から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

美女と野獣 【感想】

2017-04-23 09:00:00 | 映画


満を持してディズニーがついに出した。ディズニーアニメの中でも名作中の名作の実写化。その高いハードルに挑むべく、製作陣の熱量が全編に渡って感じられる。とびっきりの映像美と、迫力のミュージカルシーンに酔いしれる。余計なアレンジを加えず、オリジナルアニメの世界観を忠実に再現してくれたのが嬉しい。ただ、どうしても野獣はイケメンになっちゃうんだな(笑)。外見ではなく心で通じ合う、ベルと野獣のロマンスはオリジナルよりも希薄に感じる。予定外であった、ユアン・マクレガーの超絶パフォーマンスと、ルーク・エバンズの豪快な悪人ぶりが素晴らしい。

「美女と野獣」は、ディズニーアニメの中で一番好きな映画だ。自分同様、オリジナルのファンの人は世界中に沢山いると思われる。それにしても、驚いた。公開初日のレイトショー、行きつけの映画館の座席予約を3日前にしようとしたら、大きいスクリーンにも関わらず前席だけを残してすべて埋まっていた。他の映画館を探して、無事、席を確保できたが、それでも8割近くが埋まっている状態だった。そして当日、劇場はやはり満席。しかも、レイトショーなのに女子率が極めて高い。劇中、両隣に座っていたお姉さんは号泣している。これは日本でも大変なヒットになりそうだ。

ストーリーはオリジナルに忠実。そのうえで、ベルや野獣の個性に厚みを持たせるため、彼らの過去に踏み込んだエピソードが追加されている。また、ガストンの手下(?)ル・フウには同性愛の臭いを明確につけるなど、寓話の世界の出来事で終わらせない味付けがされている。アニメを実写の世界に置き換えるだけでなく、観客に近い生身のキャラクターとして描こうとする意図が伝わる。

主演のエマ・ワトソンが美しい大人の女性に成長していた。その彼女の登場シーンだけでもハリポタファンには堪らないだろう。芯の強さを感じさせる凛々しい眼差しと、笑ったときの口元がチャーミングだ。オリジナルの「ベル」の、空想好きで変わり者ゆえに、村人に馴染めないキャラとは少し違うけれど、勇敢で美しいヒロインとして存在感は十分だ。

彼女を中心として回る、冒頭のミュージカルシーンが圧巻だ。アニメの世界をそのまま再現した、目に楽しい衣装と美術の数々。賑やかに人が行き交う村の広場で、ひたすら歌が巧い村人たちとベルが音楽を奏でていく。そのミュージカルの構成がお見事。さすがはディズニー、掴みの重要性をしっかりわかっている。

その後、父親の遭難をきっかけにベルと野獣が出会う。予告編でわかっていたが、姿を現す野獣の顔が非常にハンサムだ。「そりゃ惚れてまうやろー」とツッコんでしまう。オリジナルのようにブサイクで、ときに恐ろしく、ときに愛嬌のある顔にデザインするのは難しかったか。野獣を演じたはダン・スティーヴンスだったが、顔つきも声も彼の要素が全く感じられず、彼のファンとしては残念だった。

エマ・ワトソンは、エマ・ワトソンで素晴らしいのだが、彼女ではない、オリジナルに近いベルを見てみたかった気もする。最後に顔を出すダン・スティーヴンスもロン毛があまり似合っておらず格好良くない。おかげで最後の大団円もイマイチのれなかった。

その一方で、彼らの脇役たちが実に魅力的で予想外にヤラれた。野獣同様、魔法によって家具に変えられた召使いたちだが、俳優たちが地声のまま演じている。誰が演じているのだろうと、最後に明らかになる答え合わせが楽しい。唯一自分が正解したのがユアン・マクレガーだった。孤独なベルを食卓でもてなすミュージカルシーンで、ユアン・マクレガーの歌唱パフォーマンスが披露されるが、もう、めちゃくちゃ凄い。豪華絢爛、ド迫力の映像と相まって、本作屈指の鳥肌モノの名シーンだ。また、野獣を攻撃するガストンは、オリジナルよりも随分と悪く描かれているが、演じるルーク・エバンスの悪人ぶりが逆に気持ちいいほど。豪快な歌唱パフォーマンスと、救いようのないクズっぷり。見事な助演といえる。イアン・マッケランやエマ・トンプソンといったベテラン勢の好演も光る。

エンドロールに流れるアリアナ・グランデとジョン・レジェンドによる主題歌がまた最高。最後まで聞き惚れてしまった。まだ気が早いが、来年のアカデミー賞で主題歌部門に候補入りしたら、2人のデュエットによる生ライブが聞けるなーと思った。

【65点】
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グレートウォール 【感想】

2017-04-22 08:00:00 | 映画


『世界よ、これがチャイナマネーだ。』そんなキャッチコピーが似合う。製作費1.5憶ドル、北米興収は4500万ドルでコケたが、中国興収は1.7億ドルで製作費を見事に回収。今や供給側でも世界の映画市場を席巻する中国の「今」を象徴する映画だ。豪華な衣装と大規模なセット、目がくらむような膨大なCG処理。巨額が投下されたことは目に見えてわかる。但し、映画の仕上がりは案の上、酷い。よくこの内容で完成まで突っ切れたなーと、ある意味感心してしまう。マット・デイモンの黒歴史が誕生。

最強の武器を探し求めて中国の万里の長城に行きついた武器商人が、中国人たちと共にモンスターの襲来を迎え撃つという話。

最近テレビに良く出るようになったが、世界中の奇妙な場所や人を巡って撮影するカメラマン、佐藤健寿氏の著書「奇界遺産」を以前から愛読している。その中で佐藤氏は中国を「世界一の奇界遺産の宝庫」と称している。佐藤氏はあくまでリスペクトの意で(たぶん)そのように語っているが、常人では思いつかない確度で発想する中国人の気質が奇界遺産にもよく表れていると感じる。その遺産の多くが「ダサかっこいい」仕上がりだ。本作の場合、ダサいだけだが、どこか通じるものを感じる。

