高畠町めぐりも午後遅くになり、宮城県境に近い山ふところの二井宿地区に入る。
突然しゃれた外観の公共施設らしき大きな建物が見えてきたが、そこは小学校であった。グランドも広い。しかし生徒の数は全部で100人を大きく下回るようだ。
この校舎のすぐそばの小高い所に「酬恩碑」と刻字されている巨大な石碑が立っている。これは17世紀の高梨利右衛門という義民の業績を讃えた碑で、以前はかなり離れた所にあったのを明治2年に地区の女性たちの髪と綱を撚り合わせてここまで引っ張ってきたのだという。
高梨利右衛門は郷民のために米沢藩政に立ち向かい、幕領への編入を訴えたという反骨の士であり、それゆえか現代でも高畠町民は自主独立の気概が強いと言われているが、強いのは男だけではない。
高畠の女性の力も強し。まさにヤマノカミ(髪)と言うべきか。
突然しゃれた外観の公共施設らしき大きな建物が見えてきたが、そこは小学校であった。グランドも広い。しかし生徒の数は全部で100人を大きく下回るようだ。
この校舎のすぐそばの小高い所に「酬恩碑」と刻字されている巨大な石碑が立っている。これは17世紀の高梨利右衛門という義民の業績を讃えた碑で、以前はかなり離れた所にあったのを明治2年に地区の女性たちの髪と綱を撚り合わせてここまで引っ張ってきたのだという。
高梨利右衛門は郷民のために米沢藩政に立ち向かい、幕領への編入を訴えたという反骨の士であり、それゆえか現代でも高畠町民は自主独立の気概が強いと言われているが、強いのは男だけではない。
高畠の女性の力も強し。まさにヤマノカミ(髪)と言うべきか。