から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

ハクソー・リッジ 【感想】

2017-06-30 08:00:00 | 映画


戦場の地獄絵図が脳内にこびりつく。戦場に舞台を移した中盤以降の落差が強烈だ。凄惨な光景に衝撃を受ける。正義も悪も関係なしに人間同士が殺し合う現場は、人格を破壊するには十分といえる。そんな状況下で、1つの信念を貫いた男の生き様が描かれる。「人を傷つけず救う」という信念は崇高だが、その信念を貫いたことで奇跡が生まれたという事実が何よりも尊い。その一方で、戦時下における主人公の信念は紙一重というのも事実で、本作はその視点をちゃんと保っている。美談を描いただけの映画ではないということ。

終戦間際、日米の激戦地であった沖縄戦を舞台に、宗教上の理由で武器を持つことを拒否した、アメリカ軍衛生兵の活躍を描く。実話ベースのドラマ。

「宗教上の理由」というのは大枠の言い方だ。主人公が崇拝するキリスト教では「人を殺してはダメ」ということになっているが、戦争という特異な状況ではイレギュラーケースとして受け止めることもできそうだし、武器を持つだけ持っておいて、戦場で人を殺さない選択もできそうだ。宗教の問題ではなく、主人公のパーソナルな信念に基づいていると考えられる。

主人公は本番の戦場だけでなく、訓練の段階から断固として武器を持つことを拒否する。それは、彼が育ってきた家庭環境に由来しており、本作では主人公の人物形成の過程を丹念に描いている。武器を持たないことは上官の命令に背くことになり、連帯責任を嫌がる周りの兵士からは容赦ない暴行を受け、最終的に軍法会議までかけられる。宗教上の問題から許されるはずの「良心的兵役拒否」もなかなか認められない現実が主人公を苦しめる。しかし、主人公は決して信念を曲げることはない。

わからず屋の上官と、清廉潔白で正しい主人公という構図が見えてくるが、中盤以降の惨劇を前に、その見立てがあっという間に叩き潰される。いきなり始まる激しい銃撃戦によって肉体から血がはじけ飛び、殺しにかかる相手を一掃するために爆弾が放り込まれ肉片が飛び散り、火炎放射器によって生身の人間が火だるまになる。足元に目を移せば、ちぎれた肉体にウジとネズミが群がっている。この世の地獄だ。メル・ギブソンらしい容赦ない残酷描写と感じながらも、戦場のリアルを思い知らされる。衝撃度は想像以上であり、PG12でよく収まったなーと思うほど。そこに綺麗な信念を掲げる余地はない。

サム・ワーシントン演じる上官が、武器を拒否する主人公に説いた「戦えない奴は、周りの兵士を危険に晒す」という言葉が説得力を持つ。殺し合いの戦場にルールはない。衛生兵は真っ先に敵の標的になる。武器がなければ自身を守ることができないし、周りの助けを借りることは大きなリスクを伴わせる。本作でも、主人公が敵兵の襲撃に合った際に、命からがら味方の兵士によって救われるシーンが差し込まれる。「さすがにまずいでしょ。。」と絶句し、主人公の信念が、次第に危険に思えてくる。

本作の状況下で、人を助けるという信念は理解できるものの、武器を持たないという信念は理解できなかった。武器を持たずに生き延びることができたのはラッキーであり、彼が多くの人命を救った行いも、その幸運がなければ果たせなかっただろう。本作で示されるのは、主人公の信念が正しいかどうかではなく、信念を持ち続けた結果、奇跡が起こったという事実なのだ。信念がもたらす可能性はあまりにも大きく、信念を行動に移し続けた主人公の勇気に強く感動した。

脚色と思われる映画的な味付けも多いが、娯楽映画としての要素も多分に残しているため、2時間半近い長尺も引力が持続した。主人公の戦場での活躍がパワフルかつ、ドラマチックに描かれる。ラストの主人公の「再戦」含め少々ヒロイズムに寄りすぎてしまった印象もあるが、彼が成し遂げたことは称えられるべきことなので当然といえる。日本軍側の描写も忠実に描かれており、自身の死を持って敵を玉砕する精神はアメリカ兵にとって相当な恐怖になったに違いない。主人公デズモンド演じたアンドリュー・ガーフィールドの熱演も素晴らしかった。

【75点】
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オレンジ・イズ・ニュー・ブラック シーズン5 【感想】

2017-06-27 08:00:00 | 海外ドラマ


今月よりNetflixから配信がスタートした「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」のシーズン5を観終ったので感想を残す。このシーズンも全13話。

落胆したシーズン4から盛り返し、面白いシーズンに戻った。
マンネリから脱却するためには、もはや「破壊」しかなかったんだな。舞台となる刑務所の風景が一変し、破壊によってもたらされた変化がいろいろと新鮮だった。

前シーズンの最終話で起きた事件の直後から話がスタート。プッセーの圧死をきっかけに女囚たちの堪忍袋の尾が切れ、暴動に発展。サイコな看守が持ちこんだ1つの銃を手にしたことで、看守と女囚たちの支配関係が完全に逆転する。男子刑務所であれば、もっと血生臭い描写になるのだろうが、女子刑務所が舞台になっているので暴力描写は控えめでマイルドだ。コメディドラマとしての立ち位置は崩れない。

前シーズンのラストで銃を奪ったダヤが、本シーズンの冒頭でサイコ男に銃弾を撃ち込む。「よくやった!」と発奮するが、前シーズンのフラストレーションを維持したまま観たほうがもっと痛快だっただろう。ダヤが起こした銃撃事件の罪は、その後、彼女自身にしっかり戻ってくる。銃の存在は本作でも絶対的で、銃を持ったものが支配者になるルールが、展開を作るうえで巧く活かされている。



看守たちが女囚たちの人質となったことで、外からの圧力がかけられない状況になる。女囚たちは刑務所のなかで自由を謳歌する。そして、人質と引き換えに、刑務所内の改善に向けて外部と交渉を進めることになる。女囚たちを代表して交渉役になるのが、大柄女子のテイスティーである。本シーズンの主役は彼女といっても良いほど出番が多く、彼女の活躍が目立つ。外部との交渉における駆け引きが本シーズンの前半の見どころといえる。女囚たちをナメて大量のスナック菓子を差し入れえて解決しようとするが、それに反抗してスナック菓子を燃やすシーン(燃え方)が異様で面白かった。プッセーを想うテイスティーの涙の訴えもあって、刑務所での反乱事件が大きな社会問題として取り上げられるようになる。



