から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

ゴーストバスターズ 【感想】

2016-08-24 08:00:00 | 映画


リブート映画の成功作。男女の逆転のプロットがキマっている。シンプルに楽しめる正統派ポップコーンムービーを久々に堪能。ポール・フェイグ映画のなかではユーモアの加減が一番良いと思う。伏兵、クリス・ヘムズワースがコメディ要員としてまさかの活躍をみせる。エンディングを見送って「あぁ面白かった~」と呟く。

オリジナルの第一作から30年以上の時を経て、満を持してのリブート作だ。続編ではなく、オリジナルのストーリーをなぞる形に近い本作は、オッサンたち4人から、おばさんたち4人に主要キャラをスイッチした。アメリカのドメスティック感の強いSNL出身のコメディエンヌを揃えたキャスティングに、観る前から食傷気味だったけど実際に観てみたら全然アリだった。彼女たちの息のあったコンビネーションに納得。ジョークとボケ倒しに笑いが止まらない。撮影現場での楽しい雰囲気が伝わってくるようだ。

メリッサ・マッカーシーのフォルムがどうしても好きだ。直近で観た「スパイ」から少しほっそりした印象だが、それでも体型の「風船」感は変わらない。彼女が劇中で初めて顔を出すシーンが出オチだ。彼女の丸顔とヘンテコなヘルメットが妙に似合っていて吹き出す。彼女の演者としてのパフォーマンス含め、彼女の持ち味はユーモラス&チャーミングであり、ポール・フェイグが彼女を好んでキャスティングする理由がわかる。

登場する4人のキャラの個性付けがオリジナルに負けず劣らずしっかりしているのが良い。ゴーイングマイウェイな理系女子「アビー」、キャリア重視な理系女子「エリン」、パンクな天才理系女子「ホルツマン」、肝っ玉女子の「パティ」。彼女たちの明け透けな掛け合いの摩擦によって次々とユーモアが湧き上がる。日本人にはわかりにくいネタもあるが、そのヒット率はなかなか高い。オリジナルのキャストたちが総登場しているが、その扱いがときに雑なのが逆に笑える。

オリジナル以上に4人のバディ感を強く感じる。とりわけ主要キャラを女性に変えたことが大きい。男性イメージの強い理系キャラを、女子にしたことでその奮闘ぶりが一層際立ち、女子同士ならではの明るさや結束感が良い味付けになっている。個人的にはオリジナルの男性組よりも本作の女性組のほうが好きだ。その4人組に新たに加わるのが「観賞用」として彼女たちの手伝いをするイケメン男子だ。まともに仕事ができない単細胞で、顔と体が良いだけで何の取り柄もない男だ。その存在を俯瞰して見ると、男性ヒーロー映画によく登場するナイスバディなお姉ちゃんたちを思い出す。ありがちなプロットに対する皮肉に見えてきて可笑しくなる。演じるクリス・ヘムズワースがこれまでのイメージを封印してバカに徹する。頭の悪さ全開のウィンクの巧さよ。彼のキャスティングが見事にハマっているのが本作の成功要因でもある。ラストのダンスシーンを含めて、後半から一気にまくって笑いをとった。

もう1つの主役であるゴーストたちは、オリジナルの色をそのまま踏襲する。ホラーではなく、あくまでコメディキャラとしての位置づけをキープする。ファミリー映画として安心安全な作りだ。オリジナルで観たことのあるキャラクターもチラホラ登場。出てくるゴーストは同じ感じでも、30年前からの視覚効果の進化によって表現できることの幅は広がった。クライマックスの「ゴースト祭り」が壮観だ。緑色の火の玉のような無数のゴーストたちが、ニューヨークをところ狭しと行進し、宙を舞う。打ち上げ花火を見ているような眼福感アリ。そして、ゴーストたちを一掃するアクションシーンが痛快だ。特に、怖いもの知らずのホルツマン(素敵♪)による一騎当千なバトルシーンがケレン味たっぷりに描かれ、そのカッコよさに痺れた。彼女たちが武器として扱うレトロ感たっぷりのガジェットデザインも素晴らしい。

オリジナルへの愛と、現代流の味付け、進化を感じさせる正しいリブート作。大満足だった。

【70点】

シング・ストリート 【感想】

2016-08-20 08:00:00 | 映画


目撃するのは音楽が少年の世界を変える瞬間だ。音楽は聞く人、あるいは表現する人に新たなイマジネーションを与え、視界を広げ勇敢にさせる。本作で描かれる少年の青春ドラマから見えてくるのは、観る者のハートを鷲掴みにする音楽の力だ。歌曲シーンがどれも絶品。音楽の魅力がぎゅぎゅうに詰まった宝箱のような映画だ。観終ってサウンドトラックを入手。登場する子役たちが魅力的で将来有望なキャストたちの「青田買い」な1本でもある。妄想に走り過ぎてしまったラストが惜しい!!!

親の経済的な理由で転校した14歳の男子が、そこで出会った女子にモテたいがために始めた、バンド活動の様子を描く。

冴えない主人公、抑圧的な学校、都会への憧れと挫折、オタクな仲間たち、暴力にモノ言わすいじめっ子、大学生と付き合う年上の女子、不仲な両親、カッコいい兄貴。。。本作で登場するプロットは、ことごとく青春映画として既視感のあるものばかりだ。それでも本作が特別な映画になっているのは、音楽との出会いから始まったキャラクターの変化を強い実感として受け取れるからだろう。本作を彩る80年代ポップスやロックにはまるで馴染みがなく、音楽を頻繁に聴いていた学生時代でも邦楽ばかり聴いていたので本作の趣味とは合わないと思っていた。が、劇中終始テンションが上がりっぱなし。時代やジャンルは違っても音楽に触れる感動は変わらなかったようだ。

音楽の神が舞い降りる瞬間を捉えるのが抜群にうまい。音楽の力を知り、音楽に深い愛をもつジョン・カーニーの演出が本作でも冴え渡る。ギター1本から始めて何となくのメロディーに乗せた歌が、仲間が奏でる楽器の音と重なり膨らみ、知らなかった世界がどんどん広がっていく過程をじっくり追っていく。主人公の喜びとシンクロした序盤の練習シーンに引き込まれる。

