retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

総武線秋葉原駅北口(秋葉原計画)

2008-01-11 06:24:22 | Weblog
秋葉原に向かう。本当は、丸ノ内線で御茶ノ水まで行くのがいいのかもしれないが、それもなんだか、面倒くさいので、歩いていくことにする。
本郷通りを歩く。東京医科歯科大学の北側を過ぎると、湯島聖堂に着く。
江戸時代に、幕府の学校、昌平坂学問所が置かれた。そしてこの学校が後の東京大学につながっていくらしい。
なんとなく、場所的に納得してしまうが。
神田の古本屋街や秋葉原の電気街などは、湯島聖堂とは直接、関係ないが、でも、場所的に影響を受けているような気がしてしまう。
湯島聖堂あたりから、本郷通りは下り坂となり、東側に向きを変える。
この本郷通りを挟んで湯島聖堂の北側には神田明神もあるのだ。
江戸、東京の街の総鎮守、ということだ。
台地が岬のように南にせり出していて、その先端に神田明神はある。そして、東側(むしろ北北東かな)には、上野、浅草、南側には、遠く官庁街があって、たしかに、総鎮守、という感じがする。
現在は、西に東京ドーム、南に神保町、書籍の街、北には、東京大学。
そして、東側には、上野、浅草は変わらないけど、そこに、秋葉原電気街が加わった、ということだろうか。
長い下り坂を下っていくと、下りきったところは、秋葉原になる。
さらに東へまっすぐ進む。
秋葉原では、総武線の北側で東西に伸びるメインストリートになる。
南側は、主要な電気店が並び、そして北側は、パソコンの部品を扱う小さな店が点在している。
さらに、進むと南北に伸びる秋葉原のメインストリート、中央通りとの交差点がある。
秋葉原の中心軸、という感じがする。
この交差点の北西側の一画では、秋葉原計画の高層ビルの工事を行っている。
昔はたしか銀行があったように記憶している。
秋葉原でパソコン関係の急な出費があっとときは、いつも、ここの銀行のATMに駆けつけて、お金を下ろしていたっけ。
今では、コンビニでも、お金は下ろせるし。
相変わらず、秋葉原の街は賑やかだが、でも、昔とはずいぶん変わったなあ。
この高層ビルができればさらに変わっていくだろう。
(2007年7月記)

都営大江戸線本郷三丁目駅北口(本郷五丁目計画)

2008-01-10 04:22:04 | Weblog
西武新宿線中井駅で都営大江戸線に乗り換える。
途中、都庁前駅で逆方向の車両に乗り換える。
都営大江戸線は地下鉄の山手線になるらしかったが、結局、環状にはならなかったようだ。でも、都庁前駅での乗換えはスムーズなので気にならないけど。
本郷三丁目で降りる。
本郷通りを北へ歩く。通りの東側一帯は、東京大学の敷地となっている。
少し歩いて行くと、本郷通りの東側に本郷五丁目計画の工事現場がある。
本郷通りの東側は、東京大学なのだが、このように、隙間があったりする。そして、その隙間に高層ビルが建とうとしているのだ。
たぶん、東京大学とは、関係ないビルなんだろうけど、ビル群としてみれば、東京大学ビル群に入るのだろう。
なぜなら、もし、この場所に東京大学がなければ、文京山の手の住宅街になっているはずなので、そうなっていれば、高層ビルが建つ、ということはありえないからだ。
それに、この本郷通りには、学生相手の商店街などもあって、やはり、東京大学の街だな、と思ってしまう。
どうせなら、都営大江戸線の本郷三丁目の構内のトンネルをもっと伸ばして、東京大学の敷地に直接、出られるようにしたら便利だろう。
さらに、丸ノ内線の本郷三丁目駅とは、駅名は同じでも、実際はつながっていないので、一体になるようにすれば、利便性は増すに違いない。
実現するとも思えないけど、明治の頃から鬱蒼とした森に覆われた、古色蒼然とした東京大学のキャンパスも、最近は、ずいぶん様変わりしている。
モラトリアムを過ごしたり、西側の文京山の手と東側の台東下町の間をストレイシープになって、彷徨ったり、なんて、昔語りなのかもしれない。
現代の都市にあっては、大学のキャンパスも情報の集積の場になっていくのだろうか。
もっとも、本当にどうでもいいことなんだけど。
ただ、そうなったら、もっと、オープンになって、近所の住人でも気軽に行き来できれば、面白いかもしれない。
(2007年7月記)

