山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

見ごろのハナ(華)に包まれたハナカミ王子

2010-05-26 11:50:37 | 郷土史
 ハンカチ王子にハニカミ王子。
 どちらの通称も今では古くて、マスコミもほとんどそんな風に呼ばなくなった。
 むろん「ハナカミ王子」なんて呼ばれた人物は今も昔も存在しない。
 私、ブログ主ただ一人がそう読んでいるだけのことである。
 しかも今は盛りの華で包まれた石碑のレリーフに浮かぶ人物の顔はどう見ても“王子”とは言い難い老人の顔である。
 彼こそその昔、天童の人たちに「はなかみ先生」と呼ばれて今でもなお深く尊敬されて顕彰碑のレリーフ像にまでなった高橋英雄である。
 以下、2007年の当ブログの記事より転載。

 彼は幕末の織田家(天童藩主)の御典医の孫として明治10年に生まれたから、いわば地域ではエリートの出と言える。彼、高橋英雄は海外に関心を向け、アメリカ行きの貨物船に忍びこんで米国に渡り、色んな辛い労働をしながらも多くのことを学んだが、帰国後ふるさとの天童に居住した。
 だが、ふるさとの子どもたちの多くが鼻汁をたらしたままの不衛生な状態であるのに心を痛め、「鼻をかみましよう」運動に力を入れたことから後に“ハナカミ先生”と呼ばれるようになった。その他、塀の落書き消し、ローマ字の普及、河川清掃、荒れたツツジ公園の手入れと整備など多方面の社会活動を行い、やがて多くの市民や子供たちにも親しまれ尊敬されるようになった。
 生活は仙人のようだったらしいが、心はツツジのような錦であり、まさに“王子さま”であったと言えよう。
 ◆写真 天童市の舞鶴山中腹のツツジ園と「はなかみ先生顕彰碑」 
コメント
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