本作が他の音楽映画と比べて特異な点は、キャラクターたちが音楽を作るだけに留まらず、その音楽にビジュアルを加えるためにミュージックビデオ(MV)を撮影したことだろう。その価値観の背景には80年代音楽のMVとの密着性があるようだ。音楽とビジュアルがセットだった時代は、音楽が今よりもクールに聞こえたに違いない。以前にずっぽりハマった海外ドラマ「glee」をきっかけに洋楽のMVをYoutubeでよく漁っていた。その中でエルトン・ジョンの「I'm Still Standing」のMVが鮮烈だった。軽快な曲調にのせて、ブーメランパンツ一丁のマッチョ男子やハイレグレオタードの女子がカラフルな衣装とメイクで踊りまくる。とても歌詞の内容とリンクしているようには思えず、あくまでイメージの世界のようだ。今観るとレトロでダサい感じるもするのだが、妙にカッコよかった。

本作の主人公たちが撮影するミュージックビデオもイメージ先行型だ。手製ならではのチープさと粗さを含めて、そのカオスな作りがチャーミングで楽しい。主人公のMVから影響を受けるスピードが早く、音楽に触れない普段の生活の中にも自身のファッションや生き様に、音楽で知った世界をどんどん取り入れていく。穏やかでない家庭環境の中で、不自由な学校生活の中で、想いを寄せる女子に対して、トライしては失敗することもあるが、確実に主人公を成長させる糧になっているのがわかる。主人公の音楽の師でもあり、最大の理解者でもある兄貴の存在も非常に大きい。

主人公が出会っていく音楽がいずれも最高に魅力的だ。楽曲の完成度と歌唱パフォーマンス、そのパフォーマンスを彩る情景描写が実に秀逸。どれも14歳の子どもたちが奏でる現実的なレベルではないが、彼らの脳内イメージによって盛られたパフォーマンスとして眺めるのも自然な見え方だ。多くの音楽シーンの中でも、やはり「drive it like you stole it」のライブシーンが最も印象に残る。その迫力のシーンに高揚と興奮で鳥肌が立った。主人公が思い描く幸福が、煌びやかなダンスフロアで華々しく弾ける。その見事なビジュアルセンスもさることながら、「ハッピーサッド」の象徴的なシーンでもあったと思われる。近年だと「セッション」のドラムシーンと並ぶ、音楽映画史に語り継がれるであろう名シーンだ。

本作に出演する子役キャストが無名ながら見事に全員ハマっている。主人公演じ、常に頬が赤いフェルディア・ウォルシュ=ピーロ(覚えにくい名前。。)や、彼が恋焦がれるヒロイン演じたルーシー・ボーイントンなど、今後の大成を予感させるキャストが多い。そのなかで個人的に注目したのは主人公の相棒に近い友人であったイーモンを演じたマーク・マケナの存在だ。メガネがダサく、一見イケてない男子風に見えるが、まだ少年にして色気が漂っている。本作でも重要な役割を担っており、目立たないながらもしっかり響く彼の助演ぶりが本作をより心地よいドラマにしていた。あと、主人公の兄貴を演じたジャック・レイナーも好演。バンドのプロデューサー役である赤毛で歯を矯正しているチビっ子男子も可愛かった。その一方で、主人公の両親を演じたエイダン・ギレンとマリア・ドイル・ケネディはミスキャスト。彼らが出演する海外ドラマの先入観もあるが、2人から家族の匂いが全くしない。2人が夫婦というのも絵的に収まっておらず、不倫するのはどう見ても逆だ。主人公が抱える家庭の問題には悲壮感が感じられず、そのせいで家族を想う兄貴の姿にも同調できなかった。

全体的に完成度の高い映画だったが、どうしても納得がいかないのはラストの展開だ。主人公の妄想シーンと信じていたが、終幕まで突っ走り「嘘でしょ?」と絶句してしまった。「未来」というのが本作の1つのテーマになっているが、将来への希望である夢や愛を無鉄砲に追いかけるにはあまりにも未熟過ぎる。ファンタジーとして余地を残してくれれば良かったが、兄貴のリアクション含めてがっつりリアルに描いている。あれでは音楽の力に乗せられた無知な少年が間違った方向に進んでしまったと解釈してしまう。未来への逃避行ではなく、未来に繋がる、ありし日の輝ける思い出(過去)として描いたほうが絶対に良かった。本作のノスタルジーが味方になっていたはずだ。バックに流れるアダム・レヴィーンの「GO NOW」が神懸ってていただけに本当に勿体ない。

結末に大いに不満だが、パッケージ化されたら購入してしまう映画だ。近くで上映しておらず、鑑賞するタイミングもなかったので劇場鑑賞をスルーしようとしていたが、今年の映画を語る上で見逃せない映画だった。

【70点】


X-MEN:アポカリプス 【感想】

2016-08-19 09:00:00 | 映画


シリーズ史上最も豪勢なアクション&視覚効果に大いに盛り上がるも、シリーズ史上最も多いツッコミどころに何度も苦笑する。アメコミ映画の中で一番好きな「X-MEN」シリーズとあって楽しみにしていたが、北米での評価が低かったのには頷けた。アポカリプスという壮大なヴィランを配したせいか、いろいろと粗い作りだった。

古代エジプト文明時代より蘇り、世界滅亡を目論む「アポカリプス」とXメンたちの戦いを描く。

「ファーストジェネレーション」が始まる、プロフェッサーXたちの若かりし日を描いた新トリロジーの完結編に相応しく、旧トリロジーへの回帰と、新トリロジーの締めくくりとして非常に意味のある映画だった。

冒頭の闘技場シーンで「戦わなければ殺される」という逃げ場のない状況でミュータント同士が強制的に戦いを強いられる。旧トリロジーのパート1で、ウルヴァリンが登場する冒頭シーンと良く似ている。ミュータントというだけで社会から虐げられ、ときに残酷なまでに人間に利用される。物語の展開をつくる本シリーズの対立構造は、そんな人間たちとの共生を信じるXメンたちと、人間たちを支配しようとするミュータントとの関係性で成立している。しかし、本作は少し毛色が違っていて、もともと人間たちを支配していたミュータントであるアポカリプスが、再び、自らの支配下に置くべく世界を刷新しようとするのがきっかけとなる。人間に対するミュータントの遺恨は、一部のミュータントたちがアポカリプスに加担する動機として描かれるものの、アポカリプス自体の動機には繋がらない。極端にいえばアポカリプスは単なる「悪者」でしかないのだ。

