retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

横浜線新横浜駅(新横浜駅ビル)

2008-10-11 04:39:03 | Weblog
天気がよかったのは、一時的なものだったようだ。
今日は、また、どんよりとしていて、今にも雨が降りそうな感じ。
そんな中、高田馬場から山手線で渋谷、渋谷から東急東横線と乗り継いでいく。
横浜方面は、久しぶりだなあ。
久しぶりなのはいいのだが、あいにく天気がよくない。残念なのだけれど。
菊名駅で横浜線に乗り換え、新横浜駅で下車。
前回、訪れたときは、駅構内がいたるところ、工事中だったように記憶している。
今回は、もう、ほぼその工事は、完成したようだ。
駅から外へ出てみると、高層の駅ビルができあがっている。なるほど、この駅ビルを作っていたわけか。
新横浜駅ビル、ということだ。
バブルの頃の盛況振りから一転して、忘れられた存在になっていた新横浜なのだが、ここにきて、こんなに巨大な駅ビルが建つとは、いったいどうしたわけだろうか。
たぶん、神奈川東部方面線の開通予定、ということが影響しているのだろう。
神奈川東部方面線とは、相鉄線から都心へ直結する新路線のことだが。
もっとも、開通するのは、いつのことやら。そうとう先のことになるのは、間違いないだろうな。
勝手な想像なのだが、以下の経過を辿って、開通していくのではないかと思う。
すなわち、第一段階で、相鉄線西谷駅から神奈川東部方面線が分岐し、北東方向に伸び、新横浜の南側を通る、JRの貨物線に乗り入れる。
そのJR貨物線は、そのまま北東方向にさらに伸び、京浜東北線の東神奈川駅の北側で、JR東海道線と沿うようになる。
そこで、JR東海道線やJR横須賀線に乗り入れるのだ。
神奈川県の事情はわからないので、相鉄線から横浜駅経由で都心に向かう乗客がどのくらいいるのか、見当がつかないが、そのような乗客にとっては便利になるだろう。
第二段階目は、JRの貨物線を越え、北に伸び、新横浜駅を通過し、日吉駅で東急東横線に乗り入れる、というところだろう。
この場合も、具体的にどうなるのか、想像ができない。
唯一、言えることは、東急東横線で菊名駅乗り換え、新横浜駅へ、というコースが、なくなるだろう、ということぐらいかな。
いずれにせよ、かなり先のことなので、どうなるか、わからない。
(2008年5月記)

山手線池袋駅西口(ホテルメトロポリタン)

2008-10-10 02:31:58 | Weblog
山手線に沿って北へと歩いていく。
新橋駅に戻り、山手線に乗る。
次の有楽町駅で降りる。
西口に出て、北へと歩いていくと、有楽町線の有楽町駅。
有楽町線、というぐらいだから、有楽町駅がメインなのかもしれないが、いまだに、出入口がどこにあるのか、よくわからない。
今回も実は、歩道などに設置してある、案内地図板を見て、わかったのだが。
たしかに、有楽町線は、有楽町を通り、あるいは、永田町、麹町まで通っている。
でも、有楽町線、というと、どうしても、自分は、これから向かう池袋の街を思い浮かべてしまうのだ。
だから、なんとなく、イメージできなくて、有楽町線の有楽町駅の場所が、いつまでもわからないのかもしれない。
地下に降りていき、有楽町駅で有楽町線に乗る。
池袋駅へ到着する。
改札を出て、西側へ歩くと、すぐに地上へのエスカレータがある。
その部分は、まだ地下1階なのだが、天井はなく、見上げると、明るい外界を見れるようになっているのだ。
水平に移動しているだけなのに、いつしか地上に出た、という雰囲気になる。そのような仕掛けなのかな。
今日のように、天気がいいと、この意表を衝かれるような感覚、かなり印象的だ。
エスカレータで地上に出ると、目の前には、メトロポリタンプラザ
建物の一部は、東武デパートになっている。
そのメトロポリタンプラザに沿うようにして、南西方向に歩いていく。
交差点があり、その北西側にホテルメトロポリタンがある。
バブルが始まる頃に竣工している。
それ以降、メトロポリタンプラザができ、東京芸術劇場ができ、池袋西口公園も整備され、一帯は見違えるようになっていった。
ひょっとしたら、ホテルメトロポリタンが完成したときも、今日のような明るい青空が広がっていたのかもしれない。
そうでなかったとしても、少なくとも、未来への展望は、間違いなく、青空のようだっただろうな。
(2008年5月記)

