山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

炭焼藤太・金売吉次が通った道 ⑥

2008-09-13 16:58:51 | 郷土史
 蔵王北麓の山里の道を北西に下ると古代のハイウェイたる笹谷街道と出逢う所の岩壁に唐松観音堂がある。
 写真「右」は、その観音堂から蔵王方面を眺望したものだが、時計塔のある学校の向こうに宝沢の集落が連なっている。
 宝沢は上と下からなり、手前に下宝沢があるが、そこに蔵王権現の立像(写真「右」)が安置されている堂宇がある。
 この立像は言わば蔵王山岳信仰の象徴ともいうべきものであるが、造像年代は炭焼藤太の年代よりはだいぶ後世であるものの、蔵王山岳信仰自体の歴史はかなり古い。当然、藤太もこの信仰との深い関わりの中で生きていた。藤太・吉次父子の炭や金属の商いも道中の各所で神仏に祈りながらであったに違いない。
 蔵王は今も“火の山”である。同時に麓の里に豊富な水と肥沃な土砂の贈り手でもあり、山里に対しても炭材や鉱物資源、その他の山の幸の供給源であり、里人は蔵王権現への感謝の念を怠らぬようにしていた。
 立像は今では現代人の自然を忘れた行状を厳しい目で睨め付けてているようである。

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