原作の段階でも「最強」と呼び声高いアポカリプスを、シリーズの完結編に登場させることには大賛成であるが、アポカリプスのキャラクターについての説明が省かれ過ぎている。彼が登場する背景は冒頭で触れられるが、どんな能力を持っているのかは予備知識がないとわかりにくい。最大の能力である分子構造を操る能力は、土(砂)や水を操るシーンや、物体を再生、変換するシーンで表現されるものの、言葉で明確に説明されないので能力の範囲がよくわからない。そのほかに、テレポート能力、電波と繋がる能力、人を操る能力(らしきもの)が見受けられる。彼の行動はなすがままで「なんでもできちゃんうんだ」と無駄にチートキャラに見える。「最強」はアリだが「無敵」なミュータントは面白くない。ファンであるオスカー・アイザックがアポカリプスを演じたが、仮面メイクのために彼の個性が見えないのも残念だ。

新トリロジーで最もお気に入りのキャラは、マイケル・ファスペンダー演じるマグニートーだ。しかし本作のマグニートーはあまりカッコよくない。本作の方向性を決定づける彼の家族シーンにズッコケる。「そんなウッカリなミスあるかー!」と思いっきり笑ってしまった。とても重大な悲劇なのにあの描き方はないだろう(笑)。また、アポカリプスが最強の使徒としてマグニートーに目をつけるのは納得だが、当のマグニートーがアポカリプスの仲間に入る動機がよくわからない。怒りに任せたというだけではアポカリプスに加担する時間が長すぎる。Xメンとアポカリプス軍団との最終決戦の折でも、地上では死闘が繰り広げられているのに、宙に浮いたマグニートーは金属片を空中でグルングルン回すだけで、彼を説得しようとするミスティークらを巻き込み、ずっと停滞したままだ。「その時間、無駄ー!」と何度もツッコんでしまう。ツッコミといえば、中盤のクイックシルバーによる救出シーンもそうだ。楽しみにしていた彼の活躍シーン&コメディパートだったが、さすがにお代わりし過ぎだ。彼の能力は時間を止めるのでなく、音速スピードで動けるレベルであり、あのアクションは過剰である。ミュータントを描くにあたっては特殊能力が肝心なので、その限界点はちゃんと守ってほしい。

ジーンなどの新世代とプロフェッサー世代との年齢差が旧トリロジーよりも断然近い、など、他にも文句をつけたくなる部分もあるが、クライマックスのバトルシーンで一気に過熱する。キン肉マン、あるいは男塾的な「ここは俺に任せろ」という1対1のバトルに萌える。ミュータント同士のそれぞれの特殊能力をぶつけ合うシーンがやはりこのシリーズの醍醐味であり、それが圧倒的な迫力で描かれる。前作でバトルに参戦してほしかったのに、途中でいなくなったクイックシルバーもちゃんと参戦してくれた。そしてアポカリプスという強大な敵をチームプレーによって倒そうとするシーンには、体が前のめりになるほど夢中になる。マグニートーよる「X」シーンに拍手喝采。旧トリロジーの3作目で証明された「ジーン最強説」が本作でも継承される。そのジーンの覚醒シーンが最高にカッコよくて好きだ。新トリロジーの中では文句なしに一番興奮したバトルアクションだった。

Xメンの新世代であるジーンを演じたのは、海ドラGOTの「サンサ」ことソフィー・ターナーだ。そして、若き日のスコットを演じたのが「MUD マッド」で注目したタイ・シェリダンだ。2人のファンとしては、本作へのキャスティングと彼らの活躍がとても嬉しかった。彼らが本作1度きりのゲスト出演にならないことを願う。

やはり新トリロジーのなかでは、1作目の「ファースト・ジェネレーション」が抜きん出ている印象を再認識させたが、その1作目で描かれたチャールズ、エリックとの友情を回想で振り返るシーンもあり、完結編として感慨深いものがあった。今後もXメンがどう展開するのか注目していきたい。

【65点】

ぼくとアールと彼女のさよなら 【感想】

2016-08-19 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
昨年のサンダンスでグランプリと観客賞をW受賞し注目していた映画がDVDスルー。TSUTAYAでレンタルパッケージを発見したときは驚いたが、観終わって確かに日本で上映するには難しい映画だったな~と思えた。原題「the Dying Girl」を「彼女のさよなら」と訳した邦題にセンスを感じる。

主人公の高校生男子「グレッグ」と、彼の「仕事仲間」である「アール」と、白血病に侵された「レイチェル」との「絶望的な友情」の日々を描く。

出会いと成長を描いた紛れもない青春ドラマだが、とても説明がしにくい映画だ。感じるのは10代特有の瑞々しさよりも、10代特有の不確かさや浮遊感だ。主人公のグレッグは高校生活や対人関係と距離を置いており、ありがちな10代にプロットされていない。友情とも無縁な彼が、近所にいながら顔だけは知っている程度の同級生女子の病気をきっかけに交流することになる。半ば強制的に会わされた2人だったが、双方の個性が共鳴して不思議な友情が芽生えていく。グレッグは旧作映画のパロディを撮影することを趣味としており(「木綿仕立てとオレンジ」に爆笑)、共同制作者である同級生のアールと取りとめのない日々を過ごしている。そんな彼らが作ったパロディ映画のファンとなったレイチェルのために、2人が新作を撮ろうとする過程が描かれる。

本作で描かれるのは「死」と対峙する10代の姿であり、その筆致が嘘っぽくなくて非常に誠実だ。その視点も不治の病に侵されたレイチェル本人ではなく、彼女を見守るグレッグから描かれる。同情ではなく、グレッグの素直な思いやりと、代えのない2人の友情関係に感動を覚える。予想を裏切るプロムナイトでのクライマックスシーンが印象深く、思わず熱いものが込み上げてきた。グレッグ演じたトーマス・マンの自然体の演技も効いていた。

