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から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

パワーレンジャー 【感想】

2017-07-29 08:00:00 | 映画


ハリウッドがガチで戦隊ヒーローを撮ったら、こういう映画になる。素晴らしい。普通にアツくなってしまった。強くなることへの憧れは男子じゃないと共感し得ない感覚かもしれない。ティーンが主人公ゆえ、青春ドラマとしての描き込みにも注力しているのはさすがだ。「友情・努力・勝利」という、週刊少年ジャンプのテーマがそのまんまあてはまる。ケレン味たっぷりの演出に、作り手の戦隊ヒーローへの愛が滲む。「変身」後のクライマックスが駆け足になったのが少し残念だが、それ以上に完成度の高い映像化に感動した。クリスピークリームドーナツとの癒着あったのか??

鉱山に偶然居合わせた5人の若者が、5色に光る不思議な鉱石を手にしたことで、超人的能力を身につけ、地球の存亡をかけた戦いに身を投じる様を描く。

のっけから、テンポの早さに驚かされる。ティーンならではの躍動を短い編集カットでみせる。よく見る学園モノの風景が描かれるが、主人公らは問題児ばかりで、しかも孤独。それぞれの事情で生きづらさを感じている状況だ。補習クラスの3人を除けば彼らは面識がない者同士であり、同じ時間にたまたま鉱山にいたがために、戦隊ヒーローへの道が一方的に開かれる。5人が一堂にまとまる展開も半ば強引だが、早いスピードでグイグイと引き込んでいく。

彼らが不思議な鉱石によって超人的なパワーを身に付けたリアクションが面白い。怖さよりも喜びが勝り、退屈な学園生活を一変させていく。ティーンならではのノリの良さも手伝い、身に着いた能力を謳歌する。スパイダーマンなどのアメコミヒーローの存在も、ジョークのネタとして使われる。楽天的で好奇心旺盛な若者たちが、不思議な鉱石に秘められた謎に行きつくのは必然的であり、その道中はアトラクション要素もあって楽しい。

そんな彼らが「選ばれた者」としての使命に目覚める様子が、時間をかけてしっかり描かれている。おそらく、ヒーローアクションとしての見せ場に重点を置けば、それらの前提を大幅に省くこともできただろう。特別じゃない若者たちが、地球を救うなどという大それた正義感に目覚めるのは自然なことではなく、相応のきっかけがあってしかるべきという誠実な判断だ。内面的な葛藤というよりも、敵の脅威に巻き込まれた印象も強いが、若者たちのリアルな反応を無視することのないように脚本がよく練られている。

5人の若者たちの友情が深まり、真のヒーローへと覚醒していく。覚醒の具現化シーンとして、「変身」が用いられたのがわかりやすくて良い。自己の内面の変化によって、大幅にパワーアップする展開は、多くのヒーロー漫画やヒーロー映画でコスられまくっている話だが、男子的には何度見ても気持ちが良いものだ。本作でも、変身までの紆余曲折が描かれた分、カタルシスが十分に感じられる。このあたりの描き方は日本映画ではまだまだ力不足で、ハリウッドに見習ってほしいところだ。日本映画で思い浮かべるのは窪塚洋介の「ピンポン」くらいかな。。。

彼らが強くなるために修業の様子も描かれている。欧米では馴染みのない工程だが、「ドラゴンボール」などの日本のサブカル文化の浸透によるものだろうか。戦隊モノのお約束の舞台である鉱山が、本作の舞台としても選ばれている。変身した5人が乗りこなす動物型ロボットが横並びで走るシーンも、あえてチープに見せている印象。随所にオリジナルへのオマージュを感じさせる。

欲をいえば、変身後の戦いのシーンをもう少しじっくり見せてくれても良かった。それこそ、5人の個性が発揮されるべき状況なのだが、操作するロボットが違うだけでアクションのバラエティが少ない。また、一番盛り上がるロボットの合体シーンは、5つのロボットがちゃんと変形して1つに合体する様子をちゃんと見たかった。あれでは、パシフィックリムと変わらない。

クライマックスの本番戦闘シーンが、前段のドラマパートに比べて物足りなさがあったものの、中二的妄想のなかで未だに生きている自分にとっては、日本の戦隊ヒーローがハリウッドによって見事な実写映画になったことに終始テンションが上がった。エリザベス・バンクス演じる悪役も、おちゃらけることなくホラーに徹したのも好印象だ。まだまだ、日本製サブカルネタで実写化してほしい素材はたくさんあるので、ネタ切れが目立つハリウッドとウィンウィンの関係を継続してほしい。

