から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

エイス・グレード 【感想】

2019-09-29 07:00:00 | 映画


愛しくてハグしたくなる1本。SNSというアイテムに振り回される現代っ子の悲喜劇がベースにあり、「SNSはもう古い」なんて言われる時代になって見返すと、どんな風に見えるのだろう。ただ、この映画で描かれるのは、理想の自分を追い求める少女の話であり、時代が移り変わっても大いに共感できると思う。自分の思うがままに生きている人なんてほんの一握りだ。「ようこそ新しい今日へ」、一歩前に踏み出す勇気を与えてくれる。

自分の10代を思い返すと恥ずかしいことばかりだ。本作の主人公ケイラほど不器用ではなかったと思うが、「あの時、イタかったな」と本作を見て思い返す。中学生時代、学校という小さな社会で自分を客観視することができず、根拠のない自信が自分を突き動かしていた。

現代の子どもたちはSNSというアイテムを持つことで、嫌がおうにも”身の程”を知る。たくさんの人とつながり、たくさんの人から「いいね」をもらう。外交的で共感を得ることが望まれるオンライン社会は、彼らに生きがいをもたらすのか、それとも生きづらさをもたらすのか。

ケイラは動画投稿サイトで、生き方指南(?)の動画を公開している。ただし、閲覧はほとんどされない。彼女の同級生は、その動画の存在をおそらく知っているだろう。だけど、ケイラに興味がないから閲覧しない。動画は「なりたい」自分への鼓舞であり、現実の彼女は孤独で無口で友達がいない。

タイトルの「8年生」は日本でいう中学二年生にあたるらしい。小学生気分がすっかり抜けたところで、心も体も大きく成長を遂げる時期だ。男子はガキで、女子は大人。油性インクの匂いを嗅ぎ、まぶたを裏返し、「エロ」にとことん敏感になる男子。一方、女子たちはスマホの世界で憧れの人を追い、自身の容姿をSNSで発信し、承認を求め、連帯感に浸る。ケイラはそんな女子たちの流れに乗ることができず疎外感に苛まれる。

ケイラ演じるエルシー・フィッシャーの、「ザ・等身大」のキャスティング、好演が光る。不細工ではない、むしろ美人の部類。だけど、顔はニキビだらけ、水着を着れば、背中のお肉が食い込み、下っ腹がぽっこり目立つ。容姿の劣等感に押しつぶされそうに、前かがみになって歩く彼女の後ろ姿のアップに、監督の愛情が透ける。そして、気づけばこっちもケイラをずっと応援している。

彼女を想いやる父親の存在が本作の鍵を握る。自分の場合、ケイラよりも父親の視点で本作を見ていた。可愛くて愛情たっぷりに育ててきた一人娘の思春期、あるいは反抗期。スマホに取って代わられる娘との時間に、苛立つより寂しさを覚える。ケイラの孤独は、父親も感づいているところ。心配で仕方がないのは当然の親心だ。いくらウザがられても、可愛い娘だから。

なりたい自分に夢見ていた過去の自分と、なれなかった現在の自分。失望し、折り合いにつける焚火のシーンが胸をゆさぶる。彼女の劣等感に、父親が返す言葉に泣かされる。特別なことは何もない。ケイラへの変わらぬ愛と、信頼を示した言葉だったが、彼女を大きく勇気づける。もたらしたのは、ほんのちょっとの変化。だけど、それでいい。オタクな男友達との友情もめちゃくちゃいいじゃない。

観終わって真っ先に思ったのは、コメディアンである男の監督がどうしてこんな物語を生み出したのかという疑問。監督の子ども時代の経験を予想したけど、意外なものだった。コメディアンとして仕事するにあたり、紙の上で「自己表現」することに救われた経験が元になっているらしい。受け手がいなくても発信することって、本人にとってかなり重要なこと。それでケイラというキャラをゼロから造形したらしい。優れた脚本家であることがわかった。

【75点】
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アド・アストラ 【感想】

2019-09-27 07:00:00 | 映画


やっぱ宇宙映画は最高の現実逃避だ。圧倒的な没入感。今年は本作にて宇宙体験を満喫。近い将来という本作は、リアルに映る未来の光景。宇宙基地、宇宙船、宇宙服といったガジェットデザインが、現代のそれに近しい。
月行き旅客機のブランケットのレンタル代が異常に高額で、まだまだ庶民には手が届かなさそう。月に資源があれば紛争を起き、月面では無重力「マッドマックス」アクションが繰り広げられる。宇宙から見る地球の光景は美しいが、周りは死の世界で底なしの恐怖に満ちている。
「海王星まで父に会いに行く」、想像を絶する壮大な宇宙飛行は、ミニマムな家族ドラマでもあった。宇宙探索にとりつかれた父親の狂気と、その父の姿を追って宇宙開発に身を捧げた息子の運命が30年の時を超えて交わる。地球から離れれば離れるほど、主人公の内部のコアに接近していく。地球に置いてきた後悔と、これからの人生をどう生きるか。究極に孤独な世界で描かれる主人公の心の旅路だ。
もっと「2001年宇宙~」みたいな抽象的な物語を想像していたが、意外と明確でわかりやすいドラマ。ラストの地球帰還の力技はSF作品のご愛敬。「ワンハリ~」に続き、ブラピが演技派として堂々たるパフォーマンス。やっぱり好きです。
【70点】
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アンビリーバブル たった1つの真実 【感想】