看守たちから携帯電話を奪ったことで、女囚たちが外部社会と直接繋がったことも大きい変化だ。そこで持ち出されるのがSNSの存在。ある者は人気者(有名人)になるべくコンテンツ動画をアップ、ある者は刑務所で起きる状況を伝えるべく動画をアップして世論を動かす。まさに現代の流れ。SNSは日本よりもアメリカのほうが浸透していると実感する。

反乱という一見シリアスな展開ながら、刑務所内のユーモアはそのまま生き続ける。ダヤの次に銃を手にしたのが、クスリ中毒のお馬鹿なリアンコンビだ。彼女たちの発案で、人質たちのタレントショーが開催されるが、酷い扱いを受けている人質たちはなぜかノリノリだ(笑)。ジェイソン・ステイサムによく似た薄毛マッチョの看守はストリップショーを披露。案の定、女囚たちは大喜び。看守のルスチェックは勃起癖がどうしても直らない(笑)。しっかり落とし前がつくサイコ看守の悲惨な末路も、笑いに変えてしまう逞しさあり。点滴に空気入れて「どういたしまして♪」。

刑務所内の秩序はすっかりなくなったが、女囚たちは外部に対抗するため一致団結する。これまで、白人、黒人、ヒスパニック系と、人種によってコミュニティが分かれ、ときにいがみ合っていたが、本シーズンではそうした人種間の壁がなくなり、人物関係がシャッフルされる。個人的には、この点が本シーズンで一番面白かった。今まで見たことのないカップリングがそこかしこで誕生する。普段絡むことのなかったキャラクター同士が会話を交わし、意気投合し、様々なエピソードを作り出す。レッドとビアンカがコンビを組むとは。。。同じコミュニティで縛られていた前シーズンから解放され、変化に富んだドラマが展開する。

お気に入りのエピソードは、本シーズンの口火を切ったダヤが「正しいこと」を選んだ第8話の「トロッコ問題」と、本ドラマの最大のヒールとなる怪物ピスカテラの過去に迫った第8話の「やる事なす事すべて裏目」だ。第8話では、自分がずっと引きずっていたダヤの子どもの問題が救われることになってホッとする。第10話では、ピスカテラが前の勤務地で起こした事件が明らかになる。彼がゲイゆえの切ないロマンスだ(といっても事件はピスカテラに問題ありだが)。



このドラマで一番好きなキャラであるニッキーが、カッコいいキャラとして戻ってきたのも嬉しい。妊娠したローナを元気づける彼女が素敵だ。ニッキーはやっぱりこうじゃなきゃダメだ。マリッツァとフラカのメキシコ女子によって、「安いオードリーヘップバーン」(笑)な外見に変貌。ボンバーヘッドの髪はストレートヘアになり、逆さアイラインも直して、かなりの美人に変わった。一方、本ドラマの主人公であるパイパーはアレックスと新たな関係に踏み出すものの、本シーズンではほとんど目立たない。パイパーだけじゃなく、これまでの主要キャラの出番が少なくなり、その分、サブキャラ止まりだったキャラクターたちの露出が増えた。より群像劇の色が強くなったシーズンであり、自分はこの方向性が好きだ。

本シーズンの後半は、いよいよピスカテラが女囚たちの前に立ちはだかる。呑気な前半パートと打って変わって、ピスカテラから発せられる恐怖がスリルをもたらす。そのピスカテラに対抗できるのは、「仕事人」のフリーダである。本シーズンでは、彼女がサバイバルスキルを有するに至った少女時代のエピソードが紹介されていて興味深い。できれば、フリーダが起こした殺人事件の全容についても知りたかった。彼女の「吹き矢」によって、捕まえられたピスカテラの行く末はとても意外だった。

それにしても生理的嫌悪を感じさせる描写が相変わらず多い。脱糞、排尿、嘔吐が揃い踏み(笑)。刑務所長のカプートは、まったく悪くないのに肥溜め同然の野外トイレに閉じ込められて可哀そう過ぎる。この不衛生な描写が苦手で本ドラマを受け付けないという人も多いだろうと想像する。自分も「きっと実際の現場はクリーンなはず。おしっこで使われているのはレモンジュースだ」とか思いこみながら、ドラマを見続けていた。

これまでのシーズン同様、「そこで終わるんかい!」という絶妙な(最悪な)場面で終幕する。次のシーズンへの関心を煽る形だが、本シーズンに関しては、それまでのエピソードで十分楽しめたので文句なし。あと、本ドラマのかき回し役(スーザン)を演じる、ウゾ・アドゥーバがますます素晴らしい熱演で光っていた。

本シーズンを見終えたのち、Youtubeで彼女たちが普段の姿で出演しているテレビ番組を観て、そのギャップに最近萌えている。女性はメイクの力はスゴい。

【75点】

オレンジ・イズ・ニュー・ブラック シーズン6 【感想】

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怪物はささやく 【感想】

2017-06-17 08:00:00 | 映画


大人向けのファンタジー映画。少年と怪物との出逢いは、少年が大人になるための通過儀礼だった。善悪で割り切れない複雑さを人はどれだけ受け入れることができるか。苛酷な現実に浸食する物語の力は、主人公を傷つけ、そして癒すことができる。深い教訓を残す3つの物語と、4つ目の「真実」の物語に辿りつく過程を主人公の成長と重ねてエモーショナルに描く。物語シーンで挿入される水彩画のようなアニメ映像が見事で、残酷ともいえる因果の二面性をあぶり出す。樹木の怪物を演じたリーアム・ニーソンの声がめちゃくちゃ良い。

13歳の少年が、ある日、突然現れた樹木の怪物から、3つの物語を聞かされるという話。
原作が児童小説ということに驚く。この映画、子どもが見て感動できたらかなり早熟している。

