から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

二重生活 【感想】

2016-09-30 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
2つの家族をもった男とその家族、1人の女性の交通死亡事故が交錯するミステリー&メロドラマ。年に数本見る程度の久々の中国映画。
物語の冒頭、ドシャ降りの雨の幹線道路で若い女性が車に引かれる。原因は引かれた女性が視界の効かない道路に突然現れたことによる。場面は変わって、端正な顔立ちのイケメン男(胸の大きなアザが玉にキズ)が、高級車に乗りながら「仕事が巧くいった♪」と奥さんらしき人に電話で連絡している。一方、その奥さんは友達になったばかりのママ友から、自身の旦那の浮気について相談を持ちかけられる。事故にあった女性、イケメン旦那の奥さん、その奥さんのママ友、無関係だと思われた3人の女性が1本の線で繋がっていく。ミステリーとして時系列の見せ方が巧くないのが残念だ。イケメンの旦那が単に「女ったらし」だったという結論も味気ない。しかし、本作の見せ場はそこにあらずと言った具合。「嫉妬」による情念の揺らぎを写実的に捉えることが狙いのようだ。手ぶれではなく、クラクラとした独特のカメラワークがその「揺らぎ」を表現しているようだが、どうにも気持ち悪くてダメ。演者たちの熱演も手伝って強い嫉妬心が生々しいが、その中心にいる男がクズなため、感情移入することなく終始冷やかな目で様子を眺める。状況は変わったものの、登場人物たち自身に変化がないのもつまらない。主人公の奥さんを演じたハオ・レイが高畑充希に激似。
【60点】
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ハドソン川の奇跡 【感想】

2016-09-29 09:00:00 | 映画


「間違うこともあるさ、人間だもの。」みたいな相田みつをチックな言葉が何度も頭をよぎる。しかし、多くの人命を預かる旅客機のパイロットにとって「間違うこともあるさ」なんて許されない。飛行中の不慮の事故によって大きな決断を下したパイロットの姿を通して見えるのは、人的判断の難しさと可能性だ。だが、本作の核心はその先にあったように思う。なぜ奇跡が起こったのか、その答えは飛行中ではなく着水後にあったと感じる。なので、本作のタイトルについては原題よりも、そのものズバリの邦題のほうがしっくり来た。当初、本作の製作を聞いたとき、映画化するほどの事件ではないと思っていたが、いやいや十分な意味があった。人間の良心にフォーカスしたイーストウッド監督らしい筆致が、静かな感動を呼ぶ良作だ。

2009年に起きたアメリカ国内便のハドソン川への不時着事故。その知られざる全容を事件の当事者であるパイロット「サリー」の視点から描く。当時、日本でも多くの乗客の命を救った英雄談としてニュースになっていたのを覚えているが、そのニュースの裏側にこんなエピソードがあったとは驚きだ。

「パイロットは我が人生そのもの」と言い切る、40年以上のキャリアを持つ主人公だ。その言葉の節々から仕事に対する高いプロ意識と誇りが滲む。その彼の仕事とは、飛行機を操縦して乗客たちを安全に目的地に送り届けることだ。その仕事場は高度ウン千メートルというはるか地上の密室空間で移動するという極めて特殊な状況であり、パイロットの肩にかかるのは乗客たちの命そのものといえる。劇中何度も挿入されるのは、判断を誤り飛行機を墜落させてしまうサリーの幻覚シーンだ。パイロットという仕事の責任の重大さが痛いほど伝わる。多くの飛行機事故の歴史から、航空技術は常に進化を繰り返し、リスクを可能な限り減らす運用がなされているはずだ。しかし、人間の手による飛行操縦においては「100%」はあり得ない。そもそも鉄の塊が空を飛ぶって大変なことだ。

事故当日、副機長のジェフとともにサリーはいつものとおり万全な準備の経て離陸する。しかし、その離陸直後、バードストライクによって両翼の動力がほとんど停止する。不測の事態も冷静に対処するサリーたちの姿が印象的だ。おそらくパイロットの資質としてマインドコントロールは不可欠なのだろう。様々な手をつくし、管制官とのコミュニケーションを経て最善の選択を探る。サリーら操縦士側と管制官のやりとりを交互に見せるのではなく、それぞれの視点単位で2度に分けて描いているのが巧い。「人命最優先」という願いは同じだが、空中の現場と地上の管制塔では状況の捉え方が異なるのだ。どちらのシーンも凄い緊迫感に包まれる。

当時、自分はこのニュースを聞いたとき、あまり気に留めなかった。それは「街に墜落せず、水上に着地できたのだから良かったじゃない」と思ったからだ。ところがホントはそうじゃない。大きな鉄の塊が上空から水面に叩きつけられるようなもので、その衝撃を考えれば管制官が「生還率ゼロ」と絶望したのも頷ける。そのリスクはサリーらも同じ認識だったに違いない。「着水する」と発したサリーに対して「マジか!?」と恐怖と驚きの表情を見せた副機長のリアクションが物語る。ハドソン川への着水という選択は、乗客たちの命を危険に晒すということ。

結果、ハドソン川への着水に無事成功する。そして誰1人、命を落とすことなく事故を乗り切る。機体の操縦士であるサリーは多くの命を救った英雄として持ち上げられる。彼は仕事として、または1人の人間として当然のことをしたまでであるが、加熱するマスコミの反応にサリーやその家族らは頭を悩ませる。アメリカって「英雄」ネタがつくづく大好物な国なんだと改めて思う。しかし、彼に待ち受ける試練はそこからだった。彼のハドソン川への着水という判断は果たして正しかったのか?と、まさかの追求が始まる。「乗客が全員助かったから良いじゃないか」とも考えるが、保険会社も絡んだ事故の処理上必要な手続きであるとともに、再発防止のための調査のようだ。英雄として彼の判断が称賛される流れだったが、そこに待ったをかけのたがコンピュータによるシミュレーションだ。シミュレーションでの検証を重ねた結果、彼の判断は間違っていたと判定される。

避けることのできない事故が起こり、懸命な対応をしたサリーらに責任はないはずだ。しかし、安全な別の選択肢があったとされ「助かったのは結果論」と言わんばかりに乗客を危険に晒した事実が突き付けられようとする。判断を誤ったという新たな責任問題が浮上するのだ。英雄から一転、疑惑の目が注がれる。。。なんて悲惨な話だろう。サリー自身の家庭の問題、将来への不安なども織り交ぜられ、サリーの境遇が一層悲壮感を帯びていく。

クライマックスでサリーが自身の正当性を証明するコンピュータとの攻防が描かれる。そこでサリーが勝利への決定打として持ち出すのが「人的要因」。人間の感情行動に基づく操縦において、コンピュータでは計測できない反応があるというもの。そしてその事実が証明される。当時のコックピットの録音を聞くシーンで、現場の状況描写に切り変わる構成がとても秀逸だ。サリーによって示されたのはコンピュータの限界であり、同時に、人命に関わるような極限の状況でこそ人間の持つ真価(能力)が発揮される可能性だ。派手なアクションのないシークエンスだったが、スリリングで釘づけになった。

主人公のサリーを演じたトム・ハンクスはさすがの安定感。その分野におけるプロの「仕事人」、そして危機に陥ったリアルな人物描写は「キャプテン・フィリップス」の熱演を思い出させる。副機長を演じたアーロン・エッカートは主人公サリーとの強い信頼関係を好演する。口ひげがめちゃくちゃ似合っていてニヤニヤしてしまった。彼がボクシングのトレーナーを演じる新作「Bleed for This」に期待。あと、主人公たちを追求する委員会メンバーとして「Glee」のカートパパ役の人や、「ブレイキング・バッド」のアンナ・ガンで出ていて嬉しかった。

