retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京成押上線京成曳舟駅東口(MARK-01)

2008-01-21 06:28:41 | Weblog
千葉ニュータウン中央駅に戻り、再び北総線に乗る。
また、野を越え、林を越え、小川を何本か渡っていくと、新鎌ヶ谷、松戸、都心の郊外となる。
さらに列車は走り、江戸川を渡ると、寅さんの柴又へ。
都心の下町に入っていく。
青砥を過ぎ、荒川を渡ると、下町の中の下町、という感じだ。
京成曳舟駅で降りる。
西口に出て、いったん、南西に歩き、今度は東側へ。踏切を渡って駅の東側へ出る。
今、歩いている、ちょっと細い通りの東側にMARK-01がある(工事中はこちら)。
曳舟駅周辺で始まった大規模な再開発の中では、完成第一号だろうか。
かなり前に来たときは、京成線の京成曳舟駅と東武伊勢崎線の曳舟駅は、えらく離れているなあ、と思ったものだが。
こうして、一帯でいっせいに再開発が始まると、それほどには離れてはいないと、感じるから不思議なものだ。
たぶん、以前は、東武伊勢崎線の曳舟駅前と京成線の曳舟駅前と、駅前が二つあったのが、再開発で一つになってしまったからだろう。
まだ、完成していないから、なんともいえないけど。
ちょっと前まで、曳舟といえば、昭和の時代で時間が止まったような、どこか懐かしい街並みだったはずだ。
ここに来れば、記憶の中だけに残っていて、今は消えてしまった、場所があったのに。
それが、なんという変わりようだろうか。
やはり、山の手以外は、変わらないことは、許されないことのようだ。
さらに、ちょっと離れるけど、南側の押上では、巨大な新東京タワーが建設される予定である。着工は、もう来年(2008年)だ。
このことを契機に、また、更に一帯は変わっていくのだろう。
浅草、押上、曳舟、という軸が出来上がるのかもしれない。
そして、昭和の街並みも、大幅に姿を消していく、というわけか。
(2007年8月記)

北総線千葉ニュータウン中央駅南口(ローレルスクエア千葉ニュータウン中央・セントラルパークタワー)

2008-01-20 03:59:36 | Weblog
いったん東側に歩く。
居住区とオフィスビル街との境界になっている幅広の道路に出て、南へ歩いていく。
本当に歩いていても、なんにもない。
こうして、同じ地域を2回も歩き回っていると、周辺の地理に詳しくなってしまう。
しかし、道路と空地しかないので、詳しくなっても虚しくなってしまうのだが。
掘割になっている北総線を陸橋で越え、駅南口に出る。
そのまま、まっすぐ南に歩いて行くと、団地群にぶつかる。
その中にローレルスクエア千葉ニュータウン中央・セントラルパークタワーがある。
東側は公園になっていて、緑が多くて、環境はいい。
それに北口の居住区やオフィスビル群に比べれば、はるかに駅に近い。
竣工した時期が、最近なので、時代を反映したのであろうか。
北口のさっきの居住区の住宅棟よりも、こちらの建物の方がなんとなく高級そうな感じもするし。
実は、その他にも、まだ高層住宅の建設計画があるらしい。
おそらく、北総線の成田空港延伸を見据えてなのだろうが。
そして、たぶん、駅の近くに建つのではないだろうか。
最近の傾向としては、駅近くに巨大な高層住宅が建つ、ということが多いからだ。
本当は、駅周辺に何棟か高層住宅が建ち、ショッピングセンターができて、そして、そのまわりは、自然のまま、というのが、いいのかもしれない。
そして、高速鉄道で都心と直結するのである。
千葉ニュータウンの場合は、成田空港との直結、というのもある。
でも、そうなると、本当に再開発、というのは、格差社会における勝ち組しか対象にしていないことになるなあ。
成田空港なんて関係ないし。
バブル以前の頃が懐かしくなる。でも、もう後戻りはできない。
次にここに来るときには、駅周辺は、見違えるようにきれいに整備されているのだろうか。
ショッピングモールができ、高層住宅が建ち、いろんなおしゃれな店が並ぶ。
でも、他の地域と同じように、駅周辺だけ整備されて、コロニーみたいな閉鎖された街になるような気がするが。
自分には、どちらにしろ、どうでもいいことなんだけど。
(2007年8月記)