映画興行における中国の覚醒を見たのは、「パシフィック・リム」の大ヒットだ。同作は個人的に熱狂するほどの傑作だと思っているが、日本を含めた先進国の多くは、ニッチなB級映画として扱われ小ヒットに終わった。そんなか、海外勢のなかで中国だけが1億ドルを超える大ヒットをかました。以降も、ハリウッド映画が本格的に中国に進出するなり、ことごとく大作映画が大ヒットを収めている。他国とは明らかに異なる中国市場は、もはやドル箱であり、とにかく大きくて、ド派手な映画に観客が群がるようだ。こんな美味しい市場に国内企業が参入するのは当然であり、大きな資本力を武器にハリウッド映画の製作に関わることも珍しくなくなった。最近見た「キングコング~」や「ゴーストインザシェル」も中国のマークがしっかり入っていた。去年では、レジェンダリーが中国に買収されてしまったし。

この今の時代の中国の勢いを実体化させたのが本作だ。製作資金の拠出を超え、中国映画にハリウッドを取り込んだ形だ。それは事件的で、記念すべき映画といえるかもしれない。あのマッド・デイモンが(おそらく)チャイナマネーで中国に呼ばれ、「グレートウォール」というお祭りに参加するに至った。

序盤から、脚本(セリフ)の幼稚さに笑う。マット・デイモン演じる武器商人が命からがら難を逃れて一言、「俺たちゃ精鋭だから、頑張らなきゃね」って、何かのバラエティショーのパロディを見ているようだ。よく知る名優から発せられる安いセリフとのギャップに、最初は違和感があったが、次第に彼の三文芝居として馴染んでしまう。そんな調子が最後までずっと続くので、ドラマチック風なシーンも、呆れることがあっても、感情を動かされることはない。脚本にはトニー・ギルロイなどハリウッドの映画人も参画しているようだが、真面目に仕事をしているとは思えない。中国の接待に付き合ったのか。

お金をかけたであろうCG映像はなかなかの迫力。緑色のモンスターは「とうてつ」という中国名がついていて、オリエンタルなデザインだ。おびただしい数のモンスターたちが万里の長城を埋めつくす画は劇場鑑賞に相応しいもので、これまでの中国映画のイメージを覆すほどだ。ただし、モンスターのアクションシーンはつまらない。人間を襲う理由は明かされず、やみくもに破壊を続けるので、高い知性をもっているという設定は弱い。女王を中心とした行動形態も昆虫界にありがちな話をそのまま持ってきただけだ。人間側のアクションも同様で、バンジージャンプや風船飛行など、多くがバカバカしいものばかり。そこに「笑ってください」という余裕はなく、真剣にやるものだから見ていてシンドクなる。

マット・デイモンと並ぶ、主役級で登場する中国人の女優は、先月見た「キングコング~」に出ていた人と同じだ。本作で演じる女将軍にはハマっておらず、アイドルがその人気だけで主役に抜擢される一昔前の日本映画のようだ。中国では人気のある人なのかな?と調べるほどの興味も湧かない。本当はもっとちゃんとした演技ができる人なのかもしれないけど、製作側のゴリ押し感がこうもあからさまだと引いてしまう。これからも彼女は中国資本のハリウッド映画に出続けるのだろうか。

監督のチャン・イーモウは雇われ監督に徹する。彼の信念が本作に活きているとは思えない。鮮やかな衣装と舞台セットに彼のセンスがみてとれるが、どれもこれもカッコよくない。カラフル過ぎる武具は集団コスプレのようなチープさだ。熱量だけは多くて退屈なバトルアクションの連続に、アクション映画との相性も悪さを感じる。金はあるけどセンスがない、そんな映画だった。

今月中旬から世界中で封切られた「ワイルドスピード」の8作目となる新作は、世界各国で爆発的ヒットを飛ばしているが、そのなかでも目立つのはやはり中国市場の動向だ。初週の興行収入が、北米の1.2億ドルを裕に超える1.9億ドルとなった。凄い。膨らむ中国の映画市場を受け、ハリウッドへの影響力もますます強まるだろう。本作のように間違った方向に行かないことを願う。

【55点】






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T2 トレインスポッティング 【感想】

2017-04-20 08:00:00 | 映画


当時、サブカル男子の好物として象徴的な映画だった「トレイン・スポッティング」。自分はリアルタイムから少しズレているが、映画と音楽の密着性に初めて触れ、映画の新たな楽しみ方に目覚めた、とても思い出深い映画だ。その20年ぶりの続編というだけで感涙モノ。製作陣、キャストも変わらなければ、映画の内容もほとんど変わらなかった(笑)。だけど、それで十分。前作ファンに的を絞り、いちげんさん御断りな脚本が潔い。あれから20年、自分も年をとったな。

前作で仲間たちを裏切り、国外逃亡したレントンが、20年ぶりに故郷スコットランドで戻ってきたこときっかけに起きる騒動を描く。

本作を見る前に、学生時代に購入した前作のDVDを見返した。ヤク漬の退廃的なキャラクターたちをコメディタッチでイジり、スタイリッシュな映像と音楽で紡いた映画だ。久しぶりに見たが、当時、あれほど強烈なインパクトを受けていたのに、物語自体は何てことのない内容だった。いろんな映画を見るようになった今の自分と、知らないことが多かった昔の自分とは明らかに違うのだ。当時、本作を監督したダニー・ボイルがオスカー監督になるとは思わなかったし、主演のユアン・マクレガーがこれほどハリウッドで活躍するとも思わなかった。20年という時間経過に想いを巡らす。

高校時代、地元から都内の高校に通学するようになった。そして、地元の友人とは全く異なる人種の同級生と知り合った。音楽を好み、映画を好むサブカルな人だ。その友人とジーンズショップに立ち寄った際に、彼が店内のポスターを見て「ユアン・マクレガーって、やっぱカッコイイな~」と話してきた。「誰それ?」と聞いてみると、「トレイン・スポッティングって映画、知らないの?」と聞き返してきた。

実際に映画を見たのは大学生に入ってからで、本作で登場するキャラクターと同様に、自身の青春の只中にあった映画だった。彼らのほうが自分よりも年上であるが、本作での彼らとの再会は同窓会に近い興奮があり、続編製作のニュースを聞いてから、日本での公開を待ち望んでいた。