北総線千葉ニュータウン中央駅北口(三井住友海上千葉ニュータウン本社ビル)

2008-01-09 06:22:34 | Weblog
高田馬場から東西線に乗換え、九段下で都営新宿線へ。
さらに、東日本橋で都営浅草線に乗り換える。
本数は少ないが、北総線の直通があるので便利だ。
京成高砂で北総線になり、寅さんで有名な柴又帝釈天の南を通り、江戸川を渡る。
江戸川の向こうはもう千葉県だ。
突然、畑だらけになってしまう。千葉県になったから畑になった、というより、たぶん、外郭環状道路が南北に伸びてくるので、開発が制限されているのではないかと思うのだが。
東武野田線と接続する新鎌ヶ谷駅を過ぎると、いよいよ千葉ニュータウンに入る。
といっても、団地棟がびっしりと並んでいる、という風景ではない。
北総線が掘割の中を通っていることもあるのだが、林や原野の中のあちこちに団地棟の集合体が点在しているようにしか見えない。
林を抜け、小川を幾つか越えていくと、千葉ニュータウン中央駅へようやく到着する。
駅北口の広場に出てみると、暴風雨の真っ只中。電車に乗っていたときから、もうかなり激しい風雨だったのだが。
この日は、台風が来ていたのだ。台風を避けて、千葉ニュータウンに来てみたのだが、この暴風雨を見ると、どうやら失敗だったようだ。
これなら、もっと北側、それこそ、北関東、例えば前橋とかにすればよかった。
だが、もうはるばると来てしまったので、とにかくこの風雨の中、高層ビルを巡らなければならない。
しかし、なんでまた、こんな辺境にニュータウンどころか、高層ビルまで建ててしまったのだろう。
バブルのなせるわざ、ということなんだろうけど。
千葉ニュータウン中央駅の北口に出てそのまま北へ。かなり北へ歩かないと団地棟には辿り着かない。
たぶん、居住地区と駅の間には、商業施設などが建つはずだったのだろうが、ほとんど更地のままだ。おかげで風雨を避けることができない。
団地棟の東側に三井住友海上千葉ニュータウン本社ビルがある。
広大できれいな芝地の中に高層の業務ビルが点在する。
ほとんどSFの世界だ。いや、ユートピアというべきかな。
さっそく、デジタルカメラで建物を撮っていると、風雨のためにデジタルカメラはあえなく壊れてしまった。
建物は残っても、ユートピアはバブル崩壊とともになくなってしまう、そんなことが頭をよぎったけど。
そして、暴風雨な中、何事もなかったように高層ビルは建ちつづけている。
(2007年7月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(ミッドスクエア ザ・タワーレジデンス)

2008-01-08 06:22:51 | Weblog
北側に広がる展示ホールに沿って、北へ歩く。
もうここまでは、観光客はほとんど来ない。人影も見えず寂しいかぎりだ。
ただ、南の方から遠く離れて賑やかな声がわずかに響いてくる。
少し歩いてから交差点を西へ。いちょう通り、という大通りだ。
やがて、みなとみらい線のみなとみらい駅につく。
みなとみらいの中心にあるはずなのに、なんだか、街外れ、という感じだ。
まわりを見渡しても、荒野のように更地が広がるばかりだからだ。
みなとみらい駅の北側、交差点の北西側にみなとみらいミッドスクエア ザ・タワーレジデンスがある。
新しくできた高層住宅だ。高さはそれほどでもないけど、幅があるので、巨大な建築物となっている。
バブルの頃の大規模な再開発地の変容の最終形態だろうか。
未来型の都市からアーバンリゾート地、そして、高層住宅地、である。
今や高層住宅は、ミッドスクエア ザ・タワーレジデンスばかりではない。
このビルの東側には、次々と高層住宅が建っている。遠くからみなとみらいを見ると、おそらく、高層住宅団地みたいに見えるかもしれない。
それほど、最近は、高層住宅が多く建っているのだ。
こうして、埋め立て再開発地は、アーバンリゾート地になり、そして、高層住宅が建ち並んで、人工の山の手になるのだ。
こんなはずではないのか、やっぱり、なのか。たぶん、両方なのだろうが。
そして、さらに、最近は都心集積化の波に乗って、更地だらけだった場所にも、高層ビルが建とうとしている。
全部、完成したら、もう、ネタが尽きて、衰退するのだろうか。
わからないのだが、たぶん、完成するよりも前に勢いがなくなって、やっぱり、完成しないでそのままになるような気がするが。
(2007年6月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル)

