西村山郡大江町左沢から朝日町南部にかけての最上川流域一帯を「五百川峡谷」と呼ばれているが、その昔、最上川の左沢から上流への舟運は困難で、物資や人員の輸送にはきわめて不便であったために、川面に露わになっていた岩盤や低い川底を砕いたりして川船の通行を容易にする工事がなされ、米沢など置賜方面と最上川中流との間の船便が活発化するようになった。
こうして左沢も宮宿だけでなく川沿いの集落も栄えるようになった。
宮宿から鉄橋越しに左岸に渡り、国道沿いに南下してしばらくすると右手に西洋の城館のような建物が見えてくる。
これは農民金融の営業所として昭和3年に建造され、現在は農協の支所となっているが、鉄筋コンクリートの建物としては山形県内でも最も古い方に属する。
この最上川左岸には宮宿のような大きな集落はないので、このような当時としては時代の先端を行くような近代的建物が出現したことは驚きであるが、大きな集落こそないものの、このあたり一帯がかつて豊かな時代であったことがうかがえる。
この建物と対面してからは引き返して左岸を北上し、再び鉄橋を渡って橋の上から先ほどまで歩いた農協支所の方向を振り返った。
ついでに、この宮宿から農協西五百川支所へ至る道とその復路はすべて徒歩であったことをお伝えしておきたい。都会人?としての私には何でもないことだが、朝日町の人たちには往復1時間の徒歩行はいささか驚異であったようである。
このような歴史を感じさせる建物が現存し、しかも使用されていることは嬉しいことです。
一帯として、最上川舟運のかつての繁栄が十分うかがわれます。後世に残して置きたい建物や景観は大事に保存したいものです。
寒風の中、最上川中流域行脚、おつかれさまでした。居ながらにして画像で楽しんでします。
最上川と周囲の風景はまさしく絵になる眺めでした。