2019-09-25 07:00:00 | 海外ドラマ


1シーズンのみのリミテッドシリーズに傑作多し。
本作「アンビリーバブル」も然りだった。

しばらくお目当ての海外ドラマがないため、「繋ぎ」程度に見始めたが、まさかの今年ベスト級の海外ドラマだった。鑑賞後「たった1つの真実」という邦題が突き刺さる。

全8話。
性的被害にあった女性と、事件を追う2人の女性刑事を描く。

このドラマがもたらす社会的意義ってかなり大きいと思われる。実際、自分も認識を大きく改めさせられた。ハードな社会派ドラマであると同時に、未解決事件を追う刑事ドラマとしても見ごたえがある。



1人の少女が自宅で就寝中、マスク姿の男に性的暴行を受ける。事件発生後、通報を受けた警察によって捜査がなされるが、あらゆる痕跡が消されており、証拠が全く出てこない。一方、事情聴取から得られる少女の発言は情報が食い違い、警察を困惑させる。次第に、守られるべき被害者に圧力がかけられ、結果、事件は「なかった」こととして片付けられてしまう。あり得ない話と激しい憤りを感じるも、劇中の未熟な少女はなすすべなく最悪な選択を迫られる。



その後、場面は変わって3年後の2011年。別の場所で同様の手口による暴行事件が発生する。捜査にあたるのは女性刑事だ。捜査を続けていくなか、偶然、同時期に別の場所でも同様の事件があったことを突き止める。その捜査にあたるのも女性刑事だ。捜査線上に上がった犯人像が同一人物である可能性が高くなり、2人の女性刑事による共同捜査が始まる。



普段知ることのない性的暴行事件における、被害者、警察捜査の動きが、コト細かに描かれる。そのディテールに、脚本段階での徹底したリサーチがうかがえた。同時に、本作にかける製作陣の強い想いが滲む。被害女性の意外に冷静な反応、恐怖に支配された状況下で記憶を辿ることの難しさ、無駄に繰り返される事情聴取、警察の正しい対応と正しくない対応、現場、犯人、そして被害者の体内に及ぶ捜査、セカンドレイプの怖さ、DNA捜査の種類と精度、「虚偽申告」という凶器。

レイプは疑いようのない犯罪行為だ。心と体に大きな傷跡を残す。加害者がどう弁解しようが、被害者の心情が真実になるべきである。しかし、多くの傷害事件と違って、その真実を曇らすことがある。人が持つ偏見だ。本作で登場する被害者たちは、年齢、人種、体形、容姿、全てが異なる。レイプは弱者への最たる暴行の1つであり、それは女性だけではなく、男性が被害者になる場合だってある。「この人が襲われるはずはない」「合意のもとで行われたはず」は恥ずべき偏見であり、傷ついた被害者を痛めつける思考だ。



3年前に少女に起きた事件と、2人の刑事によって捜査が続けられた事件。その道を分けたのも、1つの偏見である。物的証拠が出てこないなか、被害者を貶める証言が出てくる。「問題児」のフィルターを通して少女を見ることになった刑事たちは、彼女の発言を「虚偽申告」として確信する。担当した刑事たちは悪徳刑事ではない。無自覚に正義を見失った。

性的暴行事件は、男性よりも弱い女性が圧倒的に被害者になりやすい。男性が全く活躍しない本作において、フェミニズムに振り過ぎているという見方もあるけれど、間違いなく男性と女性では被害者に相対する感情が異なると思う。このような傷害事件には、必ず女性が被害者をケアすべきであり、本作でもこの差は大きかったと思う。3年後の事件を捜査した女性刑事は、事件を解決するプロに徹しながらも、被害女性に最大限に配慮し傷ついた心情に寄り添うことを忘れない。

女性刑事のモチベーションは2つ。被害女性に一生残る傷跡をつけた犯人に然るべき償いを受けさせること、そして、二度と同じ被害者を出さないことだ。性犯罪のリアルを突きつける内容でありつつ、2人の女性刑事の執念の捜査を描いたドラマでもある。手がかりがなくなり捜査が行き詰まれば、別の角度から突破口を見出し、再び前進する。と思えば、再び振り出しに戻り、また新たな突破口を見出していく。一切の妥協を許さず、時に強行的な手段も辞さず、捜査を続ける2人の女性刑事がめちゃくちゃカッコいい。馴れ合いとは無縁の2人の刑事のクールなバディー感が素敵だ。



本作にかける想いは、当然キャストにも浸透している。被害にあった少女、2人の女性刑事を演じた3人が素晴らしい熱演を見せる。本作を見るきっかけがトニ・コレットだったが、まだまだこんな逸材にいたなんて。少女を演じたケイトリン・ディーヴァーと、捜査を牽引する女性刑事を演じたメリット・ウェヴァーだ。今年のエミー賞では間に合わなかったものの、ゴールデン・グローブ賞あたりではしっかり評価されてほしい。



2人の刑事の捜査は、3年前の少女の事件に影響をもたらす。警察が犯した誤りの大きさに愕然とし、少女にもたらした希望の大きさに胸を打たれる。最終話、時を超えて初めて会話する少女と女性刑事の電話シーンに熱いものがこみ上げる。刑事のあるべき姿がそこにあった。

【80点】
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第71回エミー賞が発表された件。

2019-09-23 14:09:49 | 海外ドラマ


日本時間の本日9月23日、第71回エミー賞の授賞式が行われた。海外ドラマウォッチャーとしては、見逃すことのできないイベントだが、今年のノミネート内容にあまり興味がなかったため、結果だけ確認した。

