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またまたブログ主お得意の不可解な複数写真の列挙。
いつぞやは大変もてはやされ、“歴女”に大人気であった「愛」の字を真ん中にして上下に風景写真が挟んでいる。
しかし、この「愛」の字の精神が活かされず、この上下の写真の地域を挟み南北の軍事勢力の間で壮絶な流血の惨劇が繰り広げられた。
むろん、この「愛」の字の主といえば、天下一のナンバー2である直江兼続であり、主君の上杉景勝から置賜地域の支配および最上勢と伊達勢への備えを任された。
今は上山市の領域になっている中山地区は彼の時代は置賜地域に属し、上杉領の最前線の山城が置かれ、兼続配下の武将が城将として軍を率い、関ヶ原で戦いが始められた頃に最上領(直接には上山城将が支配)に雪崩れ込んだ。
直江兼続自身が率いる軍は白鷹丘陵を越えて畑谷城と長谷堂城を猛攻したから、いわゆる上山口での戦いには彼は直接参戦しなかったものの、やはり彼の軍であることには変わりがなかった。
下の方の写真はJR羽前中山駅であるが、背後の丘陵の稜線こそが上杉領と最上領の「国境」であり、頂上あたりで上杉軍の兵士たちが最上勢の動きを睨んでいたようである。
反対に上の写真は当時は「最上領の玄関口」ともいうべき上山市の川口地区の田園風景であり、左手の丘陵の背後こそは上杉領たる中山地区である。
こののどかな田園風景もこのままでは景観が一変してしまいかねない事態が押し寄せている。
それは、まさにこの田園地帯一帯「エネルギー回収施設」なる不可解な名前の巨大公共施設の候補地として決定されたというニュースが昨夕報道されたことである。
まさに川口地区にとっては上杉軍侵入以来の歴史的大事件である。
エネルギー回収施設とは何のことはない、要するにゴミ焼却場、やや現代的に言えば清掃工場(これとて英訳不可能な表現)のことである。何年か後には高い煙突を備えた現代風城塞のような巨大施設がこの狭隘な地区の視界を覆うことになる。
山形新幹線や国道13号を北上した人たちは田園風景の中に聳える41階建てのマンションに驚かされ、「ナンジャコリャ!」と叫ぶが、それ以前にそのエネルギー回収施設を目にして驚くことであろう。
文化人武将でもあった直江兼続がもし現代に甦っていたら、あまりにもの武骨な景観にやはり驚くに違いないし、また、「世界史的旅行家」イザベラ・バードも彼女が通った堅磐橋の景観も巨大ゴミ焼場に押し潰されたようになって、「嘆かわスい」との彼女のすすり泣く声が草場の陰から聞こえてきそうである。
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