「永遠の子どもたち」「インポッシブル」の2作だけでイッキにファンになったJ・A・バヨナの新作。昨年のスペインの映画賞(ゴヤ賞)でも最多受賞した映画ということもあり、昨年から日本公開を楽しみにしていた。観終わって、正直期待が高過ぎたと感じたが、シンプルに理解することが難しいテーマを、現実と虚構を行き来する難しい世界観で描き切った手腕はさすがだ。

悪夢に悩まされている主人公の少年は、睡眠不足でいつも目の下にクマを作っている。その悪夢の原因は愛する母親の病である。どの治療を試しても一向に回復せず、日々衰弱していく母親の現実に対して、主人公は認めることができず必至に抗う。学校にいけば、辛い家庭環境に追い打ちをかけるかのように、暴力的ないじめに合っている。不条理ともいえる不幸が、小さな少年の肩にのしかかっている。

そんな少年の前に、ある日突然、大きな木の怪物が現れる。夢の幻想物であることを少年は自覚しており、怯えることなく対峙するが、怪物は有無を言わさず、3つの物語を少年に聞かせようとする。そして、3つの物語を聞かせ終わった後、最後には少年から「真実」の物語を語らせようとする。少年と同様、観ているこちら側も「何のこっちゃ?」という感じだが、怪物が語る奇妙な物語に引き込まれていく。

寓話のような3つの物語に共通するのは、物事の二面性だ。いずれの物語も意外な結末を迎える。人間が下した決断による結果には、何が正しくて何が悪いのか、どちらかに区別できないものがある。必ず表裏が存在しているわけで、受け取る人の立場や境遇によって善悪のレッテルが変わっていく。それはときに不条理であったり、不道徳だったりする。肝心なのは、そうした二面性、物事の複雑さを受け止めて生きていかなければならないということだ。

少年は物語に翻弄される。そして大きな絶望に悩まされる日々の生活に浸食していく。物語にとりつかれ、自身をコントロールすることができなくなる。その一方で、物語は主人公を秘めた呪縛から解放する。物語は少年を喰う魔物であると同時に、少年を癒す魔法でもあった。

物事の二面性と、物語が持つ力。それらを怪物が現れた意味につなげていく本作は、単純なファンタジー映画ではなく、見る人の解釈によっていろいろな見方ができそうだ。メッセージは強く伝わる一方で、想像力の鈍い自分にはストンと明快に自身の感情に落ちてこないため、少年を通して描かれるドラマとシンクロさせることは容易ではなかった。

物語シーンで差し込まれる幻想的なアニメーション、現実と空想の境界の描き方、怪物が出現する迫力のスケール、少年の世界をジオラマ風に切り取ったユニークな映像、少年役のルイス・マクドゥーガルの繊細な演技、リーアム・ニーソンの深みと優しさを湛えた怪物の声など、映画館で没入する要素も多い。シネコンの大きなスクリーンで見たかったところでもある。

怪物と、怪物が話す物語の正体が明らかになるラストが、気持ちの良い余韻を残す。J・A・バヨナの映画はやはり好きだ。彼が監督する、ジュラシック・ワールドの続編、凄い良い映画になりそう。

【65点】

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アンという名の少女 【感想】

2017-06-16 08:00:00 | 海外ドラマ



Netflixにて掘り出しモノを発見。
全くノーマークだったが、実家の母親が絶賛していたので観たところ非常に面白かった。それもそのはずで、本作の製作情報を調べたところ、神ドラ「ブレイキングバッド」の脚本を書いたモイラ・ウォーリー・ベケットが手掛けているドラマとのこと。しかも、彼女は「ブレイキングバッド」の中でも「神回」として語り継がれるシーズン5の第14話「オジマンディアス」の脚本を書いた人だ。見ていて納得。毎話毎話、終わる度に余韻が残る、とても好きなタイプの海外ドラマだった。

本作は「赤毛のアン」のドラマ化である。原作は未読。子どもの頃にテレビで放送されていた、ミーガン・フォローズ主演の映画で知ったくらい。但し、映画を見て泣くという感覚を初めて知った、特別な映画だ。アンとマシューの別れのシーンを思い出すと今でも胸が熱くなる。

Netflixでリリースされたのは全6話のシーズン1になる(短い!)。

本作で登場するアンの姿は、世界名作劇場のアニメ版のアンにそっくりだ。原作の情報を調べると、アンのイメージにピッタリのようだ。痩せっぽっちで、おでこが広く器量が悪い。髪は赤毛で、顔はソバカスだらけ。パッと見、可愛い女子とはいえない。外見が個性的であれば、性格も超個性的だ。溢れ出る想像力とそれを吐き出すおしゃべりが止まらない。アンのセリフ「このカバン、すぐに口が空いちゃうから持つのにコツがあるの」に吹き出す。あなた(アン)のことでしょ~とツッコミを入れたくなる。

孤児であったアンを引き取ることになるのが、頑固モノのマリラと、寡黙で心優しいマシューのカスバート兄妹だ。農場の担い手とするため男子を求めていた2人が、手違いで訪れたアンを家族として受け入れる。



アンとカスバート兄妹が家族として繋がるきっかけになった事件は、マリラの過ちがきっかけであり、カスバート兄妹がアンを取り戻そうとするシークエンスが感動的だった。アンを傷つけてしまったマリラの激情と、アンを想いやるマシューの衝動をセリフを交わすことなく描く。必死になって迎えにきたマシューに対して、アンが「待ってたわ!」と抱きつくシーンをイメージするが、アンのプライドがそれを許さない。本作はアンの自尊心の強さを提示することを忘れない。キャラクターの個性を誠実に受け止めた脚本と、視聴者の想像力を信じた演出が素晴らしい。やっぱ「ブレイキング・バット」に近いものを感じる。

本作のアンはこれまでのイメージになかった描き方をされていて、グリーン・ゲイブルズに来るまで苦難が暴力による虐待シーンと共に振り返られたり、孤児から養子になったアンに対して偏見や差別の目が向けられるなど、かなりシリアスな描写が随所に差し込まれる。アンというキャラクターが新たな造形で描かれている感じだ。