主要部門の受賞結果は以下のとおり。

 【作品賞】
  「ゲーム・オブ・スローンズ(第八章)」(。。。。)

 【監督賞】
  ジェイソン・ベイトマン「オザークへようこそ(シーズン2)」

 【主演男優賞】
  ビリー・ポーター「POSE」

 【主演女優賞】
  ジョディ・カマー「キリング・イヴ/Killing Eve(シーズン2)」

 【助演男優賞】
  ピーター・ディンクレイジ 「ゲーム・オブ・スローンズ(第八章)」

 【助演女優賞】
  ジュリア・ガーナー 「オザークへようこそ(シーズン2)」

 【脚本賞】
  ジェシー・アームストロング 「サクセッション」

 【リミテッド・ドラマ 作品賞】
  「チェルノブイリ」

 【リミテッド・ドラマ 主演男優賞】
  ジャハール・ジェローム 「ボクらを見る目」

 【リミテッド・ドラマ 主演女優賞】
  ミシェル・ウィリアムズ 「Fosse/Verdon」

最高賞は昨年に続き、「ゲーム・オブ・スローンズ」。個人的に有終の美とはいえなかったので、手放しでは喜べず。うーん、思い返すたびに残念に思う。最終シーズンというだけあって、かつてないほど演技部門にノミネートされていたが、結果は助演男優賞のピーター・ディンクレイジのみ(これで4回目!)。ただ、技術賞を中心に12冠を達成しており、テレビドラマとしてしばらくこの記録は抜かれることはないだろう。
監督賞と助演女優賞には「オザークへようこそ」のシーズン2。あまり面白くなかったのでシーズン1で観るのをやめたけれど、あれから面白くなったのだろうか。ほか、Netflixで見ている作品からは、「ボクらを見る目」のジャハール・ジェロームがリミテッドシリーズで主演男優賞を獲得。冤罪で逮捕された4人の少年のうち、最も過酷を強いられた1人を演じていて、彼のみ少年期から成年期を1人で演じていた。素晴らしい演技だったので、受賞が本当にうれしい。
ほかは全部見ていない作品。「POSE」は気になっていたのだけれど、FOXを見られる環境ではないので今年中に見ることもできないだろう。今年最も楽しみにしている「チェルノブイリ」は、下馬評とおり、リミテッドシリーズで作品賞を受賞。今月末からの放送開始が待ちきれない。「キリング・イヴ」のシーズン2からは、ジョディ・カマーが主演女優賞を受賞。シーズン1しか見ていないが、彼女のサイコぶりにすっかり魅せられた。シーズン2ではどんな表情を見せてくれるのだろう。
あと1つ、先々週に見たNetflixの「アンビリーバブル」が、とても素晴らしかったので配信がもう少し早ければ、このエミー賞でも大変な評価を得ていたと思う。
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ダーククリスタル エイジ・オブ・レジスタンス S1 【感想】

2019-09-21 15:46:44 | 海外ドラマ


凄い、めちゃくちゃ凄い。
後世に語り継がれるであろうエポックメイキングな作品。”人形劇”として製作されることに出資したNETFLIXが尊いわ。
その全てが職人たちの芸術作品あり、ワクワクが止まらない冒険ファンタジー。視聴後、メイキング映像を見て、これほど感動したのは初めてのことだ。

人形劇「ダーククリスタル エイジ・オブ・レジスタンス」の感想を残す。

各話50分、全10話。人形劇でこのボリューム。
今年放送されたGOTの最終章。そこで解消されなかったファンタジーへの飢餓感を本作が満たしてくれた。

30年前に製作された、同名人形劇映画の前日譚を描いた話。本作が配信される前に、そのオリジナル映画がNETFLIXで配信されていたので見たが、冒頭の10分足らずで世界観についていけずフェイドアウトしていた。

なのでオリジナルは未見。普段見慣れぬ人形劇であること、キャラクターデザインの癖が強いこと、細かく世界観が設定されていたことなど、なかなかすぐに入り込めなかった。夢中になり始めたのは3話目以降。最終話まで見終わったのち、あまり頭に入ってなかった1話目を見て、理解を深めた具合だ。



あらすじをざっくりいうと、未来か過去かわからない時代に、「トラ」という惑星があって、その惑星の生命の源泉が「クリスタル」という巨大な石にあり、そのクリスタルを悪用し、「トラ」を支配していた「スケクシス」族から、平和を取り戻すために、被支配族であった「ゲルフリン」族の面々が反乱を起こすという話。

導入部分でわかりにくいのは、主人公らしきキャラクターが複数いること。GOTほど複雑でないが、主人公は3人いて、それぞれ別の物語が平行して描かれる。スケクシス族の城で守衛をしている青年「リアン」、ゲルフリン族の中で主導的種族の女王の末娘「ブレア」、そしてゲルフリン族の中の地下種族であり、動物愛護女子「ディート」である。境遇が全く異なる3人が、時を同じくして導かれるように出会い、反乱の狼煙を上げる。



スケクシス族の造形は、鳥、あるいは、爬虫類な顔立ちで、醜く、明らかな悪党ヅラ。そして、実際に救いようのない生粋の悪党である。昔、トラの守護者であった「マザー」が彼らにクリスタルを預けてしまったことが不幸の始まり。彼らは常に、ズル賢く強欲で高圧的。そんな奴らが支配者として、ゲルフリン族から崇められる設定に違和感を覚えるが、そこが物語の起点になる。やや導入部の設定が入り組んでいるが、正義と悪が明確に区別されているため、展開はとてもシンプルに流れる。