レントン演じるユアン・マクレガーは、リアルタイムで映画業界での活躍を見ているが、久しぶりの坊主頭が懐かしい。今では優等生キャラのイメージも強いが、あの追いかけっこシーンにおける不敵な笑みが、今回も見られてテンションが上がった。お人良しだが重度の薬物中毒者であったスパッドは、頭頂部がちゃんと禿げていて4人のなかで最も加齢を感じさせる。20年経った今でも薬物から抜け出せない。ちなみに今回も汚物まみれだ(笑)。「4000ポンドも俺に渡したらダメじゃないか!」が可笑しくも切ない。色男のシックボーイは、相変わらずアコギな男で金を稼ぐために違法な仕事に手を染める。若いガールフレンドを持つあたりも彼らしい年のとり方だ。喧嘩中毒者でサイコなベグビーは、昔あんなに細かったのに今はしっかり中年体型だ。あり余る暴力欲は変わらず、それが原因で刑務所からいまだに抜け出せない。旺盛な性欲も変わらないが、体の機能は衰えているため、やむなくバイアグラに飛び付く。レントンと不純異性交遊に走ったダイアンは立派な弁護士となり、彼女だけまともな大人になっている。「あのコ、若すぎるんじゃない?」にニヤリ。あの頃のあなたもそうでした。

4人のなかで故郷を離れたレントンだけがまともな仕事についていたが、映画では、それでも変わらないキャラクターとして描く。40を超えた良いオッサンたちは、何も変わらないダメ人間だったという話だ。描かれる騒動も、4人のなかで完結するというのも前作のままだ。フラッシュバックのように時折差し込まれる、前作シーンとのシンクロが絶妙で泣けてくる。前作に依存している映画ともいえるが、20年後の後日譚としては非常に説得力のある話だし、前作ファンには堪らない作りになっている。ただ、本作の予告編があまりにも良くできていたため、その期待値は超えなかった。ダニー・ボイルも丸くなったかも。もう少しエッジを効かせた映像で楽しませてほしかった。本作でも様々な音楽が効果的に使われるが、やはり前作の「Born Slippy」の破壊力には遠く及ばず。

物足りないことも多かったが、この続編企画を実現させてくれたことに感謝。
20年も経った。もっと自分もちゃんとした大人にならねば。

【70点】

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ゴースト・イン・ザ・シェル 【感想】

2017-04-19 23:00:00 | 映画


難易度の高いジャパニメーションの実写映画化だ。アニメの質感だからこそ活きる世界観をどう表現するのか。。。映像はかなり作り込まれていて、同系のアニメ原作映画の中ではかなり健闘しているほうだと思う。オリジナルに強い思い入れもないので、比較してどうこうという話はない。ストーリーのアレンジを見れば、オリジナルのトレースを狙っていないようだが、シンプルにSF映画としてあまり面白くない。どこかで見たことのある既視感が付いて回る。スカーレット・ヨハンソンの肩甲骨には萌え。

かすかな記憶と脳ミソを残して、全身機械人間になった女子が公安のエースとしてサイバーテロ組織と戦う様子を描く。

芸者ロボットなど、アニメでも印象深いキャラクターが早速出てくる。本作でもあの不気味さは健在で、巧く実写化しているなーと感じる。ビルを覆うほどの巨大映像広告(?)や、オリエンタルで雑多な町並みなど、近未来都市のビジュアルも原作に近い。しかし、いざ実写化してみると「ブレードランナー」に酷似していて新鮮味は感じられない。

西洋人であるスカーレット・ヨハンソンが主人公を演じる。資本力、技術力において、おそらくハリウッドでしか映像化は難しく、そのなかでのキャスティングとすれば、彼女以外には考えられなかっただろう。全身透明に転じるシーンでは、上着を脱ぎ棄てると、かなりムッチリとした体形がお目見えする。原作とは異なるけれど、このくらいのボリュームがないと実写映画として映えない。彼女の肉体のなかで着目したのは、ときどき露出する彼女の背中の肩甲骨だ。筋トレによる背筋力のせいか、双方の肩甲骨がピタッとセンターで挟まる。自分もああなりたいと羨む。

スカーレット・ヨハンソン以外の脇役たちはいずれも物足りない。原作に思い入れがないものの、彼女をサポートするバトーやトグサはもっと枯れた味わいがあって、彼らの存在によってハードボイルドな世界観が作られていたと思う。また、主人公の上司役として、日本人のビートたけしがキャスティングされているが、彼1人だけ日本語というのはさすがに違和感があり、たけしのイメージに寄せたヤクザなキャラ設定も、その存在感をさらに浮かせる。

物語は主人公の「自分探し」にフォーカスしていく。明らかになる陰謀と主人公の知られざるルーツに迫るが、このあたりもどこかで見たことがある話だ。「マトリックス」をはじめとする多くのSFアクション映画に影響を与えたといわれるオリジナルの実写化にあって、アクション描写でも際立ったチャレンジが見られないのは残念だ。観客の期待値を見越せば、もっと驚かせてほしかった。「義体」ならではの全身引きちぎりのシーンは実写でも見応えがあって良かった。

後日、本作を見た会社の同僚と感想を共有し合ったが、オリジナルを知らない人の方が楽しめるようだ。思い入れがないとはいえ、比較対象を知っていると、優劣で見てしまうのは必然なのだろう。「ゴースト・イン・ザ・シェル」と双璧をなすジャパニメーション、「AKIRA」の実写化は実現するのだろうか。

【60点】
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LION/ライオン 〜25年目のただいま〜 【感想】

2017-04-15 08:00:00 | 映画


「母をたずねて三千里」的な映画と違った。故郷の家族を探す展開は映画の一部。主人公が幼少期に体験する悲劇から、今もなお世界に蔓延する深刻な実態が浮上し、言葉を失う。主人公を引き取った里親の無償の愛と、主人公が幼少期に一緒に過ごした心優しき兄との記憶に泣かされる。喜びと悲しみが押し寄せるラスト、幻の再会シーンが深い余韻を残す。

幼少期に迷子になり、孤児となったインド人男子がオーストラリア人の夫妻に養子として引き取られたのち、その20年後、故郷の家族を探すという話。

オープニングショットは、タスマニアの雄大な自然を空撮でとらえる。主人公が養子として育った故郷だ。その景色の美しさに目を奪われる。そして場面は20年前に遡り、土埃が舞うインドへと舞台を移す。主人公が生まれ幼少期までを過ごした故郷だ。地理的、経済的にあまりにも異なる2つの故郷を持つ主人公が、20年前のかすかな記憶と、グーグルアースという現代のテクノロジの力を借りて、生き別れた家族を見つけだそうとする。