【70点】

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銀魂 【感想】

2017-07-25 08:00:00 | 映画


一言でいえば「ボーダレス」。日本映画には珍しく、面白ければ何でも取り込んでしまうチャレンジ精神に恐れ入った。「ピーーー」を入れてしまえば著作権の問題はひとまずクリアかw。期待していなかったが想像以上に面白く、福田作品としては「変態仮面」(パート1)に次ぐ笑いの頻度。深夜ドラマのノリで人気漫画を実写化した感じだが、原作漫画と福田監督の相性はかなり良さそうだ。原作は未読。映画を見て原作を読みたいという気には全くならなかったが、単体のコメディ映画として普通にイケる。小栗旬が唄う「パッション」が絶妙にダサくてよい(反町みたいw)。

幕末風なSF世界を舞台に、妖刀を使った辻切り事件が発生し、その真相を巡る騒動を描く。

映画が公開された週明け、原作の熱狂的なファンである知人に感想を聞いてみたところ、「原作の魅力を巧く活かしてる!」と大絶賛でかなり意外だった。その知人だけでなく、一緒に観に行った原作ファンの友人も大満足だったらしい。初日のレイトショーで、観客の女子率が高いことにも驚いた。

原作を知らない人間としては、物語の内容よりも福田監督の色を強く感じた。印象としては「勇者ヨシヒコ」シリーズが最も近い。その中身は、多種多様なパロディーのオンパレードだ。「テレ東」という自由度の高い(?)メディアだから許されていたと思っていたが、映画というメディアになって、そのボリュームはさらに増大した。集英社が製作に関わっている点も大きかったと思える。笑いを欲しがる福田監督の作家性、あるいはサービス精神が炸裂している。

パロディーだけでなく、キャラクターらが発するギャグも、かなりの手数で放り込まれる。笑いと失笑の比率は6対4くらいで(個人的に)、福田作品のなかでは笑いのヒット率が相当高い。自分が見た劇場では、ずっと笑いに包まれていた。一番、笑いをさらっていったのは近藤勲を演じた中村勘九郎だった。彼の体の仕上がりぶり(マッチョ×裸体)には自分も吹いた。菅田将暉と佐藤二朗の「ボタンいじり」のクダリしかり、しょーもないところを突っついて笑いに変える福田監督のセンスも冴えていた。

本作は「アクションエンタメ」という触れこみだが、コメディパートに比べて、アクションを中心としたシリアスパートは見劣りする。チープな日本クオリティのCGは、どんなに危機的なシーンでも緊張感を削いでしまう。日本のCG技術で真面目なアクションを描くことは、まだまだ至難の業と実感する。一昨年の「アイアムアヒーロー」が成功したのは稀有な例だ。そもそも福田監督自身、アクションシーンに対する思い入れはなさそうな雰囲気だけど。クライマックスのボスキャラ戦の「お替り」も、CGによる嘘っぽさが尾を引いて少しダレてしまった。

それにしても出演陣は豪華だ。人気俳優たちの仮装祭りとしても楽しめる。岡田将生のロン毛姿が美しく一番印象的だった。元テレビマンの福田監督らしく、堂本剛はじめ、最近の福田作品だけでなく、ディレクター時代から所縁のあるキャストがみられる。肝心の主人公「銀ちゃん」演じる小栗旬は、ヒーローとしてのカッコよさよりも、笑いの取り方に感心した。一部の役柄を除いて、ほとんどのキャラクターにギャグの機会を与えており、さぞ楽しい撮影現場だっただろうなと想像する。その明るい雰囲気がスクリーンを通してこちらにも伝わってくる。

「大いに笑わせて」まではOK、「締めるところは締める」まではいかない映画だったけど、大人事情のタブーをこれだけイジって笑いに変えられる日本映画が誕生したのは歓迎すべきこと。日本映画の中ではおそらく今年夏の最大ヒットになると思われる。ワーナーのローカライズ作品としては「るろうに剣心」以来の久々のヒットか。続編も作られると思うが、いっそ、コメディ映画に徹したほうが面白いかもしれない。

【65点】
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クィーン・オブ・ザ・サウス シーズン1 【感想】

2017-07-22 08:00:00 | 海外ドラマ


海外ドラマ「クィーン・オブ・ザ・サウス」のシーズン1、13話を観終ったので感想を残す。
また1つ、見逃せないシリーズに出会った。日本でリリースしてくれたNetflixに感謝。

