から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

ヤクザと家族 【感想】

2021-02-28 07:02:00 | 映画


「道を極める」を書いて「極道」。その語源は仏法の道を極めた人、という僧侶を称する言葉だったらしいが、江戸時代になって今の「ヤクザ」と同義な使われ方になったらしい。「極道」の漢字だけ見れば、本来の語源であるポジティブなイメージをもつのが自然にも思える。ちなみに本作では「極道」という言葉は全く出てこない。「ヤクザ」は「ヤクザ」であり、「反社」として社会から排除される対象だ。

但し、本作を見るとヤクザへの羨望を感じざるを得ない。その存在を肯定するのではなくて、彼らの組織にあった義理人情に焦点を当て、今では古臭いと投げ捨てられる人間と人間の繋がり、固い絆で結ばれた家族としての関係性を見つめる。組織のトップはその言葉通り親父(父親)なのだ。そう考えると、ヤクザのイメージがない舘ひろしのキャスティング意図が明確に映る。

1999年、2005年、2019年。3つの時代にあったヤクザの有り様。旺盛の時代であった1999年と2005年は既存のヤクザ映画から連想する世界そのもので、他者を威嚇し暴力をもってシノギを立て、豪勢な生活を送る。背中にはびっしり入れ墨。組織間の抗争も付き物で、そこに介在するのは仇討ちであり、暴力沙汰は普通の暮らしをしている人間からすれば傍迷惑な話だが、やはり任侠の美学が透ける。実際、物語の転換点となる事件の顛末は主人公の自己犠牲だったりする。

主人公が社会と断絶する2005年から2019年の間に、ヤクザの世界は大きく変わる。ヤクザでは食べていけなくなるのだ。ヤクザのレッテルは自分が想像していたよりもハードなもので、足を洗った者に対しても代償あるいは贖罪と言わんばかりの社会的制裁が課せられる。よく行くサウナ施設にいるおじさんを思い出す。背中の模様とは裏腹に、とても腰が低い人だ。あのおじさんも大変だったのかな。。。

経済的な問題もそうだが、暴力団に向けられる社会の視線も性質が異なってくる。害虫に留まらず、感染の危険性を孕んだ病原体のようなもの。その近くに存在を察知しようものなら、避けるのではなく無条件に排除される。SNSという現代に台頭した情報文化が、ヤクザの生きづらさに拍車をかける。SNSもまた暴力になりえる。

主人公はヤクザになりたかったのではない。家族として愛を育んだ居場所がヤクザだったということ。やはり、過去と現代に分けて描かれているのが何よりも大きく、副題の通り、時代の移ろいに翻弄された壮大な家族の物語が描かれる。本作をオリジナルで書き上げた監督の才能と、それを具現化させた製作陣に日本映画の希望を見る。「哀愁しんでれら」同様、こういう映画がもっと増えてほしい。綾野剛、北村有起哉、市原隼人など役者陣の献身的熱演も素晴らしかった。なかでも印象的だったのは磯村勇斗。「蒸し男」のイメージが強く親近感をもっている人だが、本作では物語のキーパーソンを美しく体現していた。ラストの彼の表情が本作を輝かせた。

【70点】





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素晴らしき世界 【感想】

2021-02-20 08:27:42 | 映画


西川映画にいつか出てほしかった役所広司と太賀が同時にメインキャストとして参加した本作。公開を心待ちにしていたが、予感は的中。やっぱ傑作だった。
たぶん、もう1回観に行く。

元殺人犯の男が刑期を終えて、社会に出るとどうなるか。。。主人公「三上」本人と、それを受け入れる社会の双方向から描く本作は、「社会派」という枠を超えて、人間の生き様、人間と人間の繋がりに深く想いを巡らすドラマに昇華されていた。筆致はあくまで軽く、ユーモアのツボが悉くハマる心地よさに浸りながらも、凶暴性を秘めた男の衝動に震えたりする。面白い視点と感じるのは、主人公の生きづらさを社会のせいにしてないことだ。むしろ、本作の場合、主人公を囲む一般社会の住人たちは一様に親切で優しい。