【65点】

ビューティー・インサイド 【感想】

2016-08-18 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。

「綺麗なお姉さんは好きですか?」と、どっかで聞いたことのあるコピーを真っ先に思い浮かべた。その質問に対して自分は喰い気味で「大好きです!」と即答すると思う。ヒロインを演じたハン・ヒョジュの陽性&透明感たっぷりな美しさに降参する。

寝て起きるたびに、性別も年齢も人種も変化してしまう体質(病気)をもった男と、彼が惚れた女性との恋愛模様を描く。

タイトルのとおり「内面の美しさ」は外見を超越するか?というのが本作のテーマのようだが、物語の内容は容易にファンタジーとして片づけることができないほどシリアスに描かれている。主人公の奇病の最大の問題は、見たこともない容姿に変わってしまうということだ。その秘密を知った相手役のヒロインは「毎日、違う人と付き合える♪」と最初は面白がっていたが、愛する人の姿を認識できないという孤独を次第に実感するようになる。多くの人でにぎわう街角で「僕はどこにいるでしょ?」と電話口で軽い気持ちで試すが、その問いに対峙したヒロインが言いようのない恐怖を感じるシーンが印象的だ。愛する人が毎日、知らない人に変わる現象は、その内面の美しさをどんなに愛せたとしても解決できる問題ではないと、本作を結末を見送ってもそう思える。内面よりもむしろ外見の重要性を再認識させる映画だった。ラストのキスシーンの連続では、さすがに美しい男たちだけで並べている。まあ仕方なしか。

本作の内容もさることながら、ヒロインを演じたハン・ヒョジュの美しさに終始ドキドキする。主人公が一発で一目惚れしてしまった瞬間と自分の感情が完全にシンクロする。ナチュラルな顔立ちに、のびやかなスタイル。前向きで明るく、時折はみせる無邪気さにやられる。ご飯を食べるシーンで、机の上にあるゴムを使って無造作に髪をまとめるシーンに萌える。間違いなく本作の最大の引力は彼女だ。歴史ドラマのトンイの人で、映画の「監視者たち」にも出てたんだと知る。もっと映画界で活躍してほしいと思う。

【65点】

ダウントン・アビー シーズン5 【感想】

2016-08-16 08:00:00 | 海外ドラマ


スターチャンネルで放送していたダウントン・アビーのシーズン5を録画&イッキ見で観終わったので感想を残す。

シーズン4に続き、傑作。
GOT、HOCとならび、このドラマもやはりトリプルA級といえる。
毎回毎回、何かしらの余韻を残してくれる見事な脚本に酔う。
振り返るとシーズン3のラスト(ブーイング)だけがどうしても悔やまれるな。。。。マシュー!!!

シーズン5を一言で言うならば「愛」だ。
シリーズを通して貫かれているテーマであるが、本シーズンで描かれる愛の形の数は、これまでのシーズンの中で最も多い。

ダウントンの長、ロバートとコーラには夫婦の愛が試される。コーラを口説く中年男が出現。それでもロバートへの愛は揺るがないコーラ。一方で過去のロバートの過ちが思い出される。。。長女のメアリーは前シーズンから引き続き、子育ては乳母任せで、男たちを翻弄しまくる(貴族は子育てをしないようだ)。ギリンガム卿をはじめ登場する男たちは、メアリーの相手としてはどれも亡くなったマシューと比べると役不足であったが、最終話で真打ちが登場する。映画界でも活躍するマシュー・グッドが出演!カッコいい!!メアリーの相手に不足なし。次のシーズンに向けて、メアリーとのロマンスの予感がして楽しみだ。次女のイーディスは娘への母性愛が止まらない。イーディスの気持ちも理解できるが、育ての母の想いが切な過ぎる。イーディスの暴走の顛末で活躍するのはコーラだ。彼女の出産は侯爵家としては赦されない事態だっただろうが、最初からコーラに相談すべきだったと思われる。すっかりクローリー家の一員となり、家族間の良き相談相手にもなっているトムにも軽いロマンスあり。前シーズンに続き、女教師のバンティングが彼に接近する。前半パートではバンティングが「親の敵」とばかりに、クローリー家を非難して攻撃。ドラマの空気をめちゃくちゃにする。伝統の意義をわかっちゃいない彼女に普通に苛立ってしまう。4頭身のスタイルもあって、トムの相手には相応しくなく、その結末に安堵する。前シーズンの予想とおり、トムは本シーズンをもってダウントンを去るようだ。シビルが亡くなり、ダウントンに馴染めなかった彼が、クローリー家と確かな絆を結んだことに感動する。大叔母のバイオレットや、イザベルにもかつてないロマンスが待ち受ける。2人はどちらも本当に魅力的な人だ。その内面の美しさに惚れ、求婚する男たちに納得である。それぞれのロマンスは巧く運ばないが、バイオレットとイザベルの友情が継続したことはハッピーエンドといえる。最後に、クローリー家に世話になっているローズは真の愛に辿りつく。宗教の違いという大きな障壁を超えるが、印象的なのは、娘を信じる父親と、息子を信じる母親の姿だ。その無償の愛に涙ぐんでしまう。相手の屋敷での騒動を描いたエピソードが秀逸。雨降って地固まる。

使用人たちの間でもいろいろな愛の姿が描かれる。
ベイツとアンナの「疑惑」は新たな局面に。互いを愛し、信じるがゆえの行動に胸を打たれる。モールズリーが想いを寄せるバクスターの知られざる過去が明らかになる。彼女が仕えるコーラが救済の手を差し伸べる。さすがコーラだ。ベイツ夫妻への友情と贖罪のために、モールズリーとバクスターが素晴らしいファインプレーをみせる。これまた胸を打たれる。バローはジミーへの友情でひと肌脱ぐが、結果的にジミーの仇となる。本シーズンのバローは悲哀が際立つ。人と違う自分を嫌悪し「治療」に挑むバローの姿は、時代の罪といえる。そんなバローに対してバクスターが手助けをする。あんなに自分を利用しようとしたにも関わらず、バクスターの優しさは憎しみを上回る。上の階ではトラブルメーカーだったバンティングだったが、下の階のデイジーには学ぶことの喜びを教える。学力とともに、自立することを知ったデイジーは料理助手としての自分を見つめ直す。彼女の師匠であり、親代わりでもあるパットモアはダウントンを離れようとするデイジーに悲嘆する。勉強をしてデイジーに成長してほしいと願う一方で、デイジーへの愛情がそれ以上に大きいのだ。使用人たちのボスである執事のカーソンと家政婦長のヒューズは、双方の秘めたる想いがいよいよ明らかにする。