麻薬の密売人であった恋人をカルテルによって殺された女子「テレサ」が、麻薬業界のなかで上り詰めていく姿を描く。

1話目の冒頭で、真っ白のスーツにサングラスをかけた、いかにも「麻薬カルテルの女王」といった装いで主人公が華々しく登場する。ドラマで描かれるのは、彼女の回想録であり、どのようにしてそこまでに上り詰めたかが描かれる。副題である「女王への階段」のとおりのようだが、シーズン1の最終話でようやくその「階段」のスタートラインに立ったばかり。シーズン2以降で本格的に主人公の活躍が見られそうだ。



メキシコの路上で両替をしていた主人公テレサが、麻薬の売人に見染められ、恋に落ち、裕福で幸せな生活を送る。しかし、間もなくして恋人がカルテルを裏切っていたがわかり、カルテルに殺され、その恋人であるテレサも命を狙われる。「自分に何かあったらこれを持っていれば助かる」と恋人から託された一冊のノートをもって、暗殺者の魔の手から逃れる。

ドラマのベースとして描かれるのは、カルテル同士、あるいはカルテル内の抗争である。海外ドラマでは「ブレイキング・バット」や、最近だと「ナルコス」で描かれてきた世界と同じだ。大金が動く麻薬ビジネスのダイナミズム、「ファミリー」として結束する人間たちの信頼関係、カルテルならではの異常な残虐性など、描かれる裏社会の様子は相変わらず刺激的だ。しかし、これまで男性側の視点でのみ描かれてきた設定に対して、本作では常に脇役であった女性を主人公にしている点がフレッシュで、最もユニークなポイントといえる。

また、現代における麻薬ビジネスの構造についても詳しく描かれているのも興味深い。メキシコやコロンビアなどの中米から生産された麻薬をアメリカに持ち込み、アメリカ国内で流通させることが彼らの仕事だ。「カスタマー」と言われるお得意さんたちはお金持ちばかりの様子。アメリカ社会と麻薬ビジネスの関係は根深いと本作をみて改めて感じる。トランプが「メキシコとの国境に壁を作れ!」と躍起になっている背景の一端でもある。

逃亡するテレサは、カルテル内で対立する二派の権力抗争に巻き込まれる。その二派というのが「夫婦」である。テレサの命を狙うのが夫側(エピファニオ)の勢力であり、奥さん(カミラ)側の勢力がテレサをかくまう。テレサには恋人を殺された復讐心などは微塵もなく、ただただ命を助けてほしいだけだ。身の安全を確保するために、不本意ながらカミラ側のビジネスで働くことになる。そこでテレサの隠された度胸や頭脳が発揮され、めきめきと頭角を表していくのだ。

テレサの仕事は麻薬の運び屋である。その初仕事は、中東の自爆テロとよく似ている。運びがバレないように小分けにされた麻薬を呑みこみ胃の中に隠す。袋が胃の中で破れたら即死だ。本作ではその袋が欠陥品であることが事前にわかり、胃の中で破裂するリスクを追いながら、テレサは仕事を真っ当する。カルテルにとってみれば、運び屋は捨て駒であり、その体よりも胃の中の麻薬が優先される。死亡した女性の体内から慌てて麻薬を取りだす様子がエグい。

そんな非情な世界で、様々な苦難をテレサが突破していき、それでも人としての良心を失わないテレサの奮闘が本作の見どころといえる。

しかし、それ以上にシーズン1については、エピファニオとテレサの壮大な夫婦ゲンカが印象として強く残る。このあたりの描き方が面白くもあり、つまらなくもある。テレサをかくまうカミラの存在感は、カリスマ性を感じさせるには十分であり、テレサを通じて若かった頃の自分と重ねているようにも見える。カミラをカッコよく描き切ったほうが流れとしてスムーズだが、中盤のエピファニオの妨害(攻撃)を一方的に喰らう展開がしつこく、「イイ加減気付けよ」と中盤で中だるみする。愛する娘との親子関係も描かれるが、娘が正論で、母親であるカミラの身勝手さが強調される。



一方で、シーズン1の最終話で描かれる、2人の喧嘩がいよいよ大爆発を起こす展開が面白い。ツッコミどころは多いけど、政府とカルテルのパワーバランスが一気に崩れカオス状態となり、今後の展開に目が離せなくなる。その状況下でテレサは絶対絶命の危機に瀕し、守ってきた「一線」を超えてしまう(テレサの友達の描き方がイマイチ)。彼女の成長というべきか、墜落というべきかは見方次第であるが、次シーズン以降、テレサがカルテルのダークサイドに呑まれていくのは確実とみる。テレサを演じているのは映画のイメージのほうが強いアリシー・ブラガで、彼女の熱演が光るドラマでもある。

冒頭でカルテルのボスとなったテレサが、今後、どのような過程を経て、その位置にまで上り詰めるのかはまったく読めない。カミラの後継者になるのか、それとも全く別のカルテルに入るのか。。。いろいろと想像を巡らす。