ドラマでは、アンだけでなく、彼女を受け入れるマリラとマシューについてもスポットを当てる。2人には、小さな町を離れずお独身を通してきた理由がある。2人が若いころに経験したロマンスが甘く切ない記憶として回想される。ほかにも、アンにとって生涯の親友となるダイアナや、後の伴侶となるギルバートも、それぞれに置かれた背景を含めて丁寧に描かれる(ギルバート役は「20センチュリーウーマン」にも出てた美少年!)。あと、アンが何かと邪魔者扱いする(笑)、フランス人少年が健気で非常に可愛い。



アン役のエイミーベス・マクナルティは、ルックスがアニメ版のアン、そのものであり、彼女の豊かな表現力がアンというキャラをより魅力的に際立たせる。ミーガン・フォローズ版のアンもそうだったが、可愛くなかったアンがどんどん可愛く見えてくるマジックは本作でも生きている。

アンが培ってきた度胸やスキルによって、次々と事態を好転させる様子は痛快でもあり、娯楽ドラマとしても普通に楽しめる。また、舞台となるプリンスエドワード島の美しい風景も本作の見所の1つといえる。

全6話のためシーズン1があっという間に終わってしまった。完全にシーズン2への関心を煽った終わり方に少々文句もあるが、アンのこれからの成長が楽しみである。シーズン2はまた来年になるのかな。

【70点】

ブレイキング・バッドのシーズン5,第14話が神だった件。

アンという名の少女 シーズン2 【感想】
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ブルーに生まれついて 【感想】

2017-06-15 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルてに。昨年劇場公開を見逃した映画の1本。
実在したジャズ・ミュージシャン、チェット・ベイカーの転落と再起を描いたドラマ映画。「薬物中毒にハマってしまうアーティスト」というのはよくある話で、本作のベイカーもヘロインにドップリ浸かる。自身の欠陥によって招いた事件によって、トランペット演奏者にとって生命ともいえる前歯をすべて失い、天才とダメ人間は、いつの時代もトレードオフなのか。本作がユニークなのは、過去の栄光は描かれておらず、彼が落ちている途中から始まる点だ。彼がどれだけ偉大なミュージシャンであったかを誇示することは避けられる。「東海岸の白人ジャズ屋」という自身を称するセリフ(字幕訳)がカッコいい。アフリカ系アメリカ人にルーツを持つジャズ音楽界でマイルズ・デイビスなど偉大な黒人ミュージシャンが活躍した時代。白人であり、トランペットと唄声によって人々を魅了していたベイカーの存在は異端のように見える。彼の唄声はささやくような細さで、甘い。色気あるトランペットの音色との調和も美しい。彼の音楽に魅了される人たちは彼の中にあるハートを感じるというが、イーサン・ホークの名演も手伝い、自分も思わずシビれてしまった。恋人への愛に重ねた「My Funny Valentine」と、再起をかけたラストの「I've Never Been In Love Before」のパフォーマンスが堪らない。愛する人を手放しても、音楽は手放せなかった主人公の生き様がビターな余韻を残す。「リービング・ラスベガス」に近い後味。
【65点】
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エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に 【感想】

2017-06-14 08:00:00 | 映画


DVDレンタルてに。昨年劇場公開を見逃した映画の1本。自分は好きだな、この映画。
野球のスポーツ推薦で入学した男子学生の、入寮から新学期が始まるまでの3日間を描いた映画。「6歳~」では12年という時の経過を描いたリンクレーターが、本作では3日間という時間のなかで青春の一片を切り取る。但し、その中身は学生たちのバカ騒ぎだ。80年代のファッションと音楽が密着した世界で、自由すぎる体育会系男子たちがナンパと酒飲みに明け暮れる日々を追う。野球の強豪校にも関わらず、スポ魂とは無縁で、練習風景まで気が抜けているのが楽しいw。文学や演劇にも目を配るのはリンクレーターの青春時代を投影しているからかもしれない。描かれるのはクダらないことばかりだけど、その無意味さが愛おしかった時代が誰にもあるはずで大人になるための栄養分になっていたと感じる。夢から覚めるように新学期の授業に臨む主人公のラストカットに、どこか寂しい気配が漂う。輝ける時間はあっという間に過ぎ去る。時間の流れを操るリンクレーターの作家性が現れた映画だった。愛してやまなかった海ドラ「glee」のライダーこと、ブレイク・ジェンナーの主役起用も嬉しかった。
リンクレーター映画にハズレがない。今年北米で公開される、リンクレーターとブライアン・クランストンが夢のタッグを組んだ新作(Last Flag Flying)も期待大。
【70点】
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2017夏公開映画10選

2017-06-10 08:00:00 | 気になる映画
今年は昨年と打って変わって、外国映画の豊作年になる気がする。
今年の夏公開映画のなかで楽しみにしている映画を10個ピックアップしてみる。順番は公開順。

1. ジョン・ウィック チャプター2 <7月7日>

キアヌ・リーヴスが鮮やかに復活したアクション映画の続編。2作目のジンクスに陥らずアメリカでの評価も上々。

2. パワーレンジャー <7月15日>

最悪つまらなくてもOK。日本発の戦隊モノがハリウッドの本気によって映像化されたのを見届けたい。

3. ウィッチ <7月22日>

まず日本での公開が決まったことに安堵。2016年北米で最も支持されたホラー映画。待ち焦がれたー。

4. ザ・マミー 呪われた砂漠の王女 <7月28日>

現在公開中のアメリカでは大不評だが、ダークユニバースの幕開けとして見逃せない1本。

5. スパイダーマン ホームカミング <8月11日>

3回目となる新生スパイダーマンの主役は大好きなトム・ホランド。アベンジャーズ色はほどほどに。

6. ベイビー・ドライバー <8月19日>

エドガー・ライトの新作は初のカーアクション映画。予告編がクールでテンションが上がる。

7. ワンダーウーマン <8月25日>

DCUがついに覚醒。興収&評価の両面で圧倒的勝利を北米で掴みとった。期待度がイッキに急上昇。

8. エル ELLE <8月25日>

鬼才変態ポール・バーホーベンが久々に称賛を浴びたスリラー映画。イザベル・ユペールの演技にも注目。

9. 新感染 ファイナル・エクスプレス <9月1日>

ナメた邦題だが、昨年の韓国でNo1ヒットを飛ばしたゾンビ映画。今年夏一番の注目作。

10. ダンケルク <9月9日>

ノーランが手掛ける初の実話モノ映画。予告編からも規格外のスケールが窺い知れる。

大作映画だと、まず最初に「パイレーツオブカリビアン」の新作が上げられると思うが、このシリーズには全く関心がないためスルーの予定。8月に公開されるトランスフォーマーの続編は観に行く。日本映画のなかでは「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(8月18日)や、是枝監督の新作「三度目の殺人」(9月9日)あたりが楽しみだ。映画の興行面では、ジブリファンタジーに対する世間の渇望感から「メアリと魔女の花」が1人勝ちすると思われる。今年もアニメが強いか。
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20センチュリーウーマン 【感想】