映画は、主人公の幼少期の出来事を回想シーンにとどめず、1つのドラマとしてじっくり時間をかけて描く。貧しい家族を救うため、小さな体で駄賃をかせぐ日々。恵まれぬ状況でありながら、主人公に悲壮感はなく、明るい表情を絶やさない。その傍らにはいつも主人公を気遣う優しい兄がいる。何をするにも2人で、本当に仲の良い兄弟だ。そんな兄が1人で過酷な肉体労働に向かうところ、弟の主人公が一緒に仕事をすると言い出したことが悲劇のきっかけとなる。

他民族国家であり国土も広いインドだ。言葉も通じない遠く離れた場所で、迷子になった主人公は過酷な運命をたどる。ストリードチルドレンが日常的にいたであろう当時のインドでは迷子にかまう人はおらず、大人たちの雑踏にもまれ、邪険にされ、つまみ出される。ようやく人の良心に触れたと思えば、非情にも裏切られる。同じ孤児たちと住む孤児院で安住できると思えば、卑劣な実態が待ち受ける。わずか5歳という小さな体で受け止められる話ではなく、それでも必死に生き抜こうとする姿に何度も胸が締め付けられる。浮かび上がるのは途上国における人身売買と児童虐待の実態だ。ある程度、本作では脚色している部分はあるかもしれないが、今も存在する世界のガンであることは確かだろう。

主人公の幼さゆえの事故だった。その悲劇は不運であり、主人公が救われたことも運だったいえる。孤児院で過ごしていたところ、主人公は幸いにもオーストラリア人の夫妻に家族として向かい入れられる。子どものいない夫妻は、肌の色も違う主人公を我が子として育てていく。主人公の過酷な体験と、劇的な救済ドラマ、これだけでも凄い実話だと思う。主人公はそのまま夫妻の大きな愛に育てられ立派に成人するが、故郷の家族探しの話はようやくそこから始動する。

あることをきっかけに幼少期の記憶が呼び覚まされる。主人公は過去に囚われ、普段の生活がままならなくなる。「過ぎたこと」にはならない。自分を愛してくれたかけがえのない家族がいた、いや、今もいるという確信。主人公が兄を探し続けたのと同じように、弟を見失った兄もどんな思いで主人公を探し続けただろうか。幼少期パートを丹念に描いたことで、主人公の心情が痛いほどに伝わってくる。主人公の葛藤や焦燥、2つの家族への複雑な感情を繊細に演じたデヴ・パテルが素晴らしい。

その家族探しの過程で明らかになるのが、育ての親の主人公への秘めた想いだ。こんな神様みたいな人って本当にいるんだなと驚かされ、無償の愛に感動する。育ての母親を演じたニコール・キッドマンが見事な助演ぶり。また、成人した主人公の前に何度となく幻影として映し出される、あの日のままの兄の姿に泣かされる。現在の様子と過去の記憶を紡ぐように描く構成が、主人公の心情を深く活写する。

「主人公は家族に再会できるのか?」、その結末は前情報通りだったが、個人的に最も避けたかった悲報が待ち受けていた。しかし、本作は悲劇として終わらせるのではなく、救いとして奇跡のシーンを用意してくれたことに感謝すらしてしまった。最初から最後まで涙が止まらなかった。無自覚に涙する現象は3年前の「ソウォン」以来。想像以上にエモーショナルな映画だった。あと、本作を見てから、アカデミー賞授賞式を見ていたら、幼少期を演じたサニー君の登場を特別な思いで見られただろうな。

【75点】

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ベター・コール・ソウルのシーズン3が始まった件。

2017-04-12 23:00:00 | 海外ドラマ


今年は洋画のゴールドラッシュの時期が遅く、3月末のつい最近に始まったばかりだ。海外ドラマも同様で、なかなか見たいと思えるタイトルが出てこない。以前から楽しみにしていた「レギオン」を追いかけているものの、思ったほどではなく。。。

そんななか、Netflixから「ベターコールソウルのシーズン3が始まります!」のメールを受け、飛び上がる。さっそく再加入し、配信ホヤホヤの第1話を見た。それにしてもNetflix、相変わらずコンテンツの鮮度が素晴らしい。

前シーズン同様、冒頭、「ブレイキングバッド」後と思われる現在のソウルの様子をモノクロ映像で映し出す。彼は極甘ハイカロリースィーツ店「シナボン」の店長をやっていて、頭部の毛量はかなり減っている。「ブレイキングバッド」で起きた事件により身を隠すような生活をしているが、万引き犯を目撃するシーンで弁護士魂は消えていないことを示唆する。さりげない描写のなかに、伏線を偲ばせるところは「ブレイキングバッド」と同じだ。なお、第1話の脚本と監督は「ブレイキングバッド」の生みの親であるヴィンス・ギリガンによるもの。

シーズン3も引き続き、弁護士ソウルことジミーと、仕事人マイクの両輪でドラマが展開する。

シーズン2の最終話から、そのまま続いているエピソードであり、ジミーは書類の偽装を兄チャックに打ち明けたところから始まる。彼がやったことは紛れもない犯罪であるが、「証拠がない」と強気を見せるジミーだ。ジミーの自白をチャックは録音していたが、その後、法廷で使える証拠にはならないことが明らかになる。しかし、その事実はチャックも織り込み済み。チャックの思惑が気になるところだ。ジミーは相方のキムと共同経営の弁護士事務所で老人相手に仕事を続けているが、前回、CM撮影のために騙した軍人が乗り込んでくる。CM放映をやめなければ告発するというが、ジミーに巧く言いくるめられる。チャックと軍人、2人が共通してジミーに話したのは「いつか報いを受ける」。本シーズンでジミーに大きな災難が待ち受けている予感がする。

一方のマイクは、前シーズンのラストで誰かに追跡されている事実に気付く。自身が運転する自動車で発信器を探すシーンが、ギリガンっぽい演出だ。「発信器」という言葉は一切出てこないが、マイクの無言の動きから予測するのは簡単で、車を分解するシーンを長尺撮影&早回しで見せるあたりは芸が細かい。発信器を見つけるまでの過程や、その後にマイクが逆襲に転じる様子は見ていて非常にスリリングだ。余計な説明は不要であり、見る側の想像力を信じて楽しませる作りは本シーズンでも健在だ。もともとおじいちゃんのマイクだが、本シーズンでますます老けこんでいる印象。老体に鞭打って、今後、巨悪と戦えるのか心配になる。