本作で最も胸がアツくなったのは、不時着時の救出劇だ。凍える極寒の川に放り出された乗客たちを、多くの人たちが我先にと救出に向かう。その様子をドラマチックに描くことなく、ドキュメンタリーのような自然な演出で切り取っていく。冷静にそして全力で乗客たちを救おうとする姿に感動する。そして誰よりも乗客の安否を気にかけていたのはサリーだ。沈みゆく機体に最後まで残り、残された者がいないか確認を続ける。生存者100%を意味する「155」という数字を聞いたとき、その数字を何度も反芻するサリーの表情が何ともいえない。ハドソン川の奇跡は多くの人たちの良心によってもたらされたと実感した。

【70点】
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ヒットマン エージェント47 【感想】

2016-09-28 08:00:00 | 映画

新作DVDレンタルにて。
日本の配給会社が劇場公開をスルーした理由がわかる。とてもつまらない。
DNA操作によって生み出された超人的な暗殺者の活躍を描く。最近のアメリカエンタメ界の潮流として、映画とTVドラマの垣根がなくなっている。しかし、映画俳優がTVドラマに出演することはよくあっても、TVドラマの俳優が映画界で活躍する機会はまだまだ少ない。そんななか海ドラ「ホームランド」で一番好きなキャラ「クイン」を演じたルパート・フレンドがアクション映画に初主演ということで楽しみにしていたが、映画がヒド過ぎて残念だった。どこかで見たことのある設定と、どこかで見たことのある展開。その既視感を下回るチープな描写の数々。荒唐無稽なアクションを可能にするゴリゴリなCG。とりあえすポーズを決め銃弾を放てば、周りが綺麗に当たって倒れてくれる「接待」アクション。後付け感満載の展開の動機づけ。突如として終わるラストの後味の悪さ。そして、お目当てのルパート・フレンドが主人公のキャラクターと全く合っていない。彼は「名もなき塀の中の王」みたいに人間ドラマの脇役でこそ、持ち味を発揮できるように思われた。どんなに才能のある俳優でも作品選びを間違えるとダメになる典型的な映画でもあった。
【45点】
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仁義なき戦い 【感想】

2016-09-27 09:00:00 | 映画


ずいぶんと昔、テレビ放送でやっていたのを流し見していたが、Netflixにてリマスター版らしきものがアップされていたのでじっくり鑑賞。今、改めてちゃんと見ると印象が随分と変わった。

戦後直後より広島で起こった暴力団抗争を描く。実録の映画化。

当時、ヤクザを初めて「暴力団」とみなし、ヤクザ映画の新境地を拓いたといわれる本作。一般市民が行きかう街中でも公然と銃撃による暗殺劇が繰り広げられ、社会にとっての「害虫」ぶりが際立つ。映画だけに多少盛っている描写とはいえ、こういう歴史を経て「暴力団」への取り締まり強まったのだなと感じる。描かれるのは裏切りと復讐の連鎖であり、銃による殺害シーンが非常に多い。その流血シーンで使われる血糊は絵として映えるように鮮やかな朱色が使われているようだ。殺しが達成されたあとのキメ音楽の「チャララ~♪チャララ~♪♪」が少しクセになり、つい口ずさんでしまう。映画と音楽が密接な関係にあることを再認識する。

今では一般的となっている臨場感を生み出すための手ブレを活かしたカメラワークや、セリフの判別よりもリアリティを優先した話し方や方言(広島弁)の使い方などが特徴的だ。暴力を中心としたシリアスなアクションシーンが目立つなか、コメディシーンもふんだんに盛り込まれていることに気づく。「指詰めてケジメ」のシーンで、切った指が庭先に飛んで行方不明となり、大人たちが「どこだどこだ」と狭い庭を這いつくばるシーンは実にシュールだ。子どもの頃、料理番組のイメージしかなかった金子信雄演じる組長は、大の臆病者であり、泣きじゃくりながら部下たちに救いを求めるシーンとか最高に笑える。深作欣二監督のユーモアセンスがとても冴えている。

また、お父さんのイメージしかない菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫、田中邦衛らベテラン俳優たちの、まだ若くギラギラした頃の様子が新鮮だ。年齢でいえば、菅原文太のほうが上なのに、その恰幅の良さからか、梅宮辰夫のほうが「アニキ」という設定が面白い。銀幕スターたちの豪勢な夜遊びを勝手に想像する。

【65点】
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ジ・アメリカンズ シーズン4 【感想】

2016-09-25 09:00:00 | 海外ドラマ


ジ・アメリカンズのシーズン4を観終ったので感想を残す。全13話。
アメリカで今年放送されたばかりなのに、Netflixのコンテンツ鮮度は相変わらず素晴らしい。

シーズン4を一言で表すなら「変化」だ。
シーズン1から続いたエピソードの区切りとなる重要なシーズンでもあった。
受賞はならなかったものの、先日のエミー賞で初ノミネートされたのも頷ける。

前シーズンで最も大きなイベントであった、フィリップたちの娘ペイジへの告白。その事件が本シーズンでも尾をひく。ソ連のスパイであることがペイジに知られ、ペイジはその秘密に押しつぶされる恐怖から、家族同然の付き合いであるティム牧師にその秘密を打ち明けてしまう。ペイジの行動に対して「なんと愚かな。。。」と呆れてしまうが、天地がひっくり変えるような事実を突き付けられた彼女の動揺と、純朴な性質を想えば正直な行動だったと思う。但し「誰かにいえば家族は崩壊する」というフィリップたちの教えを裏切った形であり、彼女の行動が家族を危機に陥れたことは事実。その後、フィリップたちの不安は的中し、ティム牧師は奥さんにそのことを共有してしまう。これはペイジも想定外だった。この問題を解決する方法は2択で、「逃げるか」「殺すか」だ。そして後者の方針で計画を練るが、ペイジの信頼を考え、最終的に第3の選択「わかってもらう(秘密にしてもらう)」を選ぶことになる。

フィリップ夫妻にとっては、任務よりも家族への愛が勝る。家族への愛は理解と信頼の上に成り立つ。ペイジの信頼を裏切らぬように判断を見極める必要が出てくる。ペイジの問いに対して、真実と嘘を織り交ぜ、諜報活動の内容を伝え理解を求める。「平和維持のための交渉役」というギリギリの嘘が苦しい。ペイジを安心させるためについた、「危険のない仕事」「人を傷つけない仕事」という嘘は思わぬ形でバレてしまう。

フィリップとの関係を続けてきたマーサは、本シーズンで大きな試練を迎える。前シーズンでフィリップの正体を知り、ソ連に利用されている現状を受け入れていたが、とうとうFBIによってしっぽを捕まされる。それもフィリップ一家の隣人スタンによってだ。危険を察知したマーサと、彼女の身を案じたフィリップは辛い選択をすることになる。まさかこんな結末になるとは想像できなかった。シーズン1よりフィリップに騙され続け、色恋に単純な中年女子としか思えなかったが、彼女は愛した男がスパイだったという悲劇を受け入れ、それでもその男を愛し続ける強い人だった。任務(義務)の枠を越え、マーサを真に思いやるフィリップの姿に強く共感する。



マーサの一件は、フィリップに今だかつてないダメージを与えた。KGB本部に言われるがまま遂行してきた諜報活動の正義にも疑念を持つようになる。一方、妻のエリザベスにも変化の兆しが現れる。任務のために近づいた韓国系女性との関係が、本物の友情に発展しようとする。しかし、エリザベスが最終的に果たすミッションはその友人の家庭を壊すことだった。彼女は強い罪悪感と共に、友人をなくした喪失感に見舞われる。2人の変化は明らかであり、公私ともに2人の判断に迷いが生じてくる。「わからない」と発するセリフが多いのが印象的だ。