山手線新橋駅西口(新橋東急ビル)

2008-10-09 04:46:09 | Weblog
浜松町駅に戻り、再び、山手線に乗る。
次の新橋駅で降りる。
西口の広場に出る。
相変わらず賑やかで、昭和のレトロな雰囲気が漂っているな。
ここだけは、昔のまま、あまり変わらない。
いつまで、この風景が残っているのか、わからないけど。
駅に沿って、南へと歩いていく。
昔からあるニュー新橋ビルを過ぎると、下町の歓楽街の様相。
まさにサラリーマンの憩いの場所だ。
以前は、新橋駅の北側あたりが、丸の内のオフィス街の南限、その周縁に、こういった歓楽街がある、といった感じだったのだが。
いつしか、まわりが、再開発されて、きれいに整備されて、新橋駅の西口だけ、歓楽街が取り残されていくように見える。
将来は、昭和のレトロ飲み屋街サラリーマン横丁テーマパーク、というふうになるのだろうか。
もうすでに、そうなりかかっているような気もするけど。
さらに南へと歩いていくと、第一京浜の手前に新橋東急ビルがある。(工事中はこちら
最近、竣工した高層ビルだ。
こんな飲み屋街に場違いな、と思ったのが。
でも、すぐに、この南側には、環状2号線が開通予定だったことを思い出す。
その環状2号線は、汐留シオサイトと虎ノ門を結ぶ、ということになるはずだ。
とすると、汐留シオサイトが、西側へ拡大した、とも言えるかもしれない。
そう考えると、場違いなのは、この新橋東急ビルではなくて、レトロな飲み屋街、ということなのだろうか。
もっとも、こんな、天気のよい日和だと、どっちでもよくなってしまうなあ。
駅前は賑やかだが、飲み屋街は、昼間はほとんど誰もいないし。
そろそろ賑やかな駅前に戻ることにするかな。
(2008年5月記)

山手線浜松町駅(心身障害者福祉センター)

2008-10-08 04:29:41 | Weblog
芝公園プロジェクトの工事現場に着いた頃には、上空の雲もかなりなくなってきて、陽が射すようになってきた。
初夏の陽気、というところかな。
街中を通り抜けて、東へと歩いていく。
東へ東へと歩いていくと、第一京浜にぶつかる。
第一京浜に入って、今度は、南へと進んでいく。
東西に横たわる古川を越える。
古川の上には首都高の高架が通っているので、同時にその高架をくぐる、ということにもなるのだが。
渡ってすぐに、南へと曲り、細い道に入っていく。
古川の南側を歩いていると、船宿があったりして、江戸情緒が溢れているな。と思ったら、すぐに目の前には、巨大な高層住宅、クレストプライムタワー芝
江戸時代と近未来が混在しているような光景だ。
あるいは、船宿や屋形船、といった情景は、歴史的なテーマパークになっているのかもしれない。
街中を今度は南へと歩いていく。
すぐに心身障害者福祉センターがある。
竣工は、バブルが崩壊した後、失われた10年の頃だ。
不景気の時には、公共の施設のビルが建つものらしい。
それにしても、この建物、いつも、山手線から見えるのだけど、本当に、柔らかな曲面を多用してあって、優しい感じがする高層ビルだ。
今日は、ちょうど、雲は多いけど、青空になっているし。
だから、このビルを見上げると、その青空に白亜の建造物が映えて、なおいっそう美しく見えるなあ。しばらく見入ってしまった。
また、第一京浜に戻って、北へ歩く。
浜松町駅に向かう。
ひさしぶりに天気がよくなったので、気分がいい。
自然と足取りも軽くなっている。
(2008年5月記)

山手線浜松町駅西口(芝公園プロジェクト)