北米と同時配信のため、毎週1話のペースでアップされる。あと2カ月待ってイッキ見の選択もあったが、最近見たい海外ドラマもないため、待ち切れなかった。

シーズン3の予告編をみたら、あの「ガス」が登場するようだ!本家「ブレイキングバッド」におけるウォルターの宿敵であり、多くの名シーンを生み出した最重要人物だ。もちろん彼が経営するフライドチキン店「ロス・ポジョス」も登場する模様。ガスを思い返せば、もともとウォルターにガスを紹介したのはソウルだったし、マイクはガスの裏仕事を手伝っていた関係がある。本作でガスが登場することは自然かもしれない。きっと、ソウルとマイクがガスと関わることになったきっかけが描かれるのだろう。今後が楽しみだ。

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ハードコア 【感想】

2017-04-11 08:00:00 | 映画


男子の男子による男子のための映画。中二的妄想を具現化した企画が素晴らしい。アニメやゲームなどのサブカル要素が随所に盛り込まれ、監督の趣味趣向が投影されている。POV映像というよりは、洋ゲーに多いFPS形式の映像で、完全な1人称視点で終始する映像作品は初体験だ。予告編を初めて見たとき、劇場鑑賞との相性の良さを感じたが、結果は良くも悪くも。本作のチャレンジを手放しで喜べないが、痛快なアクションは男子の好物といえ、クィーンの「Don't Stop Me Now」からのアドレナリン注入シーンが秀逸。

サイボーグとなって生まれ変わった男が、囚われた妻を救うため、悪の一団と戦うという話。

昔、アクションゲームを月1ペースで購入していた頃、面白いと薦められた洋モノゲームを何度かプレイしたが、視点を真ん中に合わせるFPSアクションがどうにも苦手で、プレイ続行を断念したのを思い出した。こうしたFPSゲームを映画作品にしたらどうか?というチャレンジが本作だった。昨今のPOV映画は登場キャラが撮影した光景を映しており、あくまで観客とは分離したところに位置するが、本作の場合、登場キャラの視点そのものが映画になっている。まったく言葉を発さない主人公(視点)の設定も手伝い、「主人公は観客のみなさんです!」といった意図を打ち出す。

ありそうでなかった作りだが、これを娯楽映画として成立させるのは至難の業だ。ゲームの世界ではプレイヤーが登場キャラをコントロールするが、映画の世界では、映像は観客視点なのに動きは映画に委ねるため、ギャップが発生する。そのギャップを解消し、観客と登場キャラをシンクロさせることが本作の狙いだっただろうし、自分もそれを期待していた。その結果、どちらともいえない感想であり、成功もあったし、失敗もあった。

観客側に「体感」として楽しんでもらうために、派手なアクションがたくさん用意される。主人公がサイボーグというのも、超人的なアクションを実現するための設定だろう。上空からの脱出劇に始まり、降り立った地上では壮絶な肉弾戦と追走劇が繰り広げられる。次々と襲いかかる敵に対して、周りに置いてある道具を武器に変えるあたりはオープンゲームのようだ。スタントシーンの多くにパルクールが活用されていて、高い壁を登るなどの地形の高低を活かしたアクションはスリルを味わせるのにピッタリだ。もう少し序盤から、サイボーグの潜在力を見せてほしかったけど。

その一方で、何から何までFPSというのがダメだった。すべてのアクションにおける視点の動きをもれなく拾うので、主人公が反転して転ぶシーンは、天地がひっくりかえり、今どんな画になっているのか状態の様子がわからなくなる。ダッシュで駆けるシーンも、長尺でずっとグラグラと視界が揺れ続ける。本来、臨場感として伝わるものが、視界を遮る目ざわりなものとして映る。映像を見て酔うほどの不快さはなかったのものの、せっかくアクションがFPSによって逆に伝わりづらい。

劇中では、主人公のほかに、連れ去られた妻、主人公を手助けする謎の男、超能力を操るボスキャラなどが登場する。それぞれのキャラクターには知られざる背景があって、結末が近づくにつれて明らかになっていくのだが、本作のようなアクションで突っ切るタイプの映画にしては、そのタネ明かしがわかりにくい。難しいことは考えず、FPSアクションをシンプルに楽しむのが本作の正しい見方かもしれない。

ゲームと同じように、本作もステージが上がるにつれて敵キャラが強くなる。最もアツいのはボスキャラが待つクライマックスだ。主人公1人VS何十体のサイボーグ(?)の壮絶なバトルに一気にボルテージが上がる。主人公が劣勢に立たされフルボッコにされたのち、起き上がりパワーアップして逆襲する。まるでドラゴンボールのようだ。爽快なナンバーであるクィーンの「Don't Stop Me Now」に乗せて、アドナリンを体内に注入し、向かう敵を次々と血祭りに上げる。主人公の煮えたぎる怒りと、豊かなゴア描写が相乗して思わず前のめりになった。この感覚は男子じゃないとわからないだろうなぁ。

とても実験的な映画で、多くの可能性と課題を残してくれた映画だったと思う。
VRで見たら大変なことになりそうだ。

【65点】
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レゴバットマン ザ・ムービー 【感想】

2017-04-08 08:00:00 | 映画


想定率150%。まさか、ここまでやってくれるとは(感動)。たい焼きで例えるなら、餡がはみ出しちゃってるほどの大サービス。前作のウルトラCに負けず劣らずの出来栄え。いや、中身の充実度でいえば本作のほうが上かもしれない。ストップモーションアニメ(風)とは思えないド迫力アクションに発奮し、矢継ぎ早に繰り出されるギャグとパロディに笑い、バットマンの真価に迫ったストーリーに唸る。もう面白いが止まらない。「パスワードは?」→「アイアンマンのバ~カ!」(笑)。