2017-06-09 08:00:00 | 映画


心地よさと切ない余韻が残る。嫌みのないフェミニズムが響く映画。「女性の性の定義は男性によって定義されてきた」というセリフに共感。男性が女性を知ることは、世界を知ることに等しいとみた。人生の先輩である3人のお姉さんたちに揉まれて成長する主人公に、自身の思春期の姿を重ねてノスタルジーに浸る。あの頃、仲良くしていた人たちは今何をしているのかな。

1979年の夏。母子家庭にいる15歳の少年が、母、幼馴染、下宿人の3人の女性との交流を経て成長していく姿を描く。

映画は思春期を迎えた15歳男子のリアルを追っていく。好奇心に満ち、新しい価値観に感化されやすい。性に目覚める。ときに意味不明な行動をとる(「溝落ち失神」って日本でも以前に、話題になった記憶があるな)。主人公の場合、自由で寛容な母親に育てられていることもあり、よくある「反抗期」とは無縁で、仲の良い親子関係を築いているようだ。その一方、母親は自立した個人として息子に接するものの、ある事件をきっかけに息子を理解できないことで悩む。そこで、たまたま身近にいた、主人公の幼馴染で2歳上の女子「ジュリー」と、下宿人でカメラマンの「アビー」の2人の女子に息子の教育を手伝ってほしいと頼む。「同じ男性が適当じゃない?」という問いに対して「そんなことないわ」という母親の勝算はどこにあったのだろう。

といっても、母親を含んだ3人が、主人公に何か特別なことをするわけではない。これまで通りの日常生活の関係性のなかで主人公に様々な影響を与えていく。幼馴染みの女子には恋の痛みを教わり、下宿人の姉貴にはパンクとフェミニズムを教わる。とりわけ前者の想いを寄せる女子への主人公の心情は身にしみて理解できる。好きな女子を性の対象とするのは自然であるが、「寝たら友情は終わり」と主人公は生殺し状態を強いられる。好きな女子の性生活を含めた恋愛事情が気になるものの、いざヒアリングしてみると激しく傷ついたりする。この時期において、片想いに悩む男子と女子では相手への感情はまったく異なるはずだ。

男子が求める女子と、女子が求める男子は異なる。男子優先で何事も決められてきた歴史があって、男子の尺度で女子を考えがちになる。そこで、アビーはフェミニズムについて説いた本を主人公に渡す。その本を通じて主人公は女性を知り、さらなる興味が湧き、女性への愛が深まったと想像する。そして、3人の女性の生き様が、主人公のもう1つの教科書になるのだ。

監督マイク・ミルズの女性へのリスペクトは、3人の女性の描き方によく表れている。彼女らがもれなく自然体でカッコいいのだ。自分に正直であり、ときに悩んで躓くけれど、しなやかに切り返して我が道を進もうとする。貫禄のアネット・ベニング、パンキッシュなグレタ・ガーウィグ(「フランシス・ハ」の人だ!)、魅惑のエル・ファニング(咥えタバコが素敵)。演じる女優陣のパフォーマンスに魅かれる。今年観た「ネオン・デーモン」に続いてエル・ファニングを見たけれど、女優として絵に書いたような美しいキャリアを歩んでいる模様。

本作のラストで視点が現代に映り、この物語以降のそれぞれの人生が過去の回想として語られる。主人公は50代のオッサンになっているはずだ。少年時代の特別なひとときは、もう戻ることのできない過去の出来事となっている。その儚さが切ない。出会って別れて、久しく会っていない人たちが自分にもたくさんいたことを思い出す。

【65点】
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ハウス・オブ・カード シーズン5 【感想】

2017-06-08 08:00:00 | 海外ドラマ


待望の「ハウス・オブ・カード」のシーズン5が先週、Netflixより配信された。
全13話を観終わったので感想を残す。

シーズン最高傑作だったシーズン4から一転、最も期待が外れたシーズンだった。
本ドラマならではの迫力とスリルでゾクゾクする感覚が大幅に減少。脚本からボー・ウィリモンが抜けたことが影響したのだろうか。いずれにせよ、これまで積み上げてきた本ドラマの魅力が活かされていない。本ドラマを愛するファンとしては、見当違いと感じるエピソードや、腑に落ちないキャラクター描写が目立った。

シーズン5のエピソードは大きく2つに分かれる。
シーズン4から続く、1~9話で描かれる、若き大統領候補「コンウェイ」とフランシスとの大統領選での戦いから決着まで。そして10話以降の、フランシスに降りかかる過去の不正(汚職・犯罪)を巡る糾弾である。今まで以上に主人公フランシスの「守り」の姿勢が鮮明に出たシーズンだった。現状を維持することがフランシスの課題なのは理解できるが、ファンとしてはフランシスの「攻め」をもっと見たかった。

「恐怖を生み出すのだ」と、前シーズンのラスト、やってはいけない「禁じ手」に手を出すことを匂わしていたが、本シーズンで早々に具体的な実行に移す。これがなかなかやりたい放題で、さすがに目に余った。前シーズンより「テロ」が大きな問題として取り上げられたが、その「テロ」を自身の権力維持のために利用し、「偽装」の領域までに踏み込む。そのやり方は今に始まった話ではないが、政治に無関係な国民たちを巻き込むのはさすがにやり過ぎだ。恐怖による混乱だけでなく、他にもフランシスが起こす様々なアクションが、本シーズンにおいては守るべき国民に全く向いていないのが気になる。彼のドス黒い野心を描くことが優先されてこそ本作の魅力が発揮されるが、同時に、レガシー(遺産)を築くことが彼の目指すべき方向だったはず。