2008-01-07 06:28:10 | Weblog
南北に伸びる国際大通りの東側には、パシフィコ横浜がある。
みなとみらいの最東端で、その先はもう横浜港、海、ということになる。
その海に向かうようにして、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルがある。
まるで、岬に立つ灯台のようだ。
ビルのデザインも帆船のようで、一度見たら忘れないほど、特徴のあるデザインになっている。
まさに、バブルの頃を代表するような高層ビルだ。
さきほどのリゾートホテル風デザインのパンパシフィックホテル横浜と比較すると面白い。
桜木町駅を降り、動く歩道でランドマークプラザを通り、東へ。クィーンズスクエア横浜を抜けていくと、パシフィコ横浜。北側には、展示ホール。
そして、海に向かってヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルが建っている、という趣向なのかな。
まるで豪華絢爛の絵巻物、歩いて体験する、壮大な物語のようだ。
バブルの頃は、何回か訪れたことがある。
白亜の建築群は、それこそ、神秘的なギリシアの神殿みたい。
今でも印象深い思い出になっている。古代の遺跡めぐりのようだったなあ。
でも、リゾート地にした方が、お金にはなるだろう。
バブルの頃だからこそ、誕生したわけで、そうでなければ、とても実現することはないはずだ。
そういう意味では、やはり遺跡なのだ。
しかも、何年も経っていないのに、もはや遺跡になってしまったのだ。
もっとも、それがいいことなのか、よくないことなのか、ちょっとわからなくなる。
確かなのは、ずいぶんと寂しい話だ、ということだ。
(2007年6月記)

京浜東北線桜木町駅東口(パンパシフィックホテル横浜)

2008-01-06 08:12:57 | Weblog
北側へ歩く。運河を渡る。
この細い橋がバスが通るはずだった橋のようだ。
また第一京浜に出る。
第一京浜の北側の街中にちょっと入って西へ歩く。
忘れ去られ、寂れ果てているなあ。
東神奈川駅まで歩き、京浜東北線に乗る。
桜木町駅で下車。東口へ出る。
眼前にはみなとみらいの再開発の高層ビル街が広がる。
今さらながら、この差異の大きさに驚かざるを得ない。
一方では、どんどん未来へ突き進んでいるのに、他方は、昭和の高度成長期のままだ。
時代の流れは、不均衡に進むものなのだろうか。
みなとみらいの南側、さくら通りを東へ歩く。
日本丸メモリアルパークやよこはまコスモワールドなどがあり、大勢の観光客で賑わっている。
バブルの頃の他の大規模再開発地、東京の臨海副都心、千葉の幕張もそうだが、イベント会場やテーマパークなどで、常に観光客を集めておかないと、成り立たないようだ。
完成すれば、すべて終わり、というわけではなかったのだ。
もうじき、みなとみらいの東端、というところにパンパシフィックホテル横浜がある。
バブルが崩壊した後の失われた10年の間にオープンしている。
外観からして、もう完全にリゾートホテルだ。
バブルも崩壊し夢、幻となってしまった。やはり、観光客を呼び込まないと成り立たないな、と気付いて急いで建てたわけでもないだろうけど。
ただ、バブルが崩壊した後、なんとなく雰囲気が変わったのは確かだ。
失われた10年を経て、都心集積の時代になると、アーバンリゾート地、という感じになる。
リゾート地になってしまったのだなあ。
再開発された未来都市がいつの間にかリゾート地になってしまう、というはなんか不思議な気分だ。
(2007年6月記)

京浜急行神奈川新町駅南口(テクノウェーブ100)