ゴッサムシティで自警に励むバットマンの宿敵(?)、ジョーカーのまさかの自首をきっかけに起こる騒動を描く。

過去の2つの映画によってバットマンと壮絶な戦いを繰り広げたジョーカーだ。バットマンの最大の敵といえば、ジョーカーを上げるのが順当だろう。しかし、今は違う。バットマンは昨年、スーパーマンと戦ったばかりで、その圧倒的な強さに打ちのめされた(だって相手は人間じゃないもん)。なので、バットマンにとってジョーカーなんて、もはや眼中にない。本作でバットマンからその告白を聞いたジョーカーは、ライバルと認知されないことに嫉妬と悲しみを覚える。

一方のバットマンは孤独を抱えている。ゴッサムシティのヒーローとして正義をかざし、悪を鮮やかに退治し、市民から喝采を得る日々。その華々しい表(裏)舞台とは逆に、家に帰れば、執事のアルフレッドが待つものの、大邸宅で何をするのも1人の生活だ。本作によってバットマンのリアルな私生活が明らかになったようだ。当の本人は、スーパーヒーローには孤独がつきものと、寂しがる様子は全くないが、「家族を持ちなさい」とアルフレッドが彼の将来を憂えるのも納得だ。レンジで好物を温めるシーンが無駄に長尺で爆笑。孤独が骨身にしみるじゃないか。

バットマンは自警のヒーローだ。警察による悪人逮捕を手助けするが、連携することはないし、誰かにコントロールされることもない。また、悪を退治することが彼の役目ゆえ、悪がいなくなれば彼の活躍の場はなくなり、不必要な存在となる。本作では、盟友ゴードンの退職と、バットマンにフラれたジョーカーの恨みによって、これまでのバットマン映画にはなかった「もしも」の事態が描かれる。そこで見えてくるのはバットマンの真価だ。「ウォッチメン」や「スーパー!」で感じたヒーロー観の考察に近しいものがある。そうしたヒーロー像を語るのに半ば反則的な話も多いのだけれど、カラフルでキュートなレゴというビジュアル世界では許容されてしまう。本作はその自由を自覚し、大いに楽しんでいる。

「自由」の点で目を見張るのは、あまりにも豪華な登場キャラクターの数々だ。DCコミックスのヒーロー総出演だけでも驚いたのに、ワーナー映画の過去の敵役たちが映画の枠を超えて総出演したのにはド肝を抜かれた。半魚人、グレムリン、キンゴンコングといったモンスター系にはじまり、マトリックスのエージャントスミスに、ハリポタのヴォルデモート、そして、「目」しかないLOTRのサウロンまで登場する。まさにレゴだから実現できたこと。なおかつ、凄いのは単なる賑やかし要員に終わらせず、それぞれの個性を劇中で機能させていることだ。もう見事としか言いようがない。

劇中、常にしゃべくり倒し、激しいスピードで絵が切り替わっていく。その情報量はかなりのもの。バットマン映画としてアクション描写も手抜きなく、スリリングでかなりダイナミック。アホとシュールを兼ね備えたギャグと、映画ファンが喜ぶ過去作のイジリ倒しパロディも満載だ。1回観ただけでは、本作の仕掛けをすべて消化しきれない。パッケージ化されたら絶対に買いだ。よくもまあ、こんな映画作れるな~と、爆笑しながらも感動してしまった。

不必要なほど深読みして見るも良し、脳ミソを空っぽにして見るも良し。大満足だった。

【80点】
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ムーンライト 【感想】

2017-04-07 08:00:00 | 映画


とても不思議な映画だ。さざ波のように穏やかで静かなドラマだけれど、テンションが切れることがなく、2時間があっという間に過ぎた。描かれる3つの時代の狭間にあった、描かれぬ出来事が浮かび上がってくる。黒人社会におけるLGBTというマイノリティーの生きづらさを知り、変わることしか選べなかった主人公の姿が切なく胸に迫る。但し、本作で最も強く感じるのはラブロマンスだ。それも純度が高く、とても美しいもの。3世代の主人公をそれぞれで演じた3人の名演に感じ入る。

マイアミの貧困地帯を舞台に、1人の男子の幼少期、青年期、成人期の3つの時代を通して、その成長を見つめたドラマ。

今年のアカデミー賞で起きた前代未聞の事故で、作品賞に輝いた映画というより、「ラ・ラ・ランド」と間違えられた映画として広く認知されてしまった本作。当日、生放送で見ていた自分は絶句するほどの衝撃を受けたが、あの事故は双方の作品にとって余計だったな~と改めて感じた。「作品賞はムーンライト!」の一言で良かったのに。

前から気になっていた本作のタイトル「ムーンライト」の意味は、劇中語られるセリフのなかで「月明かりに照らされて、海で遊ぶ黒人の子どもの肌の色がブルーに見えた」という逸話に由来している。タイトルに込められた意味はいろんな解釈ができそうだが、黒という何色にも変わらない色も、ブルーに変わることができる、本作でいえば、男性として生まれた主人公「シャロン」がLGBTにより、生まれた性と異なる人間として生きる(変える)ことができる、といったメッセージに受け取れた。しかし、本作は「LGBTを受け入れよう!」と声高に多様性を訴求する話ではないし、恵まれぬシャロンが自身の苦境から救済されるという話でもない。

シャロンの背中を追いかける撮影ショットが印象的だ。表情が見えない背面はシャロンの行動を予測することができない。そして、その行動を後追いで見守ることしかできない。このキャラクターとカメラの少し離れた距離感が、監督が本作で示した視点のように思われる。シャロンの周りで起きる状況に対し、できるだけ介在することを避け、傍観する位置を保っている。シャロンは幼少期より不遇の環境のなかで生きているため、その距離感はまるで突き放しているような冷淡さを帯びる。LGBTへの周りの差別から暴力的ないじめに遭い、家に帰ればシングルマザーの母がドラッグ中毒で養育を放棄する。青年期になっても状況は変わらず、ドラッグ欲しさに母は自宅で売春し、足りない資金は自身の子どもにたかるという始末だ。

そんなシャロンに手を差し伸べるのが、ドラッグの元締めをしているフアンだ。この男が興味深い。おそらく裏では汚い仕事も日常茶飯事でやっているのだろうが、幼いシャロンとの交流を見る限りは、他者への思いやりや倫理をわきまえた人格者のようだ。彼が好んでドラッグの仕事を選んだのではなく、貧困地帯で生きるために必要な選択だったと想像するのが自然だ。フアン演じるマハーシャラ・アリの底知れぬ存在感が、彼がこれまで辿ってきた道のりを透けさせる。「お前が世界の中心だ」とシャロンへ投げかけた言葉が響く。フアンは赤の他人であったが、シャロンを気にかけ何かと面倒を見るようになる。一方、最も近い存在である母親は、シャロンの面倒を見ず虐待する。対極にある父性と母性が交錯し、シャロンの生き方にも影響を及ぼしていく。