シーズン2は現在アメリカで放送中であるため、日本でリリースされるのはもう少し後になりそうだ。

【70点】
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ウォー・ドッグス 【感想】

2017-07-15 08:00:00 | 映画


これは面白い。今年の未公開映画ベストの候補1作目。
実際にあった、アメリカ国防総省を相手にした巨額詐欺事件を描いたクライムコメディ。
「戦争とは経済行為そのもの」という斬新な切り口で冒頭から引き込まれる。兵士1人当たりの装備にかかる費用は200万円くらいで、中東に常駐するだけで光熱費が何十億円もかかるとのこと。「世界一の軍事マニア」は本作で語られるとおり「アメリカ」であり、軍事にかける出費は想像を絶する。その多くは武器の調達であり、アメリカ国防総省との取引は、小口であっても大きな金額が動く。アメリカの法改正によって、武器調達は入札制度になり(一部)、公正&オープン化された機会に乗じて主人公らはビジネスを拡大させていく。扱う商材は人を殺す「武器」という負のイメージをあえて強調せず、金の魔力につかれた人間たちの狂騒劇に仕立てたのが吉と出た。まさに「戦争の犬」。監督トッド・フィリップスらしいユーモアの散りばめ方とスピード感、そして主演のマイルズ・テラーとジョナ・ヒルのコンビネーションが見事。色黒&デブのクズ人間を演じたジョナ・ヒルが楽しい。20代そこそこの若造2人が、ウン千億という規模の武器契約を国防総省と交わした驚愕の内幕、武器商人から見たアメリカのアフガン侵攻の光景、冷戦時代によってもたらされた遺産(?)の存在など、知的好奇心を刺激し続ける。特典映像に収録されているモデル本人による証言から、史実を面白く盛る(脚色する)技を垣間見る。アメリカの評判はイマイチだったようだが、本作で描かれる戦争はアメリカ人にとっては、笑いに代えることのできない黒歴史だったのかもしれない。
【70点】
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メアリと魔女の花 【感想。。。】

2017-07-14 08:00:00 | 映画


ジブリ映画のようでジブリ映画でない。ジブリ映画の贋作と思えるのは、過去作をなぞったような既視感のなかで、アニメーションのクオリティが極端に低いからだ。宮崎作品との比較は避けられず、脚本、描写力、演出力、創造性の多くで見劣る。のっぺりとした、絵の密度の低さに冷めっぱなしで、昨今のハイレベルな邦画アニメのなかで珍しい出来栄え。タレント声優にこだわるくらいなら、その分の制作費を映像に費やしてほしかった。原作か脚本の問題かわからないが、キャラクターの動きが大きい割に、映画自体はコンパクトで窮屈な印象だ。マトを得ていない人物描写は、同監督の前作と同じ。魅力的なキャラクターも見つからない。ジブリの呪縛からの解放どころか、呪縛によって泥沼にハマってしまった。

魔女の花を拾った少女が、魔法学校におもむき、魔法先生たちの陰謀を阻止するという話。

自身の外見にコンプレックスを持っていたり、日常に退屈していた女子が、非現実の世界で冒険するプロットはよくある話で、本作もそれにあてはまる。チャーミングな外見の主人公に、序盤から一向に魅かれないのは、無駄に過剰なリアクションでうっとうしいからだろう。「ドジっこで可愛い女の子なんです♪」といった作り手のメッセージが透ける。近所の少年は悪い奴じゃないのに、「嫌なやつ」扱いするのも不可解。主人公に限らず、チグハグな人物描写があらゆる場面で最後まで続く。「思い出のマーニー」を見たときと同じだ。

ファンタジーを見る高揚感に水を差すのは、アニメーションのクオリティーだ。魔法という設定しかり、登場するキャラクターの造形もジブリ映画で見たことがあるものばかり。よって宮崎作品との比較は避けられないが、絵のディテールの粗さがとにかく目立つ。手書き感にこだわった「崖の上のポニョ」とも別次元のレベルだ。単色使いの2D感の強いアニメーションは、意図したものではなく製作過程の都合のように思える。「その他大勢」で使われるような絵を、スクリーンのド真ん中に持ってくることに唖然とする。心躍るはずの魔法学校の光景も似たような絵のリピートで「もっと描けたんじゃない?」と何度もぼやく。