2008-01-05 08:16:21 | Weblog
ニューステージ横浜の北側には、テクノウェーブ100がある。
この高層ビルもバブルの勢いで建ってしまったようだ。
すぐ北側は、首都高横羽線の高架と運河がある。
ニューステージ横浜もそうだが、テクノウェーブ100は、全面ガラスで覆われ、バブルの頃の高層ビルとしては、シンプルなデザインだ。
だからだろうか、なお一層、まわりの寂れた街並みとは対照的に見えてしまう。
だが、南側を通っている貨物線は、桜木町から都心の品川まで伸びているのだが、その貨物線が通勤路線、京浜湾岸線に変われば、一体はがらりと変わってしまうだろう。
東高島貨物駅が当然、東高島駅になるだろうから、距離的にみて、ニューステージ横浜とテクノウェーブ100の近くに、東高島駅の隣駅ができてもおかしくはないはずだ。
コットンハーバータワーズの北側が、東高島駅ならこちらの駅名は、新浦島町駅、とでも名付けるのかな。
もっとも、そんなことが実現するとは思えないけど。
ところで、浦島町、というと、なぜか、この地には、浦島伝説がある。
竜宮城から戻った浦島太郎は、両親がいたということだ(むろん帰ってきたときには亡くなっていたのだが)。そして、その両親のいた、現在の横浜市神奈川区白幡まで帰ってきた、というのだ。
今も浦島太郎の墓まで残っている。
荒唐無稽と笑うのもいいが、白幡、という地名は、新羅系の渡来人の入植地を思わせるし、すぐ東側には、古代では、一帯の中心地、鶴見がある。
そういったところから、伝説が生まれたのかもしれない。
それならば、浦島太郎終焉の地、として歴史テーマパークが作れるだろう。
もっとも、この寂れた街並みを見ていると、歴史テーマパークどころではないような気もする。
やっぱり、京浜湾岸線でも開通しないことには賑やかにはならないかな。
それこそ、荒唐無稽なお伽話かもしれない。
(2007年6月記)

京浜急行神奈川新町駅南口(ニューステージ横浜)

2008-01-04 02:59:55 | Weblog
もと来た道を北へ歩いていく。
第一京浜を渡り、京浜急行の仲木戸駅へ。
隣の駅、神奈川新町駅で降りる。
歩いてもよかったぐらいの距離だ。
仲木戸駅と同じような寂しげな駅前だ。
また南口へ。
交通量の多い幅広の第一京浜を再び渡る。
そして、運河を越え、首都高横羽線の高架をくぐり、南へ。
まさに一帯は、京浜埋立地の下町だ。
貨物線の線路まで南へ歩く。
線路の北側にニューステージ横浜がある。
なんでこの場所に建っているのだろうか。何の脈絡もなしに忽然と建っている、そんな感じだ。
竣工は、バブルの終わり頃である。まさにバブルの勢いでぼこぼこと建ててしまったのだろう。
たとえば、神奈川新町駅からこの一帯へ循環バスが来るらしい。
だが、この高層ビルまで来る道はあるのだが、駅まで戻るときに通るべき運河を渡る橋が、いまだに整備されていない。
だから、循環、とは名ばかりで、また、もと来た道を引き返していくのだそうだ。
しかも、もうじきそのバス路線は廃止される、ということだ。
この話は、確認したわけではないので、なんとも言えないけど、実際、歩き回った感じだと、ありえるなあ、と思える。
本当は、東神奈川駅から京浜急行の神奈川新町駅までも含んで、一帯は再開発され、海岸沿いまでも、オフィスビルが建ち並んだりするはずだったのかもしれない。
実際は、尻切れトンボのように、あるいは、離れ小島のように、高層ビルがポツンポツンとできていくだけで終わっている。
バスの路線も含めて、すべてはバブルの夢の跡だったわけである。
結局は、バブルの遺跡として、この京浜埋立地の中に埋もれていくことだろう。もう埋もれているように見えるけど。
(2007年6月記)

京浜東北線東神奈川駅南口(コットンハーバータワーズ マリナゲートタワー工事中)