苦境に生きるシャロンの生き様と並行して描かれるのは、唯一の親友、ケビンに対する友情を超えた恋愛感情である。本作は紛れもないラブストーリーであり、シャロンのピュアで一途な想いが3世代に渡り描かれる。恋の目覚めとなった浜辺での密かな情事は、男性同士という特異な状況であったが、2人の感情の機微を丁寧に掬い、美しく描かれている。ケビンは女性も恋愛対象であるため、その区別は違えどシャロンと同じLGBTだったのだろう。しかし、その後に訪れるシャロンの人生を大きく変えた事件は、悲劇的にもケビンの「手」によるものだった。なぜシャロンは倒れることなく、何度も立ち上がったのだろう。自身への罰か、強さの誇示か、それともケビンの愛を試したのか。。。。

やがて成人期に変わり、別人のように変わった姿で登場するシャロンが哀しい。かつて細かった肉体は筋肉の鎧に包まれ、口内には他者を威嚇するような金のグリットをはめ込んでいる。その厳つい体格と頭部を覆うバンダナ姿は、かつてのフアンのスタイルによく似ている。しかし、フアンはそんなシャロンの成長を喜ばなかっただろう。シャロンが本当の自分の姿で生きることを望んでいたに違いない。シャロンが変化した青年期と成人期にあった出来事は想像に容易く、変わることでしか生きることができなったか。ケビンとの再会によって、本来の姿と向き合うことに抗わなかったのが救い。2人が大人として成長し、ディナーを囲むシーンで様々な想いが去来する。

アカデミー賞の助演賞に絡んだフアン役のマハーシャラ・アリや、母親役のナオミ・ハリスは勿論素晴らしいのだけれど、3世代のシャロンを演じた3人の俳優の繊細な演技に引きこまれた。特に目の表情だ。それぞれの時代の成長によって表情が変わっているのがわかる。低予算、短期間による撮影において、こうした役者への演出を実現したバリー・ジェンキンスの手腕は賛辞されるべきだろう。そして、随所に見られる詩的な情景描写は、映像作家としての才能も強く感じさせる。アカデミー賞での逆転劇の際、失意の「ラ・ラ・ランド」チームをよそに「これは現実なんだ!」と、はしゃぎまくる姿は見たくなかったな。。。。

正直、ラストカットは「そこで終わり?」という尻切れな印象をもった。もう少し、残りのシーンを見てみたかったところだ。間違いなく良作のドラマ映画だけれど、オスカー作品賞としてはやはり「ラ・ラ・ランド」を支持してしまう。ただ、作品賞の受賞により日本公開が一ケ月に早まったのはとても良かったと思う。

【70点】

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お嬢さん 【感想】

2017-04-06 08:00:00 | 映画


楽しみにしていたパク・チャヌクの新作に1ヶ月遅れでありつく。期待通りの面白さ。パク・チャヌクの変態性が突き抜けた怪作。シリアスでなく、ユーモアたっぷりのサスペンス劇は想定外だった。官能的であり、アブノーマルなエロス描写が可笑しくも刺激的。日本の「春本」文化に着目したパク・チャヌクはさすがだ。韓国人俳優による稚拙な日本語使いは、逆に事態の異常性を増幅させる。無二のパク・チャヌク映画を堪能。

戦時中、日本の統治下にあった韓国で、叔父と2人で暮らす富豪の日本人令嬢「お嬢さん」と、財産目当てで彼女との結婚を目論む詐欺師、詐欺師の手助けのために彼女の侍女になる韓国人女子、この3人による騙し合いを描く。

映画の構成は3部に分かれていて、同じ時間軸を、各部ごとに視点を変えて描いている。知られざる事実が回を追うごとに明らかになっていく流れで、予想していた事態が二転三転していく。どんな映画かも全くインプットしていなかったため、一転目の種明かし段階で衝撃を受け、一気に引き込まれた。最近の映画だと「ゴーンガール」でヒロインの本性が露わになる中盤からのギアチェンジに近い。

本作には原作があるようで、結構有名なミステリー小説とのこと。但し、パンフ情報によれば、原作内容から大きな脚色を施しており、時代設定をヴィクトリア王朝時代のロンドンから、戦時中の韓国に移しているらしい。なおかつ、本作では韓国にある日本を描くという変化球に挑んでいる。主人公のお嬢さんは韓国語も話す日本人という設定であり、お嬢さん含め、すべてのキャストは韓国人俳優だ。

物語の舞台はお嬢さんが住む豪邸であり、和と洋が融合した作りだ。その外見は和装と洋装の建物を無理くり繋げたような歪さがある。この歪さ、あるいはズレというのが、本作で終始感じる大きなポイントだ。舞台セットの造形は日本様式の忠実な再現ではなく、あくまで韓国人から見た日本様式の表現だ。豪邸の内部は耽美な作りながら、構造はかなり変質的になっている。日本文化の誤認ではなく、妖しさを醸成する世界観の実現のために設計されたもののようだ。とても見事な舞台セットだ。

お嬢さんが目論む計画の背景にあるのが、彼女が住む豪邸に秘められた真実である。そこで用いられるアイテムが日本の江戸時代に流行ったエロ本「春本」というのが面白い。本作で使われる春本がどこまで実際にあったものかは怪しいけれど、男女の秘め事を慎ましい文体の中で大胆に切り取った表現の破壊力は想像以上で、パク・チャヌクと春本の相性は抜群だ。春本を用いた「朗読会」の模様は、成人したお嬢さんに留まらず、可愛らしい子役を使っても実行され、その悪趣味ぶりに笑いが込み上げる。朗読会を聞いて興奮を隠せないオヤジたちの顔面リアクションもナイスだ。