フランシスVSコンウェイ。コンウェイが選挙前日に、国民との24時間耐久対話番組をテレビで放送するなど、どう見てもコンウェイのほうが大統領に相応しい器である。一方のフランシスはひたすら裏工作に回るばかり。国民に向けた、フランシスの力強い演説を期待していたが、本シーズンではそれが見られない。選挙戦における2人の攻防は、さすがに見応えがあったものの、政権争いのゲームに国民が付き合わされている感じで不憫に映る。フィクションとはいえ、アメリカ現地の視聴者たちも本シーズンを見て抵抗感を持つ人は少なくないと思う。

本シーズンは、実際のトランプ政権になった世相を如実に脚本に反映させている。「分断されたアメリカを癒す」というフレーズは、本作でもそのまま使われている。トランプが大統領になることを拒む国民が多くいたように、ドラマ内でもフランシスに大統領になってほしくない国民が大勢いる。トランプとフランシスのキャラクターは一緒にできない(一緒にしてほしくない)が、人格に多くの問題を持つ人間が世界一の権力者になったという点で重なる。

前シーズンでフランシスと並ぶ、いや、それ以上の存在感を示した相方のクレアは、本シーズンでさらなる大躍進を果たす。フランシスと同じく強い野心家であるが、人としての「ハート」を持っている点が異なり、それが彼女の魅力だったりする。そんなクレアだが、本シーズンでは彼女らしくない弱さを見せる。前シーズンより彼女の「夜の夫」として作家のトムと同居することになるが、2人の関係は甘ったるいものになっていて、クレアがトムにメロメロになっている。まったくクレアらしくない。トムに夢中になるあまり、普段の彼女ではしでかすことのない失態を起こす。「彼女も恋する乙女だった」という解釈かもしれないが、彼女のカリスマ性はかなり失せてしまった。作家のトムの描き方も少しおかしく、前シーズンまでは知的でミステリアスな男だったが、本作では単なる色情野郎になっている。「こんな男にクレアは惚れてない!」とガッカリする。



後半パートでは、フランシスに弾劾の雨が次々と降り注ぐ。自身にとって都合の悪い人間をことごとく潰していったフランシスだ。葬ったはずの過去が次々と蘇る。まあ普通に考えれば丸く収まるはずはなく、シーズン1で起こした事件まで遡り、彼が犯した悪事が遺恨や憎しみを伴い彼の元へ戻ってくる。まさに因果応報。力技で選挙戦を乗り切ったこともあり、もはや、国民の支持は得られない。沈没する船から脱出するかのように周りの閣僚たちは彼からどんどん離れていく。フランシスが何よりも求める「忠誠」という言葉の意味が響いてくる。唯一、フランシスに絶対的忠誠を誓っているダグにも、当然ながらその余波が及ぶことになり、フランシスのために彼がしてきた汚れ仕事も白日の下に晒されようとする。ダグの贖罪から始まった未亡人との情事は思わぬ形で終結する。そのやりとり、「なぜヤってたと思う?好きだからじゃない。あなたが憎いからよ。」にゾッとしてしまった。女って怖い。。。



シーズンごとに登場する新キャラが面白いのは、シーズン5でもそうだった。中盤から登場する、選挙戦でコンウェイ陣営の参謀に入ったアッシャーと、外交の「便利屋」としてフランシス夫妻と関わることになるデイビスだ。2人とも一筋縄ではいかない、相当なキレ者で、フランシス夫妻と堂々と渡り合える強さがありドラマを盛り上げる。映画界でも活躍する、キャンベル・スコットとパトリシア・クラークソンが両者を演じるがさすがに巧い。フランシス夫妻と2人の腹の探り合いのエピソードが面白かった。



毎回楽しみにしているフランシス語録はほぼナシ。
クレア語録も少なかった。

 「聖戦に身を捧げる戦士のつもり?無策な愚か者の立場が楽なだけよ。
  脳天気な理想に溺れて、実際に政治を動かすための取引もできない。」
 
というクールでカッコいい言葉を発するが、状況的に負け犬の遠吠えになるのでイマイチだ。
 
お馴染みの視聴者に向けた投げかけシーンが本シーズンでも多く登場するが、その役割が変わってしまったようだ。スパンスパンと、展開の核心をつく短いセリフやアクションで示すのが効果的だったのに、本シーズンでは長々と視聴者に解説を行う。「あなた見てたでしょ?」と視聴者を巻き込むのも見当違いかと。視聴者の役割は傍観者に過ぎないし、劇中のリズムが淀んでしまう。

前半の選挙戦の冗長さは否めず、これまでのシーズンで感じた疾走感は大分なくなった。「都合の悪い奴はとりあえず消しとく」対応方法も連発し過ぎだ。これでは、今回の二の舞になるだけではないか。本ドラマはクライムスリラーではなく、あくまでポリティカルドラマであってほしい。本シーズンのラストに下したフランシスの決断も苦し紛れの「こじ付け」に思える。彼にとっての妥協案だとしても、権力者でなくなるのは確かだ。シーズンを重ねるごとに新たなステージを用意するというゴールは果たせたものの、この続きはいったいどうなることかと期待よりも心配が上回る。

結果として不満の多いシーズンとなったが、日本語吹き替えのローカライズも含め、アメリカと同時リリースしてくれたNetflixには今回も感謝だ。
今週末には「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」のシーズン5がリリースされる。コンテンツを出し惜しみしないNetflixの姿勢が素晴らしい。

【60点】

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ローガン 【感想】

2017-06-04 15:00:00 | 映画


架空のアメコミヒーローであったウルヴァリンが、人間「ローガン」として現実世界に降りてきた。まさか、こんなアプローチで描いてくるとは。強烈なバイオレンス描写に、強い痛感が伴うシーンの数々は、どのXメンシリーズにも描かれてこなかったことだ。スピンオフシリーズの3作目であるが、最も独立性の高い映画であり、完成度も別格。製作陣、キャストの本気度を感じる。人体を改造されたのち、ミュータントとして正義のために戦ってきた男の生き様を振り返り、その終末が胸に迫る。本作のカギとなる、ちびっ子ウルヴァリンの存在も非常に効いている。ウルヴァリンの魂は未来に引き継がれた。

