から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

ババドック 暗闇の魔物 【感想】

2015-10-31 18:00:00 | 映画


ネットフリックスにて。面白い。秀作のホラー。
母親と幼い息子の二人に「ババドック」という魔物が襲いかかる話。というのが、映画の外観だが、解釈によってあらすじが変わるので面白い。

のっけから息子が凶暴だ。自身の感情をコントロールできず、すぐに泣きわめき、破壊と暴力によって衝動を満たそうとする。母親の制止も利かず、周りの子どもたちにもケガをさせる始末。息子役のキャスティングと熱演が素晴らしく、子どもの異常性が既にホラーを香りを漂わす。母親は息子の対応に苦労しながらも、息子をかばい、愛し続けようとする。子どもの誕生日が夫の命日という背景が切なく、母親と子どもの距離に暗い影を落とす。

ある日、自宅で見慣れぬ本が見つかる。「ババドック」という魔物について記された絵本だ。母は子どもに読み聞かすが、その内容はいわゆる呪いの本で、読んだ人間が、ババドックに取り込まれ、死を欲するというものだ。母親は「気味が悪い本」と一蹴するが、息子はそれ以来ババドックに執着する。息子は次第にババドックの存在を感じるようになるが、母親は子どもの妄想癖が出たと頭を悩ます。

ここからの展開がユニークだ。ババドックはその存在を否定する者に取り込むという特徴があって(普通は逆)、ババドックの狙いは母親側に向く。母親の息子に対するコンプレックスと、ババドックによる支配が折り重なる。夜は眠れず、精神をすり減らす。愛しいはずの子どもに暴言を吐き捨て、子どもの脅威に変貌してしまう。

そこでふと思う。この光景は母親の育児ノイローゼではないかと。おそらく、本作の監督ジェニファー・ケントが女性であるということと無縁ではないだろう。女性が持つ母性と、それでも抑えられない哀しい衝動を恐怖の形として見せているのではないか。そしてまた、ババドックという存在はなく、すべて主人公の精神状態のなかにある空想とも捉えられる。
ラストのオチは非常に意外なもので、今後の母と子ども幸せと不幸、どちらにも振れてしまう危うさとユーモアが同居する。本作が海外で高い評価を受けたことも納得の映画だった。

しっかりとしたホラーでありながら、家族のドラマを描き切る手腕に、監督ジェニファー・ケントはホラー以外の作品を撮らせても一流なのだと思えた。

【65点】
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PAN ネバーランド、夢のはじまり 【感想】

2015-10-31 10:00:00 | 映画


ファンタジーといえばディズニー映画だ。ピーターパンを描いた物語ということで、これまたディズニー映画と思いきや、なんとワーナー映画が配給しているとのこと。ワーナー映画といえば、近年「パシリム」「ゼログラ」「インター・ステラー」「マッドマックス」など、才能ある監督による傑作を生み出し続けている製作・配給会社だ。「ファンタジー」というあまり馴染みのないジャンルだが(ハリポタ以来?)、どう化けるのか気になっていた。監督の名前を見るとジョー・ライト。前作の「アンナ・カレーニナ」の残像があり、危険な匂いがした。

本作では、ピーター少年が、どのようにして空飛ぶ永遠の少年「ピーター・パン」になったのかという経緯を描いている。

自分が覚えている「ピーター・パン」の物語は、少女ウェンディの前に現れたピーター・パンがネバーランドに彼女を連れ出すところから始まって、妖精のティンカーベルと共に、鉤づめのフック船長と戦うというものだ。そのなかで印象に残っているのは、登場人物たちの飛翔シーンであり、その能力をもたないウェンディはピーター・パンから飛ぶ方法を教わる。「楽しいことを思い浮かべるんだ」と、なんとも素敵な方法である。ピーター・パンという物語には、空を自由に飛び回るという人間が持つ普遍的な夢が不可欠だ。そして、本作でも飛翔シーンを見せ場とし、様々な創意工夫がなされている。

ピーター少年は孤児だったという設定で、孤児院で寝ている最中、人さらいのためにネバーランドからやってくる海賊たちに誘拐される。驚いたのは、その一連のシークエンスで、現実世界と架空世界の垣根をなくしている点だ。海賊船は地球上の空中に浮遊していて、戦時中だろうか、未確認飛行物体とみなした空軍が海賊船を迎撃しようとする。空軍の猛追を受けながら、空飛ぶ海賊船がイギリスの空中を滑走するシーンがダイナミックで楽しい。3D表現を活かしたアクションも実に効果的だ。現実世界からネバーランドへ移動するシーンも、まさからの宇宙跨ぎで、イメージを裏切る描写の数々にワクワクする。

しかし、その後に舞台を移したネバーランドから調子が悪くなる。
悪い予感は的中で、ジョー・ライトはビジュアルのセンスがあまりないみたいだ。

ピーター少年のお出迎えとばかりにニルヴァーナが大合唱され(なぜ??)、白塗りヅラ被りで道化師にしか見えないヒュージャックマンが「ようこそネバーランドへ!」と高らかに宣言。ピーター少年の絶対絶命のシーンでは「なんとなく」空中浮遊に成功。黒ひげから逃れ、たどり着いた原住民居住区の美術のチープさ。原住民たちのリアクションの騒々しさ。出てくるクリーチャーはアニメーション。原住民と海賊の攻防は派手なお遊戯会のようだ。目に飛び込む映像がことごとく幼稚に見える。大人も満足できる画にしないのはなぜだろうと頭を抱える。

極めつけは、クライマックスだ。ピーター・パンと妖精の関係は密であるはずなのだが、その絆の形成を目に見える形で表現しない、。妖精の国の危機を救う流れの延長でしか描いておらず、元々その火種を作ったのはピーター少年自身だったりする。そもそも妖精たちの造形が「虫」であり、ピーター・パンと同じ位置づけにいない。海賊たちへの逆襲は、妖精を使ったまさかの「エアベンダー」で「そんなやり口あるかーい!」とズッコケてしまった。一番盛り上がるシーンなのに、同じアクション一辺倒で片づけてしまうのも雑だ。ピーター少年が、ピーター・パンに覚醒する瞬間も、もっとドラマチックに見せられたのではないか。フック船長との友情がきっかけになるところまでは良かったのに。

今回、ピーター少年を演じたリーヴァイ・ミラー君は、実に良い面構えをしていて、弱さを見せるのも強さを見せるのも、どちらも器用にこなせる俳優だと思えた。帽子を被った時の「ピーター・パン」の完成度がきわめて高く、彼のキャスティングは大成功だったといえる。あと、意外な発見だったのはフック船長演じたギャレット・ヘドランドの見事な収まり具合だ。気恥ずかしさも感じさせるファンタジーの中で、ピーター少年の兄貴的なキャラを違和感なく好演。彼が持つ渋くて太い声色がファンタジーの世界でも活きていた。ヒュー・ジャックマンとルーニー・マーラについては、どちらも巧い俳優だが、本作にキャスティングされた狙いはよくわからず。ルーニー・マーラは有色キャラ(原作)を演じることに抵抗はなかったのかなー。

普通に見ていれば、ピーター少年とお母さんの愛情物語まで行き着くはずなのだが、それまでの道のりに失望が多く、正直あまり頭に入らなかった(隣の女性は感涙)。映画館で見る娯楽作として一定水準はクリアしていると思うが、いろいろと勿体ない映画だったと思う。

アメリカ本国では、公開3週目にして製作費の5分の1も回収できていない深刻な状況になっているみたい。製作費は1.5億ドルという大規模予算だったらしいのだが、正直、どこでそんなにお金がかかっているのかわからない。ファンタジーも監督のセンスが問われるのだと強く認識した。