本シーズンで一貫して描かれる彼らのミッションは、生物兵器のためのウィルスをアメリカからソ連に持ち出すことだ。その協力者となる研究所員との交流も2人の志向に大きな影響をもたらす。「世界を平和にするため」という大義のもと、ソ連の諜報活動に励んできた2人だが、ソ連側に脅威を流すことは世界の脅威をさらに膨らますことになる、と解釈するようになる。2人の身におきた諜報活動での悲劇と、ペイジへの告白による家庭崩壊の危機。精神的に限界に達した2人は初めて「長期休暇」をとる。「引退」という言葉も初めて現れた。

本シーズンも人間ドラマとしては引き続き見応えありだ。シーズン3で落ち込んだスリリングな展開も本シーズンで復活した。特にマーサの事件を中心に、スタン率いるFBIとフィリップたちが交錯しようとする前半パートが抜群に面白い。それに比べて、後半パートはウィルス持ち出すシークエンスが中心になるが少し引力が弱いかも。本シーズンも第2シーズンのインパクトは超えなかった。

フィリップ夫妻の変化、夫妻の事実を知ったペイジの変化。そしてドラマ上でも、これまでのレギュラーキャラであったマーサと、ソ連の刑務所送りとなったニーナが本シーズンで姿を消すこととなり、シーズン1から続いたステージが一旦完結したように思える。先のニュースで「ジ・アメリカンズ」がシーズン6で終了するということがわかった。残り2シーズン。次の新しいシーズンではどんな物語が描かれるのだろうか。来年以降のお楽しみとなる。いずれ、スタンにも彼らが諜報員だったことがバレるのだろうな。考えただけでゾクゾクするわ。

【75点】
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映画 聲の形 【感想】

2016-09-24 09:00:00 | 映画


人と繋がることは難しくて尊い。音として発せられる「声」は万能ではない分、人はどれだけ聞こえない「声」に向き合えることができるのか。そのテーマをいじめという切り口から描いた原作のアニメ化だ。いやはや、これ以上の映画化は考えられないと思えるほど、素晴らしい作品に仕上がっている。第7巻からなる原作のあらゆる要素を削ぎ落し、主人公の成長ドラマとして描いた脚色が大正解だ。想像を上回る完成度に何度も鳥肌が立ち涙腺が緩んだ。2016年アニメ映画のベストになりそう。監督が弱冠31歳の女性監督という事実に驚愕。。。凄い。

小学生時代、聴覚障害者女子へのいじめに関わった子どもたちが、高校生となり再会し、過去と対峙し未来へ進んでいく様を描いた青春ドラマ。

原作は既読。7巻に及ぶ物語を2時間の映像作品に短縮するのは至難の業だ。原作は過去(回想)と現在に大きく分かれる。映画では、現在に比重を置き、「いじめ」をきっかけに起こった様々な過去のシークエンスは、ダイジェスト程度のボリュームにまとめられている。しかし、これが素晴らしい出来栄え。主人公の退屈だった日々に、ある日現れた「玩具」。無垢なだけにその玩具を傷つけ失い、気付けば孤立し、今度は周りから自分自身が傷つけられる状況に陥る。その不幸は親など周りの人間も巻き込む。「ザ・フー」のパンクな音楽に乗せ(秀逸)、純粋で残酷だった子ども時代をハイスピードなカットで鮮烈に描き出す。この冒頭部分だけで傑作の予感がする。そしてその予感は的中した。

主人公の将也はその小学生時代以降、心を閉ざし、友人関係を断つ。それも無意識のうちだ。彼はその状況を悲観するでもなく、自然な状況として受け入れている。但し、その理由は不自然だ。聴覚障害者の同級生をいじめた自分への当然の「罰」としている。「自分は楽しく生きてはダメだ」「幸せになってはダメだ」と思いこみ、自身の世界に絶望を抱え込む。心底にあったのはいじめた「硝子」への贖罪だったろうか。そして高校生に成長した将也は、硝子と偶然再会することになる。

原作の魅力の1つは複数の主要キャラそれぞれに血の通ったドラマがあり、それぞれに複雑なテーマが見えてくる点にある。その始発点が「いじめ」という普遍的な出来事だ。いじめた子、いじめられた子、いじめを手伝った子、いじめられっ子をかばう子、いじめを傍観した子、。。。学校という閉鎖的な空間で起きるいじめの問題は誰もがいずれかの当事者になる。その大半は子どもゆえの未熟さが原因となっていて、悪意という自覚を持たないまま進行する。成長とともに他人への思いやりが育まれ、その無意味さを知ることになる。本作のキャラクターたちも高校生へと成長し、過去のいじめを「悪かった」ことと自覚しているが、その出来事を受け止める重量は異なる。

硝子と再会した将也は友達になろうとする。それをきっかけに小学校時代の同級生たちと再会、あるいは向き合うようになる。同時期に出会った新たな友人を含め、交流を深めていく。暗い過去に捕らわれることなく、明るく穏やかな「今」をシンプルに楽しもうとする。しかし、思春期真っ只中の多感な彼らだ。友情、恋愛、嫉妬、嫌悪、遺恨といった様々な感情が噴出し衝突する。そして過去のいじめ体験を持ち出すことになる。正直な想いが人を傷つけ、想いを伝えられない言葉が人を傷つける。思うように繋がらないコミュニケーションがもどかしく、切なく、胸を締め付ける。本作は各キャラクターの溢れる感情の吐露を綺麗に片付けようとしない。否定も肯定もしない視点が本作をリアルな青春劇に昇華させる。まるで実写のような質感だ。

繊細で、ときに激しいキャラクターたちの感情の機微を丁寧にすくい取った演出が見事だ。空間の余白にキャラクターの感情の行き場を作ったフレーミング。手話というコミュニケーションに乗せた繊細な所作表現。キャラクターの心象風景、鼓動に同化した驚くような映像表現と音楽。その世界で生きるキャラクターに命を吹き込んだ声優陣の豊かな感情表現。原作漫画のアニメ化は視覚的聴覚的効果によって、より深くに感動を浸透させることができる。本作でアニメの進化系を目撃した感じだ。

知っている原作の映画化だからというだけで観たが、とんでもなく良くできた映画だった。監督を調べたら山田尚子という女性監督で年齢がまだ31歳とのこと。「けいおん」や「たまご~」を含め、長編3作目というがその演出力を見る限り、実写映画を撮っても一流の作品ができてしまう気がする。日本のアニメ映画の将来はまだまだ明るい。

将也と硝子の2人は互いを思いやるあまりにすれ違う。美しい花火をバックに絶望を繋ぎ止めるシーンに全身が震え涙腺が決壊する。大きな苦難を経て、過去の過ちを初めて語る硝子への将也の告白にすべての想いが集約する。将也が自ら突き放した友人との繋がりも実はとても頑丈だった。信じることができる世界があったのだ。その失われた世界が取り戻される瞬間を、鮮やかに切り取ったラストの大団円が素晴らしい。大きな高揚感と勇気をもらう。