春本朗読会による卑猥な言葉の数々は、韓国人俳優による慣れない日本語によって発せられ、シュールな可笑しさに溢れる。流暢な日本語で話されていたら、違う映画になっていただろう。朗読会の延長戦でSMプレイまでも飛び出し、カオスな様相を呈してくる。自身の睡眠不足による睡魔が襲いかかってくるタイミングと重なった結果、まるで夢の中の残像を見ているようだった。エロスの描写は女性同士のベッドシーンでも際立っており、その内容はリアリティよりも、本作における一貫した美意識に基づいて作られている。同じように女性同士のセックスシーンを長尺で撮った「アデル、ブルー~」とは似て非なるもの。

Sっ気たっぷりなパク・チャヌクの演出に対して、体当たりで応えた主演女優2人の熱演が本作の迫力になっている。お嬢さん演じたキム・ミニと、侍女を演じたキム・テリであるが、2人とも初めて見る人だった。優れた俳優が多い韓国といえど、ヌード&ラブシーンを演じられる人は限られていたかもしれない。本作のラブシーンに限らずだが、日本人女優のなかで、これだけのパフォーマンスができる人っているだろうか?とつい思いを馳せる。おそらくいないだろう。詐欺師を演じたハ・ジョンウはさすがの安定感。

本作の中身は愛憎劇であり、愛と欲望の狭間で揺れる人たちの行方を追っていく。展開が読めず、辿りつく結末は痛快なものだったが、そのストーリー性よりもパク・チャヌクが生み出す世界観に溺れる快感が勝った。

今年は韓国映画が熱い予感。今年の夏に公開される「新感染~」(邦題ダサ!)も楽しみだ。

【75点】
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キングコング: 髑髏島の巨神 【感想】

2017-04-01 08:00:00 | 映画


ザ・映画館ムービー。キングコングのスケールが素晴らしい。デカい、激しくデカい。夕日、炎、月光をバックにした巨体シルエットがカッコイイのなんの。なのに動きは俊敏で、ダイナミックな暴れっぷりがスクリーンに映える。「いかにキングコングを魅力的に見せるか」に賭け、オタク系と容易に想像できる監督の趣味が発揮されている。予想通りの大迫力なB級映画だったが、同臭の「パシフィック・リム」ほど振り切れたレベルには至らず。「大怪獣バトル」という触れ込みだったが、怪獣たちの対戦構図はピーター・ジャクソン版とあまり変わらなかった。製作費1.9億ドルであれば、もっといろんなことができたかも。サミュエル・L・ジャクソンは第二のキング・コングか。

1973年、新たなエネルギー資源を求めて未知の孤島に降り立った探検隊と、そこに住むキングコングとの出会いを描く。

のっけから出し惜しみなく、キングコングが登場。映画の主人公は、他ならぬキングコングであることを明示する。その全長はゴジラなみの巨大さで、猿人類の進化形ではなく、ゴリラの形をした「怪獣」である。

「巨神」と邦題にあるとおり、本作で登場するキングコングは島の守護神として登場する。人間たちがバカ丸出しで豊かな自然を爆破しまくると、キングコングが怒りの鉄拳をお見舞いする。その巨大さゆえに全貌が見えず、人間目線でキングコングの暴走を追いかけたショットが面白い。まるで遊園地のアトラクションのようだ。その後、キングコングの全景を捉え、小さなヘリコプターと大怪獣の空中バトルが繰り広げられる。キングコングは圧倒的な強さを見せ、ヘリコプターを全墜させた地上戦でも、容赦なく人間たちを踏みつぶしていく。なるほど怪獣映画だ。

キングコングは無作為に攻撃を仕掛けるわけでなく、島を破壊する者への戒めとして、または自身を攻撃する者への反撃として、攻撃を加える。キングコングが正義の味方であることはすぐに理解できる。

一方の人間側。探検隊を護衛する部隊はベトナム戦争の帰還兵で、それを率いる大佐はベトナム戦争の燃え尽き症候群になっている模様。新たに課せられたこの任務で虚無感を埋めようとしている。そこで起きたキングコングによる大量殺戮は、大佐の闘志に再び火を付けることになる。サミュエル・L・ジャクソンVSキング・コング。奇しくもゴリラ顔同士である、2人のメンチの斬り合いシーンが本作屈指の名シーン。その熱量と比べると、トム・ヒドルストンやブリー・ラーソンは重要な役割を担っているものの、本作における存在感はとても薄く、彼らの出演ギャラをキングコング側にもっと投入してほしいと思った。

キングコングの過去作は、ピーター・ジャクソン版しか見たことがないが、オリジナルに近い映画だったと聞く。そんな過去作と比べると、キングコングのスケールからして、全く別物の映画に仕上がっている。キングコングのモチベーションが、過去作ではヒロインに対するロマンスであったのに対して、本作ではストイックな島の守り神。本作のキングコングの方が男前である。しかし、内容は探検隊が未知の島で様々な生物と遭遇したり、キングコングは爬虫類系の巨大生物と戦うというもので、これはピータージャクソン版とあまり変わらない。もう1種類くらい新たな巨大怪獣を参戦させるなど、想定外の味付けが欲しかった。

本作で面白かったのはもう1つ。登場する巨大生物が「UMA発見!」な視点で描かれていること。何が出てもおかしくない手つかずの大自然のなかで、突如として巨大生物が出現する姿が壮観だ。水辺でキングコングの知られざる生体を陰ながら観察するシーンに、驚きと興奮を覚える(蛸!!)。劇中の探検隊が用いるカメラのファインダー越しに見えるキングコングがオツだ。昔、イエティを撮影したフィルムっぽい。

子どもと一緒に見たため泣く泣く吹替で鑑賞。わかっていたけど、トム・ヒドルストンの吹き替えやったガクトが酷すぎる。第一声で凍り付いた。セリフ量が少なかったことが不幸中の幸い。あと、もはや大規模映画は中国に頼らざるを得ないのか。本作でもしっかり中国資本が入っていて、いま流行の「そんたく(!?)」により中国人キャストが探検隊の中に入っている。

監督のジョーダン・ヴォート=ロバーツは若干32歳。いまいち、本作のどこに1.9億ドルものお金がかけられているのかわからないけど、誰もが無条件に楽しめる娯楽映画を作り出したのは確かなこと。デミアン・チャゼルと同い年のようであり、卓越した才能を持つ若手の台頭と、彼らにチャンスを与えるアメリカってやっぱりスゴいわ。

【65点】
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