似ていると感じるのは「ロード・オブ・ザ・リング」(「LOR」)。小さく非力で純粋なホビット族が本作のゲルフリン族にあたり、邪悪で凶暴な魔物たちが本作のスケクシス族。LORが、1つの指輪を巡る物語だったのに対して、本作はクリスタルを巡る物語だ。指輪もクリスタルも、状況によって、悪にも善にも振れる点も似ている。ただ、既視感みたいなものは全く見たらない。本作のデザイン、世界観があまりにも独創的で美しいからだ。

キャラクターは全て人形である。美術セットも現物である。背景や、特殊効果に一部CGが使われているが、その多くが職人たちの手仕事によるもの。オリジナル映画でも担当していたデザイナーが、本作のキャラクターのデザインを手がけ、若き職人たちが、それを手にとれる実物にしていく。デザイナー、彫刻家、メカニック、あらゆる職人の工程を経て人形は作られ、人形師と言われるパフォーマーたちによって、キャラクターたちの動きに命が吹き込まれる。勿論、人形だけではない、次々と移り変わるセットも、一瞬しか映らない、小道具、美術に至るまでだ。

いったい、この映像はどのように作られたのか、劇中、何度も頭を駆け巡る疑問は、最終話後のメイキング映像で明らかになる。想像の斜め上をいく緻密で膨大な製作工程があった。途方もないイマジネーション、技、労力、情熱の産物。当初、CGアニメとして企画が上がったらしいが、オリジナルの魅力が感じられないとして、NETFLIX側が「人形劇でやったらいくらかかるかな?」と、さらなる出資を提言。素晴らしい英断だ。結果、とてつもなく大きなプロジェクトに発展し、壮大な映像作品が完成された。

わざわざ人形劇にする意味がある。生身が実在する感触。見る人の感情移入が人形たちの動きを想像力で補完する。勿論、人形たちの表情は生命力にあふれる。喜び、驚き、辱め、恐れ、怒り、絶望、悪意、良心、勇気、慈しみ、愛、様々な感情の波が発せられる。声優たちの功績も大きく、リアン演じるタロン・エガートンをはじめ、そのキャスティングもかなり豪華だ。中でも、印象的だったのは、ブレア演じる、アニャ・テイラー=ジョイの声だ。非常に魅力的。少し鼻にかかった声で、柔らかく常に愛情を感じさせる声色、聡明で心優しいブレアにぴったりだった。

人形劇という制約を感じさせないほど、ダイナミックでスリリングなアクションが描かれる。お子様仕様ではない残酷な描写もあるため、万人にウケるドラマとは言い辛いが、未知の世界にワクワクするファンタジーの醍醐味を久しぶりに味わい、映し出される全ての映像に感動した。全話を通して本作を監督したのは、映画監督のルイ・レテリエだ。最近の映画より全然イイ仕事するじゃん(笑)。

次のシーズンへと繋がる終わり方だ。シンプルに続きが気になる。ただ、この膨大な製作工程を見ると、シーズン2が楽しみ!とシンプルには思えず、NETFLIXが資金繰りに失敗するのではないかと本気で心配になる。この時代、NETFLIXの映像を容易に視聴できる自分は幸運だとしみじみ思ったりする。

【90点】
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記憶にございません! 【感想】

2019-09-21 12:07:19 | 映画


笑ってホロリとさせる和製コメディの佳作。三谷映画の当たり作。現政権への皮肉もしっかり効いていて、程よい嫌味が気持ちいい。「この国の国民は変化を嫌う」はごもっともで、千葉の災害を放置した責任はどこへやら、支持率が上がったという意味不明な世論調査結果に思いを馳せる。国民の意に関係なく、政権の中で勝手に国の指導者が決まる日本のシステム。悪習としか思っていなかったが、そこを発想の起点として「最低の首相」を描くに至ったのが面白い。国民を「クソ」呼ばわりして、愚行の限りを尽くしてきた首相が、記憶を喪失したことをきっかけに、正しい首相に目覚めていく。目指すのは”理想の指導者”だ。映画はファンタジーなので、美しい夢を描いていい。本作はそれが許容される映画だ。改心した首相だけでなく、本作で重要な役割を担う秘書官たちも、忘れていた政治への情熱を取り戻していく。権力のしがらみ、通例に捕らわれるよりも、正直で誠実であることが、事態を好転させる鍵になる。理想論なのはわかるけど、見ていて嬉しかったし、こうあってほしいと思えた。「個人を幸せにできない男が、国民を幸せにはできない」と、個人レベルに落として政治家を描くのはアメリカっぽくて新鮮。ローリー演じる義兄の大抜擢など、後半のっかり過ぎと思える場面は多いけど、笑いのヒット率と、正義が勝利する痛快な展開で最後まで楽しめた。
【65点】
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草加健康センターに行ってきた件