貴族階級と使用人階級が本作では分断されず、横の人間関係と等しく、身分を超えた縦の人間関係も自然かつ丁寧に描かれる。本作は3次元の群像劇といえる。直近に観た、人種間でドラマが固定化してしまった「オレンジイズニューブラック(S4)」は本作を見習うべきだろう。

改めて思うのは、本作のレギュラーメンバーがもれなく魅力的という点だ。悪人のいない物語は得てしてつまらないものになりがちだが、本作はそれにあてはまらない。正直に誠実に生きること、思いやりをもって生きることが尊いことであることに気付かされる。妬み、嫉みのない世界を描いても、ユーモアと感動でこんなにも面白いドラマができてしまうのだ。

「貴族なんて不要」とするバンティングの登場しかり、領地の新たな土地開発問題にて、「伝統」と「変化」を見つめ直すシーズンでもあった。「守るべきものがあって、変化に順応していく」という本作のメッセージは、日本人にも大いに共感できることであり「伝統」の本質をついているようにも思われた。

以下、本シーズンの名セリフを一部抜粋。
 『まやかしの希望より厳しい現実の方がマシだ』(クラークソン医師)
 『思いやりの欠如は過剰な涙と同じくらい品がないわ』(バイオレット)
 『愛は憎しみ以上の原動力なのよ』(バイオレット)
 『人は成長し、みんな去りゆき、物事は変わっていく』(メアリー)
 『疑うものか、太陽の存在と同じくらい君を信じている』(ベイツ)

本シーズンを通して、最も活躍したMVPは伯爵夫人のコーラだろう。顎を引いて相手を見つめる仕草はすっかり定着してしまったが、彼女の強さと良心なくして、このシーズンでのドラマは持ちこたえることはなかったろう。

それぞれの愛が一斉に花開く最終話となるクリスマスのエピソードが素晴らしい。最後のカットまで美しく、その見事なまでの着地に思わず拍手を送ってしまった。

次のシーズンである第6シーズンが、いよいよダウントン・アビーの最後である。連続放送するスターチャンネルのおかげで、次のシーズンも現在録り貯め中である。このドラマが終わってしまうことが残念だが、有終の美を飾ってくれることを期待する。

【90点】

ジャングル・ブック 【感想】

2016-08-13 10:00:00 | 映画


児童小説の映像化としてはこれ以上ない完成度だ。CGのクオリティがどうこうではなく、それが実写映像だとしても、生命力溢れる自然の息吹に圧倒される。わかりやすいシンプルなメッセージと、「守るべきルール」の先に見えた人間と野生の境界に感じ入る。
大作映画へと戻ってきたジョン・ファヴローが、その勢いそのままに鮮やかなホームランを打ってみせた。傑作。

幼児の頃にジャングルに取り残され、オオカミ家族に育てられた少年モーグリの冒険と成長を描く。

原作の内容をよく知らず、本作の予告編だけではどんな話になるのか全く想像ができなかったが、まさかモーグリと動物たちの交流だけで終始するとは思わなかった。しかし、映画の内容は子どもダマしとは無縁で、予想を上回る映像美と、エモーショナルなストーリーに満たされた冒険活劇だった。「面白い」のは勿論のこと、小さい子どもが見ても「良心」として浸透するであろう作りが素晴らしい。

映し出されるジャングルの自然描写に目を奪われる。うっそうと茂る草木に、その間から指し込む木漏れ日。マイナスイオンたっぷりの滝の水しぶき。乾季でカラカラになった大地の熱。「世界遺産の絶景を巡る」みたいな映像を見て、「凄いわー、一度は生で見てみたいわー」と感動することがあるが、それと同じスケールと迫力を持った光景が本作を彩っている。

そして、その雄大な自然を住処として登場する動物たちがとても魅力的だ。動物たちには知性と感情がある設定で、互いに言葉を交わしコミュニケーションもとれる。実写映画らしく動物たちの造形はとてもリアルだが、顔には豊かな表情を持たせ、それぞれの個性を引き立たせている。おかげで動物たちとモーグリのやりとりに違和感なく入りこめる。全体を通じて感じ取るのはファンタジーとしての嘘臭さよりも、自然や動物たちの生命力の輝きだ。直近で観た「ターザン・リボーン」で感じた物足りなさは、本作であっという間に解消された。

人間であるモーグリを動物たちが助けた背景は深く描かれないが、動物たちの愛情や思いやりがそうさせたと素直に想像できる。モーグリとオオカミ家族、特に母親代わりのラクシャとの絆は、早々に涙腺を緩ませる。ジャングルに住む動物たちの想いは1つで「平和」である。しかしモーグリの存在がジャングルの平和を乱す火種となる。モーグリ自身に問題があるのではなく、人間に復讐心を持ち、忌み嫌うトラのシア・カーンの脅威によるものだ。本作のヒールはこのシア・カーンが一手に担うことになる。シア・カーンの暴挙の背景には人間による侵略の過去がチラつくのだが、本作では人間の存在を深く追っかけていない。テーマを絞るための選択だったと思われた。

ジャングルの平和を保つために、様々な「守るべきルール」がある。無駄な殺生はしないこと、乾季の水辺での狩りはご法度など、苛酷な自然の中で共生する野生動物ならではのルールがあったり、動物たちが形成するコミュニティのなかで協調して生活することや、その協調を乱す者は追放されることなど、人間の実社会にもあてはまるルールまであったりする。人は1人では生きていけないこと、自らの行動には責任が伴うこと、他者と協力することで大きな変革が実現できることなどが、本作のメッセージとして浮かび上がる。