【85点】
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「君の名は。」が超絶ヒットしている件。

2016-09-21 22:00:00 | 映画


予感が的中した。公開4週目を回った「君の名は。」がトンデモなくヒットしている。
あぁ東宝の株を買っておくんだった。。。

昨日発表された最新の興行収入にて90億を超えたことが判明。
驚くべきはその推移だ。下記は週末の興行収入結果。

1週目 9.3億円
2週目 11.6億円
3週目 11.3億円
4週目 10.7億円

公開1週目の興収を4週目まで上回る傾向は「アナ雪」以来のこと。しかも、「アナ雪」の場合、4週目まで8.5億前後で推移していたので、「君の名は。」はそれを超える水準だ。「アナ雪」の場合、8週目の段階で1週目の1.5倍に跳ね上がる異常事態が発生したため、さすがに「アナ雪」の興行収入(254億円)を超えることはないだろうが、年末の「ローグ・ワン~」まで目立った競合タイトルが公開されないため独占状態はつづき、おそらく200億近くまで行くと予想する。今年の1位確実とされていた「スターウォーズ フォースの覚醒」の110億円は通過点に過ぎず、今週末段階でクリアされるだろう。

映画の中身に関しては過大評価され過ぎと思うが、日本人の「泣ける」嗜好にマッチした映画だったんだろう。日本人が大好きなアニメタイトルであったことも大きいと思う。公開初日で客席を眺めた印象は10代っぽい若者が多かったが、最近の入場前の「君の名は。」行列を見ると、より若者率が増えている気がする。共有したがりな若者たちのクチコミ効果は絶大なのだろう。10代20代の鑑賞率、ハンパなさそう。

この特大ヒットを受け、ニュース番組を中心にテレビメディアも「社会現象」として連日取り上げている。こうなるとこれまでアニメ映画に関心のなかった年代層も動き出す。作品の性質から熱狂的なファンを生んでいるようなのでリピーターだけでも十分に稼げる。東宝は何もしなくても良い無双状態だ。雪山の頂上から雪玉を転がすようなもので、頂上まで登るまでの準備は大変だが、一回転がしてしまえば、あとは勝手に大きくなっていく。

あくまで稼げる映画人としてだが、ジブリ&宮崎駿の後継者は、本作1本で間違いなく新海誠になった。「君の名は。」と「新海誠」のワードを出せば、次回作も大ヒットするだろう。同後継と評価されていた細田守とはすっかり水をあけられてしまったようだ。個人的には新海映画よりも細田映画のほうが好きなのだが、この勢いは止められそうにない。

映画界にとっては明るいニュースだ。そのブームにノれないのが残念。
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怒り 【感想】

2016-09-21 09:00:00 | 映画


意外な展開だった。ある殺人者の逃走劇と思いきや、殺人を犯した真犯人を見つけ出すミステリーだった。但し、本作は犯人探しに重点を置かない。犯人と疑わしき人間と出会ってしまった人たちのドラマから、人を信じることの難しさを語る。タイトルの「怒り」は物語の引き金に過ぎず、本作のテーマとは言い切れないのが難解。李相日の役者のアップでキメる演出があまり好きではないが、その演出に応える実力派俳優たちの名演に引き込まれる。演者たちがもれなく素晴らしい。

閑静な住宅地で凄惨な殺人事件が起きる。殺されたのは若い夫婦2人で、犯人は被害者の血を使って「怒り」という文字を殺害現場に残した。犯人に繋がる手掛かりはなく捜査が難航するなか、犯人が整形によって顔を変えている可能性が浮上。テレビメディアを駆使し、逃走犯の存在が知れ渡り、顔が似ていて犯人と疑わしき「隣人」を気にかける空気が全国に広がる。本作では、その疑惑に捕らわれた3つの舞台での人間模様が描かれる。

本作のベースは2007年に起きた英会話教師殺害事件の犯人、市橋達也の逃走劇だ。顔を整形で変え、全国を転々としながら別人として社会に溶け込んでいたことがこの事件の特異性といえる。逃走初期は自らの手で顔をいじっていたというから驚きだ(痛い!)。逃げることへの執念は相当なものだったようだ。その逃走劇のプロットを活かした本作だが、彼が逃走中に実際に目撃されていたという「新宿のハッテン場」「西成の住み込み肉体労働」「沖縄の離島」といった舞台がそのまま用いられている(「漁村」の舞台はフィクションっぽい)。

本作の絵でまず印象に残るのは、人の肌のテカリだ。真夏のサウナ状態になった殺害現場で捜査する刑事たちの汗。風俗で客に乱暴にされた女子の湿った顔面。ゲイパーティで乱舞するムキムキな男たちの光沢な肉体。狭い箱のハッテン場で隆起した肉体を激しくぶつけ合う様子。。。否応なく体臭が漂ってくるようだ。生々しい肉体描写から、生々しい人間描写へのアプローチが垣間見れる。

3つの舞台で素性の知らない男が1人ずつ登場する。当初、登場するその3人は実は同一人物であり、顔を変えた逃走犯であると予想していたが、3つの舞台の時系列が同時であることに気付き、本作の見方を早々に改めることになる。では、誰が犯人で、誰が犯人ではないかと疑いの目を凝らすが、本作の意図はそこにないようで、物語は終始、彼らと出会う人たちの視点から描かれている。素性の知らない男と、その男を受け入れる人たち。その関係が、ただの隣人関係ではなく「愛情」や「信頼」といった深い絆で結ばれようとする。膨らむ疑念と信じる心がせめぎ合う。

悲劇か救済か。本作の結果を見送ってもあまり響くものはなかった。「怒り」という言葉と本作で描かれる内容があまりリンクしておらず、犯人の短絡的な性質によるものと受け止められたからだ。しかし、2時間を超える上映時間はとても濃密に感じられた。

主役級を配した豪勢なキャスティングと、彼らがそれぞれの持ち味を活かし最上級のパフォーマンスを見せたことが大きい。演者たちの迫力の演技合戦に見入ってしまった。森山未來の底の見えない怪しさと狂気、綾野剛の女性らしい柔らかな存在感(今年は綾野剛イヤーか)、松山ケンイチの端正で影のある横顔、 渡辺謙の不器用で力強い父性。キャスト陣の中で最もキャリアが浅い広瀬すずは、精神的肉体的試練に挑んだ熱演を見せる。そのなかでも最も印象的だったのは宮崎あおいで、彼女の長いキャリアの中でも新境地と思われる難役を見事に演じていた。彼女の「お父ちゃん」に泣きそうになる。

【65点】
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第68回エミー賞授賞式を見届けた件。

2016-09-19 13:07:06 | 海外ドラマ
海外ドラマの祭典、エミー賞の授賞式を初めてリアルタイムで観た。ダウントンアビー目的でスカパー(スターチャンネル)に加入中のため、授賞式を放送するAXNを簡単に追加できた。BSではなくCS放送なので普段観ている画質よりも随分悪い。この画質で海外ドラマは観たくないな。。。で、先ほど授賞式が終わったので感想を残す。ドラマ部門の受賞結果は以下のとおり。

作品賞 「ゲーム・オブ・スローンズ」
主演男優賞 ラミ・マレック「Mr.Robot」
主演女優賞 タチアナ・マスラニー「オーファン・ブラック」
助演男優賞 ベン・メンデルソーン「ブラッドライン」
助演女優賞 マギー・スミス「ダウント・アビー」

今年、はじめてドラマ作品賞候補の6タイトルをすべて観た(ダウトンアビーとホームランドは対象の最新シーズンを視聴途中)。なので作品賞の行方が気になっていた。結果は、昨年に続き、ゲーム・オブ・スローンズ(GOT第6章)が受賞。初めて原作から離れたシーズンであったため、その脚本力が評価されたのだろうが、個人的には直近の第4章や第5章と比べると見劣りしたシーズンだったので手放しでは喜べず。自分はGOTよりも最終シーズンとなったダウントン・アビーを応援していたので非常に残念だった。