2019-09-19 07:00:00 | サウナ


サウナの醍醐味は水風呂にあり。

現在、放送中の深夜ドラマ「サ道」が、職場の男子社員間でちょっとしたブームになっており、自身のサウナ活動にもハリが出てきている。週2で通っている地元のスポーツジムは、スパ施設も充実しており、天然温泉(内湯&外湯)があり、広いサウナもあって、温泉入浴後は、3セット~5セットのサウナ活動に入る。熱いサウナは、その後に入る水風呂への助走である。水風呂なくしてサウナには入らない。当然、地元のジムにも水風呂はあるが、サウナの広さに対して、水風呂が小さい。すなわち、大人数で入ると水風呂の水温が上がりやすい。9月に入ってもまだまだ30度超えの気温のため、水温が下がりづらく、いつもなら、18度から19度に水温なのに、20度~21度の水温に甘んじる。水温の設定を下げてほしいとスタッフの方にお願いするも、施設の機能上、難しいらしい。まだ暑い気候なので、サウナに入らない他の利用者も水風呂に沢山入る。すると、また温度が上がる。この悪循環が最近のストレスになっている。

で、このストレスを解消するために、少し足を延ばして、サウナも水風呂も充実した、温浴施設に行こうと思った。9月に遅めの夏休みをとるため「サ道」でも紹介された、埼玉県草加市にある「草加健康センター」と、静岡市にある「サウナしきじ」に行くことに決めた。そして先日「草加健康センター」に行ってきたので感想を残す。



平日、自宅から車で1時間20分。渋滞を避けて、日中の時間に向かったが、高速道路など幹線道路が密集するエリアを通らねばならないため、行きも帰りも渋滞につかまった。広い駐車場があると聞いていたが、狭い道沿いにあったのが意外だった。11時半に到着したが、駐車場には結構な台数が止まっている。評判通りかなり人気のある施設のようだ。

フロントで受付を済ませ、脱衣ロッカーへ。外観から築年数を感じるが、広い館内は清掃が行き届いていて清潔。期待に胸を膨らますも、たまたまだったのか、自分のロッカーがめちゃくちゃ臭かった(アンモニア臭)。これが今回の唯一かつ最大のマイナスポイント。出鼻をくじかれながら、いざ、浴場へ。

「サ道」ではもっと広く感じたが、結構こじんまりとした内観。しかし、ポイントはその多様性と品質である。体を洗い、いざ入浴。お目当ての薬湯風呂と、草津温泉の湯が最高だった。特に草津風呂。自分は過去に2回、草津温泉に行っていて、いずれも異なる宿で源泉かけ流し温泉を経験したが、遜色なしと言っていいほど濃厚だった。湯船に使った瞬間、酸性独特の「ピリっ」とした刺激に、「これこれ!!」とテンションが上がる。硫黄臭も大好物のため、堪らない。入館料1500円とやや高めだが、この草津風呂に入るだけでも価値があると思えた。

そして、お目当てのサウナだ。一言「焼ける」(笑)。室温は93度、湿度は30度くらいで、高温&ドライ。肌が焼ける感覚で、6分が限界だった。それほど汗は出ない。夕方以降に実施されるロウリュウ(湿度爆発)はきっと最高に違いない。体験してみたかった。サウナの入り口は狭いのに、中は驚くほど広い。三段の階層で、それぞれ十分な段差幅があり、周りを気にせずゆったりできる。また、サウナに入るたびに、専用のタオルマットを引くので、非常に衛生的。聞きしに勝るサウナだった。

火照った体を、水風呂で絞める。これが今回の最大の目的であったが、サウナが熱ければ、水風呂もかなり冷たい。水温15度と聞いていたが、ジャグジー風呂のため、体温膜ができることなく、瞬間冷却される。20秒が限界、それを超えると体が痛くなる。どーりで人があまり入っていないわけだ。水風呂に浸る悦びは束の間であるが、その後、外気浴すると、かなり気持ちいい。攻撃的ともいえる熱さと冷たさの応酬により、最速で”整う”ことができる。

5セットを終え、時間は1時過ぎ。お昼を食べるために、一時休憩。レストランと宴会場が一緒になっていて、地元のおじちゃん、おばちゃんたちによる、カラオケ大会の音量がすさまじい(笑)。お風呂で見かけた人は誰も見当たらず、地元民で埋め尽くされている。どこに座ればいいのか、どう注文すればいいのか、明らかに場違いな感じでオロオロしていると、近くにいたおばちゃんが「奥、空いているよ」と親切に案内してくれた。

メニューを見る。前情報にあった通り、かなりの品数で、一品一品こだわっている模様。値段は100円くらい高い印象だ。メニューを一通りみてキョロキョロする自分を見て、近くのおばさんが、スタッフの人をわざわざ呼んでくれた。お水はセルフで、給水機は「ホシザキ」だ。しっかり水が冷たくて美味しい。冷水で乾いた喉を潤しながら、5分くらいで注文した「豚丼」が到着。味はまあまあだが、丼モノ用にご飯が固め(もろタイプ)で、お肉がボリューミーだった。温浴施設でこれだけのクオリティだったら大満足だ。




その後、再び、入浴、サウナを満喫し、15時過ぎにセンターを後にした。14時過ぎあたりから、人が増えてきたので、11時~13時くらいが、人が少ないゴールデンタイムだったのかも。滞在時間は3時間半、本当に楽しめた。館内着支給や、アメテニティの充実度、行き届いたサービス、スパ施設の徹底した管理などを考えれば、やっぱ1500円は決して高くない。また時間ができたら、リピートしたいと思う。

サウナ  :★★★★☆
水風呂  :★★★★★
草津温泉 :★★★★★
アメニティ:★★★★☆
アクセス :★★☆☆☆
ロッカー :☆☆☆☆☆
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アス 【感想】