2008-10-07 05:34:40 | Weblog
今度は、南へ南へと歩き、来た道を戻る。
一帯が高層ビル街になったりはしないのだろうが、でも、もう、住宅地に戻ることはないだろうな。
都心集積化の波に呑まれ、都心の中に組み込まれていくことだろう。
浜松町駅の北側、東西に伸びる通りに出る。
西へと歩いていく。
第一京浜を渡り、さらに西へ。
芝大門をくぐると、まだ街中だが、急に厳かな雰囲気に包まれるような気がする。
そのまま歩いていくと、増上寺に行き当たる。
芝大門は、増上寺総門のことだから、たぶん、芝大門から西側は、もともと、増上寺の境内だったのかもしれない。
だから、公共の施設や学校が多いのかな。
増上寺の東側を南に歩いていく。
道路に沿って緑が多く、静謐な感じがする。増上寺の影響なのだろう。
しばらく歩いていくと、道路の東側に芝公園プロジェクトの工事現場がある。
完成すれば、この高層ビルも、一帯の施設の一つ、ということになるのかもしれない。
同じような高層ビルとしては、南側に住友不動産芝公園タワーがある。
もっとも、住友不動産芝公園タワーの南側に古川が流れているので、住友不動産芝公園タワーと同じように、芝公園プロジェクトも古川沿いのビル群、ということでもあるのかもしれない。
こうして浜松町から歩いて見ると、なんだか、やはり、汐留シオサイトの拡大、と思えてしまうなあ。
もちろん、再開発地が拡大したりはしないし、汐留シオサイトも都心集積化の結果でしかないにちがいない。
ただ、例えば、このようにも見えてしまうのだ。
すなわち、丸の内のオフィス街が新橋から汐留シオサイトにつながり、さらに、南へと伸び、竹芝から古川の河口へ。そして、古川に沿って、ビル群が拡大していく、というように。
浜松町、というと、都心とは、ちょっと離れた場所だと思っていたのに。
いつの間にか、都心の中に入ってしまっている。
(2008年5月記)

山手線浜松町駅西口(ホワイトタワー浜松町)

2008-10-06 06:16:19 | Weblog
道路を北へ歩き、さっきの、芝浦アイランドから西へ伸びる道路に出て、そのまま西へ歩く。
すぐに、南北に伸びる旧海岸通りとの交差点。
旧海岸通りに入り、北へ。
旧海岸通りは、徐々に東へと向きを変えていく。
そのまま、しばらく歩いていくと、芝浦アイランドの北部から北西へまっすぐ伸びて、田町駅前に至る道路に出る。
田町駅の南側のメインストリート、に将来なるかもしれない、通りだな。
まっすぐ歩いていき、田町駅へ。
これだけ、高層住宅が増えて、街並みが拡大したのに、いまだに駅前、という感じがしない。
将来は、賑やかになるのかもしれないが。
田町駅で山手線に乗る。
浜松町駅で下車。
駅の北側へ出て、東西に伸びる通りを少し西へ。
山手線の西側になるが、途中、路地のような細い道路に入り、北へ北へと歩いていく。
都心の中心部にして、このような一帯が残っているのか、と思ったら、しばらくすると、ホワイトタワー浜松町がある(工事中はこちら)。
最近、竣工した高層ビルだ。
山手線を挟んで東側の汐留シオサイトのビル群が拡大してきたような感じだな。
この場所は、もとは、神明小学校、という学校の敷地だったらしい。
ちなみに、神明小学校の「神明」は、西側にある、芝大神宮の旧名、芝神明宮の「神明」に因んだのだろう。
昔は、普通に住宅地だった、ということだ。
そして、この学校が廃校になったのは、ちょうど、汐留シオサイトの再開発が着工された時期、ということらしい。
なにか、都市化の大きな流れと、この小学校の歴史が、この瞬間に、交差したのだろうか。
運命の不思議さを感じてしまう。
ふと、この新しい高層ビルを見上げていて、気付いたが、雲が切れてきて、ひさしぶりに、青空が見えてきた。
(2008年5月記)

山手線田町駅東口(芝浦4丁目計画)