ジブリ映画へのオマージュとも捉えられる映画だが、ジブリのやり方をそのまま踏襲することが正解ではない。ジブリ映画にも散見されるタレント声優起用による失敗パターンが、本作にも合致している。主人公の声を演じた杉咲花や、近所のオジさんを演じた遠藤憲一、魔女先生を演じた天海祐希など、キャラクターと声が合っておらず、最後まで馴染んで聞こえることはなかった。声優としての適性ではなく、シンプルにキャラクターのビジュアルと声の相性の問題だ。キャラクターが魅力的でないうえに、命を吹き込む声も合っていない。見ていてシンドくなる。

クライマックスにかかる展開の動機も理解できず「お前らが捲いたタネだろ。。。」ツッコミを入れたくなる。勝手にもめごと作って勝手に騒いでいる映画だ。魔力をなくした主人公の活躍も、「のっぺり」動物たちの助けを借りたことでカタルシスが失せた。映像のダイナミズムや、スピード感のあるアクションも見当たらない。ワクワクやスリルを感じるシーンは皆無で、退屈が支配し続けた。普通に面白くない。

米林監督がジブリを卒業して、新たに立ち上げた製作スタジオの記念すべき1作目だったはずだ。世話になったのはわかるけど、その1作目としてジブリ映画を振り返るようなテーマを選んだことに疑問が残る。本作を見て、心に残ったのは宮崎駿という映像作家の偉大さだ。そして、米林監督映画は自分に合わないことがよくわかった。劇場で見た映画の中で久々のハズレ。

【50点】

思い出のマーニー 【感想】
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ジョン・ウィック:チャプター2 【感想】

2017-07-12 08:00:00 | 映画


2作目はつまらないというジンクスを一蹴。車に引かれようがお構いなナシの無敵ぶりはご愛敬w。どんだけ殺せば気が済むのかという、ジョン・ウィックの戦闘能力に圧倒される。1作目と比べてドラマは希薄になったが、「誓約」という新たなルールが巧く活かされ、襲いかかる未曽有の危機も必然的に映る。壮絶なアクションシーンはもちろんのこと、裏社会の作り込みが前作にも増して素晴らしい。キアヌ演じるジョン・ウィックの活躍だけでは、ここまで面白くならなかったはずだ。やっぱりルールがないと何事も面白くない。イタリアでの「ショッピング」が楽しく、「テイスティング」や「社交用(スーツ)」に吹き出す。

前作の直後から物語が始まる。前作で望まずして引退からカムバックしたジョン・ウィックは、再び、平穏な日々に戻ろうとする。しかし、新たな問題が浮上し、再び、戦いの渦中に身を投じることになる。

前作における主人公のモチベーションは「復讐」だったのに対して、本作のモチベーションは「サバイバル」といえそうだ。「誓約」という、後付け感の強い新たな設定が持ち込まれるが、これがなかなかよく考えられていて気にならない。再び「殺し屋稼業」の裏社会に戻ってきたことの代償は大きいに違いなく、「タダでは済まされない」状況が説得力を持つ。「誓約」を破ったことで「ルール」に従わなければ自由になれず、ルールを守ったとしても、攻撃の矛先は結局ジョン・ウィックに向かってくる。どう転んでも地獄が待ち受けるなか、生き延びるためにジョン・ウィックは戦わざるを得なくなる。

自身が望んだ戦いだった前作に対して、身から出たサビとはいえ、戦いを強いられる形の本作である。俄然、前作のほうがジョン・ウィックの孤高の戦いに華が出る。しかし、それを補ってくれるのが、アクションの多様化とボリュームアップ、そして、さらに広がった裏社会の作り込みだ。

本作ではジョン・ウィックの首に莫大な懸賞金がかけられる。世界中の暗殺者が色めきだち、どこにいっても命が狙われるw。もはや笑いを取りに行ったとしか思えないアクションシーンも少なくないが、前作以上のゴア表現を含めて、壮絶な死闘が繰り広げられる。最小カロリーで相手を確実に殺す戦法である、頭部と心臓部への「パパン!」というスマートな銃撃に加え、激しい肉弾戦も大増量した。「殺さなければ殺される」という緊張感のなか、ジョン・ウィックから殺気がほとぼしる。前作では武勇伝としてのみ語られた「鉛筆」攻撃も残酷描写をもって描かれる。そのあまりの迫力に笑いが込み上げる。車に思いっきり跳ね飛ばされて通常なら複雑骨折のところを、平気で戦いを続ける主人公の姿にシラケなくもないが、ここまで豪勢な格闘シーンを見せられては文句はいえない。