ウルヴァリンことローガンが、自身と同じ能力を持つ小さい女の子と、遠方にあるミュータントたちが暮らす場所を目指すという話。

舞台は2020年代の未来。あのウルヴァリンがなんと、生活費を稼ぐために、ハイヤーのドライバーをしている。その商売道具である車を盗まれそうになると、その強盗団を蹴散らすどころか、反撃され思いっきり袋叩きに合っている。自身の武器を使って何とか追い払うが、その動きは激しく鈍い。顔面は白髪交じりの髭と深い皺に覆われている。ウルヴァリンにも老いが確実に迫っている。爪を手から出す体質と、驚異的な回復力を除けば普通の人間だ。

爪を出したあとの手の甲には、傷跡が痛々しく残っている。よくよく考えればウルヴァリンは、爪を出すことができる特殊能力ではなく、驚異的な回復力ゆえ、自身の皮膚を突き破って武器を出しても大丈夫という設定なのだ。言い換えると、爪を出す度に自身の体を傷つけているというのが実際のところ。但し、Xメンという痛快さを求めるヒーロー映画においては、そんなことをいちいち描くことは映画の流れを淀ますことになる。シャキーンシャキーンと自在に爪を出して暴れまわったほうが収まりが良い。

本作のウルヴァリンは傷だらけである。回復力が遅い理由は、劇中で語られるものの、そもそも本作の狙いは超人「ウルヴァリン」を描くことではなく、人間「ローガン」を描くことにありそうだ。まさにタイトルのとおり。ローガンの肉体に刻まれた古傷なんて今まで見たことなかった。その現実味は、彼の生活ぶりも色濃く表れていて、かつて、自分を導いてくれたプロフェッサーXこと、チャールズは車椅子のボケ老人になっていて、ローガンはその介護に追われている。孤独だったローガンに「家族」を与えてくれたチャールズはローガンにとって父親のようなものなので、その成り行きに説得力があるが、こんな2人の未来を誰が予想できただろう。

そんな彼らの前に1人の幼い少女が現れる。少女は大勢の武装集団に追われている。可愛く華奢な外見とのギャップが著しく、少女には高い戦闘力が備わっており、攻撃スタイルも極めて凶暴。ローガンと同じく手から爪を出し、襲いかかる大男たちを俊敏な動きで次々と八つ裂きにしていく。少女を捕まえようとする大人たちも手加減せず、モリで少女の体を突き刺し動きを封じようとする。血しぶきが舞い、傷つけられる痛みが伝わる。生死を分かつバトルシーンが凄まじい。



その後、ローガンはチャールズと共に、少女を連れてミュータントたちが残ると言われる遠方の場所を目指す。「少女を救え」というチャールズに対して、ローガンは「無関係」と少女との関わりを拒み、あくまでドライだ。それだけ自分たちが生活するだけで手一杯という状況。要介護の老人と、目が離せない子供の面倒をみるローガンの姿が不憫で可笑しくもある。ローガンにこんな日が訪れるなんて。。。目的地に向かう途中に関わる、農場を営む家族とのささやかな団らんシーンが印象に残る。映画はいつしかロードムービーに変わっていた。

しかし、その道中は平穏を許さない。容赦ない残酷な展開が待ち受ける。襲いかかる強力な敵に立ち向かうのは、老いたローガンの肉体だ。動けば息切れ、肉体に攻撃を喰らえばダメージも大きい。強さよりも弱さが際立つ。Xメンとして活躍したのは過去の出来事。かつての仲間たちはもういなくなっている。その活躍は劇中でも漫画となって、後生に語り継がれているが、もはや都市伝説のようだ。「漫画で描かれているのはファンタジー、リアルはここにある」と少女に発したローガンの言葉は本作をそのまま言い表している。

その後、壮絶な戦いを経て、結末を迎える。それは本シリーズのラストに相応しいものだった。ローガンの生き様を振り返り、熱いものがこみ上げてくる。ミュータントの未来を託された子どもたちが大きくなって、「フューチャー&パスト」に繋がっていくと考えると感慨深い。その他のXメンシリーズも本作を見てからだと、見え方が変わってくるかもしれない。

主演のヒュー・ジャックマンを知ったのは、18年前のXメンのパート1だった。当時、ボリビアに旅行中だった自分はスペイン語字幕でXメンを見るという希有な経験をした。現地の映画館で2回リピートするほどハマり、Xメンシリーズのファンになった。Xメンシリーズの中心キャラがローガンであり、それを演じたヒュー・ジャックマンが映画スターとしてブレイクするきっかけにもなった。ヒュー・ジャックマンにとって特別な役柄であるのは間違いなく、本作に臨む覚悟は並々ならなかったと感じる。思いのこもった素晴らしい熱演だった。

そして本作を成功に導いたもう1つの要因は、ローガンと行動を共にする少女「ローラ」を演じたダフネ・キーンだ。どこかイノセンスな雰囲気と、強い目力が印象的。ローガンに劣らぬ存在感だ。過去のローガンと未来のローラという対局の構図が、映画のテーマを一層鮮明にする。スーパーで万引きした(結局、金を払わんのかいw)サングラスが似合っていて絵になるし、攻撃態勢におけるローガンばりのしかめっ面も可愛い。そして彼女が発するスペイン語に萌える。あのコに「ポルファボール!」って懇願されたら何でも言うことを聞いちゃいそうだ。



北米での絶賛ぶりも頷ける新しいアメコミ映画だったが、いろいろと惜しいと思われる部分も多々あった。ローガンたちと一緒に暮らしていた色白ミュータントがその能力をほとんど出さずに消えたことや、ローガンたちを追う敵のリーダーが指示するだけで無能だったり、カジノでの発作シーンが異常に冗長だったり(距離が長~い)、農場での悲劇の始まりが夢か現実かわからず展開についていけなかったり、「シェーン」のオマージュが狙いすぎだったり、、、と、もう少し別の描き方があったように思う。ローガンの父性も物語の流れからは希薄だったので、個人的には切り離してほしかった。