2008-10-05 03:26:10 | Weblog
ひさしぶりの芝浦アイランドだが、最後に訪れたのが、再開発がほぼ完成した頃だから、今、訪れても、景観は、さほど変わっていない。
バス会社の敷地がちょっと変わったぐらいかな。
東京モノレールの橋脚をくぐり、橋を渡って、運河を越え、芝浦アイランドからは離れる。
交差点を南に曲り、そのまま南へと歩いていく。
前回、雨のために、訪れることを断念した、再開発地へ向かっているのだが。
さらに道路を南へと歩いていくと、道路の西側に芝浦4丁目計画の工事現場がある。
この工事現場がある場所も、芝浦アイランドと同じ運河に囲まれた島、になっている。
ここは、その島の、一番奥まったところだろうか。
だからかもしれないけど、さすがに、田町駅からは遠いような気もする。
芝浦アイランドから田町駅までは、道路が直線に伸びているので、実際は、それほど、遠くはないのかもしれない。
でも、運河が縦横に張り巡らされている一帯であれば、その運河を越えるのは、橋しかないので、移動するには、やはり不便ではないだろうか。
だとすると、例えば、さっき、芝浦アイランドを離れるときに、東京モノレールの橋脚の下を通ったのだが、その東京モノレールに芝浦アイランド駅、なんてあったら便利なのかな。
田町駅まで歩けるので、通勤に東京モノレールを使うことはないだろうけど、地域間交通を考えれば、あってもいいような気もする。
もっとも、現在、東京モノレールで行けるところとなると、天王洲アイルと大井競馬場ぐらいだろうか。
だけど、将来的に街並みが広がると考えれば、その街並みの中を移動することもあり、東京モノレールもその役割を担うのでは、と夢想してしまう。
なんか、この前、練馬の光が丘団地を訪れたので、考え方が、バブルになっているのかもしれないなあ。
(2008年5月記)

山手線品川駅東口(ラクシア品川ポルトチッタ)

2008-10-04 03:22:30 | Weblog
もときた道を戻る。
再び、新幹線引込線の高架をくぐり、南へ。
交差点を西に曲り、そのまま西へ歩く。
すぐに、通りの北側にフェイバリッチタワー品川があり、そのさらに北側には、ラクシア品川ポルトチッタがある。
近くには、他にも区営住宅シティハイツ港南、COSMOSPOLIS品川があり、高層住宅が密集しているような感じだ。
何年か前、これらの高層ビルの建設工事が次々と行われていて、ものすごいことになっていたのだが。
いったい、ここらへんは、どんな近未来の都市になるのだろうか、と想像もつかなかったな。
できてしまえば、落ち着いた、静かな住宅街の雰囲気になっている。当たり前かもしれないけど。
ただ、東側の交通量の多い海岸通り、北側の水道局の処理場、そして、新幹線引込線の高架を見ると、やはりここがもともと住宅地ではなかった、ということがわかる。
特に、新幹線引込線の無骨で角張ったコンクリートのかたまりを見ると、京浜工業地帯、例えば、川崎の沿岸埋立地の工場地帯を思わせる。
もっとも、水道局の処理場は無理としても、新幹線引込線ぐらいなら、昔の雰囲気を伝える、文化遺産に見えなくもないけど。どうなんだろう。
また、海岸通りに戻り、今度は、北へ北へと歩いていく。
そのまま歩いていくと、芝浦アイランドの東岸に着く。
昔は、芝浦アイランドと品川の東側に広がる高層住宅地帯を何度も歩いたな。
工事現場を見歩いていたわけだが、今や、その両方ともがほぼ完成してしまった。
だから、最近、このコースを歩くことはなくなったなあ。
ひさしぶりに歩いてみて、感慨深いものも少しはある。だけど、芝浦アイランドもできあがってしまえば、もう、何十年も前から、この場所に建っているように見えてしまう。
なぜ、そう思ってしまうのだろうか。
たぶん、それは、芝浦アイランドの高層住宅も、これから先、何十年もこの場所に建ち続けているのだろう、という時間の重さからくるのかもしれない。
そんなことを考えながら、かつて、何度も渡った港栄橋を通って、芝浦アイランドへ向かう。
(2008年5月記)

山手線品川駅東口(東京都東京港建設事務所ビル)