ほか、授賞式の放送の感想。
■コメディドラマの主演女優賞、ジュリアン・ルイスが「Veep」で5年連続で受賞。無双状態で面白くないな。
■コメディドラマの主演男優賞受賞のジェフリー・タンパー、スピーチ長い。前半パートの特権。
■プレゼンターで登場したケリー・ラッセル、生で観られて嬉しい。美脚を惜しげもなく披露。
■マギー・スミスの助演女優賞受賞に拍手。ダウントン~お疲れさまでした。ドラマの最高のチャームでした。
■マギー・スミスに続いて、欠席のベン・メンデルソーンが助演男優賞を受賞。会場が変な空気になる(笑)
■テレビムービー作品賞、シャーロック~、そりゃないな。。。。
■ドラマの監督賞、GOTの第9話「落とし子の戦い」の監督が受賞。めちゃくちゃ納得。今思い出しても鳥肌が立つエピソード。
■AXNの視聴者予想。予想というか単にGOTファンが多い。あと、AmazonでMr.Robot観ている人も多いみたいだ。それにくらべてNetflixタイトルは不人気だな、予想(支持)する人が少ない。
■主演男優賞、ラミ・マレックが受賞。今回は他候補で目立った強敵いなかったので納得だけど、ドラマ自体は「ファイトクラブ」と被っていてノレないんだよな。
■主演女優賞、ロビン・ライト取れなかった~(悲)。シーズン4は彼女のシーズンといっても過言じゃなかったのに!!
■GOTの作品賞受賞の壇上でラムジー役のイワン・リオンを発見。ドラマでは鬼畜だったのに普通にニコニコしていた(笑)。彼の功績は大きかった。悪役お疲れさまでした!
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ナルコス シーズン2 【感想】

2016-09-17 09:00:00 | 海外ドラマ


Netflixがまた新たな傑作ドラマを生み出した。海外ドラマを観て久々に身震いした。
脚本、演出、スケール、撮影、キャストのパフォーマンス、すべてがシーズン1を上回る完成度。
長い長い闘争を経て、最終話で初めて主人公の2人が対峙する。なんてドラマだ!
エスコバル演じたワグネル・モウラにGGで主演男優賞をあげたい。

今月からNetflixにて配信がスタートした「ナルコス」のシーズン2を観終った。全10話。

本シーズンでは、麻薬王エスコバルが前シーズンで収監された刑務所(といっても豪邸暮らし)から脱獄し、その後、壮絶な戦争を経て、彼が殺害されるまでを描く。史実をベースにしているので、主人公(エスコバル)の死はネタバレにはならない(結末は織り込み済み)。

シーズン1がエスコバルが自身の帝国を築き、人生の頂点に至るまでの「上り坂」を描いたのに対して、第2シーズンである本シーズンでは、彼の帝国が崩れ去り、転落していく「下り坂」を描いている。「上り坂」よりも「下り坂」のほうが見応えがあるのは、神ドラ「ブレイキング・バッド」と同じだ。弱く崩れゆく生き様の中に人間の真価が見えてくる。恐怖と温情でコロンビアを支配した男の「人間」像に迫っていく。

本作の引力としてまず先に立つのが、途切れることのない緊張感とスリルだ。この点も前シーズンよりも大幅に増量されている。それはエスコバルの麻薬戦争に関わる勢力が増え、その関係が複雑化したことによる。シーズン1では、エスコバル率いている「メデジン・カルテル」の圧倒的な強さが目立ったが、シーズン2では、エスコバルにとって様々な脅威が台頭してくる。引き続き、エスコバル逮捕に向け協力関係にあるコロンビア政府とアメリカ麻薬取締局(DEA)の連合軍が最大勢力として彼を追いかけるが、コロンビア政府はエスコバルが唯一恐れる男「カリージョ大佐」を国外から呼び戻し、もう一方のアメリカ政府は国内での麻薬問題の深刻化に伴い、新たな人材と最先端のテクノロジーを提供する。前シーズンから再登場となるカリージョ大佐が相変わらずカッコいい。彼を突き動かすのは正義感ではなく復讐心だ。恐怖は恐怖をもって返す、ルール無用な戦いをエスコバルに仕掛け、その迫力に圧倒される。また、シーズン1でエスコバルによって身内や仲間を殺された別カルテルの一派が彼の暗殺を目論み、「メデジン・カルテル」と共存関係にあった、もう1つの最大勢力「カリ・カルテル」と手を組むことになる(この辺の関係は複雑)。そして、極めつけは、共産主義ゲリラをジャングルで一掃していた残虐武闘派組織が、自警団「ロス・ペペス」として発展し、ターゲットをエスコバルに変え、彼の息がかかった組織の人間たちを次々と抹殺していく。

それでもエスコバルは怯まない。「誰が(自分が)ボスであることをわからせる」と徹底抗戦に出る。エスコバル率いるメデジン・カルテル、コロンビア軍&DEA、カリ・カルテル、ロス・ペペス、そしてそこに裏で暗躍するCIAも加わり、血で血を洗う壮絶な戦争が繰り広げられる。やったらやり返すの復讐の連鎖により戦争は激化、町はついに無政府状態と化す。その最大の熱源はやはりエスコバルである。「俺が見たいのは血の海だ」と、自身の要求を飲まない政府への見せしめとして、何の罪もない一般人を標的とした爆破テロを起こす。完全な禁じ手だ。女性や幼い子どもを含み多くの犠牲者を出したその事件以降、それまで彼を支持していた一般人たちも打倒エスコバルになびき、コロンビア中の敵意を一身に背負うことになった。いよいよ、エスコバルの死は確実なものになる。

時系列の違いや、架空の人物の配置とその人間模様など、多くの脚色がなされているが、史実ベースでいうと起きた事件は本作でほぼ網羅されている。途中、挿入される当時の実際の映像とのシンクロも素晴らしく、本作の骨格をより強固なものにしている。

信頼、裏切り、陰謀といった人間関係がスリリングに交錯しながら、麻薬戦争の全容がスケール感たっぷりに描かれる。多用されるカメラの長回しが臨場感と緊張感を生み出す。その戦争にヒロイズムなどはなく、復讐に駆られ、あるいは欲望に憑かれた人間たちの仁義なき戦いに焦点が当てられる。目的のためには手段を選ばないのはDEAも同じであり、善悪の境界はどんどん薄れていく。悪は悪のままであり、悪は善を飲み込む。「誰を生かすか誰を殺すか選べない、それが戦争だ」の言葉が突き刺さる。作品の完成度もさることながら、TVドラマの領域でこれほど強烈なテーマをもった映像作品を製作してしまうNetflixの懐の深さに感心する。製作のスタンスが違うのか、資金力の問題は別としてもhuluやAmazonなどの他の配信事業者と比べると格が違いすぎる。

また、本シーズンで印象的だったのは、エスコバルの家庭人としてのもう1つの姿だ。家族や親類を何よりも大切していたのは、実際のエスコバルの特徴といわれており、前シーズンでもエスコバルの人間性は強く描かれていた。本シーズンでは、脅威の魔の手がついにエスコバルの家族にまで及んだことで、家族を守る父親としての姿が色濃く描かれる。妻をいつまでも愛し、子どもたちには惜しみない愛情を注ぐ。穏やかで温かい家族団欒のシーンと、悪魔の形相で邪魔者を殲滅する命令を下すシーンのギャップが凄い。「本人だけでなく、その家族も皆殺し」な凶行を続けてきたエスコバルだ、復讐の矛先が自身の家族にまで及ぶのは必至。裕福で平和な世界しか知らない子どもたちはその危機的状況を自覚できないものの、妻の「タタ」はいち早く察知し、子どもたちを守るために初めてエスコバルから離れることになる。それでもエスコバルへの愛は絶対的なもので、エスコバルの悪行に対して抗うことは一切ない。人として完全に歪んでいるが、これも愛の1つの姿だと感じる。

