消えた落武者
上の2つの写真を見比べでけらっしゃいス。(見比べてください)
左の写真は借り物であるが、撮影年代は多分10年ほど或いはも少し以前のものであろう。もしくは、土蔵正面右側の「○△記念館」の看板は閉館後もそのままにしてあったということも考えられるから、それ以降かもしれない。
右の写真は2005年撮影だが、左の写真に見られる既に土蔵右側前方の茅葺き民家は失われているのがわかる。むろん、決して心霊写真ではない。
その後方に歴然として在った民家は結構立派な造りに見受けられるが、惜しいかな既に4年前には見る影もなくなっていたのである。
村落の近代化・現代化という怪物の襲撃の前に幾星霜もの年月を堪え抜いてきた“古武士”も矢折れ尽き果ててこの世から去ってしまったわけである。
この集落から消え去った民家はこれだけではないのである。
ここは古屋敷集落だが、同じく落武者伝承が残る2km奥の萱平集落は半数以上の民家がこの世から去ったのだから、現代文明の落武者狩りの凄まじさがわかるというものである。
上の2つの写真を見比べでけらっしゃいス。(見比べてください)
左の写真は借り物であるが、撮影年代は多分10年ほど或いはも少し以前のものであろう。もしくは、土蔵正面右側の「○△記念館」の看板は閉館後もそのままにしてあったということも考えられるから、それ以降かもしれない。
右の写真は2005年撮影だが、左の写真に見られる既に土蔵右側前方の茅葺き民家は失われているのがわかる。むろん、決して心霊写真ではない。
その後方に歴然として在った民家は結構立派な造りに見受けられるが、惜しいかな既に4年前には見る影もなくなっていたのである。
村落の近代化・現代化という怪物の襲撃の前に幾星霜もの年月を堪え抜いてきた“古武士”も矢折れ尽き果ててこの世から去ってしまったわけである。
この集落から消え去った民家はこれだけではないのである。
ここは古屋敷集落だが、同じく落武者伝承が残る2km奥の萱平集落は半数以上の民家がこの世から去ったのだから、現代文明の落武者狩りの凄まじさがわかるというものである。
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