【60点】
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ビースト・オブ・ノー・ネーション 【感想】

2015-10-29 09:00:00 | 映画


キャリー・ジョージ・フクナガが映画界に戻ってきた。その復帰作は、戦争から生み出される「野獣」の姿を新たな視点で照射した衝撃作。現実に目を背けることのない脚本と演出に、フクナガの本作に賭ける想いが滲む。ズドンと胸を撃ち抜かれた。傑作。 ゲリラ部隊の指揮官を演じたイドリス・エルバのパフォーマンスが強烈。

アフリカの架空の国を舞台に、紛争に巻き込まれた幼い少年が、ゲリラ兵になっていく姿を描く。

本作は史実ではなく、史実に着想を得た完全なフィクションだ。戦争に至る社会的な背景描写は省かれ、少年の目から見た世界に絞られる。なので、「敵」「見方」といった構図がほとんど出てこない。そして、アフリカに留まらず、現在も世界のどこかで続く「人間が同じ人間を殺戮する」という現場のリアルを抜き出し、1つ物語として構築。ストーリーこそフィクションだが、そこで展開するドラマには嘘がなく、人間の確かな血と体温が通っている。

物語の舞台となる国は紛争の渦中にあったが、主人公のアグーが暮らす村は中立地帯にあり平穏に暮らしていた。アフリカの人たちの大らかで陽気な気質が眩しく、家族、友人たちとの笑顔の絶えない日々が描かれる。一日中遊び回り、わんぱく坊主なアグーにとってはまさに楽園の世界だ。しかし、ある日を境にその世界が一変する。楽園が地獄に変わるのだ。こんなにも簡単に世界は変わってしまうのかと言葉を失う。ルールを破棄して、政府軍が中立地帯に攻め込んでくる。国民を守るべき政府軍とは名ばかりで、彼らは無差別の殺し屋集団だ。愛する家族が目の前で一瞬のうちに殺される。命からがら逃れたアグーは悲嘆と絶望のなかで森をさまよう。その途中、若い青少年たちで構成されたゲリラ部隊に襲われる。彼らに捕えられ処刑される間近で、その部隊を統率し「コマンダー(指揮官)」と呼ばれる男に救われる。男は言う「兵士になって、殺された家族の復讐をしたくないか?」。

「マインドコントロール」ではない。「洗脳」という言葉が、辛うじてあてはまるかもしれない。少年は、家族を殺した相手に対して、おそらく憎しみよりも恐怖が先立っていた。指揮官の誘いに対しても、その場をやり過ごす選択であったと考えるほうが自然だ。誰にいつ殺されるかわからない世界で、見方を見つけ、その集団に取り入ることが、非力な少年の生き残る術であった。その後、少年を兵士に育て上げる訓練が始まる。土着の呪いや暴力により、恐怖心を植え付け、迷いをなくすことが訓練の目的である。兵士としてのあるべき掟は「ピュアであること」。しかし、訓練だけでは兵士にはなれない。通過儀礼が必要になる。コマンダーがその手引きをする。「この頭はメロンと違って堅いから、力を込めてナタを振り下ろさないとダメだ」と言う。それに応えた。肉体が裂ける感触が細い腕に伝わる。アグーは無抵抗の人間を殺す感覚を初めて知る。

「神よ、許されない罪をおかしました。だけど、正しいことをしたとも思うんです」
少年の自我は残っていた。相手は復讐すべき相手ではなかった。憎しみでもない恐怖でもない、もう1つの感情が芽生えた。そして少年を侵食する。

 太陽よ、なぜこの世を照らす?
 僕はこの手でお前をつかみ、
 その光をすべて絞り出してやりたい
 そうすればこの世は暗くなり、
 ここで起こる悲惨な光景を誰も見ないで済むから

虐殺、暴力、ドラッグ、レイプ、虐待・・・アグーの目の前に広がる世界は、汚く惨たらしいものばかりだ。アフリカの赤土は鮮血でその色を濃くする。監督のフクナガは、目を背けることなくその世界を詳細に描きこみ、観客の目の前に突き出す。それはときにショッキングだ。一方で、映し出すのは、少年の悲壮な姿だけではない。ゲリラ部隊の中で、コミュニティーでの絆を実感し、戦いのなかで生きることを謳歌するシーンも捉えられる。とくに、アグーの相棒役である、口の利けない少年「ストライカー」との友情関係は温かくも切ない。ストライカーの存在は、アグーが生の重みを知る糧となる。戦争に翻弄され「戦いを終わらせるためには死ぬしかない」と悟る少年がいた。子どもでいることも、子どもに戻ることもできなくなった少年の姿から、忌わしい戦争の姿が見えてくる。

監督フクナガにとって、長編作品はこれで4作目だ。30代という若さにあって、早くも成熟味を感じさせる脚本と演出力だ。1作目の「闇の列車、光の旅」で完全なオリジナル 作品を手掛け、2作目の「ジェーン・エア」で古典劇のリメイクを手掛け、3作目ではテレビ界に進出し「TRUE DETECTIVE」で刑事ドラマを手掛けた。「TRUE DETECTIVE」は、ドラマの製作概念を変えたと言っても過言ではなく、その手法はドラマの完成度に結実した。4作目となる本作では、再び映画に戻り、「戦争モノ」という、これまた過去作品とは異なるジャンルに挑戦したが、彼の作家性はブレることはなく、本作もまた彼にしか撮れない作品に仕上がっている。本作では撮影監督まで兼任しているため、彼のセンスをとりわけ強く感じる。ジャングルの豊かな自然と光を操り、戦いに明け暮れるゲリラ兵たちを照らす。主人公の視点を保った戦場のライブ感は熱気を帯び、アグーの小さい鼓動を手離すことなく、ときに幻想的な映像を織り込みながら、殺人者となった少年の内面を描き出す。

フクナガが描く世界の幹となり、強い存在感を放つのが、 主人公演じるエイブラハム・アターと、指揮官演じるイドリス・エルバだ。戦争に引きづり込まれた結果、新たな人格を身につけ、歪な成長を遂げた少年を、エイブラハム・アターが体現する。そして、本作の最大の引力はイドリス・エルバの怪演だろう。その迫力にただただ圧倒される。彼が演じる指揮官の役割は、未熟な少年たちを統率し、戦いへの士気を高め、自らの野望のために利用することだ。イギリス生まれの流暢な英語を封印し、アフリカ訛りの癖のあるイントネーションを駆使して、パワフルにリズミカルに兵士たちを鼓舞する姿が目に焼きつく。恐怖と羨望を集めるカリスマを演じるとともに、紛争という国家権力の闘争の中で歯車でしか生きられない男の哀愁を漂わす。イドリス・エルバは、助演としてオスカーにノミネートされて然るべきだと思う。

映画の内容には関係ないのだが、本作はNetflixで鑑賞。自宅のテレビを介して観たのだが、アメリカと同時公開の新作映画を自宅のテレビで見られるなんて、夢にも思わなかった。凄い時代が来たものだ。しかも、これほど優れた映画が、映画スタジオではない、映像配信会社が製作してしまうなんて驚きだ。Netflixでの映像製作の利点については、監督の自由度が挙げられているけれど、デビット・フィンチャーがNetflixでハウス・オブ・カードを手掛けたように、優れた映像作家がスタジオの縛りなく作品作りができる環境は歓迎すべきだと思う。ただ、興行収入(映画館興行)を当て込む映画界とは、バチバチの対立関係にあるようで(そりゃそうだ)、本作もそれが原因でアカデミー賞をはじめとする映画賞から無視される可能性が高い。

観る側としては微妙なところで、本作のような完成度の高い映画については、映画館で観ないと勿体ないと思いながらも、早くに観られることの恩恵を感じたりする。一番良いのは、他の先進国と同じくらいのスピードで、日本での公開時期が早まることだけれど。