エスコバルを中心としたシークエンスだけでなく、彼を追うコロンビア政府やDEAのドラマパートも熱量十分だ。彼らは自身の私生活を捨て、エスコバル逮捕、あるいはエスコバル暗殺に取り憑かれる。エスコバル捜索を巡る政府内の駆け引き、味方同士であるはずのDEAとCIAの摩擦、両国の垣根を超えた捜索チームの絆、麻薬戦争を裏で操るアメリカの陰謀。。。などなど、史実にフィクションを混ぜ込み、見応え十分な内容に仕上げている。本作のもう1つの主人公であるDEAアメリカ人であるマーフィとペーニャのコンビは多くの犠牲を払いながら懸命に捜査しながらも、前シーズンでは最後までエスコバルに辿り着くことができなかった。そして本シーズンのラストでようやくエスコバルと対峙することになる。マーフィたちにとっては、ある意味神格化されたエスコバルの存在を目の前にした光景は実に感慨深いものがあった。

多くの無名の南米系俳優たちを含め、キャストたちの熱演が光るドラマでもあった。その中でも何といってもエスコバルを演じたワグネル・モウラのパフォーマンスが忘れがたい。体重を増量する役作りに始まり、ブラジル人俳優ながらスペイン語を体得し(似てるけど)、狂気に駆られた伝説的麻薬王の強さと、知られざる人間性を見事に演じきった。彼はまだ40歳なのに、あの迫力。。。凄いの一言。来週に開催されるエミー賞の候補には漏れたようだが、もう1つのドラマの受賞祭典であるゴールデングローブ賞では主演男優賞をぜひ獲得してほしい。

エスコバルの死という結末を迎え、シーズン2で完全に区切りがついたようだが、既にシーズン3の製作が決定しているらしい。多くの事件を残したエスコバルの実話から離れるため、フィクションが中心になると予想するが、果たしてどんなドラマになるのか気になる。「ホームランド」みたいに、主役級のキャラが不在になっても面白いドラマになるのだろうか。

【85点】

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スーサイド・スクワッド 【感想】

2016-09-16 08:00:00 | 映画


マーベルに押されっぱなしのDCの逆襲なるか。「悪」を主人公にした大胆な設定と、予告編のクオリティの高さに胸を高鳴らせていたが、DCファンとして贔屓目に見ても肩すかしだ。「悪」を「悪」として描かなかったことに強い失望感を覚える。みんないい奴じゃないか!(笑)少なくとも「毒をもって毒を制す」内容ではない。また、キャラ描写の力点がハーレイ・クインに寄り過ぎているのも勿体ない。戦うべき相手の設定が雑なため、クライマックスも萌えなかった。つまらないわけではないが、もっと面白い映画になってたはずだ。

意外だったのは、先に公開された「バットマン vs スーパーマン」と地続きのストーリーであったこと。マーベルと同じように、DCユニバースとして映画を広げていくのだな~と実感する。スーパーマンがいなくなった後、誰が人類の守護者となるのか(バットマンじゃ不十分!?)、いや、そもそもスーパーマン自体が人類の味方だったか怪しい。。。そんな状況のなか、新たな守護者を求めた政府が、白羽の矢を立てたのが特殊能力を持ちながら収監されている罪人たちである。減刑と引き換えに、彼らに課されるのは命の保証のない危険なミッション。しかし、彼らに拒否権はなく「逃げたら殺す」の仕組みが強いられている。どっちにしても「決死部隊(=スーサイドスクワッド)」ということだ。

本作を観るまで勘違いしていたのは、本作の主人公らは「悪人」ではなく「罪人」という点だ。当然悪いことをした結果、彼らは罪人として処罰されるのだが、彼らにも普通の人間と同じように良心がきちんと根付いている。劇中挟まれる回想シーンでそれぞれの過去の背景が描かれており、そこには愛する人や家族に対する愛情が注ぎ込まれている。一瞬、「なるほど」と違和感なく見られるのものの、「いや、これで良かったんだっけ??」と本作に対して抱いていたイメージとのギャップを感じ出す。「ワルを描いた映画」というのは自分の勝手な先入観だったが、これでは普通の戦隊ヒーローモノと変わらない。彼らが一致団結するシーンの収まりの悪さったらない。真面目か!

スーサイドスクワッドのメンツは非常に個性豊かだ。DCキャラならではの「陰」なデザインが素晴らしい。それぞれに全く異なる特殊能力を持っているという設定も高ポイントだ。部隊のリーダー役はウィル・スミス演じるデッドショットであるが、映画全体を牽引するのは間違いなくマーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインだ。彼女を前面に押し出したプロモーションに偽りはなく、彼女のアイドルムービーといっても過言ではない。超ミニホットパンツ姿が眩しく、情報番組のミヤネ屋が彼女を取り上げたら「尻、出てもうてるやろ!」と宮根がツッコむに違いない。特殊能力のない彼女が部隊に選抜された理由や、デッドショットに彼女がひたすら付いていく理由はよくわからないけど、クレージーでチャーミングな彼女の存在感が本作の最大の引力になっているのは間違いない。

その一方で、他のキャラについてはかなり駆け足だ。キャプテン・ブーメランや、エル・ディアブロ、キラー・クロックは、おそらくもっと面白いキャラなのだろうが、その魅力は十分に描かれず、サブキャラの位置に留まる。個人的に注目したのはディアブロで、顔面に至るまで全身にタトゥ―を入れており、炎を自由自在に操る。おそらく戦闘力は部隊イチであり、唯一スーパーナチュラルな能力を持っている。彼が自身の能力を封印した過去が明らかになり、その個性にグッと深みが出るが、彼がなぜそんな能力を持っているかの説明がほしかった(ミュータント!?)。そのせいでクライマックスでの彼の大活躍シーンも消化不良だ。キャプテン・ブーメランやキラー・クロックに至っては、バトルアクションですら彼らの能力が活かされていないという哀しさ。世界観も能力レベルも違うキャラクターを見事なアンサンブル劇としてまとめ上げた「アベンジャーズ」はやっぱ偉大だな~と再認識した。

彼らが戦うヴィランは予想外だ。予告編だけみるとジョーカーのように思えたがそうではない。ジャレッド・レト演じるジョーカーも本作の楽しみであったが、キャラクターの完成度は素晴らしいものの、「スーサイドスクワッド」の物語としては直接的な関係はなく、ぶっちゃけいなくても良かったという位置にいる。う~ん勿体ない。。。。強いていえば、次回作へのお楽しみキャラといえるか。
本作のヴィランは部隊の一員となる予定だったキャラクターであり、その暴走によって起きる事件の収拾のために部隊が派遣される格好だ。その展開自体は悪くないが、ヴィラン自体の設定がよくわからない。ショッカーのように襲いかかる軍勢(後でその正体はわかるが)、ヴィランである姉弟キャラの狙い、ボス戦の攻防など、ロジックではなく世界観として破綻しているのが気になる。超常現象によるヴィランの攻撃に対して、物理的な攻撃しかできない部隊が互角に戦うのは難しいはずで、その障壁をパスするために、わざわざヴィランが彼らのレベルに落として攻撃をしてくる。そのシーンに思わずズッコケてしまった。

悪を悪として描き、その凶暴さゆえに思いっきり暴れ回る絵を期待していたが、蓋を開けてみればとてもお行儀のよいヒーロー映画。悪役たちによる贖罪のための戦いを描いた映画として打ち出していれば普通に見れたかも。それでも脚本の仕上がりは非常に粗いが。

不評が続くDC映画の起死回生の一打にするにはもってこいの企画だったと思うが、そのチャンスを逃してしまったようだ。続編がありそうな気配だが、期待値が大いに下がってしまった。これがDCユニバースの限界とは思いたくない。

【60点】
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ワウリンカが全米オープンで優勝した件。最高か。

2016-09-14 22:00:00 | 日記


スタンザマン、降臨。

日本時間で9月12日、一昨日の早朝に行われた2016年全米オープンの男子決勝、ジョコビッチVSワウリンカの一戦。
見事、ワウリンカが勝利し、全米オープンのタイトルを手にした。2014年全豪、2015年全仏、そして2016年全米と、1年おきに異なるグランドスラムのタイトルを獲得。ポーカーで例えるなら、ロイヤルストレートフラッシュのようなもの。凄すぎるぞ、ワウリンカ!!