北総線千葉ニュータウン中央駅北口(トリアス・フロントタワー)

2008-01-19 06:23:43 | Weblog
野を越え、林を越え、幾つかの小川を越えた先に、なんでこんなきれいで広大な芝地のあるビル群があるのか、さっぱりわからないが。
完成したのは、もうバブルが崩壊した頃だけど、やはり、バブルの影響がなければ、こんなニュータウン、生まれなかっただろうなあ。
このオフィスビル群の西側は団地群になっている。
居住区と労働する地区が分けられているのだ。
そして、居住区の南側にはショッピングセンター。さらにその南側に駅がある。
さすが、人工都市だ。まさに計画通り。
だが、なんでこんなに駅が遠いのだろうか。
暑い中、歩き回ってうんざりする。
団地棟が並ぶ、居住地区の中、西へ西へと歩いて行くとトリアス・フロントタワーがある。
バブルが崩壊した頃の竣工だ。オフィス棟と同じぐらいの時期かな。
バブルの頃の再開発の特徴なのだろうか。やたらと広大な敷地に建物が広がって建っているのだ。
現在なら駅近くにでかいビルが建って終わりになるんだろうけど。
バブルの頃は、永久に成長が続き、人口が急増して、あっという間に手狭になると思われたのだろうか。だから、駅から離れた場所に、居住区やオフィスビル群が配置されたのだろう。
だが、いつまで待っても、人口は急増せず、駅周辺だけ、更地、空地が広がるという、奇妙な景観となってしまった。
今のところは、北総線が成田空港まで伸びる時期を待っているのかもしれない。
開業は、2010年、ということだ。
開業まで、あと少し。どういう変化が待ち受けているのだろうか。
(2007年8月記)

北総線千葉ニュータウン中央駅北口(三菱東京UFJ銀行千葉センター)

2008-01-18 06:21:20 | Weblog
前回は、台風で散々だった。今回は、リベンジ、というほどでもないけど。
だが、こんな遠くへ行くのは、一度だけにしてほしいものだ。
九段下で都営新宿線へ。そして、東日本橋で都営浅草線に乗り換える。
そのまま乗っていれば、直通なので、北総線になってしまう。
江戸川を越えれば、千葉県。
たしか、近くに矢切の渡しがあったっけ。
話の種に一度だけ乗ったことがあるけど。
たしかに、江戸川の東岸にはなにもないからか、近くには橋がない。
ただ、本当に用事がある場合、やはり、矢切の渡しは今でも、貴重な交通手段なのかもしれない。
また、観光地の柴又があるので、試しに乗ってみようなんて客もけっこういるのかもしれないなあ。
いったん川面に舟が滑り出すと、どこからか水鳥が何羽か近付いてくる。
そして、その舟にまとわりつくように、並んで飛ぶのだ。餌でも期待しているのかもしれないけど。
時に間近に、水面すれすれに飛ぶ水鳥たちを今でもよく覚えている。
さて、北総線は、東に向けて走り続ける。
武蔵野線を越え、東武野田線を越えると、またしても、林と小川をいくつも通過していく。
よくこのような、郊外の果てにニュータウンなんて造成したものだ。
たぶん、北総線は成田空港にまで伸びる予定なので、そういうことも造成した理由なのかもしれない。
やっと、千葉ニュータウン中央駅に到着する。
北口へ出て、どんどん北へと歩いていく。
少し歩くと、北東側には、オフィスビルが並んでいる一帯がある。
まず、三井住友海上千葉ニュータウン本社ビルがあり、そして、その北東側に三菱東京UFJ銀行千葉センターがある。
いずれもバブルが崩壊してしまったころに竣工している。
あたり一面は、青々とした芝地でよく手入れが行き届いている感じだ。
まるで、欧米の高級住宅地のようだ。
ここにいると、バブルの崩壊なんて、たぶん、きれいさっぱり忘れられそうな感じだ。
(2007年8月記)