【85点】
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ヴィジット 【感想】

2015-10-28 09:00:00 | 映画


今年、劇場で一本もホラー映画を観ていないことに気付き、本作をチョイス。シャマラン映画ファンではないため、ホラー映画として観ることに。。。。「恐怖」というよりは「ビビらせ」型ホラー。いきなり驚かせて悲鳴を上げさせるお化け屋敷に近いかも。その演出手法は小手先に見え、ホラー映画としては凡作の域。ドラマ不足を補う要素が、ユーモアだけでは不十分。観客の想像力に頼りきった構成と、煽りに煽ったあげくの結末に、強いフラストレーションを感じる。

シングルマザーに育てられた2人の子ども(姉弟)が、母親の両親(祖父母)の家に訪れ、その家で体験する恐怖を描く。

子どもたちの母親は祖父母と絶縁関係 にあったため、彼らは祖父母に初めて会うことになる。祖父母の家は携帯電話の電波も届かない辺境にあり、広い農場地に囲まれ、近隣住居も見当たらない孤島みたいな場所にある。祖父は農業をして、祖母は精神カウンセラーをしているらしい。子どもたちを温かく迎えた祖父母だったが、さまざまな奇行が始まる。目撃した子どもたちの好奇心が疼くが、それが次第に恐怖心に変わっていく。

子どもたちにとって祖父母は見知らぬ相手である。普通に考えれば、血縁関係にある親族といえど大切な子どもを預けるわけだから、事前にどんな相手か、外見などを双方に共有して然るべきだろう。姉の趣味は動画撮影で、弟の趣味はラップだ。姉が撮影しようとする動画はドキュメンタリーレベルで撮影するには早熟過ぎるし、ツルっとした幼い白人少年が黒人ばりのラップを刻むことに違和感がある。なくはない設定なのだが、リアルよりも描きたい物語のための設定だろう。POV撮影に代表されるように「わざわざどうして」というツッコミが前提にあるが、本作はホラー映画なので怖がらせてくれれば、それで良い。伏線の話は別だが。

ホラーの源泉は祖父母の異様さだ。子どもたちは自分たちの祖父母ということで安心していたが、気味が悪い奇行を目の当たりにする。祖父母のイメージが崩れ底知れぬ恐怖心を抱く。しかも、その奇行はときに突発的で予断を許さない。「穏やかで優しい」おばあちゃんとおじいちゃんのイメージが「気持ち悪さ」に転じるのは容易なことで、ホラーの絶好のネタになる。そして、笑いのネタにもなりやすく二度美味しい。老人とホラーの相性の良さは、過去のホラー映画でもこすられてきたことなので特に新鮮味はない。本作の絵は確かに怖いが、瞬間、瞬間での単発攻撃に終わるので芯に利いてこない。不穏な空気でいっぱいになる中盤以降は抗体もできてしまう。祖父母とシングルマザーの関係は勿論のこと、子どもとシングルマザーの関係も軽薄に見える。それよりも気になるのは「祖父母はいったい何者?」という疑問だ。

「シャマラン映画」という看板を無視しても、その疑問の解消に執着させる作りになっている。「オチ」が知りたくなるのだ。そのオチは二段あると思っていて、一段目は中盤くらいで予想がつく。なので、それが明かされる瞬間は「やっぱそうだったのね」と怖がりもしない。気になるのは二段目だったが、二段目はなかったらしく、そのまま終幕となり肩透かしを食らう。近年のシャマラン映画を思えば、一段目のオチでも上出来といった具合だろうが、平凡過ぎてまったく面白くない。そして、とにもかくにも煽り過ぎ(苦笑)。オチではなく、伏線のためのネタが多く出てくるが、全てを回収していないようだ。「オーブン」のクダリがわかりやすい例だが、何かがありそうで何もない。答えはなく、不可解なシーンに観客をザワつかせるのが狙いか。「引っかかったな」と、シャマランの得意顔が浮かんで腹が立つ。そんなに巧くないですから。

狙って差し出されるコメディも笑えない。出てくるのは苦笑だ。老人の恐怖と笑いの表裏は想像の範囲だし(オシリは別)、弟が張り切って刻むラップは笑うよりもダサくて寒い。いったい少年に何をやらせているんだと気の毒にすら思う。想定外に老人たちの非力ぶりが露呈されるが、もっと面白い魅せ方があったのに、あれではシリアスなシーンと捉えられてもおかしくない。やりすぎるくらいがちょうど良い。弟が芸能人の名前を言ってリアクションをとるのって、何ソレ?だ。つまらないし、わかりづらい。

ホラーの魅せ方は一見センスがあるように見せて、どれも既知感のあるものばかり。ホラー映画として一定の怖さは味わえるものの、それ以上に満たされぬ気持ち悪さと、振り回された不快感が強い。あと、POV撮影については飽きられてきているので、相当な付加価値がないと手を出しちゃダメだ。

【40点】
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Room 【気になる映画】

2015-10-25 10:00:00 | 気になる映画


今月から始まっている北米での話題作映画の公開ラッシュ。賞レースを狙える注目作が期待通りの評価を得ている。

そのラインナップは、リドリー・スコットの「オデッセイ」、ロバート・ゼメキスの「ザ・ウォーク」、ダニー・ボイルの「スティーブ・ジョブス」、スピルバーグの「ブリッジ・オブ・スパイ」といった、いわゆる名匠と言われる監督たちのタイトルばかりだ。
しかし、そんな中、先週より公開された映画で、個人的に注目していたタイトルが、それらを上回る絶賛評を浴びている。「今年最高のインディーズ映画」と言われている。

「Room」(原題)という映画だ。

「Room」という部屋に監禁され、生まれ育った母と子どもが、外の世界に脱出し、一般の社会生活に適応しようとする話らしい。
実際にあった事件を基にした同名小説の映画化らしい。シリアスなドラマだが、暗く閉塞感に陥ることなく、希望ある感動のヒューマンドラマに仕上がっているとのこと。

そのレビュー数はまだ100に達していないものの、現時点のロッテントマトのスコアは96%のフレッシュを獲得。また、先に開催されたトロント映画祭では並みいるタイトルを押しのけ、堂々の観客賞を受賞している。同賞の受賞は、過去にアカデミー賞の作品賞に多く繋がっていることから、一気にアカデミー賞の本命に名乗りを上げた格好だ 。

監督は、前作でマイケル・ファスペンダーが被り物キャラを演じた「FRANK -フランク-」を手掛けた、レニー・エイブラハムソンだ。「FRANK -フランク-」は北米での批評家からの好評とは裏腹に、観客の支持を得られなかったが(自分も全くハマらず)、本作はロッテントマトのオーディエンスのフレッシュは93%で、映画ファンが観ても楽しめる内容になっているようだ。

そして、主人公の母を演じるブリー・ラーソンと、その子どもを演じたジェイコブ・トレンブレイへの大きな賛辞が飛び交っている。トレーラーを観ると2人のエモーショナルな演技の一端が見られる。ブリー・ラーソンの演技を観ると泣きそうになるな。。。

2013年の「ショートターム」にて、ブリー・ラーソンがアカデミー賞にスルーされたことを根に持っているが、本作では、ノミネート確実どころか、受賞最有力との声が挙がっている。ファンとしては嬉しい限りだ。子ども役のジェイコブ・トレンブレイは、トレーラーを観ると、可愛らしい女の子なのだが、本人も役柄も男の子のようだ。彼の空を見上げるイノセンスな眼差しが印象的だ。

