しばらくぶりでこのシリーズの再開となった。
政宗毒殺未遂事件を史実とした場合、その事件の直後に義姫が会津黒川(現在の会津若松)から実家の兄最上義光のもとに逃れ、南館を経てここに匿われたという話は納得しやすい。
だが、新資料の発見により実際に政宗のもとから出奔して山形にやってきたのはその数年後、政宗の新居城の岩出山からであるとの説が現在有力になっているものの、彼女の山形への出奔の動機が何であるのかは不明としか言いようがない。
その推測はまたもや次回以降で行うこととして、今回は彼女が山形の地で落ち着いた悪戸の里で今なお優美にたたずむ小さな「鎮守社」を紹介したい。
この神社は「白山権現」と称するが、これまた彼女を匿って護った加藤掃部左衛門が大きく関わった伝承が残されている。 ⇒ 写真をクリックにより「縁起書」が現れます。