しかし、それ以上にツボだったのが、裏世界の描かれ方だ。前作もアクションよりも、その世界観に魅了されたが、本作ではさらにディテールが充実している。激しいアクションの息抜きのためのユーモアや、一辺倒になりがちなジョン・ウィックVS暗殺者たちとの戦いに変化をもたらす。裏社会で使われる金貨をもって戦闘装備を揃える「ショッピング」や、殺しを発注する「アカウント部」の存在(働くオネエさんたちが墨入りで堅気じゃない感じがイイ)、裏社会で守らなければならない絶対的ルール、知られざる対抗勢力の存在など、新たに追加された設定がイチイチ面白い。そのなかでジョン・ウィックは常に顔馴染みであり、彼が伝説的存在であったこともアピールされる。

主演のキアヌ・リーブスは体が仕上がっていない。年齢を調べたら52歳であり、その年齢を考えれば頑張っているほうだと思うが、前作から時間経過のない設定なのだから、前作と同じくらいに体重を絞ってほしかった。タダでさえ表現力の乏しい顔面が、肉が付いたことで余計にドン臭くなる。本作においては彼の演技力よりも、アクション演出によってかなり救われている印象だ。彼の全盛期であった「マトリックス」はもう20年近く前のこと。本作で登場したローレンス・フィッシュバーンとの久々のツーショットに感慨深いものがあった。

ラストは、ジョン・ウィックが新たな代償を払う形で終幕する。守るべきルールがあるからこそ、そのルールを破ることに新たな価値が出てくる。しかしながら、中途半端な終わり方なのは確かで、続編を見ないと気持ちが悪い。後先を考えずに、最後は綺麗に着地させてほしかった。

【65点】
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オクジャ 【感想】

2017-07-05 09:00:00 | 映画


Netflixが今度はポン・ジュノと組んで映画を製作した。トレーラー公開時から楽しみにしていたが、完全に予想を裏切られた。素朴な少女×癒し系巨大生物というメルヘンんな外見とは裏腹に、中身はしっかり社会派な映画。いろんな意味で尖った仕上がりで、しがらみなく自由に映画が撮れるNetflixだからこそ生み出せたともいえそう。ファンタジーを用いて社会風刺する作りは「グエムル~」と似ているが、こっちのほうがメッセージ色を強く感じる。よく見たら「子どもには不向き」というマークがついている、なるほど納得。

韓国の山奥で仲良く暮らしていた少女と巨大豚。ある日、巨大豚が連れ出されたことで救出に向かう少女とその周りの大人たちの騒動を描く。

本作を見て思い出したのが「ベイブ」だ。自身の運命に絶望したベイブの姿が頭から離れず、当時、5年近く豚肉を食べるのをやめた。今は普通に食べているけれど。。。

冒頭から巨大生物の存在が、突然変異の豚であることが明かされる。その豚は家畜用だ。餌の量は少なく、排泄物も少ない。それなのにめちゃくちゃ体は大きく成長する。そして美味。食用家畜としてはうってつけであり、大きな利益を生むビジネスチャンスにつながる。少女が巨大豚と暮らす経緯は、子豚の段階からどれだけ成長するかを検証する実験の一環であり、少女もそれを認識している。ただ、一緒に暮らした10年という歳月のなかで、「オクジャ」と名付けた豚の存在は家畜を超え、ペットを超え、家族としての存在に変わる。実験の依頼元であるアメリカの会社に返還することになるが、少女はもちろん拒否する。

少女とオクジャの絆を実感させるのが前半パートだ。水が澄み切った美しい渓谷で、丸顔の少女と愛らしい顔のオクジャが戯れる。CGで作られたオクジャの仕上がりがハンパない。実物として存在しているかのような質感だ。温和で心優しいオクジャには知性も備わっているようで、少女に危険が迫った際には、自身の身を犠牲にして少女を守ろうとする。その少女の救出シーンではオクジャの可愛さも手伝って、オクジャがどうにか傷つかないようにと手に汗を握る。2人の平和な日常が壊されることは予想済みだが、引き離される2人に感情移入し、連れ出されたオクジャを必死に追いかける少女を応援する。

巨大企業を相手に太刀打ちができない少女であるが、そこに変化をもたらすのが動物解放団体だ。ストーリー上の役割は重要だが、その描き方はイマイチ。動物だけでなく人間も傷つけない主義を掲げているが、やっていることは結構リスキーなので説得力がない。シーシェパードのように強硬な団体として描いたほうが面白かったかも。さておき、少女を助ける役割と思われた動物開放団体も、少女を自分たちの大義のために利用するという狙いがあり、ここでも皮肉が効いているように思えた。

オクジャの救出アドベンチャーで進んでいくと思いきや、後半からグッと作品の色が変わってくる。企業にとってはオクジャの存在はあくまで金になる家畜に過ぎない。食物連鎖の頂点にいる人間は何をしてもOKというおごりが前提にあって、人間たちが同じ命を持つ動物たちを思いのままに扱っている実態が浮き彫りになる。その恩恵にあずかって、我々は「お肉を食べる」行為を日常的に取り入れることができるのだが、おそらく問題はそのやり方だ。