非常に気になる映画だ。

日本公開は、「ショートターム」の時と同様にまだ未定である。アカデミー賞に絡めば、近くのシネコンでも上映してくれるだろう。今後の賞レースの行方を追っていきたい。


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海にかかる霧 【感想】

2015-10-25 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
1998年、不況にあえぐ一隻の漁船が金策のために中国から朝鮮人を密入国させるという話。韓国映画らしい見応えのあるサスペンス。最近このぐらい骨のあるサスペンスを日本映画でめっきり観てないな・・・・
船の所有者であり船長でもある男にとって、代々受け継がれてきたボロ船は自分の命にも等しい。そこに乗り込む乗組員たちは家族のようなもので、彼らには生活するための給与を渡さなければならない。不漁と船の機能劣化により行き詰まった船長は密航という禁じ手をとる。大量の生身の人間を隠しながら運ぶのだ。そもそも危ない橋であったが、密航中、取り返しのつかない事故が起きる。その直後、海に霧がかかる。霧は罪を隠し、人を惑わし、狂気を船内に密閉する。それぞれの欲望に憑かれた人間たちのサバイバルが始まる。
韓国ならではの強い上下関係が下地にあり、その船における選択と判断はすべて船長に委ねられる。その命令は絶対であり、まさに船上の「大統領」だ。船長は乗組員を守る使命を負い、本作で描かれる船長は、正義や倫理よりもその使命を優先する。しかし、彼が下した決断は巧くいくはずはなく、事故が発生した時点で終わりが見えている。が、人間はあがく生き物だ。そして盲目になる。悪転する事態を止めることができない。
本作では、スリラーを醸成するために、漁師たちの気質を少々デフォルメしている感があるが、あの極限化であれば、人間の心理は想像の届くところにはないのだろう。海上という限られた状況下で描かれるドラマだが、2時間という長尺を牽引し続ける力は、さすが韓国映画。ラストの切り方に余韻が残る。船長演じたキム・ユンソクの迫力、怖かった~。
【65点】
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トゥモローランド 【感想】

2015-10-24 22:34:37 | 映画


新作DVDレンタルにて。
科学に長けた中年男と若い女子が「トゥモローランド」といわれる未来都市に向かう冒険劇。
予告編の内容からディズニー映画らしい、夢見るSF映画をイメージしていたが、かなりメッセージ性が強い内容だった。それも結構ありきたりだ。
中盤までは良かった。遊園地は未来都市の入口であり、その先には空飛ぶ乗り物が行き交うドラえもんで見た世界が広がる。ブラッド・バードらしい3次元のアクションも豊富に、ワクワクする絵が続く。時代が現代に移っても、玩具屋での攻防や、中年男の自宅での脱出劇など、やや、アニメ描写に寄りすぎたアクションが気になるものの、興味の持続力は落ちない。ラフィー・キャシディ演じる少女ロボットもキュートで楽しい。
しかし、終盤のトゥモローランドに到着してから鈍化する。人類の未来が明らかになるのだが、「説教」にも聞こえる解説がやたらと長い。当然、絶望のままに終わるわけではないので、そこから、人類を救う展開へと流れるのだが、トゥモローランドの設定の説明不足も手伝い、非常にわかりにくい。そこで繰り広げられるアクションも、未来都市の造形を活かしきれず、想定外に地味だ。ジョージ・クルーニー演じる中年男と少女ロボットのロマンスは、ジョージ・クルーニーに童貞臭を感じないため、入り込めない。「投げ捨て」もいかがなものか。。。
希望あるラストのために、トゥモローランドへの招待状であるバッジを世界中の人間に配るクダリも、その人選対象は「夢を見る人」ではなく「才能ある人」ではないか。それって差別?と、ディズニー映画らしからぬ印象を抱いた。
【60点】
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ジョン・ウィック 【感想】

2015-10-20 10:00:00 | 映画


北米公開から1年越しの日本公開。DVDスルーにならなくて良かったーと安堵し、人生初となる2DをIMAXで観ちゃうという贅沢を本作で体験した。北米での大ヒット&絶賛レビュー通りの面白さ。そして、ひたすらに痛快。「キアヌ復活」にはまだ様子見が必要だが、クールなキアヌにすっかり魅了された。やっぱ男子は強い男子に憧れてしまうのだ。その華麗なアクションは勿論のこと、殺し屋稼業という異世界の作り込みがユニークで楽しい。

物語はシンプルだ。亡き妻の忘れ形見である愛犬を殺された男がその復讐を遂げようとする話である。

ガソリンスタンドで男が運転する車に対して「その車、売れよ」とチンピラが絡む。「売りモノじゃない」と断られたことに腹を立てたチンピラは、その男の家に強盗に入る。お目当ての車を奪うため、男をフルボッコにして飼われていた愛犬まで殺してしまう。チンピラは得意気に奪った車で凱旋する。その車を見た同業者が血相を変える。「誰の車か知っているのか?」と。。。車を奪った男の正体が判明する。男はかつてその業界で名を轟かせた伝説の殺し屋だったのだ。「たかが一介の殺し屋(ブギーマン)だろ?」とチンピラは言うが、ちょっと違う。男はブギーマンを殺すブギーマンだった。要はトンデモなく強い殺し屋ということ。愛犬を殺された伝説の男は当然怒り狂う。そして、その怒りにマフィアたちが戦慄する。ヤバい相手を呼び覚ましてしまった、と。

知られざる主人公の背景が解き明かされていく、この一連のシークエンスが堪らない。事件を起こしたチンピラの親であるマフィアボスが、バカ息子に鉄拳制裁を加えながら主人公の伝説を語るシーンと、主人公が自宅地下のコンクリをハンマーで粉砕し、かつての商売道具の封印を解くシーンがフラッシュバックのように交互に重なる。マフィアの恐怖と主人公の怒りの往復ビンタのように作用し、物語のボルテージが一気に上がる。分かっていた展開だったのに、興奮で鳥肌が立ちっぱなしになる。面白くてゾクゾクする。まだ何も始まってないのに期待感が膨らむ。掴みはOK。最高の下準備があってこそ、メインディッシュが美味しい。

主人公の「ジョン」のターゲットは、愛犬を殺したチンピラ一味のみだ。その主犯格であるマフィアの息子を差し出 してくれればコトが済む。一方、マフィア側は、主人公「ジョン」に対して恩義に近い借りがある。救いようのないバカ息子であるが、その命を奪うのであれば、先にジョンの命を奪うしかなくなる。1人対マフィア組織の戦争が始まる。屈強なマフィアたちに加え、ジョンの同業であった殺し屋たちがジョンの暗殺に乗り出す。だが、そこでジョンの力が証明される。まー強い(笑)。気持ちがいいほど強い。特筆すべきはジョンの攻撃スタイルだ。殺し屋の仕事は相手の命を奪うことであり、デキる殺し屋はその最短ルートを知っている。脳天、もしくは心臓に弾丸を打ち込めば良い。ジョンのアクションを見ているとそれがよくわかる。無駄のない動きの中に、殺し屋として培われた技が練り込まれているのだ 。

監督はスタントコーディネーターとして活躍していたというチャド・スタエルスキー。「マトリックス」でキアヌのダブルスタントを務めた経験もあり、どうすれば、キアヌのアクションが映えるかを知り抜いている。細身のキアヌの体系にあったアクションはキレ味とスピードだ。その特性を最大限に活かしたアクションがスクリーン狭しと躍動する。日本での公開が決まっていなかった頃だが、「キアヌ、ジョン・ウィックでのアクションはスタントマン任せだったと告白」というニュースを見て驚いたことを思い出す。日本での公開が決まってからは「キアヌ、ノースタントで撮影」という話に変わっているみたいだ。夏に公開されたミッション・インポッシブルでトム・クルーズが体を張ってしまったことで、俳優自身がスタントすることが美しいみたいな風潮があるけど、自分は本作の真実が前者の「スタントマン任せ」であっても凄いことだと思えた。観ていてスタントマンだとわからなかったし、それがスタントマンのプロの仕事だからだ。スタントマン出身の監督だけあって、スタントマンに仕事をさせている方が真実味があったりする。また、アクションはリアクションの上に成り立っていることも実感する。キアヌの華麗なアクションも殺られる側のリアクションによって、その迫力が増幅される。殺られる側も雑魚一色ではなく、力の濃淡がはっきりしていることも見応えに繋がっている。

