山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

ホトケ様もSt.Valentineの心あり

2008-02-14 22:30:00 | Weblog
 今日、山形の商店街を歩いたら、菓子店では当然の如くバレンタイン・デーのチョコレートが売られていた。
 ところが、更に歩くと仏壇店があり、ガラス戸の前には写真にあるような黒板にバレンタイン・デーに関連することが記されていた。
 確かに聖バレンタインは古代キリスト教の司教のはず。でも、日本史と世界史を紐解けば仏壇店がバレンタイン商戦に加わってもおかしくないことがわかる。

 「イエス・・・一人の癩病人のみもとに来たり・・・癩病ただちに潔れり」
 これは新約聖書の「マタイ伝」の記述(文語訳)であり、奈良の興福寺五重塔を建てたと言われる聖武天皇夫人の光明皇后は帰化ペルシァ人の顧問医師から漢訳聖書のこの一節を説き聴かされて感動し、貧しい人たちのために悲田院、病人のために施薬院を建立して自ら癩病人の施療も行ったと伝えられている。その元ペルシァ人は既に中国に広まっていた景教(ネストリウス派キリスト教)の信徒であった。

 聖バレンタインは結婚を禁止されていたローマ軍の兵士のために結婚式を司式したり、失明の少女の目を治したりするなどして当局の怒りを買い、2月14日に処刑されたと伝えられている。こうして「愛の聖人」として尊敬されるようになった。なお、ラテン語ではヴァレンティヌスとなるが、「健康」「丈夫」の意味があり、「病人のための聖職者」としても尊敬された。

 ここですっかり仏壇屋のロウソク宣伝、五重塔とバレンタイン・チョコレートとは「赤い紐」で結ばれていることが理解できよう。
 さ~て、古代の山形にも光明皇后の顧問医のような彫りの深い顔立ちのアーリア人が訪れたかどうかのカギは、07年4月16日の記事(←クリック)に記載されている。
コメント
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