虐待に近い強制交尾や、工場で自動化された大量処理。わかっていたことではあるけれど、その光景はやはり異様だ。可哀そうなオクジャの姿を通して激しい嫌悪感を覚えるのは、ポン・ジュノの批判的な視点があってこそだろう。オクジャの行く末を必死に食い止めようとする少女と、そんなことをお構いなしにオクジャを食用肉に変えようとする企業は、明らかに正義と悪の構図だ。ポン・ジュノのなかでそんな結論が出ているように思えるほど明確に描かれている。そこまでの狙いはなかったとしてもだ。

中盤までの娯楽映画として立ち位置は崩さず、問題提議にとどめておいた方が良かった。ハッピーエンドのはずなのにラストの悲壮感が強いあまり、ファンタジー映画としての印象は吹き飛んでしまった。苦い余韻が残ったのが勿体ない。

ジェイク・ギレンホールの使い方がユニークで彼の新たな一面が見られたのはポイント高し。CGで作られているのにオクジャのアクション描写も素晴らしかった。
Netflixには引き続き、攻めてほしい。

【65点】
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2017年上半期 ベスト映画ランキング

2017-07-04 09:00:00 | 勝手に映画ランキング
7月に入り、2017年も折り返し地点に入った。今年の上半期に映画館で観た映画30本の中から、勝手にベスト5を決めてみる。

1位 ラ・ラ・ランド
2位 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
3位 ナイスガイズ!
4位 マンチェスター・バイ・ザ・シー
5位 レゴバットマン ザ・ムービー

今年は洋画の豊作年のようで、ほかにも「ムーンライト」「ライオン~」「メッセージ」「ハクソーリッジ」など、オスカー賞レースに絡んだ作品がもれなく素晴らしかった。「ザ・コンサルタント」など、思わぬ掘り出しモノもあったし。邦画は「3月のライオン(前・後編)」を見たくらいで、これからの夏に公開される邦画も期待できるタイトルはほとんどなし。北米では「ワンダー・ウーマン」に続いて、ジョン・ワッツが監督した「スパイダーマン・ホームカミング」の絶賛評も入ってきた。8月公開映画がアツいな。
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ベター・コール・ソウル シーズン3 【感想】

2017-07-01 08:00:00 | 海外ドラマ


今月最終話がNetflixより配信された「ベター・コール・ソウル」のシーズン3を観終わった。
シーズン3もペースダウンせず、素晴らしい完成度。
本家「ブレイキング・バッド」(BB)を最も近くに感じたシーズンであり、BBを崇拝するファンには必見といえる。ついに「ソウル・グッドマン」のルーツが明らかになった!

本シーズンも「ソウル」こと弁護士ジミーと、仕事人マイクの両輪でエピソードが続く。前シーズンではよく見られた、2人のツーショットシーンは中盤以降ほとんどなくなり、それぞれで独立した物語が展開する。

兄のチャックに弱みを握られたジミーは、弁護士資格の剥奪という最大の危機を迎える。その危機をどう乗り越えられるかが前半のハイライトだ。恋人であるキムとの関係は良好であり、今回の事態に対しても弁護士としてキムがジミーの減刑を訴える。「電磁波アレルギー」という聞いたことのないチャックの病気が個人的にずっと引っかかっていたが、その謎の解明によってジミーの裁判が終結する。ジミーにとってはハッピーエンドであったが、チャックとの埋められない溝が決定的なものになった。最終話(「灯り」)が切な過ぎる。冒頭シーンで、2人が少年時代に育んだ兄弟愛の象徴であった「灯り」が、最終話のラストカットでは決別の象徴となる「灯り」に変わった。

これまでずっと利己的に生きてきたジミーに対して、兄のチャックは「いつか報いを受ける」と口を酸っぱく言い続けていた。チャックとの裁判で勝利し、難を逃れたかのように見えたが、ジミーがこれまでやってきたことの報いがひたひたと忍び寄ってくる。彼自身へのダメージというよりは、周りの人間を傷つける状況に ハマる。しかも、それが常態化する気配を帯びてくる。愛するキムの事故や、老人ホームのお婆ちゃんたちの不仲など、不幸な事件の発端はすべてジミーが捲いた種によるものだ。「壊すのは簡単だが、立て直すのは難しい」と呟きながら、ジミーは「正しいこと」を模索する。自身の生き方を見つめ直し、自身への不利益を顧みず、良心を優先した最終話のエピソードに感動してしまった。