そして、本作でのアクションと同じくらいに面白かったのは、マフィア世界とは独立した位置にある、殺し屋世界の作り込みだ。それは 、ジョンだけでなく殺し屋を生業とする人たちのルールや美学といったものがきちんと整備されている点にある。完全なファンタジーなのだが、ユーモアもたっぷりでとても面白い。ジョンの復活に「おかえりなさい」という世界があり、殺し屋として守るべきルールと、守らなかった時のルールが、ジョンが活躍する展開に巧く作用している。ジョンVSマフィア組織という構図だけではない、ジョンと同業たちとの関わり合いが、ストーリーをさらに盛り上げる。異なるモチベーションで描かれる後半の復讐劇は、さながら任侠映画のようにも見える。

本作で久々の成功を収めたキアヌ・リーブスは、その演技力はさておき、クールな佇まいが絵になる人だ。齢を重ね、哀愁を漂わせることもできる。無精ひげを蓄え、長髪をオールバックにして、タイト目の漆黒スーツをスタイリッシュに着こなす。演じたジョン・ウィックの個性に助けられている点も大いに感じるが、まさに当たり役といったところだ。他に印象的だったのは、マフィアのバカ息子を演じたアルフィー・アレンだ。この人、ドラマのゲーム・オブ・スローンズでも同じような役を演じている。卑怯で愚劣で好色、そして悲惨な末路を辿る(笑)。役者として損なのか得なのかわからないけど、ここまで役柄が偏ってしまうと、私生活でも「悪い奴と思われがち」みたいな支障が出るのではないかと心配してしまう。

アメリカでの大ヒットを受けて続編が決まっている本作。個人的にリーアム・ニーソンの「96時間」を初めて観たときの感動に近いものがあって、プロットの面白さが1発目の爆発力になっていると思う。なので、「96時間」同様、2作目以降が成功するとはあまり思えない。とりあえず本作がDVD化されたら、もう一回観たいと思う。特に、序盤のゾクゾクする語り口をもう一度堪能したい。

【70点】
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ボーダーライン 【気になる映画】

2015-10-20 08:00:00 | 気になる映画


年末まで3ヶ月を切り、賞レース狙いの期待作が北米で続々と公開している。そしてその多くが批評家の好評を得ており、期待していた映画が「やっぱり面白い」という太鼓判を押されている状況だ。

その口火を切ったのが、「Sicario」(原題)だ。今月に入って北米での拡大公開が決まって早々に日本での公開が決定した。邦題のタイトルは「ボーダーライン」だ。

メキシコの麻薬カルテルと警察の攻防が激化するなか、FBIの女性捜査官がカルテルのボスを逮捕するためのミッションに加わるという話らしい。

原題の「Sicario」はメキシコで「殺し屋」を意味する言葉らしい。そのまま邦題にすると変な感じになるため、主人公が過酷なミッションを通じ て、善悪の境に苦悩する様子を表現して「ボーダーライン」としたらしい(たぶん)。トレーラーを観る限り、どうやら、大変凄みのあるクライム・サスペンスに仕上がっている模様。監督は「灼熱の魂」の成功を機に、「プリズナーズ」「複製された男」でハリウッド俳優たちを起用した作品を生み出しているドゥニ・ヴィルヌーヴ。

現時点における、ロッテントマトのスコアは93%のフレッシュを獲得。堂々のオスカー賞レース参戦っといった感じだ。
特に、主人公演じるエミリー・ブラントと、主人公の手助けをする傭兵役を演じたベニチオ・デル・トロは、それぞれ主演女優と助演男優の部門でノミネートが確実視されている。実力派として注目しているエミリー・ブラントがようやく日の目を見るようで嬉しい。

日本公開は来年の4月で、あと半年以上待たねばならないのが残念。

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マイ・インターン 【感想】

2015-10-19 09:00:00 | 映画


ナンシー・マイヤーズの6年ぶりの新作となる「マイ・インターン」。久々に映画館でハリウッドらしい上質なラブコメ(?)を観た。笑ってホロリ。心地良い空気に身を任せた2時間。ラブコメの脚本においてはハリウッドの右に出るものはないなーと再実感。

通販会社を経営する若き女性社長と、会社の福祉事業として雇った70歳の新人(インターン)の交流を描く。

邦題と原題が違う。邦題は「私のインターン」、原題は「ザ・インターン」。邦題はアン・ハサウェイが主人公の位置にあり、原題はインターン役であるロバート・デ・ニーロが主人公だ。日本でのアン・ハサウェイ人気にあやかった邦題だと理解したが、案の定、観始めるとデ・ニーロ演じるインターンの視点からストーリーが語られている。では、デ・ニーロが主人公かというと、そうでもなく、ラストはアン・ハサウェイの視点でまとめられており、W主演という言い方が適当だろう。そして、本作はどちらの視点からでも楽しめるような映画になっている。

仕事を引退し、妻を亡くし、ありとあらゆる趣味に挑戦するが、どうにも心が満たされず「自分を持て余す」70歳のベンが、何の縁もないアパレルのネット通販会社にインターンとして応募し、採用される。しかもその会社の従業員はみんな若い。彼が求めていたのは社会に必要とされることだ。彼が社会との関わりを持つためにビジネスマンたちが集まるスタバに行くのが可笑しい。ベンの姿を見ていると、仕事というのは社会貢献の1つなのだなぁとしみじみ思う。自分が今やっている仕事も俯瞰すると社会のためにやっている活動なのだろう。もっと責任感をもって仕事をせねばと、自身を戒める。

もう1人の主人公であるジュールスは、一代で200名越えの会社を築いた、一見、ヤリ手の社長である。本作を観る前に「プラダを来た悪魔の続編みたい」といったレビューを見かけたけど、ジュールスは、プラダ~でメリル・ストリープ演じた上司とは全く異なる印象だ。彼女は未熟な経営者として描かれている。1年半という短期間で個人事業を企業事業に変貌させ、まさにアメリカンドリームを実現させたわけだが、経営者としての経験のない彼女は、その爆発的な会社の成長にスキルが追いついていない。彼女の経営により現場の対応はパンク状態。彼女の仕事のキャパもパンク状態で、愛すべき家庭にまで悪影響を及ぼす。外部からCEOを迎えようとする選択は、必然的に見える。

新しい世界に飛び込んだベンと、大きな決断を迫られるジュールス。二人の転換期が重なる。その後、ジュールスの直属の部下となったベンが、彼女の人生の手助けをしていく展開は予想通りであったが、ジュールスを導くベンのキャラクターに強く魅かれた。誠実かつ謙虚で、人として器が大きい。人当たりもよく、好奇心が旺盛で新しい価値に対して素直に受け入れることができる柔軟性を持っている。そして、長年の人生経験に裏打ちされた志向に含蓄がある。「正しいことは迷わずやれ」というモットーのもと、自身のスタイルを貫き通すことができる勇敢さを持ち合わせている。一言でまとめると、カッコいい。人の心を掴むのもあっという間だ。自分もあーなりたいと憧れる。

ジュールスとの会話のなかで、ベンのこれまでの人生が解き明かされていいくのだが、豊かな人生(プライベートと仕事)を送ってきたことが、そんなベンの人柄を形成してきたことがよくわかる。ベンがジュールスの会社に応募した、もう一つの理由が明らかになるシーンが感動的だ。「嫌じゃないの?」というジュールスに対して、「そんなことはない、懐かしいし、リフォームされたみたいで気持ちがいいよ」という会話が素敵。また、ベンからジュールスという一方向だけではなく、ベンもまた、ジュールスの才能と努力に感化されている点も見逃してはならない。ジュールスの仕事ぶりに感動したからこそ、ベンが導き出した助言に説得力が出るのだ。