しかし、それ以上に自分が注目したルールは、モーグリだけに課せられていた人間であるが故のルールだ。動物たちはモーグリを人間の子どもとして認識していて、動物たちと人間の違いをモーグリ自身も自覚している。モーグリは手足を自由に使え、知恵も働く。動物たちにはできない「道具」を使うことが大きい。道具は便利で余分に恵みを得ることができる。モーグリの命の恩人であり、モーグリの教育者でもある黒ヒョウのバギーラは道具の使用を禁止するのだ。野生で生きている以上、ほかの動物たちと公平であるべきという理念と、道具を使うことで本来あるべき自然のバランスを崩すことを懸念していたと考える。道具を使いこなし、それを進化させ、乱用し、自然を破壊してきた人間への教訓としても映るが、本作はそうした人間の能力を一方的に否定しない。のちの展開の布石となるモーグリと小ゾウのシークエンスや、「人間として戦え」と放ったバギーラのセリフが印象的である。野性と人間の間には互いが踏み入れてはいけない境界があるが、「道具」を使う人間たちも自然と共生できることを示唆したように思えた。

当初、本作は親戚の子どもと一緒に観に行く予定だったが、どうしても字幕で観たかったため、1人で観に行くことにした。個性豊かで魅力的な動物たちの存在は豪華声優陣の好演によるところが非常に大きい。思慮深く、モーグリの最大の理解者であるバギーラを演じたベン・キングスレー。深い愛をもってモーグリを守るラクシャを演じたルピタ・ニョンゴ。お調子者だが心優しく、モーグリと固い友情で結ばれる熊のバルーを演じたビル・マーレイ。ひたすら威圧的で物語の唯一の悪党に徹するシア・カーンを演じたイドリス・エルバ。魅惑的で危険な大蛇を演じたスカーレット・ヨハンソン(素敵なハスキーボイズが炸裂)。森の賢者でありつつ強欲者でもあるキング・ルーイを演じたクリストファー・ウォーケン。。。と、ガチな演技派をこれでもかとキャスティングし、それがことごとくハマっていて物語を大いに盛り上げる。

そして本作で唯一の実物&主人公モーグリを演じたニール・セティの自然体の演技も賛辞に値するものだ。優しさと強さをもった主人公を存在感たっぷりに演じ、動物たちとの間にある絆を実感として捉えることができる。昔やっていたアニメ映画ではモーグリの造形について差別的という非難があったらしいが、本作での彼のキャスティングに文句をつける人はいないんじゃないか。

普通のアクション映画として見れば、ご都合主義と受け取れるシーンも少なくないが、ファンタジー映画としては全く気になるレベルではなく、それ以上に魅力的な映画だ。笑いとスリルの緩急と、ジョン・ファヴローらしいポジティブな視点で貫かれたストーリーテリングにのめり込んだ。

日本でのヒットは全くの未知数だが、世界的なヒットを受けて続編の製作が決まったらしい。続編ではもう一歩先に踏み込み、人間界に触れたところまで描いてほしい。

【80点】

スパイ 【感想】

2016-08-11 09:00:00 | 映画


昨年、北米で絶賛&大ヒットを飛ばしたコメディ映画が、例によって劇場公開スルーにてレンタルリリース開始。待ってました。

下品でバカバカしくて、それでいて巧みなユーモアの波状攻撃に笑いが止まらない。コメディではアメリカに勝てないと再認識。

CIAで諜報員のサポート業務をしていたオバさんCIAが、諜報員(スパイ)として核爆弾密売を阻止するため活躍する話。

クレイグ版の007を完全に意識したであろう、無駄にカッコいいオープニングにニヤける。そして、スパイはスタイリッシュでクールという、これまでのイメージを壊し始める。主人公はデブな女子だ。顔割れしていないという理由で、これまでのデスクワークから現場の諜報活動に出て行く。主人公はかなりミーハーなキャラであり、カッコいいスパイになることを目指そうとするが、与えられるIDやアイテムがことごとくダサいのが最高に笑える。イケていないビジュアルとは裏腹に、訓練生時代から戦闘能力に長けていたという、ギャップ笑いな背景もある。スパイ映画として本作は意外なほどアクション演出がしっかりしていて、マの悪さと抜群の反射神経を活かした、ユーモアとスリルが融合したアクションはジャッキー・チェン映画を彷彿とさせる。今までのスパイ映画のセオリーとおり、世界各地を巡り、その土地の特性を活かしたアクションもふんだんに描かれる。勿論もれなく笑い付きで。

主演のメリッサ・マッカーシーは「ブライズ~」のように笑いに振り切った演技もすれば、「ヴィンセント~」のように自然体の演技もできる器用な人だ。本作ではアクションで笑わせる。そのボールのような体型をフルに活かし、ところ狭しと転げ回り、そしてハネる。どう考えても走るスピードが遅いのに、犯人を追いかける様子が可笑しい。すぐに舌を入れようとするイタリア人との絡みも実にしょーもなくて良い。

惜しむらくは、監督ポール・フェイグらしい「欲しがりすぎ」が随所に出てしまっていること。SNLなノリがそこかしこに。。。CIA内のネズミのクダリや、主人公の親友であるノッポな同僚と「50セント」とのクダリとかホントに余分だわ(笑)。

週公開のポール・フェイグ×メリッサ・マッカーシーの新作「ゴースト・バスターズ」を楽しみに待つ。

【70点】

ターザン:REBORN 【感想】

2016-08-07 09:00:00 | 映画


あまりターザンについて知らない。ジャングルで生まれ育った野性児の青年が、美女と恋に落ちるロマンスみたいな印象しかない。お目当ては主演のアレクサンダー・スカルスガルドだ。彼の肉体美はやはりカッコよかったけど、映画自体は可もなく不可もなくといったところ。期待したアクションは痛快さに乏しい。