山手線新宿駅西口(モード学園コクーンタワー工事現場)

2008-01-17 06:23:47 | Weblog
甲州街道を西へ歩き、途中で北へ。
新宿駅東口の広場を通過し、新宿駅の北側にある地下道を通って西口に出る。
出るとすぐに北側に新宿西口商店街がある。
思い出横丁といった方がわかりやすいかもしれない。
何年か前に火事になった後、再開発の話が出ていたが、その計画は、まだ生きているらしい。
もんじゃ、ラーメン、カレー、餃子、など、食べ物屋のテーマパークが最近、あちこちできたので、ここも、楽しい思い出横丁テーマパークでも作って、なんとか、お店が残って欲しいものだが。
それにしても、なんで、ペットショップまであるのか、不思議な気もするけど。
ビックカメラの前を西へ歩いていく。
ここは、以前、小田急デパートだったような記憶があるが。
もう、最初から、この場所に秋葉原みたいに電気店があるような、錯覚を持ってしまうなあ。
昔の思い出が、指の間から流れ落ちる砂のように消えていく。
ビックカメラの通りを挟んで西側には、エルタワーがある。
そして、そのエルタワーの南西側に、モード学園コクーンタワーの工事現場がある。
格子模様の独特のデザインの高層ビルは、もうかなり高いところまで、できあがっている。
この建物は、専門学校のビルだということだ。
さっきの新宿3丁目イーストビルは、映画館の高層ビルだったが、このモード学園コクーンタワーもその用途に関しては、驚かされる。
もっとも、最近、あちこちの大学キャンパスで高層ビルが建てられているので、このような、専門学校の高層ビルができても、不思議ではないけど。
南西側の工学院大学の高層ビルが、ひょっとしたら、第1号なのかもしれないが。
このようにして、情報も集積化していくのだろうか。
そして、たしか、ビックカメラのビルとエルタワーは、ペデストリアンデッキでつながっていたと思うが、とすると、モード学園コクーンタワーまでもペデストリアンデッキが伸びていくかもしれない。
電気店もその集積化に加わっていくのだろうか。
(2007年7月記)

山手線新宿駅東口(新宿3丁目イーストビル)

2008-01-16 06:19:52 | Weblog
大井町駅に戻り、京浜東北線に乗ろうかと思ったがやめて、階段を降りて地下へ。
りんかい線に乗る。そのまま乗っていると埼京線に直通する。
もっとも、いつも大崎で乗り換えているような気もするが。
新宿駅で降りる。
新南口から出る。新南口は、たしか、埼京線が停まるホームからが便利だったと思うのだが。このために、りんかい線に乗ったということもある。
新南口から出ると、甲州街道の南側の歩道に出る。そのまま甲州街道を東へ歩く。
明治通りとの交差点を渡り、新宿御苑トンネルの入口あたりまで来ると、甲州街道の北側に新宿3丁目イーストビルがある(工事中はこちら)。
もとはたしか、映画館だったが、高層ビルになっても映画館だ。シネマコンプレックス、というものらしい。
映画館で高層ビル、なんていうのは新宿ぐらいしか考えられない。
だが、西新宿は、高層ビルだらけだが、東新宿には、この新宿3丁目イーストビルと新宿プリンスホテル、そして、あえていえばタカシマヤのビルしか高層ビルはない。
新宿駅西口にあれだけ高層ビルが建っているので、もういらないといえば、それまでなのだが、不思議な感じもする。
特に新宿御苑の北側は忘れさられた一帯となっている。
バブルの頃だろうか、明治通りのバイパスを東側に作るはずだった気がするが、いまだに、甲州街道まででストップしている。
完成したのは、新宿御苑トンネルぐらいかな。
しかし、来年(2008年)には、近くに地下鉄副都心線の新宿三丁目駅ができる予定だ。
だから、シネマコンプレックス高層ビルができたりするのだが。
新宿の街は、今後、さらに、どう変わっていくのだろうか。
そんなことよりも、とりあえずは、最近、映画館で映画、見ていないなあ、と気付いてしまった。
もっとゆっくりできれば、今度、映画館で映画でも見たいものだ。
(2007年7月記)