映画俳優として数々の伝説を残してきたデ・ニーロの、肩の力の抜けた好演が光る。顔面の皺を最大限に活かした微笑み顔に、嘘っぽさがまるで見あたらない。穏やかでチャーミングな紳士役が見事にハマっており、とても新鮮だ。アン・ハサウェイは久々のコメディフィールドで、役を楽しんで演じているようだ。多くのキャリアを経験し、成長した女性として自信と力強さも垣間見える。デ・ニーロとアン・ハサウェイの息の合ったコンビネーションが楽しく、観ていて気持ちがよい。

そして、彼らの個性を活かす脚本がしっかりしている。悪い奴が誰も出てこないというマイヤーズらしい作りで、どのキャラクターに対してもその濃淡はあれど論理的な背景をもたせているため、展開が胸に支えることがない。特に、過ちを犯したジュールスの夫については、「わかるな~」と共感を持って観てしまった。各登場人物のキャラ設定がブレることもなく、ベンがジュールスの夫の現場を目撃しても、誰かに告げ口するようなセンスのないことは決してしない。このあたりの描き方は日本映画のラブコメだったら、平気で語り尽くしてしまうところだ。

欲をいえば、もう少し、ベンとジュールスのやりとりにスパイスを効かせてくれてもよかったかもしれない。最後の結末も、彼女の覚悟と家族のサポートによって、会社の運営危機が解決されるというまとめ方はやや弱いと思うが、そこはベンのサポートで何とかなるのだろうと消化した。

ベンとジュールスの友情を通して、見えてくるのは「人生を楽しめ」というポジティブなメッセージだ。働く女性だけではなく、男女問わず、前向きに生きることを後押ししてくれる、そんな映画だった。

【65点】
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ファンタスティック・フォー 【感想】

2015-10-17 08:00:00 | 映画


「クロニクル」で北米興行1位の最年少記録を作り、映画界に旋風を起こしたジョシュ・トランクの新作。メジャーデビューを楽しみにしていた若手監督だったが、製作期間中に「スタジオ(20世紀FOX)との確執により製作中断」などのニュースが流れ、暗雲が立ち込めた。そして北米で公開されるやいなや、大ブーイングの嵐。。。「クロニクル」ファンとしては、作品がどうであろうと見届ける覚悟だった。その結果、案の定、酷い映画だった(笑)。作品の評価どうこう以前の問題で、映画として完成していない。

同名タイトル映画のリメイク作だ。体が伸びる男、透明になる女、火だるまになる男、岩になる男。MCUで勢いに乗るマーベルヒーローの中でも、ひと際コメディー 色が似合うキャラクター構成だ。なので、2005年のオリジナルでの描き方はある意味、正しかったのだと思う。本作はオリジナルの2作目から8年しか経ってないタイミングだ。そのタイトルをリメイクする価値として、本作では新機軸を打ち出す。それはシリアス路線だ。そして、そこにジョシュ・トランクが監督として起用された意味がある。

鬱屈したリアルな青春ドラマに、超能力というファンタジーを織り込むことに成功してしまった「クロニクル」。その作家性は本作でも継承されている。まず、完全な大人(あるいはオヤジ)たちであった主人公たちは、一同に若返りをみせ、高校生にシフト。何に関しても冒険的であり、友情や恋愛にデリケートな世代だ。衝突し、傷つき、苦悩する姿が絵になる 。そのドラマを描くためには十分な下地が必要であり、本作ではまだ若い主人公の幼少期までに遡り、彼の個性が形成された背景と、親友との友情が育まれた背景が描かれる。高校生になって研究所にスカウトされてからは、1人の女子を巡って、主人公ともう1人の男子ビクターの間で摩不協和音を奏でる。どれもリアルで共感性の高い描写であり、「クロニクル」で感じたジョシュ・トランクの演出が効いている。傑作の予感。。。

しかし、中盤から様子がおかしくなる。いや、結果的に言えば後半部にあたるのだが、惑星「ゼロ」に取り残されたビクターが地球に帰還するや否や、ひと暴れして、さっさと元の惑星に戻る。。。「おいおい何のために地球に戻ってきたんだ?」と一旦苦笑しながらも、その後の展開で 論理的な説明と挽回を期待するのだが、そこから急落下でクライマックスに入ってしまう。「まさか、これで終わらないよね?」とハラハラするが、その心配が現実のものに。。。エンディングを迎え、唖然とし、狐につままれた気分になる。中盤にあるべきシークエンスがぶった切られているのだ。スタジオとジョシュ・トランクはこの映画を投げ出したのではないか。思え返せば、変貌したビクターの造形もあまりにもお粗末だ。

「ジョシュ・トランクの奇行がひどく、現場のコントロールができていない」と怒るスタジオ。「思うような作品作りをさせてくれなかった」と文句を言うジョシュ・トランク。どちらに否があるのかわからないけど、両者の確執が本作の完成度に影響したことは明らかだ。天下の20世紀FOXが この映画で「OK」を出すはずはなく、「クロニクル」を撮ったジョシュ・トランクがこんな仕上がりで自身のキャリアを棒に振るはずはない。

主人公演じるのはマイルズ・テラーだ。童貞臭漂うオタク天才を巧く演じ、友人想いの心優しいキャラを好演している。オリジナルではセクシー路線にあったスー役は、本作ではケイト・マーラが演じる。本作では露出のないスーだったが、ドラマHOCでの残像が自分の頭の中にあったため、程良いエロスを感じた。岩男役のジェイミー・ベルの出演は全然知らなかったが、岩男への変貌後は、彼の個性が完全に消されてしまっているため非常に残念。あと、マイルズ・テラーとジェイミー・ベルの身長差にけっこう驚いた。調べたらマイルズ・テラーが180オーバーの高身長だったことがわかった。

オリジナルと違い、自らが得た能力を受け入れることができず、ネガティブな感情を引きずりながらも地球を守る戦いに身を投じていくプロットは新鮮で全然アリだった。シリアス路線でも面白い映画に仕上げることも可能だったはず。今回、プロデューサーが脚本も兼任していたことが、ジョシュ・トランクの映画製作スタイルに合わなかったのかもしれない。いずれにせよ、今回の大失敗により、映画界から干されてしまうには勿体ない逸材である。また低予算映画でも良いので、ハリウッドはジョシュ・トランクに映画を撮る機会を与えてほしいと思う。

【50点】
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バクマン。 【感想】

2015-10-16 10:00:00 | 映画


今年の日本映画の中で一番楽しみにしていた「バクマン。」を観る。
3作連続、大根映画にハズレなし。お見事っす(笑)。やられた。
エンドロールを見送り、心地よい高揚感と共に、やはり映画は監督次第なのだなぁ~としみじみ。
そして完成度の高いパンフに感動。パンフレット・オブ・ザ・イヤーは本作でキマリだ。

同名漫画の実写映画化だ。原作は未読。なので、原作との差異はわからない。
大根仁の映像作品は、テレビドラマ「湯けむりスナイパー」以降、テレビドラマを含めて追っかけているが、そのほとんどが漫画原作モノであり、監督自身が漫画好きであることがよくわかる。自分が唯一、原作を知っていた「モテキ」のドラマ&映画を観て感じたのは、原作の世界観を踏襲しつつも、その再現に終わらず、原作を知らない人が観ても見応えのある実写作品に仕上がっている点だ。別の言い方をすると映像作品が先で、原作を読みたくなるという作品が多い。それは、原作の解釈を誤ることなく、ときには映像作品用に必要なアレンジを行い、確実な演出をもって映像化いるからだと思う。そして、本作でもその手腕を如何なく発揮してみせた。

ド直球の青春映画であり、知られざる漫画のお仕事解説映画であり、まさかのスポ根映画であった。
欲張り過ぎともいえる、これらの要素を必要なピースとして盛り込み、温度差を変えることなく1つの物語として紡いでいる。そして、それらが「友情」「努力」「勝利」というジャンプが掲げる編集方針とリンクしている という充実ぶり。最後はしっかりとカタルシスで着地。一言、「秀逸」。大根監督は脚本を磨きに磨き抜いている。