決して「悪」ではない。主人公の暴力性は想像力の欠如によるもので、傷つけた相手の痛みを想いやることができない。本作では主人公の不幸な生い立ちから、ヤクザへの道、そして犯罪へと繋がる過程を、科学的根拠で語りながら、「瞬間湯沸かし器」な主人公の個性を考察していく。なるべくしてなってしまった、男の半生が切なくもあり、社会に適合できない必然性を感じる。「ザ・ノンフィクション」に近い感覚で、とても興味深い。おそらく相当な取材を行ったであろう緻密でリアルな情報と、西川監督の優れた人物描写が合わさった脚本が見事だ。笑いと恐怖、久しぶりの喧嘩で興奮を抑え切れない主人公が、扇風機の前でまくしたてるシーンが印象的。

本作は希望を描いたドラマだ。人生を諦めない、人間の良心を諦めない。ほぼ善人しか登場しない「偏り」は本作を描く上では必須の材料と思えた。生きる依りドコロは他者にあって、他者によって生かされるロジックは監督の前作「永い言い訳」にも繋がるなーとぼんやり。また、真っすぐにしか進めない主人公を目の前にして、「いい加減に生きている」我々一般人の、正義みたいなものが歪んで見える場面もあり、いろんな味わいのある映画だ。だからもう1回見たい。

主人公演じる役所広司は「三上」にしか見えなかった。圧倒的なリアリティーを纏い、人間の可笑しさ、怖さ、哀しさをその佇まいに集約させる。巧さを超えた次元というか、「三上」の生き様にただただ圧倒される。もはや、本家オスカーにも値するパフォーマンスと断言できる。そして、太賀だ。彼の追っかけとなりつつある昨今だが、大忙しの彼のキャリアの中でも本作は重要な機会になったことだろう。今回の彼の役どころは、理解できないことを理解させる、実は結構な難役。どうして、無関係な男子があそこまで主人公に入り込むことになったのか。。。自分はとても共感できた。2人の共演シーンは、心に刻まれる名シーンばかり。あぁ幸福な映画体験。あと、橋爪功や、六角精児ら脇役の面々が、めちゃくちゃ良かったことも添えておきたい。

【85点】
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哀愁しんでれら 【感想】

2021-02-14 07:28:26 | 映画


2月に入り、ようやく2021年の映画館鑑賞1本目。
8年越しに待った渡部亮平監督の商業デビュー作だ。その年の私的日本映画ベストであった監督の前作「かしこい狗は、吠えずに笑う」。鑑賞後、監督の才能に惚れこみ、監督のフェイスブックに賞賛のコメントを寄せたら、丁寧に返してくれた。次作の製作が待たれていたが、こんなに待つことになろうとは。。。当たり前だけど、映画を作ることって難しいんだな。

不幸続きの女子が、開業医の金持ち男子と出会い、結婚し、その後の生活を描く。

前作に続き、監督の完全オリジナル脚本。タイトルの通り「シンデレラ」から着想を得ており、「運命の出会い」として結ばれた結果、その後の人生は果たして本当に幸せになったのか?という疑問に1つの答えを出した話である。

前半は「シンデレラ」同様のおとぎ話だ。主人公にこれでもかと投下される災難。からの、一発逆転の玉の輿。夫は金持ちで優しくてイケメン、連れ後の小学生女子は可愛くて主人公を実の母のように慕う。とんとん拍子に話が進み、絵に描いたような話を、絵に描いたように見せる。

監督の真骨頂は中盤から始まる転調だ。平凡な日常が異常な現実に変化する境界は、実は容易に手が届く傍にあって、そのメカニズムに似た過程を描きだしていく。その人の人生を100%知らない者同士が、個人ではなく家族として人生を共にしていく結婚。本作で描かれるのは振り切ったファンタジーであるものの、リアルな物語としても十分咀嚼することができる。喜劇と悲劇の表裏、正気と狂気の表裏、その一線を越えていくスリルと恐怖は前作に共通していること。これを監督の作家性と位置付けるにはまだ早いかもだが、凄い才能をもった逸材と確信する。

