう。
駅前に降り立つと、駅東口には、高層住宅群が、すでに、完成。威容を誇っている光景が広がる。
この前の、景気がいい頃に、完成したんだっけ。
それに続けとばかりに、西口でも、再開発が、始まる勢いだったが、世界同時不況の煽りで、頓挫。
昔の、発展途上国みたいだな。
前回、柏の葉キャンパス駅に来たときは、東口の再開発が、目的だったので、西口に、行くことはなかったけど。
今回、初めて、ということになる。
もっとも、郊外の、新興の駅前なんて、どこも、似たり寄ったり。
駅と一体化されているので、西口だろうと、東口だろうと、どうでもいいのだ。
とりあえずは、駅西口の駅前広場に降り立つ。
(2009年10月記)

東西線神楽坂駅(神楽坂 尾崎紅葉旧居跡)

2010-07-17 08:19:23 | Weblog
朝日坂をこうして、歩いてるのは、実は、寺町を、見たかったからではない。
この通り沿いに、尾崎紅葉旧居跡があるからだ。
ただ、ずっと歩いていると、南側を平行して、伸びている、大久保通りに、出てしまい、いっかな、辿り着けない。
そこで、大久保通りを通って、神楽坂へ戻り、最初っから、また、朝日坂を歩いてみたが、やはり、だめだった。
かくなるうえは、ということで、いったん、大久保通りへ。途中、袖摺坂を上って、朝日坂に入ってみる。
当然、結果は、同じ。
仕方がないので、朝日坂に平行する路地に、片端から、入ってみる。
これも、無駄足に終わった。
もう、諦めて、帰ろうと、思い、神楽坂へ。
そのとき、朝日坂沿いにある、という記憶を信じて、もう一度だけ、注意深く歩いてみようと、思い立つ。
今度は、朝日坂を、慎重に、進む。
すると、果たして、南側、路地が伸びていて、その先に、尾崎紅葉の旧居跡があった。
厳密に言えば、通りに面しているわけではない。これでは、判らないわけだな。
さっそく、路地に入り、近付いてみる。
そこには、なんとも、小さな、庶民的な家。こんな、みすぼらしいところに、尾崎紅葉は住んでいたのか。
このときは、とても、意外だったが。
でも、だからこそ、「金色夜叉」が、書けたのだ、と、今では、思っている。
つまり、金色夜叉、金の亡者、の悲しみ、というテーマは、このような、お金とは、無縁の場所でなければ、思いつかなかっただろう、ということだ。
再び、閑静な商店街、神楽坂に出て、南東へ。坂を、下っていく。
その先には、すっかり、変わってしまった、飯田橋。
ようやく、帰途に着く。
(2009年10月記)

東西線神楽坂駅(神楽坂 円福寺)

2010-07-16 03:57:16 | Weblog
神楽坂を上りきると、大久保通りとの交差点。
さらに、北西に進み、途中、南西方向へ。住宅街の路地に入っていく。
朝日坂という細い通りだ。
歩いていると、通り沿いには、寺院が、実に、多い。
一帯は、寺町になっているのかな。
この、朝日坂、という名前も、泉蔵院という寺院の境内にあった、朝日天神が、由来らしい。
ただ、その、ほとんどの寺院は、江戸時代、この地に、創建されたり、別の場所から、移されたものだ。
おそらく、江戸城の外濠のすぐ外側、高台を占めている場所なので、寺町を配し、いざとなった場合の、防衛ラインにするためだったのだろう。
だからだろうか、江戸時代が終わると、その後、どこかに、移転してしまった寺院は、少なくない。
泉蔵院も、朝日天神も、今は、どこかへ、行ってしまっている。
そんな朝日坂の緩い坂を上っていくと、通りの北側に、円福寺。
もっとも、特に、この寺院に、興味があったわけではない。
カメラに収めたのは、ただの、偶然。
寺町らしさを、記録しておきたかったので、撮ったのだろう。
ちなみに、円福寺は、江戸時代直前に、創建されている。
この地に創建されたのか、別の地に創建されて後、この地に、移ってきたのか、ちょっと、わからないが。
このように、多くの寺院があるためか、とても、静かになっている住宅街を、さらに、歩いていく。
(2009年10月記)

東西線神楽坂駅(神楽坂 善国寺 毘沙門天)

2010-07-15 04:59:04 | Weblog
神楽坂の途中には、毘沙門天を祀る、善国寺。
神楽坂では、最も、有名な名所に違いない。
ということで、善国寺を調べるため、江戸名所図会を、繰ってみる。
たしかに、坂の中腹に、善国寺の描いてある、絵はあるものの、残念ながら、記事はなかった。
それに、その絵に該当する記事は、神楽坂のもので、たまたま、善国寺が、絵に、描き添えられている程度。
ということは、おそらく、当時、神楽坂といえば、毘沙門天の善国寺、というわけではなかったのだろう。
ただ、神楽坂を上りきった、その先、西へと進むと、高田稲荷明神社、今の、早稲田大学の敷地全域にあたる、があったのだが、その境内の中に、毘沙門天が祀ってあったらしいのだ。
どうやら、当時は、そちらの方が、有名だったみたい。
さらに、少し、西側には、南北に、鎌倉街道が、通っているわけで、有名だったのは、江戸時代どころか、その、ずっと前から、だったようだ。
だから、神楽坂が、いつできたのか、わからないが、すくなくとも、江戸時代は、神楽坂を上ったその先には、穴八幡や、高田稲荷明神社があって、その、高田稲荷明神社に、毘沙門天が祀ってある、ということだったのだろう。
それが、いつしか、江戸時代半ばに、今の、麹町から、神楽坂中腹に、移ってきた、善国寺にも、毘沙門天が、祀ってあるじゃないか。しかも、坂を、上りきらなくても、その途中に、あるし。
そういうわけで、毘沙門天、といえば、神楽坂の善国寺、ということになったのかな。
本当は、どうだか、わからないけど。
ちなみに、先に、毘沙門天のあった、高田稲荷明神社は、今は、早稲田大学敷地になり、もっと、西に、移転している。
そして、当の毘沙門天、どこにいってしまったのやら。
(2009年10月記)