冒頭から掴まされる。膨大な歴代ジャンプの巻頭をバックに、主人公二人のナレーションで、出版業界におけるジャンプの地位と、その王者への道のりをまくし立てるような口調で一気に解説する。頭の中がジャンプでいっぱいになると共に、「ドラゴンボール」や「スラムダンク」の連載当時、毎週の発売日を楽しみにしていた当時を懐かしむ。本作で提示されるジャンプの販売部数は、1990年代後半をピークに現在まで販売部数を落としていくわけだが、それでもジャンプ漫画の影響力は今も揺るぎないのだろう。

現在の日本のテレビドラマを見渡すと、漫画原作モノばかりだ。原作ファンを取り込む狙いも考えられるが、何よりも面白い物語がそこにあるからだ。海外でも日本の漫画は大変な人気である。日本という国で、なぜ面白い漫画が生み出されるのか?本作ではその背景の一端が描かれる。それは、漫画家と編集者の共同作業と、ライバルである漫画家たちとの熾烈な競争である。面白い漫画が売れるのではなく、売れる漫画が面白いとされ、どんなに優れた漫画家も売れなければ淘汰されてしまう厳しい世界だ。売れる漫画を生み出すには編集者の目が不可欠であり、漫画家と一緒に作品を完成させていく。もちろん、売れる、売れないかの最終的な判断は、読者の反応次第だ。リリース後、週単位で集計される読者の人気投票によって明らかになるが、この徹底した顧客主義とスピード感が他の出版物とは異なる点であり、漫画の完成度に起因しているのだろう。そして、そのランキングの上位獲得は漫画家同士が連載枠を奪い合う競争でもある。

主人公たちの目標はライバルを打ち負かし、読者投票でトップを獲ることだ。読者と対峙すべき漫画家が同業同士で何をやっているのか?と頭をよぎったりするが、投票の結果によって決まる勝負は、イコール読者層の支持を得ることであり、漫画家同士の競争関係がきちんと読者層にも繋がっていることに気づかされる。ジャンプが読者に読まれる多くのシチュエーションを俯瞰的に捉えたシーンもちゃんと効いている。主人公たちのライバルは「天才」と評される同年代の漫画家だ。天才的に面白い王道漫画を描く。「天才じゃない俺たちは邪道で勝負するんだ」の言葉に胸がすく。タイト ルは「この世は金と知恵」(笑)。開眼した主人公たちの快進撃が始まる。主人公たちが漫画に挑む脳内イマジネーションを表したシーンに鳥肌が立つ。面白い映像表現の追及ではない。漫画家たちの見えざるダイナミズムを表現するために、あの映像表現が必要だったのだ。

しかし、主人公たちの快進撃は長くは続かない。待ち受けるのは苦難だ。経験の浅い彼らのスキル不足が、締め切りという呪縛で悲鳴を上げる。インクは漫画家たちの血でできているのか。コシュコシュコシュと描くたびにGペンが発する摩擦音は肉体を削る音にも聞こえる。「心血を注ぐ」という言葉は漫画家のためにあるのか。体力が枯渇し、ボロボロになる。それでも立ち上がる。情熱を超えた完全燃焼なくして勝利を叶わない。「 あしたのジョー」の「真っ白」を彷彿とさせる。そんな彼らを後押ししたのは、恋であり、友情だ。特に本作では後者が強く残る。「サイコー」と「シュージン」の友情、主人公たちと編集者の友情、漫画家たちとの友情、そして何より、ライバルとの友情が心を打つ。対立関係ではなく共闘関係だったと思えた。漫画に賭ける者同士にしか生まれない共鳴が深い感動を与える。

大根作品のキャスティングは本作でも抜群の冴えをみせる。主人公の演じた佐藤健と神木隆之介のキャスティングには「旬」や「人気」という理由よりも、強い必然性を感じた。悲壮の中に情熱を滾らせることができる佐藤健と、クレバーで根明(ネアカ)なキャラを自然体で演じてしまう神木隆之介だ。特に、空回りしがちなシュージンの言動を違和感なく演じてしまう神木隆之介の器用さに驚かされた。ライバルである新妻エイジ演じた染谷将太の可笑しさと不気味さを湛えた天才の体現に目を見張り、主人公たちの兄貴的な立場である編集者を演じた山田孝之の実在感に引き込まれる。山田孝之演じた編集者は、物語を回す上で潤滑油みたいな役割も果たしており、これぞ助演と言えるような素晴らしいパフォーマンス。山田孝之はやっぱり巧い。「渇き。」での悪印象が強かった小松菜奈は、本作のヒロイン役にマッチしており、大根監督の狙いであろう「漫画のヒロイン」みたいな女子像になりきることに成功している。

原作は全20巻の長編だ。2時間の映画に納めるためには省略が必要である。おそらく原作では、「サイコー 」と同じくらいのレベルで、「シュージン」の人物描写もあったのだと思う。シュージンの描き込みが省略されたようにも思えるが、映画としては本作の構成で正解だったと思う。捨てたというよりは、サイコーに重心を置かせたというべきかもしれない。「描く」という作画行為は、漫画の核心であり、「サイコー」を中心に物語をプロットしたほうがまとまりやすいはずだ。シュージンを同列で描いていたら、おそらくこれだけの疾走感を維持することはできなかっただろう。

冒頭から最後まで「漫画愛」で貫かれた映画でもあった。ラストの結末は「スラムダンク」で山王戦に勝利した湘北メンバーの姿に重なる。エンドロールのラストカットまで見事に仕上がっており、日本映画としては今年屈指の満 足度だ。そして、購入したパンフレットが大当たり。映画同様、かなり拘った作りになっている。装丁のユニークさ、構成デザインの面白さ、内容の充実度、どれも素晴らしく、思わず映画を観ていない知人にも自慢してしまった。キャスト、スタッフの紹介では、1人1人の「思い出の漫画」が紹介されており、ここでも漫画愛が貫かれている。大根監督にとって本作が特別な映画だったのだと実感するとともに、この映画への愛がさらに深まった。

【80点】
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オレンジ・イズ・ニュー・ブラック シーズン1 【感想】

2015-10-16 08:00:00 | 海外ドラマ


Netflixのオリジナルドラマ3本目。
「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」の感想を残す。

厳密にいうと「ブラッドライン」や「デアデビル」を観たりしたが1話目で離脱。やはりすべてのジャンルが好みに合うとは限らない。そんな中、「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」にハマる。前評判に違わぬ傑作。そして面白い。コメディでありながら、しっかりと人間ドラマが描かれており、多くの受賞歴があるのも納得のドラマだった。脚本の完成度も高い。

シーズン1の全13話を観た。

30代女子が主人公だ。10年前、当時付き合っていたガールフレンドのために麻薬密輸の片棒を担いだことが、10年後の現在に発覚し有罪判決を受ける。それにより投獄された女子刑務所で主人公が出会う囚人たちとの交流(?)を描いている。

舞台が女子刑務所というのが新鮮だ。アメリカの刑務所のイメージはマッチョな男たちがたくさん出てきて、何かあればそこかしこで喧嘩が始まる、そんな暴力的な絵をどうしても想像してしまうのだが、女子刑務所だと少し異なるようだ。力にモノを言わせた喧嘩もなくはないが、基本は穏やかで、何かあれば水面下で衝突が起こるという感じだ。女子ならではの陰湿ないじめも度々起こり、主人公はその洗礼を受けたりする。刑務所暮らしに慣れるという、シリーズの導入部である本シーズンでは、そんな主人公が良心と誠実さをもって、降りかかる災難を突破していく姿が多く描かれている。