ウルヴァリンにはもう映画で会うことはなくなるかもしれないが、Xメンシリーズはこれからも継続してほしいと思う。前作の「アポカリプス」では不完全燃焼だったし。
とりあえず、ヒュー・ジャックマン、長きに渡りお疲れさまでした。

【70点】
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レギオン 【感想】

2017-06-02 23:00:00 | 海外ドラマ


もう最終回を見終わって2カ月近く経つが、海外ドラマ「レギオン」の感想を残す。
全8話。huluにて。

ノア・ホーリー×ダン・スティーヴンスの海外ドラマということで、去年から激しく楽しみにしていたが、久しぶりの期待ハズレだった。huluの配信期間も短かったため、イッキ見ができず、5話目を見逃してしまったことも大きいか。でも、全部で通しで見たとしても夢中になることはなかったと思われる。XメンのTVドラマ版として見ると、大きな肩すかしを喰らう。

強力な念力を持つミュータントの男が、仲間たちと共に、悪の一団と戦うという話。。。。。というのが、本作をわかりやすく紹介するベターな表現だと思われるが、正直なところ何の話だったのかよくわからない。

主人公は統合失調症と診断され、精神病院に収容されている。彼が患っている精神疾患は、実は、彼の隠れた能力ゆえの現象であり、その能力が、ある事件をきっかけに覚醒されるという展開。その覚醒シーンが描かれる、1話目が本作のピークといえる。1話目で「これは面白いドラマだ!」とテンションが上がるも、2話目以降でズルズルと興味が失せていく。

劇中の多くの時間を、主人公の内面を掘り下げる過程に割いていく。主人公の中にある、現実、記憶、幻想、精神という4つの世界がごちゃ混ぜに描かれ、その仮想世界で起きる話がまとめられている。極めてユニークな世界観をもったドラマといえるが、肝心の理解と興味がついていかない。あれを描くことにどんな収穫があるのか、と?マークが脳内をよぎるばかり。物語が前に進んでくれない。ミュータントを駆逐しようとする悪の軍団よりも、主人公の内面を潜む、もう1つの敵からの開放が本作の最重要ポイントだったようだ。

本作は「Xメン」のスピンオフと位置づけられるみたいだが、Xメンとの共通項は「ミュータント」という言葉が出てくるくらいで、関係性は極めて希薄だ。突然変異によって、生まれながらにして持ってしまった特殊能力を、正義のために使うという設定がXメンシリーズの醍醐味であるが、本作ではミュータントらしい能力が可視化されることはあまりない。主人公は周りから「お前は最強のミュータントだ」とさんざん持ち上げられながらも、一向にその力を飼い慣らしてくれない。本人のコントロールではないところで能力が発揮されることにイライラする。さすがに最終話では、自らの意思で強力な念力を披露するが、クライマックスの割にかなり地味な画だ。

ドラマ「ファーゴ」のシーズン1、2で感じた、ノア・ホーリーの引力はどこへいったか。新しいタイプのドラマを作ろうとする挑戦は買うが、もっと普通に楽しめる娯楽作品を作ってほしい。「ファーゴ」の出演陣が、本作にも主要キャラとして何人か出演しているが、「ファーゴ」の時に演じたキャラクラーのほうが何倍も魅力的だった。主演のダン・スティーヴンスはかなり痩せた印象。体を絞ったというよりも、役作りのために病的に見える痩せ方でイマイチ。ドラマ「ダウントアビー」や映画「ゲスト」の時のように、彼のチャームをもっと活かしてほしかった。特殊能力を使ってくれないフラストレーションも手伝って、彼が演じる主人公に物足りなさが残った。

アメリカでの評判はまずまずのようで、シーズン2の製作も決まっているらしい。
自分はシーズン1で脱落だ。

【55点】
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BLAME! 【感想】

2017-06-01 08:00:00 | 映画


ネットフリックスにて。
ついに日本でも劇場公開とネット配信が同時リリースされる日が来た。映画コンテンツにとって追い風になるかどうかは微妙だが、映画ファンの選択肢が増えたという点では歓迎すべき状況といえる。ネットフリックスが本作に製作費を投下したのは「ジャパニメーション」といわれるほど、世界基準で人気のジャンルだからだろうか。で、本作はその期待の高さに相応しいレベルのアニメ映画だった。予告編から少女漫画みたいなキャラクターデザインに関心が持てず、一部のアニメ好きに向けた映画と思っていたが、実際に見てみると十分に一般ウケするようなアニメ映画だった。

機械に人間が支配されるようになった未来の世界で、「駆除」の対象となった人間たちのサバイバルを描く。なんともターミネーターちっくな話だが、本作で描かれる人間たちは限られた生活環境の中で食糧が底をつくなど、生存の窮地に立たされている。その人間の窮地を1人の旅人が助けるというあらすじだ。今度はマッドマックスじゃないか・・・と、すぐに他の映画と結び付けてしまうのは仕方なしか。あとで本作の解説を見たら、この旅人が主人公のようである。しかし、主人公らしい存在感は感じられず、彼の意思も不鮮明であり、映画の構成上も冒頭から登場する女子の視点から語られるため、その設定に釈然としない。旅人に主人公たる明確なヒロイズムが与えらていれば、もっとわかりやすく魅力的な映画になっていたと思う。原作をまったく知らないため、旅人の男が一部機械化されていることなど、当たり前のように描かれている前提も呑みこめない。ある程度、原作の内容を事前にインプットしたほうが良かったかも。その一方で、SF映画に肝心な世界観の作りこみや、アクションシーンの数々は意外なほどしっかりしていた。生死を分かつハードな描写も避けることなく描き、空間を大胆に使ったアクション演出が素晴らしく非常にスリリング。日本のアニメーションスタジオの実力をまざまざと見せつけられ、世界に通じるコンテンツとしてネットフリックスは良い作品を生み出したなーと思った。才能ある作り手にリスクを恐れず、製作を任せるネットフリックスのビジネスモデルは、今後どのように進化していくのだろう。来月リリースされる、ポン・ジュノの『オクジャ』が楽しみ。

【65点】
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