総武線飯田橋駅(神楽坂の商店街)

2010-07-14 02:48:03 | Weblog
牛込橋を渡ると、外堀通りとの交差点。
その先からは、神楽坂通りだ。
早稲田通りの続きなので、そのまま、早稲田通りのような気もするが、いちおう、神楽坂通りとなっている。
もっとも、それ以前に、通りというよりは、商店街なんだけど。
そんな、神楽坂を、上っていく。
両脇には、下町らしい、お店が並んでいる、と思いきや、けっこう、おしゃれなお店が、多い。
ただ、流行の先端、というわけでもなく、老舗っぽい、お店もあって、むしろ、全体的には、閑静な感じだ。
あえて言えば、日本橋と、日暮里の山の手の商店街を、足して、二で割った、というところか。
近くに、山の手があるので、そういう、客筋の商店街なのだろう。
また、神楽坂といえば、芸者さん。芸者さん、といえば、料亭。ということで、料亭街でもある。今は、昔ほど、盛んではないのだろうけど。
ところで、神楽坂の名前の、由来についてだが、たぶん、まわりに、神社も多いわけで、その、どこか、あるいは、特定の神社を、指しているわけでもなく、それらの、神社で、催される、神楽、からきているのだろう。
そうには違いないのだけど、ただ、自分としては、神楽坂の神楽、というと、どうしても、芸者さんの舞う、日本舞踏を、思い浮かべてしまうのだ。
料亭の街の雰囲気が、定着しているからかな。
さらに、坂を、上っていく。
(2009年10月記)

総武線飯田橋駅(神楽坂通り入口)

2010-07-13 05:01:37 | Weblog
総武線は、南西方向へと、向きを、変えていく。
南側に沿う道も、同じく、方向を、南西へ。そのまま、道なりに、南西へ歩いていく。
やがて、北西へ伸びる、早稲田通りとの交差点。
実は、この早稲田通りの、南側一帯は、柵を巡らせてあり、再開発されるらしい。
北側は、外濠になっているので、番町、麹町台地の、北側、下り斜面の再開発、ということか。
高層ビル街の拡大は、こうして、まだまだ、続いているようだ。
ところで、一帯は、富士見町、という町名で、さっき、訪れた、高層住宅の名前にもなっている。
でも、北側や、東側への、下り斜面なので、富士山が、見えるわけではない。
そもそも、町名の由来となった、富士見坂は、ここよりも、ずっと、南側だ。
そのあたりからなら、まわりに、ビルがなかった頃は、もちろん、富士山が、見えたのだろう。
もっとも、高層ビルなら、どこにあろうとも、富士山は、見えるものなのかもしれないが。
早稲田通りに入り、北西へ。
すぐ北側の外濠には、牛込橋が架かっている。
その、牛込橋の、袂には、それぞれ、JR総武線と、地下鉄有楽町線、地下鉄南北線の、改札があるのだが、JR総武線のホームは、地上にあるので、わかりやすいけど、地下鉄のホームの場合だと、間違って、牛込橋の袂に出てしまうことがある。
地上に出ると、いつも見る、飯田橋の光景と、まるで、違うので、一瞬、戸惑ってしまうのだが。
ただ、目の前には、神楽坂通りの入口があるので、もし、神楽坂が目的地なら、むしろ、飯田橋駅といえば、牛込橋袂の改札の方が、当たり前の、光景なのかもしれない。
(2009年10月記)

総武線飯田橋駅(プラウドタワー千代田富士見)

2010-07-12 04:50:43 | Weblog
総武線の南側を、西へと、歩いていく。
飯田橋駅の、南西側は、台地になっているので、坂を、上ることになる。
しばらく、上っていくと、南側に、高層ビル群。
高層住宅のプラウドタワー千代田富士見(工事中はこちら)と、オフィスビルのステージビルディングだ。
先行して、ステージビルディングが、完成し、次いで、最近、プラウドタワー千代田富士見が、竣工している。(工事中はこちら)
東側、麓の低地は、すでに、高層ビル街になっているのだが、その高層ビル街、徐々に、西へ、台地の斜面に、広がり始めた、ということか。
そういえば、この場所は、かつて、下町のような、家屋密集地だったように、記憶しているけど。
ひょっとして、昔、行った、呑み屋が、その中に、あったかもしれない。
なくなってしまったからといって、特に、感慨はないが、このように、きれいさっぱり、街並みが、消滅してしまうと、ちょっと、ショックではある。
ただ、飲食店は、斜面の下側、目白通り沿いにあるようだから、たぶん、その呑み屋は、なくなったりはしないだろうが。
もっとも、目白通りの東側には、すでに、高層ビル街が、完成し、今、また、こうして、斜面に、高層ビルが、完成したとすると、その間に、挟まれた、一帯だけ、そのまま、なのかな。
将来のことは、わからないけど。
結局は、すべて、きれいに、整備されて、昔の街並みは、残らないような、気もする。
(2009年10月記)