英国貴族として生活していた元「ターザン」の男が、再びジャングルに戻り、連れ去られた奥さんを救い出すため、悪党どもを打ち負かすという話。

主人公はジャングルでの日々を過去の遺物として捉えていて、今では文明社会にすっかり溶け込み、結婚した女性と不自由のない人生を送っている。「ジャングルへ行ってくれ」という仕事のオファーも断るほど、生まれ育った故郷への執着はない。周りの彼に対する反応から、ジャングルからやってきた男はかつて「時の人」だったことがわかる。妻のジェーンはジャングルでターザンと恋に落ちた本人であり、原作でのロマンスがそのまま未来へと繋がっているようだ。主人公をジャングルへと呼び戻したのは、主人公の意思ではなく、ジャングルを懐かしんだジェーンの意思によるものだ。

いわば原作の後日譚だ。その物語設定の着眼点は興味深いが、ジャングルに戻って以降のエピソードはこちらの想像の範囲を超えない。

友であった動物たちと再会し、ジャングルの原住民たちと再会する。ターザンと言われた男のジャングルでの日々が浮かび上がってくる。再会を楽しんだのち、悪者が現れ、ジェーンをさらい、ターザンが追っかける展開になる。その道中が本作の最初のアクションの見せ場だ。道なき道を行き、幼馴染みのゴリラとの挨拶バトルも出てくる。ジャングルへの空中ダイブシーンや、木の蔦を使ったワープシーンなど、ターザンならではのダイナミックなアクションが描かれる。しかし、どれもしょせんはCGのなせる業であり、大スクリーンを通して観ても高揚感は得られない。それは、ゴリラとのバトルアクションも同様であり、アレクサンダー・スカルスガルドの肉体美も高精度なCGを前にしては活かされない。

圧倒的な武力のハンデに対して、ターザンならではの野性の力を借りた逆襲劇を期待していたが、予告編で観た以上のことが起こらない。「シンプルイズベスト」は不可価値があってのことだろうが、本作にはその価値が見当たらない。唯一、原作からの発展を感じたのは、救われるだけだったジェーンが、自らの意思と行動で活路を見出していく強い女性として描かれていた点だろうか。

主人公がとった行動は結果的にジャングルを救うことになるが、基本的には妻を取り戻すためにやったことだ。恩人であったはずの自然に対する愛情が、あまり感じられないのが気になる。俯瞰で見せるジャングルの光景は美しく自然に対する畏怖の念は感じられたが、ターザン本人の意思としてもう少し描いてほしかった。

本作の背景にはベルギーによるコンゴの占領時代がある。鑑賞後に調べたら、かなり残酷な統治が行われていたとのことだ。事前に知っていれば見方も変わっていたかもしれない。

【60点】


シン・ゴジラ 【感想】

2016-08-06 08:00:00 | 映画


失敗するのではないかという心配を一蹴。めちゃくちゃ面白いじゃないか。
日本映画としては文句なしに最高水準の作り。「ゴジラ映画」を期待すれば「否」、面白い日本映画を期待すれば「賛」。自分は後者の「賛」。まさかのポリティカルムービーに、公開初日にも関わらず劇場に響き渡るイビキの音。往年のゴジラファンと思われるオジサンたちの落胆ぶりも理解するが、それよりも自分は力強いドラマに感動してしまった。やはり庵野秀明が総指揮(監督)、脚本を手掛けたことが大きいと思われる。日本映画のアタリ年を証明する映画がまた1つ加わった。

未知の巨大生物が太平洋から日本の関東地方に上陸。「ゴジラ」と名付けた巨大生物による都市破壊を阻止しようとする、日本政府の戦いを描く。

本作はゴジラを科学する。ポスターに記載されていた「虚構」×「現実」という言葉のとおり、架空の生物であるゴジラが現代の日本社会の中に放り込まれたら、どうなるのかというシチュエーション劇となっている。ゴジラが起こすアクションと、それを受けた人間たちのリアクション。それらのすべての行動に頑丈な論理をもたせる。こんな怪獣映画は観たことがない。

映画の視点は終始、国を動かす政府にあり、政治家たちと官僚たちの奮闘が最初から最後まで描かれる。
列島付近の海上で突然起きた噴火。自然災害と判断する高官たちだったが、その後、巨大生物が姿を表し日本列島に上陸。暴れるのではなく、陸上を進むだけなのだが、その巨大さゆえに街は破壊される。前代未聞の有事に対して、政治家、官僚たちが休む間もなく対応に追われる。守るべきは国民だ。そのために彼らが下す判断の一挙手一投足を丹念に追いかけていく。おびただしい数の登場人物たちが入れ替わり立ち替わり登場し、専門用語を使った会話がハイスピードで交わされていく。目まぐるしく変わるカットと情報量のボリュームに圧倒される。その迫力とテンポの波に置き去りにされることなく、物語の中にグイグイ引き込まれていく。最近の映画だと昨年の「日本のいちばん長い日」に近い感覚だ。個人的には大好きなタイプの映画だ。

相手はありもしない架空の生物だ。にも関わらず、それに対抗するための準備、手段を徹底的なディテールで描き出す。それはまるでドキュメンタリーや再現VTRのようでもある。ゴジラはどんな生物で、どんな動機があって日本に来ているのか。ゴジラの実態を解明し、その撃退方法を研究し、科学的な根拠(これもフィクションだが)をもって、戦術をたてる。その戦術を実行するための政府の意思決定フローや、クリアすべき法の問題など、現時点における政府の機能や対応力がしっかりと押さえられる。ゴジラを標本としたい欧米列強の圧力も加わり、外交手腕までも問われる事態になる。「この国の強みは首相が良く変わること」など、日本政府への皮肉を交えたユーモアも差し込まれ見応えタップリ。その一方で、日本の政治周りの価値観を知らない外国人が観た場合、「?」となりそうで、非常にドメスティックな映画ともいえる。

国を動かす政治家、官僚たちのお仕事ムービーでありながら、彼らの最大の存在意義である「日本を守る」という理想にフォーカスしのが素晴らしい。パニック劇から希望のドラマへと見事に昇華している。ゴジラへの戦いを挑んでは、人知を遥かに上回る力に屈し、それでもまた戦いに挑んでいく。ゴジラの圧倒的な破壊力により多く犠牲者が発生し、その死をちゃんと悼む。機能不全となった政府のなかでは、傷だらけになりながら生き残った者たちでこの未曽有の危機を乗り越えようと尽力する。思いはひとつ、一致団結。浮上するのは日本の底力だ。ゴジラの存在を除けば、東日本大震災など過去に日本が経験してきた自然災害と重なる。ゴジラはまさにその象徴として描かれていると感じる。幸せだった生活が破壊され、たゆまぬ努力で復興を繰り返し、未来を切り開いてきた日本へのオマージュともとれる。「この国はまだ大丈夫だ」と発した主人公のセリフに思わず涙ぐんでしまった。