微かな期待を持ちながらも「どうせジョコビッチが勝っちゃうだろう」と予想していたが、会社に到着し、ネットニュースを見ていたら「ワウリンカ優勝」の事実を知り、驚愕し、一気に舞い上がる。で、一昨日と昨日で、録画していた試合内容を一通り観終った。試合時間は約4時間。セットカウントは1-3。第1セットはジョコビッチがとったが、その後、ワウリンカが3セットを連取し優勝を果たした。

ワウリンカは序盤から準決勝の錦織戦の好調をキープし、ジョコビッチと互角に渡り合う。相変わらずワウリンカのミスが多いが、ジョコビッチもいつもの「精密機械」なプレイは鳴りを潜め、ショットに精彩を欠くシーンが目立った。オリンピックでの一回戦敗退からの不調をそのまま引きづっているようにも見えた。その後、1セット目からタイブレイクになだれこみ、最後はジョコビッチがポイントを連取、1セット目をとった。2セット目から、ワウリンカの逆襲が始まる。ジョコビッチとの長いラリー戦のすえ、ワウリンカが競り勝つシーンが頻発する。ジョコビッチの弓なりの返球に対して、直線のレザービームで返球するワウリンカ。ワウリンカが強打を次々と打ちこむが、ジョコビッチは拾って拾って拾いまくる。まさに攻撃力VS守備力。並みの選手であれば、ワウリンカの強打に返球もままならないのだが、ジョコビッチは体幹がめちゃくちゃしっかりしているので一見無理な体勢でも、しっかりと打ち返すことができる。さすがは絶対王者だ。2セット目の後半から3セット目の前半まで、非常に見応えのあるラリー戦が続いた。お互いそれぞれにビックプレーが飛び出す。この超一流の戦いぶりを見ていると、残念だが錦織はまだそのレベルに達していないように思える。

ワウリンカはミスが多い選手だ。なので、サービスゲームのときに、自身のミスによってブレイクの危機を迎えることが多い。実況していた松岡修造が言っていたとおり「崖っぷち大好き状態」である。ワウリンカが面白いのは、そうした自滅型でブレイクの危機を迎えても、そこからの粘りがハンパなく、まるで自ら好んで危機的状況を作って、そこからの集中力に賭けているようにも見える。追い込まれた土壇場でこそ、最大限の力を発揮できるプレーヤーなのだ。3回戦のエバンズ戦で相手にマッチポイントを握られたにも関わらず逆転勝利したのが象徴的だ。この決勝戦も同じで、何度もジョコビッチにブレイクチャンスを与えながらも、ことごとく逆転してキープを続けた。

その一方で、ジョコビッチはワウリンカにブレイクを許した。それがイコール、ジョコビッチの敗因に繋がるわけだが、具体的な要因として個人的に注目したのは、ジョコビッチの1stサーブの確率の低さだ。ワウリンカの弱点はミスとレシーブの2点。レシーブが他の上位選手と比べて巧くなく、深く返すことで精一杯であり、レシーブエースを決めることも少ない。なのでビックサーバー相手だと格下であっても苦戦することが結構多い。しかし、この試合ではジョコビッチのサーブの調子が悪く(ダブルフォルトもワウリンカよりも多かった)、セカンドサーブからのストローク戦が続いた。1stサーブによって大きく崩されることがないため、ワウリンカもジョコビッチと同じ体勢で打ち合いができるようになる。体勢を整えてからのワウリンカのショットはモノ凄いパワーだ。ジョコビッチもそのパワーには勝てない。そして、歴代最高と言われる殿下の宝刀、片手バックハンドがついに火を吹く。ジョコビッチの鉄壁の守備を打ち抜くその破壊力に惚れ惚れする。鮮やかにそして豪快にウィナーを決める気持ち良さったら堪らない。守備力を圧倒する攻撃力、それこそがワウリンカの最大の魅力だ。

2セット、3セットをワウリンカがとったあと、4セット目でジョコビッチが負傷による治療休憩をとる。ワウリンカに走らされた代償か、足のマメ、あるいは爪が剥がれて流血を止める処置が施された。痛みと違和感からかジョコビッチの動きが明らかに鈍くなる。ワウリンカの勝利は途中から明白になった。といっても勿論、ワウリンカの勝利はジョコビッチの調子が悪かっからではない。ワウリンカがチャンピオンにふさわしいプレイをしたからに他ならない。

昨年の全仏オープンの決勝。メンタル、フィジカルともに全く隙がなく生涯グランドスラムがかかったジョコビッチに対して、空気を読まず一蹴してしまった、あの神ゲームには及ばないものの、最高に興奮した試合だった。奇しくも同じ1-3での逆転勝利だった。

ネットニュースの記事を見て驚いたのが、ワウリンカが参加したツアーのうち、決勝まで行った試合ではこの試合を含めて11連勝中とのこと。要は大舞台にすこぶる強く、勝負強さという点では間違いなく現役選手イチだろう。その反面、しょーもないところで早々に負けることがそれ以上に多い。一点集中型であり、そのスタイルはギャンブラーのようでもある(本人が狙っているわけではないと思うが)。彼が試合後の記者のインタビューに対して「自分はビッグ4の中にまだ入れない」と言うのはごもっともな解釈だと思う。安定的に上位成績を収める(収めてきた)ビッグ4とはまったく異質なプレイヤーであり、そこにワウリンカの個性があるのだ(勝手な決め付けだけど)。ワウリンカは孤高の戦士であってほしい。

こうなると当然、最後の1つ、全英のタイトルに期待がかかるが、個人的にはさすがに無理だと思う。相手は「芝」だ。彼のプレイスタイルでは最も苦手と思われる。万一、その偉業が成し遂げられることがあれば、間違いなく彼はテニス界の伝説となるだろう。記録よりも記憶に残る無二のプレイヤーとしてだ。

それにしても、試合中にカメラで抜かれるワウリンカのパパが癒し系で可愛いな。彼の妹たちも顔がそっくりで可愛い。

来月開催される楽天オープンではワウリンカが来日するとのこと。おかげで、その試合を放送するWOWOWを今月で解約することができなくなった。あと、彼のスポンサーであるヨネックス、早く「スタンザマン」Tシャツを販売してくれ!