物語のプロットの面白さ、様々な伏線の仕掛け、衣装や小道具の意味付け、徹底した画作り、あえての余白の作り方、タブーにも踏み込む勇気、大胆なブラックなテイスト、、商業デビュー作でこれだけの作品を残したことは本当に素晴らしい。拍手喝采、大絶賛したいところだが、映画自体の引力の強さ、エンタメとしての面白さは、前作に並ぶものではなかったのは正直なところ。

監督が描きたいことが多すぎたのか、綺麗にまとめ上げられていないか。結果、それが脚本の粗として見えたりするから勿体ない。展開の動きが曲線ではなく、直線的な角度をもって変化するものだから、一瞬、気持ちが離れる瞬間もあって100%没入することができない。あと、監督が土屋太鳳のキャスティングにこだわり続けた意味もあまり理解できなかった。

本作を観たのは先週末。1週間経過して興行収入的にも苦しいようだが、映画界は渡部監督に次の製作機会を絶対に与えてほしいし、監督も忖度することなく、自らが表現したいものを撮り続けてほしいと思う。監督がクラウドファンディングをやったら自分は必ず参加する。

【65点】

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ザ・ホワイトタイガー 【感想】

2021-02-13 16:23:32 | 映画


年明け早々の緊急事態宣言。映画館がさらに遠のく。。。今年に入ってまだ映画館に行けていない。結果、自宅視聴の動画配信が多くなるわけだが、年明けの新作(配信)映画で一番面白かった映画の感想を残す。

ネトフリの「ザ・ホワイトタイガー 」だ。インド映画のようだが、アメリカの資本も入っており、脚本が滑らかで癖がない。監督は「ドリーム ホーム~」のラミン・バーラニ。納得だ。

富める人生の成功を収めた一人の青年が、己の半生を振り返るという話。いわゆるサクセスストーリーものだが、華やかさとは一線を画す物語だ。舞台はインド。

「お国柄」とか「文化の違いとか」とか「貧富の差」とか、その辺にある言葉だけで片づけられない。インドという国の深さ。古来より続くカースト制度がもたらす社会は、下層民のDNAに隷従精神を焼き付ける。「人権?、何それ?」であり、上の人間は当たり前に下の人間を下として使うし、下の人間は当たり前に上の人間に従う。それがノーマルなのだ。どんなに能力の高い人間も、身分制度に支配された世界では大成の機会を潰される。アメリカにおける人種差別の歴史とも重なるが、まるで次元が違う。

頭脳明晰な主人公も、家庭の貧しさから躊躇いなく学校をやめる。そして少しでも給料の高い「使用人」になろうとする。そこに悲壮感はない。明るい未来に続く序章といった具合で、「スラムドッグ・ミリオネア」よろしくな、陽気でアップテンポに話が進行する。主人公のナレーション、インドにおける「民主主義」の考察が鋭く、同時にシニカルで楽しい。

主人公の人生を変えるが、アメリカ帰りの同世代夫婦だ。真の民主主義を知る2人の視点と、我々の視点が重なる。身分の壁を越えて3人は息統合し、仲良しトリオの明るい日々が続く。。。。と、ここまではパッケージのイメージ通りだが、中盤から暗転。ある事件をきっかけにドラマはサスペンスの様相を呈する。今まで当たり前に息づいていた主人公の価値観が揺らぎ、「ホワイトタイガー」へと覚醒していく。

「インドに行くと人生観が変わる」とはよく言うけれど、本作で知った感覚に近いのかもしれない。大きな罪を犯しても、それすらも忘却するインド社会の有様に驚愕する。直近の時代設定ではないし、原作によって脚色された部分も多々あるだろう。しかし、カースト制度の功罪に触れていることは確かだ。今なお続く、富める者と貧しい者、支配する者と支配される者の構図に衝撃を受けた。紛れもない「インド」の映画だ。

主人公の選択は予想を覆すもので、世話になった人への恩を仇で返したともいえる。同時に、支配されたものの反逆として、選ばざる得なかった唯一の道でもあった。ラストは不思議な高揚感に見舞われた。

【80点】



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