同じく本作を観た友人の感想は「エヴァ臭がキツくてダメだった」とのこと。エヴァンゲリオンをまともに観ていなかったので、自分はシンプルに感動できたのかもしれない。また、2013年のギャレス・エドワーズによるハリウッド版と比べると、CGのクオリティの低さは否めない。「あえて」というより、日本の技術力の問題だと思われるが、少々荒いクオリティも個人的には日本らしいゴジラになって良かったと思う。ただ一点、友人が「ハマった」と言っていた石原さとみは自分はNG。主人公の長谷川博己や竹野内豊の男前な顔立ちはさておき、多くのキャラクターが現実的な人物像を形成していた一方で、唯一アニメっぽいキャラで彼女が登場する(余貴美子も怪しいけど)。AEON仕込み(?)のネイティブではない英語力も手伝い、シリアスなドラマに彼女の存在が水を差した。おそらく彼女のキャラは意図的な配置だろうけど、自分はリアルに徹して欲しかった。

ゴジラというテーマを継承しながら、全く新たなゴジラ映画に刷新した本作は間違いなく「シン(新)・ゴジラ」。
映画はやっぱ監督の手腕が大きいと改めて実感した。エンドクレジットの完全な「あいうえお」順も印象的だった。

【75点】

オレンジ・イズ・ニュー・ブラック シーズン4 【感想】

2016-08-04 08:00:00 | 海外ドラマ


どうしたんだ!?「オレンジ・イズ・ニューブラック」。
最新シーズンとなるシーズン4を見終わったが、これまでのシーズンの中で、ダントツにつまらない。シーズン3でチラついたマンネリがいよいよ表面化。惰性なエピソード。シーズン4の終わり方にも大クレームだ。そりゃないよ~。

シーズン3に続き、アレックスを殺しにやってきたヒットマンを女囚の仲間たちが殺害するところからエピソードが始まる。その遺体処理と隠蔽した遺体の行く末が本作の大きなポイントになる。

刑務所内のトピックスとしては、今まで女囚たちがテレビでしか見たことのないセレブ料理研究家のジュディー・キングが同じ刑務所に収監される。VIP扱いをされる彼女が受刑者たちと触れ合い、刑務所内をかき回す様子が本シーズンのコメディパートになる。ジュディー・キングの個性はよく練られていると思うが、彼女がもたらすユーモアは腹を抱えるほどのインパクトはない。

逆にシリアスパートは、刑務所を運営する親会社がさらなる営利目的によって収容者を増員することに端を発する。多くの受刑者たちが流入し、刑務所内の人口密度がアップ。その結果、白人、黒人、ラテンの人種間の壁がさらに強固になる。そしてこれまで以上に対立が深まっていく。これが本シーズンをつまらないものにしている。人種間をクロスオーバーして、いろんな表情を見せていた前作までの人間関係が固定化される。このコミュニティではこのエピソードでしか話が展開しないといった具合だ。それは単調であり、個性豊かなキャラたちの動きを束縛しているみたいで窮屈にも見える。

刑務官たちの人事も一新される。新たに登場する髭面の大男ゲイが刑務所を支配。そして刑務官の中からサイコ男が出現。登場人物のプロットとして全然アリなのだが、サイコ男による「ネズミとハエ」のクダリは生理的にマジで無理だった。ほかにも、本シーズンでは気持ち悪い描写が目立つ。全体的に汚物絡みの描写が多くてイヤになった。笑いよりも寒気がよぎる。

主人公のチャップマンが本シーズンではパッとしない。群像劇なので彼女だけ目立つ必要もないが、これまでのシリーズでは彼女が物語全体を動かす役割を担っていた。本シーズンではその役割が希薄になり、自分ゴトで手一杯になる。彼女は自身の自業自得によりイタすぎる洗礼を受ける。これがなかなか衝撃的だった。しかし、その事件によって何かが変わるわけではなく、彼女が反省しただけで終わったのが勿体ない。

自分の大好きなキャラであるニッキーがようやく復活。風を切るように颯爽としていた男前キャラが、前シーズンで起きた事件によって変貌。アイラインもキツすぎて、何だか気持ち悪いキャラになってしまった。相変わらず彼女の毛髪量はすごい(笑)。彼女と正反対に頭髪が寂しい刑務所のボス、カプートは相変わらず奮闘している。劣悪な環境を強いられる女囚たちの人権を守ろうとする姿がカッコいい。しかし、お気に入りのキャラがカプートだけでは物足りない。

本シーズンの見所は最終話に集約される。
最終話の直前に起きたプッセイの不幸。「圧死」という死因が微妙だ。非常に重要なシーンなのでハッキリ描いてほしかった。彼女に捧げる最終話でようやく「オレンジ・イズ・ニューブラック」らしい、余韻の残るエピソードが待ち受ける。ニューヨークでのかけがえのない一夜を切り取った美しいエピソードだった。但し、これまでのシーズンではもっと頻繁に感動エピソードが現れていた。

そして、抑圧された刑務所のフラストレーションが、すっかり観る側にも伝染しているにも関わらず、その決着を完全に次のシーズンに持ち越したのには驚いた。次の展開への興味よりも、シンプルに腹が立った。

高い完成度を誇っていたコメディドラマだったのに、このシーズンでは個人的な好き嫌いも含めて、ドラマの仕上がりが著しく低下。脚本家が変わったのだろうか。それともシーズン3以上の長尺を描くことがそもそも無理があったのだろうか。毎年常連であったエミー賞では、今年は初の候補落ちとのこと。納得。

NETFLIXの日米同時のリリースは実にありがたく、本作も楽しみにしていたんだけど残念だった。

【55点】