2008-01-03 07:54:00 | Weblog
これら低層棟の西側には、高層棟の2棟がある。
この2棟のうち、北西側のベイウエスト棟はまだ工事中だ。
そして、これらの4棟の高層住宅の北東側に離れてコットンハーバータワーズ マリナゲートタワーが工事中となっている。
さっき通ってきた、ボロボロの鉄橋と踏切の南側になっている。
さらに、その踏切の西側の先には、東高島貨物駅がある。
横浜線で生糸が運ばれ、横浜港から海外へ輸出されていった頃は、横浜線の線路も、直接、東高島貨物駅まで伸びていて、たいへんな賑わいだっただろう。
高度成長期を過ぎると、日本は工業国家ではなくなったので、貨物線もいらなくなってしまう。
横浜港から積み出す、物資の集積もなくなり、現在のように、ゴーストタウンのような状態になってしまった。
未来的な高層住宅群と廃墟が隣り合っている、という光景も面白いものだけど。
ただ、おそらくは、コットンハーバータワーズは、みなとみらいの一部なのかもしれない。
まだ開通はしていないけど、みなとみらいとの間には橋が架かる予定らしい。
だから、本来、コットンハーバータワーズへの道のりは、みなとみらいからが正しいのだろう。東神奈川駅から歩いてくる、なんてもっての他、なのかな。
あまりのゴーストタウンぶりに、途中で引き返す見学者なんていないだろうけど、やはり、ちょっと驚くにちがいない。
しかし、コットンハーバータワーズの北側を通る貨物線、桜木町からここまで伸びてきているのだが、さらに、延々と都心の方まで伸びていて、品川まで達しているらしい。
貨物需要はもはやなくなったので、将来は、京浜湾岸線なる通勤路線になるかもしれないのだ。
横浜と都心を結ぶ鉄道路線は、すでにいくつもあるので、これ以上は、いらないのだろうが、京浜工業地帯が住宅地になるなら、ひょっとしたら、と思える。
京浜湾岸線が現実になることはないだろうけど、コットンハーバータワーズのすぐ北側の東高島貨物駅が、通勤路線の駅になって賑やかになったりする空想を思い描くのも楽しいかもしれない。
(2007年6月記)

京浜東北線東神奈川駅南口(コットンハーバータワーズ ベイイースト)

2008-01-02 07:54:34 | Weblog
横浜駅に戻り、京浜東北線に乗り込む。
東神奈川駅で下車。南口に出る。
南口は、京浜急行の仲木戸駅との間だけ高層ビルが建っていて、離れ小島のような再開発ぶりが侘しいかぎりだ。
仲木戸駅という駅名を京急東神奈川駅、とでもすればいいのだが、よほど、広範囲に再開発されないと、そういうことにはならないだろう。
仲木戸駅から東南の方向へ歩く。
すぐに交通量の多い幅広の第一京浜、そして、首都高横羽線の高架が現れる。
もはやここまで来ると、東神奈川の高層ビルなんて雰囲気は雲散霧消している。
第一京浜を渡り、路地のような細い道をさらに南東方向へ。
運河を渡る。
まだこんな場所が残っていたのか、と絶句してしまう。昭和の高度成長期の世界が、目の前に広がる。
まるでタイムスリップしたような感覚なのだが、この細い道を意外にもタクシーやら高級車やらが通過していくので、危なっかしくてしかたない。
さらに歩いて行くと、もうボロボロになった鉄橋が運河に架かっている。
そして、これもまたボロボロの踏切を渡る。
もうこうなると、遺跡のような状態だなあ。
ただ、この踏切の南側は、いままでの風景から一転して、未来的な高層住宅群、コットンハーバータワーズが目の前に広がる。
タクシーやらクルマやらが走り抜けていった先は、間違いなく、この高層住宅群なのだろう。たぶん、見学かなんかではないだろうか。
このコットンハーバータワーズは、4棟の高層住宅と北側に離れて1棟の高層住宅、計5棟からなっている。
まとまっている4棟のうち、北東側には、コットンハーバータワーズ ベイイーストがある。
このビル群の中では低めの高層住宅となっている。
同じタイプの高層住宅がもう1棟、コットンハーバータワーズ シーイーストが南側にある。
こうなると本当に周りの世界から隔絶されたコロニーのような感じだ。
(2007年6月記)