主人公は高学歴な女子で、恋人との結婚を間近に控え、順風満帆な人生を送るはずだった。 たった一度の若気の至りにも等しい軽微な過ちによって刑務所に送られている。主人公は真っ当な社会適合者であり、視聴者の視点は常に主人公側にあって、彼女のリアクションに一喜一憂しながら、その動向を見届けることができる。一方、刑務所で待ち受ける囚人たちは一癖も二癖もある人ばかりだ。変わり者ばかりの塀の中は、恒常的にユーモアと隣り合わせだ。

シーズン1だけかもしれないが、毎話ごとに主人公以外のレギュラーメンバーの1人1人にスポットが当たる。どうして彼女たちが刑務所に入ることになったのか、そのいきさつを過去の回想シーンで綴る。「人に歴史あり」で、その多くが真面目に社会生活を送っていたなかで、いろんな事情で足を踏み外してしまった。根っからの悪人はおらず(変人はいるけれど)、みんな何らかの形で良心を持ち合わせており、囚人同士の良心が響き合うシーンが感動的だ。

主人公を除いた脇役キャストは見事なまで美人がおらず、また、顔を知っている女優も1人もおらず、オリジナルのドラマとして世界観を優先した作品づくりが伺える。回想シーンと現在シーンのキャラクターのルックスのギャップが甚だしく、誰に気を使うこともなくなると「綺麗でいたい」という意識はなくなるのだ。女子だけの空間には、お約束の同性愛も存在しており、性欲処理のための性交渉も少なくない。あと、看守との恋や売春などもありだ。そのあたりの描写は、制約を受けないNetflixならではといったところ。主人公も躊躇なくトップレス姿になる。

いやらしさのない、下品でエロチックな女の園だ。明け透けなキャラクターたちの群像劇は非日常的でありながら、かなり身近な感情としてエピソードが落ちてくる。以降のシーズンでマンネリ感が出てきそうな気配もプンプンするが、引き続き、シーズン2を楽しみたいと思う。

【80点】

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楽天オープンでワウリンカが優勝した件。

2015-10-11 16:00:40 | 日記

先ほど、日本で唯一行われる国際テニスツアー「楽天オープン」でシングルスの決勝が終わり、ワウリンカが優勝した。

今年の楽天オープンの最大の見所はワウリンカの参戦だった。今年の全仏で彼のファンになった自分は、会場で観戦することを予定していたが、チケット購入の勝手がわからず、手遅れ。WOWOWでの放送で我慢することにした。結果、期待通り彼が優勝したわけだが、良くも悪くもワウリンカだなーと思える決勝で、観に行かなくて正解だったかもと思った。

大会連覇を狙う錦織を、準決勝で格下のペールが前節の全米オープンに続き、日本中の空気を無視して撃破。ワウリンカは、2回戦を除き、ストレートで勝ち進んできたものの、その試合内容はイマイチ。昨日行われた準決勝でようやく調子を取り戻してきたが、またいつ調子が落ち込んでも不思議ではない状態に見えた。なので、ワウリンカVSペールの決勝は、ペールの優勢と予想していた。

決勝は、お互いパワーヒッター&ミスが多い選手ということで、なかなかラリーに発展しない。どちらもバックハンドが強烈なので、その撃ち合いは観ていて迫力たっぷりなのだが、ポイントの決まり手が相手のミスによるものが多く、観ていて盛り上がらない。ウィナーで鮮やかに決めるワウリンカの底力はそれなりに発揮されたが、100%決めるべき、ウィニングショットをことごとく外す。本人は苦笑いしていたが、ジョコビッチやフェデラーなどの超一流選手だったら、絶対にあんなミスはしないだろう。あーいうシーンを観ると、ナダルなき今、マレー含めたTOP3の上位選手との格差を痛感するのだ。優勝を決める最後のチャンピオンシップポイントもベールのダブルフォルトによるものであり、パッとしない終わり方だった。

ワウリンカファンとしては大いに不満が残る内容だったが、やはりワウリンカの片手バックハンドは何度見ても気持ちが良く、スローモーションで見るフォームはとても綺麗で絵になる。
また、今回の優勝をきっかけにワウリンカファンが日本でも増えてくれれば、ワウリンカの試合の放送枠も増えてくれるのだろう。

絶対王者としてテニス界に君臨するジョコビッチ。その守備的なシコシコプレイを打ち破る、超攻撃的プレイヤーとして、引き続き今後のワウリンカの活躍に期待する。
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海外ドラマ ナルコス 【感想】 

2015-10-09 08:00:00 | 海外ドラマ


Netflixのオリジナルドラマ「ナルコス」の感想を残す。
全10話。

実在した伝説の麻薬王パブロ・エスコバルと、アメリカの麻薬取締捜査官の戦いを描く。
とても面白かったが、本作についてはシーズン1で終了させたほうが良いかなーと思った。

以前にアメリカ製作のパブロ・エスコバルのドキュメンタリー番組を見て以来、その人物像、当時の社会情勢に強い関心をもっていた。本作のドラマで描かれるストーリーはあくまでフィクションであるが、おおよそ史実はなぞられており、歴史ドラマとして楽しむことができる。

パブロ・エスコバルが辿った人生は、どんなフィクションよりも面白い。コロンビアを拠点に世界の麻薬流通の8割を牛耳り、巨万の富を築 く。それも年間何百億ドルという次元だ。その結果、犯罪者にも関わらず、フォーブスの世界の長者番付に名を連ねたりした。そこで儲けた金を、コロンビアの発展のために還元し民衆から絶大の支持を得る一方で、警察機関を買収し、邪魔者・裏切り者は即抹殺し、抵抗する政府要人を殺害するために国内で無差別テロを繰り返す。おそらくコロンビアで最も愛された英雄であり、最も憎まれた悪魔だった。

そんな男の生涯である。映像化するだけでも面白いに決まっているのだが、本作はそこにエスコバルに立ち向かう男たちのドラマを加える。アメリカの麻薬取締捜査官と、彼らと一緒に共闘するコロンビアの捜査官たちだ。本来、見方であるべき、政府関係者や現地の警察機関の多くが、エスコバルに買収されているため、四面楚歌の戦いを強いられる。しかも、相手は豊富な資金にモノを言わせ、強力な武器と軍隊を持っている。勝ち目のない麻薬戦争にどう打ち勝つのか、その攻防の多くにフィクションが盛り込まれているのだが、「嘘なんだけど嘘じゃない」バランスが非常に良い。愛憎、正義、信頼といった熱い人間ドラマに、メディア、政治など含んだ社会性もきちんと抑えられており非常に見応えがある。海外ドラマならではの大掛かりなアクションシーンも多く、スリルたっぷりのドラマを味わうことができる。また、エスコバルとアメリカの麻薬取締捜査官が対峙するシーンが全くないというのも印象的で、エスコバルがどれだけ強大な存在であったことを物語る。

パブロ・エスコバル演じる ヴァグネル・モウラが素晴らしい。体重を変化させる役作りにより、肥大する権力を体現する。エスコバルが持つカリスマ性や残虐性に留まらず、愛妻家、家族至上主義な男の一面も丁寧に演じる。その一方で、アメリカの麻薬取締捜査官演じる、ボイド・ホルブルックは完全な迫力不足。大人になって劣化したマコーレーカルキンによく似ていて、体型の線の細さを補う存在感もない。彼の相棒役で、GOTにも出ていたペドロ・パスカルはカッコよいのだけれど。

残念なのは、後半の「足踏み」だ。ほぼ史実に沿った形でテンポよく、ストーリーが流れていたのが、一気に淀んでしまう。エスコバルが事実上の勝利を収め、エスコバルの支配下である刑務所に収監されてからのエピソードがやたら長い。 そこで繰り広げられる攻防はおそらく完全なフィクションの世界で、シーズン2を見据えた肉付けと感じられる。中盤までのスピードを維持していれば、エスコバルの終焉まで、1シーズンで描けたはずだ。

最終話のグダグダにやや興冷めしてしまったが、シーズン2が配信されたら迷わず観てしまうと思う。

【70点】

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