ジミーの相方のキムは、本シーズンでますます存在感が増してきた。仕事ができなくなったジミーに変わり、大忙しの日々を送る。とにかく彼女は仕事がデキる。小さな個人事務所にいながら、大企業のクライアントから絶対的な信頼を勝ち得る仕事ぶりで、見ていて非常に痛快だ。その影には並々ならぬ努力があり、一生懸命仕事に奮闘するキムに「ガンバレ!」とエールを送る。真っ直ぐで負けず嫌いで頑張り屋のキムが、本シーズンでも魅力的だ。仕事からオフって髪を下ろした姿も素敵。こんな彼女とジミーが別れることになるなんて。。。。今のところ、2人の絆の強さが変わった気配はないが、2人のすれ違いが徐々に見えてきた。



ジミーを中心としたパートは、本家BBと比べるとはっきりいって地味だ。北米での評価は相変わらず高いものの、一般の視聴者数がシーズンを追うごとに減ってきているのもわかる気がする。自分は大好きだけど。

その一方で、仕事人マイクのパートはイッキにBBの色が濃くなる。前シーズンから登場したヘクターに続き、あのガスがいよいよ登場。そして後半では、な、なんと、ウォルターに毒殺されたリディアも登場する。あくまでマイクがエピソードの中心にいるが、ヘクターとガスの対立関係など、BBに繋がる前日譚がしっかり盛り込まれている。BBファンには堪らない。BBでは描かれなかった、ヘクターがガスを恨む背景(BBではガスがヘクターを恨む経緯が描かれていた)や、マイクとガスが手を組むことになった原点、そして、ヘクターが車椅子のチンチンおじさんになった経緯が描かれる。

ガスは本シーズンでもカリスマ性を発揮する。小さなファーストフード店の店長は世を忍ぶ仮の姿(ロスポジョス復活!)。正体はメキシコからアメリカにドラッグを流通させる裏社会ビジネスの天才だ。彼を「売人」呼ばわりするマイクに対して、リディアが放つ「彼のことを何も知らないのね」が説得力を持つ。彼の店に恐喝して乗り込んできたヘクターを帰したのち、怯える従業員たちに対してめちゃくちゃカッコいいホラ話を聞かせる演説シーンが絶品。「君たちの勇気に感謝する。カウンセリングの費用を保証し、24時間分の残業代を払おう」という気前を見せ、従業員たちを鼓舞する。このあたりの人心掌握術もガスらしい一面だ。



マイクのパートでは、BBらしい脚本の特徴がこれまで以上に多く見られた。説明なき無言の描写を通して「いったい何をやっているのだろう?」と多くの想像を巡らすが、視聴者の想像を超える展開で着地する。関係性が全く見えない「無料診療所」からシーンで始まるエピソードが見事。マイクが放った一発の銃弾だけで、ヘクターが持つドラッグの供給ラインを断絶させてしまう。その準備にかかるマイクの様子からは全く先が読めず、それらの伏線が綺麗に回収されたラストに唸ってしまった。たった1人でヘクターに大ダメージを与えたマイクは、間接的にガスの利益に加担したことになり、その礼としてガスはマイクに金を渡すが、マイクは突き返す。あくまで自分のためにやったことだと。マイクが相変わらずカッコよく、ガスが彼を気に入るのも無理はない。



ヘクターの腹心、ナチョも本シーズンでは目立っていた。ヘクターに対する陰謀と、そこから放出されるスリルだけでなく、堅気の父を思いやるナチョの姿が丁寧に描かれる。「錠剤カプセル」の発注だけでナチョの狙いを見通すマイクと、それをわかっているナチョの対話シーンが見応えあり。本シーズンでナチョという新キャラを配置した理由がよくわかった。



シーズン1から思っていたことだがマイクのパートだけに絞れば、おそらく視聴者数を稼げたと思われる。特に本シーズンではBBらしいスリルとスケールが出てきた。個人的には、ジミーことソウルのパートも同じくらい好きなので本ドラマの構成を支持する。自分と同様にBBに夢中になった知人も、シーズン1の途中で離脱し、多くのBBファンがそんな具合なんだろうなと感じる。さすがに今回のシーズン3はBBファンは見なきゃダメだと思うけど。

先日、次のシーズン4の製作が決まったらしい。本シーズンの最終話を見た感じだと、あのまま終了でもおかしくなったので、継続が決まってテンションが上がった。次のシーズンでジミーとキムが別れると予想。「ハウス・オブ・カード」(シーズン4)の落胆を挽回してくれるほど、最高に面白かった。

【90点】

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