京浜東北線大井町駅西口(かんべ土地K-7ビル計画)

2008-01-15 06:25:25 | Weblog
秋葉原駅に戻り、京浜東北線に乗る。
秋葉原駅のまわりも変わったけど、JRの駅構内も非常に変わったような気もする。
たしか、山手線のホームの上に総武線のホームがあったので、いったん、山手線のホームに上がってから、さらに総武線のホームに行くため階段を上がっていったなあ。
いまはどういう魔法を使ったのか、わからないが、ちゃんとしたターミナルになっていて、各線のホームに直接行けるようになった。
京浜東北線で大井町駅へ。
西口に出る。
東口というのは、たぶん、ちょっと前に1度行ったぐらいだが、そもそも記憶にも残っていないので、駅前の体をなしていないかもしれない。
西口は、それに比べるとずいぶん開けた感じだ。
駅前広場があり、幅広のメインストリートがまっすぐに西に伸びている。
商業ビルもあり、それなりにオフィスビルもあり、商店街もある。
東口はたしかえらく上り坂だったので、山の手だったのかもしれない。
それに対して、西口は立会川が流れていて(今は蓋がしてある)、低地になっている。
だから、下町だったのだろう。
だが、都心に近いために、下町は再開発されやすい。
この広々として整備された西口の駅前も最近の再開発の結果だろうなあ。
ただ、北側の東急大井町線の高架下は、なんとなく下町の雰囲気があって歩くと心が休まる気がする。
それと、南側である。
立会川は、大井町駅西口を北から南東方向に流れ、駅の南側から東口に流れていっている。
だから、大井町駅西口では、もっとも低地なので下町の度合いも強いのかもしれない。
駅に沿って南へ歩く。池上通りの陸橋あたりまで来るとかんべ土地K-7ビル計画の工事予定地がある。
こうして、大井町駅西口の下町は、どんどんきれいに整備されていくのだ。
(2007年7月記)

総武線秋葉原駅北口(富士ソフト秋葉原ビル)

2008-01-14 07:15:19 | Weblog
山手線の東側を南北に伸びる新しくできた通りを北へ歩く。
この通りと山手線との間にはビルが建ち並ぶ。
このビル群の南側には、富士ソフト秋葉原ビルがある。
最近できたビルでこの一帯ではもっとも高い建物になる。
北側には、インテージ秋葉原ビル、通りを挟んで東側には、パークタワー秋葉原がある。さらに北側や東側にビル群が拡大していくのかと思ったが、今のところ、そのような動きはない。
秋葉原に行くときは、たいてい、日比谷線の秋葉原駅から地上に出ていた。
地上に出ると昭和通りとなる。上を首都高上野線の高架が通っている。
今のヨドバシカメラの北側を東西に伸びる道路を西に歩いて、山手線の下をくぐっていくと、秋葉原の街の北西側に出る。
総武線や山手線の秋葉原駅からだと、玄関から入っていくような感じだが、こちらからだと、裏口から入って、いきなり中心部に行き着くような感じがした。
ヨドバシカメラや富士ソフト秋葉原ビルがある側は、なんにもなくて、更地、というより荒野のような感じだったなあ。
そのような光景が秋葉原の裏口、という雰囲気だったのだが。
以前は、秋葉原貨物駅があったのだろう。その残骸みたいなのが、かなり後まで、いまのつくばエキスプレスの駅の上にあったような記憶がある。
今は駅前広場ができて、ビル群になってしまった。
昔日の面影は、インテージ秋葉原ビルの北側や昭和通り沿いだろうか。いつまで残っているのかわからないけど。
最近は、秋葉原には、こうして高層ビルを見るためぐらいしか行っていないなあ。
たぶん、今後も、よほど暇でない限りは、行くこともないだろう。
だから、いつまでも、昔の秋葉原の街並みが頭から離れないのかもしれない。
(2007年7月記)