2019-09-14 07:00:00 | 映画


相変わらず独創的な物語だ。万物には表と裏があって、その裏の犠牲があって表が活かされているという切り口が面白い。過去のホラー映画のオマージュを交える余裕もみせ、”恐怖させる”ホラー映画としてのレベルは前作以上。しかし、同時にコメディも練りこまれる。笑って恐怖し、恐怖し笑っての連続。伏線回収も気持ちよく、ジョーダン・ピールが優れた脚本家であることが再び証明される。これからも映画界を牽引していくに違いない。

ある日、自分と全く同じ人間が突如現れ、自分の人生を支配しようとしたらどうなるか。鏡に映った自分が、実は別の人格で違う反応したらどうなるか。。。。ひたすら恐怖。本作の場合、コミュニケーションが取れない人格として登場するから、なお怖い。それぞれのキャストが1人2役で演者としての腕をみせる。白人家族のお母さんを演じた、エリザベス・モスの怪演が個人的に最も怖かった。

結構な序盤から、彼らは登場する。彼らが現れた謎を抱えながら、襲われる一家のサバイバルが描かれる。不可解で不条理な展開に一気に引き込まれる。段階を踏んで、物語のスケールが拡大するのもスリリングだ。笑いを誘う展開も用意され、無力と思われた一家のド根性な反撃が楽しい。特に一家のお父さん、主演のルピタ・ニョンゴと合わせ、ブラック・パンサーのあの人だ。

早々に、一家が無事に生還するのがわかる。安全圏にいることがわかった途端、スリルが損なわれるが、それ以上に中盤以降の間延び感が気になる。一家を襲う彼らが、殺るのか殺らないのか、釈然とせず、一家を泳がせているように見えるからだ。周りの状況はもっとサクサク進んでいるようだ。主人公が特別な存在であることが1つの理由になるかもだけど。

種明かしは都市伝説のようなもので、捉え方によっては前作同様、社会問題のメタファーにも映る。監督はインテリな人なんだな。自分は細かい考察よりも、シンプルにその独創性に惹かれた。ただ、終盤の説明描写は過多であるように思え、鑑賞者の想像力で補完したほうがスピードは落ちなかった。全体的に、あと20分くらい縮められれば、もっと集中力も持続したはずだ。音楽やカメラワークといった映像センスはより磨かれており、監督の次回作がまた楽しみになった。

【65点】
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フリーソロ 【感想】

2019-09-13 07:00:00 | 映画


目撃するのは2つの奇跡。一つは主人公のフリーソロの成功。もう一つはその成功をカメラに収められたことだ。「スリルマニアの所業」と少し斜に構えていた自分は、完璧に打ちのめされた。主人公の心理はあくまで常識的で、偉大なプロクライマーであることが示される。彼が求める完璧な達成感は、命をかけなければ得られないもの。現代に生きる”超人”の姿に、恐怖と感動で震えた。同時に、大きなリスクを背負いながら、本作を完成させた製作スタッフたちの勇気と英断に拍手を贈りたい。

昨年の北米での公開時の評判と、オスカー受賞により、期待値が高かった本作。結果、とんでもない映画だった。生の被写体と対峙するドキュメンタリー映画としても、計り知れない価値がある。

命綱となるロープや一切の道具を使わず、己の肉体1つで岩山の崖を登る「フリーソロ」。当たり前だが、自然は人間用に作られていない。その地形に挑む行為は、いわば不自然であり、足を踏み入れれば肉体を破壊する危険性をはらむ。そこにあえて挑戦するクライマーは、どんな人間なのか。「高所が好き」「スリルが好物」といった異質な人種を想像していたが、まるで違った。

本作の主人公であるプロクライマーのアレックスは、ヨセミテ国立公園にある、岩壁エル・キャピタンをフリーソロで制覇した。本作では、その挑戦の過程を数年がかりで追いかけていく。エル・キャピタンの高さは900メートルであり、彼が登頂したショットから、その全景を捉えようとカメラが俯瞰すると、彼の存在が見えなくなるほどに巨大だ。しかも、岸壁の角度はほぼ90度、その岩肌は長年の風化により、ツルツルの状態で、吸盤でもついてない限り、普通の人間は張り付いていられない。

彼がフリーソロに挑むモチベーションは、クライミング中のプロセスにはない。ゴールの達成感を得るためである。その成功のために、徹底的な準備を行う。ロープを使った状態で、クライミングを繰り返し、どのルートを辿るべきか、体力、時間の配分、手足の指の1本単位に及ぶ筋肉の使い方など、膨大な情報を体に覚えさせる。それでも、ルートのあちこちに避けては通れぬ難所が点在し、ロープをつけていても通過することができない(落ちる)。ロープをつけた予行演習に成功したとしても、絶対的な安全はない。本番でのミスは即、死につながる。

ミスを引き起こす要因は、内的要因と外的要因に分けられる。検査結果によって明らかになる、恐怖を感じにくい脳の構造が興味深いが、ナチュラルボーンな体質ではなく、長年の鍛錬により、脳が発達した結果だという。よって、恐怖による委縮でパフォーマンスが下がる可能性は低い。問題は外的要因。クライミング中に目にゴミが入ったら?虫に刺されたら?風が吹いたら?など、あらゆる可能性が頭をよぎるが、本作の場合、どれもあてはまらない。最大のリスクは、彼の挑戦をカメラで捉える撮影スタッフたちの存在だ。