2008-10-03 04:13:48 | Weblog
高田馬場駅で山手線に乗り換える。
今年は、いい天気は続かないものだ。
それでも、今日はましな方かな。
山手線は、渋谷を過ぎ、五反田を過ぎる。
五反田を過ぎると、窓外には、高層ビルの工事をあちこちでやっている。
大崎にかけては、再開発で大変貌中、というところか。
ここらへん一帯の工事が完成して、静かになった頃には、他の場所で、また、再開発が始まるかもしれない。
例えば、大崎駅の東側、目黒川の東岸の北品川あたりとか。
他にもあるかもしれないが、今のところ、わからない。
山手線は、カーブを描きながら、東へと向きを変え、目黒川を渡っていく。
このとき、大崎方面が一望の下、見渡すことが出来る。
再開発が進み、整備された街並みの風景が広がっている。
昔は、工場地帯みたいだった気がするけど。
山手線が目黒川を渡り終えると、御殿山の麓を回りこむようにして、さらに、向きを東から北へと変えていく。
そして、何本ものホームが並んでいる、品川駅に山手線の車両は滑り込んでいく。
ひところは、この品川駅の東側にも、何本ものクレーンが建ち並んでいて、再開発工事が盛んだったのだが。
今は、もう大半が完成していて、静かになっている。
東口に出て、いつもの通りを東へと歩いていく。
高浜運河を渡り、さらに東へ。
南北に伸びる海岸通りに行き当たる。上空を首都高の高架が通っていて、交通の大動脈、という感じだ。実際、海岸通りは交通量がいつも多い。
そのような海岸通りを北へと歩いていく。
新幹線引込線の高架をくぐってさらに進むと、海岸通りの東側に東京都東京港建設事務所ビルがある。
バブルが崩壊した頃に竣工している。
景気が悪いと、このような、公共の施設の建物が建つのかもしれない。
それにしても、その後、近くに高層住宅が何棟もぼこぼこ建つとは、この高層ビルができた頃は、想像もしなかっただろうなあ。
時代は、流れていくのだ。
(2008年5月記)

両毛線前橋駅北口(前橋センタービル)

2008-10-02 05:01:19 | Weblog
北へ歩いていくと、神社などもあり、歴史を感じさせる。
一方で、やはり、横浜にでもありそうな、今風のお店もあったりする。
ただ、やはり、どこまで行っても、閑散としているなあ。
地方が寂れている、ということもあるのだが、商業の街、高崎に比べ、こちらは、行政の街、なので、前橋は閑静な街、ということでもあるらしい。
よく、高崎は、埼玉県で言えば、大宮のような街であり、そして、前橋は、埼玉県の浦和のような街、と言われているが、たしかに、そんな感じだ。
さらに北へ歩いてくと、南東に伸びる道路があり、その道路の北側に前橋センタービルがある。
竣工は、バブルが崩壊した頃だ。
たぶん、バブル景気は、都心よりも地方が中心だったので、その勢いで、建ったのかもしれない。
そのような前橋センタービルの東には、南北に伸びる大通り。
南にある前橋駅へ一直線に伸びているので、メインストリート、というわけだろう。
並木になっている木々が、けっこう大きく茂っていて、地方の都市に来たのだ、と実感してしまう。
本当は、もっと散策したいのだが、着いたのが、夕方なので、もう帰るしかない。
メインストリートは、地方の雰囲気がしたのだが、駅前は、やはり、埼玉県あたりの郊外の都市みたいだ。
前橋駅構内は、さらに、もう郊外の大きな駅と変わらないな。
両毛線に乗って、高崎駅へ。
高崎線に乗り換える。
新幹線以外、こういう交通手段しかないものなのかな。高崎線に何度も乗っているような気がするが。
そして、たいてい乗っているときに、車窓の風景は夜の闇に閉ざされていくのだ。
また、退屈な時間を過ごさなければいけないのか。
だが、今回は違った。
向かいの席に陣取った高校生の一団が、憑かれたようにしゃべりまくっていて、その話の内容があまりに面白くて。
話も面白かったが、若い彼らには、本当に未来があって、なんだか、彼らの持っている未来が、頼もしいものに見えてしまったなあ。
夜の闇の中を、高崎線の車両は疾走し、やがて、大宮、浦和と過ぎていく。
高崎線もいつしか、地方の路線から、普通の通勤路線みたいになってきた。
客層が変わったからだろうが。
明るい高校生の一団もいなくなり、川口を過ぎて、赤羽へ。
埼京線に乗り換えるために、赤羽駅で降りる。
そして、いつもの、生活に戻る。
赤羽駅の構内を埼京線のホームに向かって、人波の中を縫うようにして急ぐ。
自分には、未来がないから、こうして、急ぐのだな、と思うと悲しくなるけど。
でも、さっきの高校生らの他愛のない面白い話を思い出すと、心の中が温かくなってきた。
(2008年5月記)