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ストレンジャー・シングス 未知の世界 【感想】

2016-09-14 08:00:00 | 海外ドラマ


Netflixのオリジナルドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」を観終わったので感想を残す。全8話。

時代は1980年代。平穏で小さな田舎町で起きた1人の少年の失踪事件をきっかけに、知られざる巨大な陰謀が暴かれ、町民たちが未知の世界に遭遇するというSFスリラーだ。

海外、国内でも「当たり」ドラマとして好評を博しているとおり、とても面白いドラマだった。つまらない作品になりがちなジャンルだが、十分に楽しめる連続ドラマに仕上げっている。

本作の内容を一言で表すならば「E.T.」×「ドリームキャッチャー」だ。
スピルバーグ作品のような友情や冒険心を描いたドラマに、スティーブン・キングが描くようなSFの世界観が合わさっている。2011年の「SUPER8/スーパーエイト」ともよく似ているかも。それだけに随所に既視感のあるシーンが見受けられるが、細部にまで生き届いた美術とCGにより、映画並みの映像に仕上がっているので古臭い印象はほとんど受けない。

物語の主人公は4人の仲良し少年グループだ。年齢は小学生の年長か中学1年生くらいだろうか。学校カーストでは底辺のほうにいるいじめられっ子グループであり、主人公にあたる少年マイクの家に集まっては、妄想ごっこをして遊んでいる。ある日の夜、彼らが自転車をこいで、それぞれの家路に着いたあと、仲良しグループの1人であるウィルが突然姿を消す。ドラマではウィルが何者かに連れ去られた様子を映し出す。また、その失踪事件と同じタイミングで、見知らぬ少女が舞台となる田舎町に姿を現す。言葉をほとんど話さないその少女は自らを「11(イレヴン)」と言い、その薄汚れた身なりから親の虐待から逃げてきた子どもと受け止められた。その2つの事件以降、犯罪とは無縁だった田舎町に不可解な事件が相次いでいく。

少年の失踪、秘めた力を持つ謎の少女の出現、その少女を執拗に追う謎の集団、田舎町の山奥に佇む謎の巨大研究所。。。なぜ、少年は連れ去られたか、なぜ少女は現れたのか。散りばめられた謎だらけの出来事は当然無関係ではなく、すべてが1つの線で繋がっている。また、本作はSFの自由度を活かし、「異次元の世界」というテーマを用いている。昔、その存在の信ぴょう性を考えたことがあるので興味深かった。ドラえもんの映画「のび太と鉄人兵団」で登場した鏡の世界を思い出す。

前半パートは多くの伏線を張った「正体」を探る謎説きミステリーであり、後半パートはその「正体」が明かされたのちに発生する、大規模パニックを描いたスリラーになっている。ジュブナイルなヌルい展開を予想していたが、子ども向けとは言い切れない結構ハードな描写もあって作り手の本気度を感じる。物語のベースにあるのは、少年たちの友情であり、その少年たちと家族の愛情である。登場人物たちの良心が苦難を打ち破る展開はありがちだけど素直に感動できる。その中でも、心優しいマイクと、愛情を知らない「イレヴン」との友情(あるいは恋愛)物語が印象深く、2人の交流は微笑ましいだけではなく、切ない後味を残す。

主人公のマイクを演じる子役の男の子がとても可愛い。お肌がツルツルで中性的な顔立ちだ。主人公含め、子役たちの演技が全体的にあまり巧くないが、その可愛さで十分カバーできてしまう。唯一、マイクのお姉さんを演じた女の子が安達祐実をマッチ棒にした外見で、まるで魅力的でなく苦手だった。失踪する少年ウィルの母親を演じたウィノラ・ライダーは母性を熱演する。彼女もすっかりオバサンだ。「リアリティ・バイツ」のキラキラしていた女の子時代が懐かしい。少女を追いかけ回す集団のボスを演じているのはマシュー・モディンで、しばらく見ない間にすっかりお爺さんになっていた。

SFならではのツッコミどころも多く、完璧な内容とまではいえないが、計8話というボリュームも手伝って一気に楽しめた。ストーリーを長引かせ、シーズン2に結論を跨ぐのではなく、1シーズンのなかで起承転結をまとめたのが非常に良かった。

【65点】

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マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり 【感想】

2016-09-14 07:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。

英国産のカジュアルでポジティブなラブコメディ。観終って笑顔になれる良作。

勘違いによって出逢った男女のデートの1日を追いかける物語。男に縁がなくなった34歳の女子と、妻に逃げられ未練を引きづる40過ぎの男。出会うはずのなかった2人だったが、「なんかいい感じの人♪」と一瞬で感じた女子のほうが、偶然の縁をつなぎ止める。「好きなものが一緒」という共通項を見つけた途端、両者の距離が一気に縮まる感覚はとても共感率が高い。ハイテンポな会話劇を通して、ささやかな「嘘」の関係がギリギリのところで留まる空気が愉快だ。といっても、主人公の女子のおかけで待ちぼうけを喰らうことになる「本人」のことを思うとかなり気の毒だが。

デートを続け、両者が完全に意気投合したところで、女子のついた嘘が思わぬ形でバレる。そのきっかけとなる昔の同級生と再会する場面は大きなコメディパートとなるが、同時に主人公の輝かしい過去が明らかになり、現在のステータスとの差に哀愁を感じさせる。女子がついた嘘のお返しとばかりに、今度は男の思惑が明らかになる。嘘をさらけ出し本音をぶちまけ合う2人が、ロンドンの街中を駆け回り、衝突しながらもさらに近接していく。若い頃を過ぎた2人にとってお下劣な下ネタもトークのスパイスだ(「フ○ラの逆説」に爆笑)。物語の結果は予想通りだが、それまでの道のりに一捻りあるのが面白い。

原題だけでは説明不足というわけで、丁寧な邦題が示すとおり「60億分の1」の出会いは案外そこらへんに転がっているのかも。そして、それを掴みとるのも自分次第ということ。2枚目と3枚目の間の男を演じたサイモン・ペッグが軽快な好演をみせる。彼によるクライマックスの猛烈ダッシュが、本作の前向きなスタイルと相まり感情を大いに高揚させた。

【65点】
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不屈の男 アンブロークン 【感想】

2016-09-13 09:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。

戦時中、アメリカの陸上オリンピック選手だった青年が、兵士とした出征した先で日本軍に捕らえられのち、様々な苦難に耐え抜いていくという話。主人公は実在の人物で、つい最近まで健在だったというから驚き。監督はアンジェリーナ・ジョリー。

「一瞬の苦しみと永遠の栄光」と、地元の小さな町で札付きのワルガキだった主人公が、陸上競技に開眼し、スポーツという分野で栄光を勝ち得ていく。しかし、世界を巻き込んだ戦争が、主人公の運命を狂わせ栄光なき苦しみをもたらす。彼が乗っていた飛行機が太平洋上に墜落し40日以上の漂流に見舞われる。その内容だけでも映画1本くらいのボリュームがあるのだが、漂流から救われた相手が、敵軍の日本軍という不幸が待ち受ける。骨と皮だけになった肉体に容赦ない取り調べが続き、捕虜として収監された日本では鬼軍曹(?)による陰湿で暴力的な制裁を浴びせられる。しかし、主人公は映画のタイトルのとおり不屈の精神をもって生き抜いてみせる。
これだけの壮絶な史実を突きつけられながらも、感情が揺り動かされることがほとんどない。彼の「不屈」っぷりが、陸上長距離走選手特有の「忍耐強さ」の延長線上でしか描かれておらず、なぜ彼が苛酷な状況に耐えることができたのかという真の背景が無視されているように思う。それは主人公を苦しめる日本人鬼軍曹も同じで、主人公に「俺とお前は似たモノ同士だ」と言っている理由もよくわからない。平たくいえば、起きた事件の再現VTRの域を出ていない。また、エンドロール手前で流れる、実際の映像で明らかになる感動的な事実についても、主人公がなぜ「赦し」の境地に至ることができたのか、そこにこそ大きなドラマがあると思える。

主人公を演じるのはジャック・オコンネルだ。将来オスカー間違いなしと予想する若手演技派だが、肉体的で表層的なパフォーマンスに留まり、彼の真価が十分に発揮されていない。おそらく脚本の問題。コーエン兄弟が脚本に絡んでいるようだが、このテの話は苦手なのか。

【60点】
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