総武線秋葉原駅北口(秋葉原センタープレイスビル)

2008-01-13 03:40:41 | Weblog
また、中央線の高架をくぐり、万世橋を渡って、秋葉原の街に入る。
万世橋を渡ったところで、今度は交差点を東へ歩いていく。
秋葉原駅の南側は、なんか、いまだに下町みたいだ。
山手線の高架をくぐって秋葉原駅の南東側へ。
台東区が近いためかどうかわからないが、さらに下町っぽくなる。
ひょっとしたら、昔からの本来の秋葉原の雰囲気というのは、こんな感じだったのだろうか。
ちょっと南側には、東西に神田川が流れている。
この神田川の存在が、賑やかな市場を生み出したのかもしれない。
そのことも、昔からの秋葉原の雰囲気が残っている一因となっているのだろうか。
だが、つくばエキスプレスの駅ができ、その駅に付属するように高層のホテル棟が工事中となっている。
着実に秋葉原の街は変わってきているのだ。
そのつくばエキスプレスの地下駅と地下の路線の地上に南北に伸びる通りができている。こんな通りは、かつてはなかったのだが。
その通りを北へ歩く。総武線の高架をくぐると、西側は広場、東側は巨大なヨドバシカメラの店舗ビル、となっている。
秋葉原というと、まだ露店が軒を連ね、客が密集して押し合うような、戦後の闇市みたいな感じもあったりするのだが、こんな広場が出現するというのは、本当に不思議な感じがする。
そして、この広場の北側に秋葉原センタープレイスビル(工事中はこちら)がある。今のところ、このビルが秋葉原では一番、新しい高層ビルであろうか。
そして、次がつくばエキスプレスの駅近くの高層ホテル棟、のはずだったのだけど。
また、新たに秋葉原計画、神田須田町計画、と相次いで高層ビルの建設工事が始まってしまった。
もうこれ以上の高層ビルの建設はないだろうなあ、と思いつつも、やはり将来のことはわからない。
(2007年7月記)

総武線秋葉原駅南口(神田須田町計画)

2008-01-12 06:23:35 | Weblog
中央通りを南へ歩いていく。
総武線の高架をくぐり、万世橋へ。
この橋を渡ると、もう秋葉原の街からは出てしまった、という感じがする。
橋を渡りきると、中央線の高架があって、最後の秋葉原、ということか、部品を売ってるお店があったりする。
でも、そこを過ぎれば、秋葉原の街から完全に外へ出てしまう。
過ぎても、ついこの間までは、レトロな鉄道博物館があった。
まだまだ、秋葉原の圏内だ、と思ったものだが。
しかし、建物はまだ残っているものの、鉄道博物館は、もう移転していて、なくなっている。
その鉄道博物館の跡地の道路を挟んで南西側に神田須田町計画の工事現場がある。
おそらく、秋葉原のビル群の拡大、ということだろう。
鉄道博物館の移転でかつての秋葉原が消えていくのに、ビル群としては、拡大していく、というのは、不思議なことだが。
そして、あるいは、ひょっとしたら、鉄道博物館の跡地にも高層ビルが建つのだろうか。いまのところ、まったくわからないが。
ビル工事現場のある一帯は、神田須田町、ということだが、江戸時代から、市場があって、たいへんな賑わいだったようだ。
明治時代、大正時代、と時代は変わるが、市場は、ますます賑やかになっていく。
ところが、関東大震災の後、昭和に入って、市場は、今の秋葉原に移転してしまう。
その市場もまた、バブルの頃に移転してなくなり、代わりに高層ビルがぼこぼこと建っていった。
市場の跡には、高層ビルが建つものだろうか。そういう広い敷地があるからそのような再開発が行われるのだろう。
神田須田町も遅ればせながら、高層ビルが建つ、ということだろう。
そして、同時にまた、昔から知っている秋葉原が消えていく。
(2007年7月記)