フリーソロに挑んできたクライマーは、その挑戦を他人に見せることなく、秘密裏に実行する。集中力を維持するため、そして、失敗した時の死に様を人に見せないためだ。実際に多くの優れたクライマーが、フリーソロに挑戦して命を落としている。撮影スタッフを率いる監督も、クライマーであり、アレックスとは友人の仲。撮影することに合意を得ているが、死に関わる挑戦であるため、アレックスとの距離感に慎重になる。「自分たちが邪魔なら言ってほしい」とアレックスに何度も伝える。

撮影の有無に関わらず、アレックスはフリーソロに挑戦する。彼のタイミングでなされるため、撮影スタッフとの約束を守らず実行し、機会を逃す可能性がある。もちろん、撮影中、失敗して彼が死にゆく姿を撮影する可能性もある。最も恐れるのは、その失敗が、撮影スタッフの存在が影響した場合である。”ゾーン”の状態を長時間維持しなければならない挑戦だ。万一、失敗してしまったら、自分たちの存在が彼の集中力を欠く原因になったのでは?と自責する結末も考えられる。生死を賭けた挑戦を前に葛藤する監督、撮影スタッフの姿に、生きた被写体と対峙するドキュメンタリー映画の究極形をみる。

クライマックスのクライミングシーンは、文字通り言葉を失う。手と足のわずかな感触に命を預ける感覚。。。。岸壁の角度がエグい。彼の後方は空中だ。ちょっとでも手を離せば、真っ逆さまに落ちてあの世ゆき。体が硬直し、冷や汗が滲む。重力がこれほど重く感じられたことはない。リアルの凄みが画面から襲い掛かる。そして、彼が求め続ける”完璧”な達成感を目の当たりにする。

鑑賞後、彼のインタビュー記事を読んだ。この挑戦の成功について「奇跡」と言われるのが心外らしい。彼は運のよいクライマーではなく、優れたクライマーを目指しているからだ。撮影のプレッシャー、あらゆる不測の事態をもクリアするために武装するのは、綿密な準備と圧倒的な自信。それでも、失敗する確率のほうが高かったと思え、再び挑戦したら彼は生きて戻って来れないかもしれない。”長く生きる義務はない”、彼の死生観の上に成り立つ奇跡の偉業としか思えないのだ。

【85点】
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ブラインドスポッティング 【感想】

2019-09-11 07:00:00 | 映画


”この映画にはアメリカの現実(リアル)がある”的なキャッチコピーはよく見るけれど、本作ほどアメリカ社会の問題を的確に集約させた映画も少ないのでは。人種差別だけじゃない。そこに銃社会と格差社会が加わるから、手がつけられない毒薬になってしまう。自由で平等な社会をボーダレスに実現させることは想像以上に難しい業だ。ストーリーはとてもわかりやすいのに、いくらでも掘り下げられる逸品。自身の乏しい考察力が残念。

主人公の黒人青年「コリン」は、とある事件をきっかけに投獄され、そののち、保護観察付きで釈放される。保護観察期間に問題を起こさず、平和に過ごせば、晴れて自由の身となる。本作では、その保護観察期間、残り3日間の間に起きる主人公の”サバイバル”が描かれる。

何も問題を起こさなければ良いだけだ。簡単なミッションに思えるが、主人公の周りの環境がそうさせない。周りの親しい友人たちの手にはドラックや銃がある。

舞台はカリフォルニア州にあるオークランドという都市で、あとでWikiで調べたら、人種の混成率が高い場所で有名らしい。本作の主人公には、プライベートでも仕事でも常に行動を共にする親友「マイルズ」がいて(極楽の加藤似)、彼は肌の色が違う白人だ。主人公とは幼馴染であり、異なる人種同士が同じ隣人として暮らし、分け隔てなく生活している地域社会が伺える。なお、彼らが暮らす街は割と貧しい地域のようで、アフリカ系が多く、マイルズの奥さんもアフリカ系だ。マイルズは、自他ともに白い「ニガー」といっている。但し、マイルズ側から黒人を「ニガー」と呼ぶことは頑なに嫌う。

一方、人種差別も同時に根付いていて、3日間で起きる事件の幕開けは、主人公が偶然、警察による傷害事件を目撃してしまったことによる。以前に頻繁に日本でも報道されていた、丸腰の黒人を警察官が銃殺するパターンだ。厄介ごとを避けるコリンは、そのままやり過ごすこともできたはずだ。しかし、本作が面白いのは”怨念”を主人公にまとわせたことだ。他人ゴトでは済まされない重大な問題として、主人公を巻き込む。

最近、アメリカの銃による無差別殺人事件が多発している。アメリカはどんなに人が殺されようが、銃を手離さない。己の防御として、銃を持たなければならないとする。全く理解ができない価値観であるが、本作のマイルズも、家族を守るためにと言いながら、まるで玩具を買うように銃を手にする。一瞬で人の命を奪い、誤爆も容易な凶器だ。本作で見られる様々なターニングポイントも、銃の存在が前提条件として関わっており、銃を無くすことが絶対的な正義と再認識させる。

コリンとマイルズの人種を超えた友情ドラマが本作の軸だ。清々しくもあり、時に、大きな痛みを伴う関係だ。真面目な黒人青年と、粗暴でキレやすい白人青年というコンビ。騒ぎを起こすマイルズと一緒にいることが、保護観察中のコリンにとっての最大のリスクになる。マイルズが「噴火」し、コリンが火消しに入るパーティーシーンは、人種間の見えない先入観、そして人種間にある無自覚な劣等感を晒すようだった。タイトルの”盲点”は、同じ環境で同じ時間を過ごしてきた2人の、肌の色が違うことで食い違っていた景色を指しているのだろう。やがて明らかになるコリンが逮捕された経緯が、”盲点”に気づかせるきっかけとなる。

