山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

炭焼藤太と金売吉次が通った道 ⑫

2009-02-21 23:11:19 | 郷土史
 小白川天満神社
 このシリーズの前回の⑪は2月9日であったから、またもや約2週間ぶりで歩みの再開となる。前回の頭加智地蔵もかつての短冊状(口の悪い者はフンドシ状と呼ぶ)に長い街村の小白川町に在り、今回の天満神社も同じ小白川町に在るのだが、この2ヵ所の間には国道13号の高架陸橋があるため、かつての一体的な街村も分断された感じである。
 この天満神社はその名のとおり学問の神としての菅原道真が祭神だが、同時に日本武尊(やまとたけるのみこと)も祀られている。
 もともとは払鬼神社と称していたようで、「鬼」つまり大和朝廷にとっては夷狄であった先住民(蝦夷とかアイヌとか云々)を払い除けるという意味の神社であったから、朝廷方の軍勢がこの辺りに陣を構えていたのであろう。
 つまり、この辺りで朝廷方と先住民がせめぎあっていたくらいだから、神社とともに歴史はかなり古いことになり、炭焼藤太らが商いのために通過した時代には既に人家もかなり並んでいたと考えられる。
 しかも、古代の官道たる笹谷街道を往き来する物資の出羽国最初の集散拠点であり馬の中継ぎ場としての「最上駅」はこの辺りにあったと目している研究者も居るくらいだから、古代には栄えた所であり、天満神社は藤太の時代には既に地域のシンボルになっていたのであろう。

※社殿の中には学問の神社らしく、オランダ語で記された百人一首の絵馬も掲げられている。 ⇒ 5月10日の記事(←クリック)参照 
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