主演の2人が本作の脚本を書いている。セリフの説得力の強さが違う。クライマックスの魂のラップに圧倒され、観る者の偏見が試される。対立が対立を生むアメリカ社会で、融和の道は遠いのか。。。。本作は希望で締めてくれる。「青汁も慣れれば悪くないじゃん」。

【70点】
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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 【感想】

2019-09-07 13:22:46 | 映画


正義の歴史改変はハリウッドに愛と希望を捧げる。
タランティーノの偏愛が、これほど綺麗に多幸感に繋がるのは稀有なパターン。明らかな傑作。落ち目の俳優と、昇り調子の新人女優、日陰のスタントマン、3人のキャラクター設定が見事。3者の物語がほとんど絡まないのは予想外で、それぞれの独立したドラマから、映画に生きた夢追い人たちの足跡を多面的に振り返る。ディカプリオ、ブラピ、マーゴット・ロビー、個々の溢れ出る輝きを愛でるも良し、ディカプリオとブラピの夢の2ショットに悶絶するも良し、中毒性の強いタランティーノ節を味わうも良し、69年の時代の熱気に呑まれるのも良し、シンプルに映画愛に浸るも良し。贅沢な160分だった。上映時間をチェックせずに見たため、終電を逃した。真夜中の家路を2時間歩くことになったが、映画が面白かったので良かった。

つい一週間前に見た「マインド・ゲーム」のシーズン2。本作に近い時代設定で、収監中のチャールズ・マンソンが登場、シャロン・テート事件についても軽く振れられていた。この史実が本作で扱われることは知っていたものの、その渦中にディカプリオとブラピ演じる架空のキャラが放り込まれたため「どうなるものか」と心臓がバクバクした。彼らにはバッドエンドを踏んでほしくないという一心だったからだ。

かつてないほどにキュートなディカプリオと、久々に色気みなぎる男を演じたブラピ。この2人が最高に魅力的だ。脆く感情に流されやすい俳優「リック」と、その男を公私にわたり支える冷静沈着なスタントマン「クリフ」。クリフに泣きつくリックの姿に吹き出す。対照的な2人は固い絆で結ばれているが、互いに人生の正念場を迎えている。ドラマの主演俳優から、脇役へと落ちていくリックは再起の目途が立たない。どんな役にも全力で挑むが、撮影現場では失態を晒す。己を責めながらも、アルコールをちょい飲みするシーンが絶品。ディカプリオ、コメディを演じさせても一流だわ。一方、自身の生き方を曲げられないため、周りと衝突してしまうクリフは仕事を干される。頼みのリックが落ち目だから、共倒れは必至の状態。かつての栄光は、リックの演技力とクリフのスタントの賜物だった。

そんな中、リックの住まいの隣に新人監督と新人女優のカップルが越してくる。監督は若き日のロマン・ポランスキーで、「ローズマリーの赤ちゃん」でその才能が高く評価されたばかり。女優の名はシャロン・テートといい、駆け出しの新人女優で映画では端役以上、脇役未満の立ち位置。芸能人が集まるパーティに夜な夜な繰り出しているが、町を歩いても顔を指されるほど有名人ではない。彼女が登場するシーンも限定的だ。しかし、そのわずかなシーンにハリウッドの夢が詰まっている。スクリーンに映し出される自分の演技を見て、観客が歓喜する、その様子を見て彼女は嬉しそうに微笑む。タランティーノがこんな素敵で優しいシーンを用意するとは思わなんだ。

未来ある女優に悲劇をもたらしたのが、チャールズ・マンソンを指導者とするカルト集団だ。日本でいうオウム事件に近い話。クリフと若い女子の楽しいドライブから、急激に雲行きが怪しくなり、クライマックスで作動する爆弾の導火線が見えてくる。史実通りに描くのであれば、悲劇で終わる。そこに史実には存在しない、リックとクリフというキャラが堂々とのっかってくる。緊張がピークに達したのち、まさかの展開にド肝を抜かれる。思えば、「イングロリアス~」も「ジャンゴ」も同じだった。せめて映画の中で、正義をもたらしたいタランティーノの想いが痛快に具現化される。本作の正義はさらにハリウッド、そして映画の未来に繋がっている。

粉砕、擦りおろし、焼き上げ、過剰なタランティーノのバイオレンス描写にニヤついてしまう。逆に相手が気の毒に思ってしまうほど(笑)。嬉しかったのは、常に日陰の存在で不器用にしか生きられないクリフに”華”をもたせてくれたことだ。クライマックスでは彼が紛れもなく主人公だった。クリフ演じるブラピがカッコいいの何の。さび付いたオープンカーで爆走するシーンしかり、屋根のアンテナ修理で衰えぬ肉体美を見せるシーンしかり、愛犬と戯れ、ドックフードの缶を開けるシーンしかり、「乙女たち見てよ」と容赦ない鉄拳をお見舞いするシーンしかり。。。そして、裏方として生きる男の陰りが常に滲んでいる。ひたすら魅了された。来年のオスカーでぜひ受賞してほしい。

【80点】
コメント (1)
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