某オネエ系タレントが以前、自身の男性器をタイで切除したエピソードをテレビ番組で話していた。その話を聞いて全身が縮みあがる思いがした。男子の最大の急所であり、それを切除する痛みは想像を絶するからだ。そのタレントの動機は「女に近づくため」というより「体にくっついている異物を除きたい」というものだった。本作「リリーのすべて」で、そのことを思い出させる印象的なシーンが出てくる。鏡に映る裸の男性の肉体。「これは誰の肉体?」。どうしようもない違和感と、それを隠し、視界から消したときの解放感。
世界で初めて性別適合手術を受けたデンマーク人男性「アイナー」と、その妻で彼を支え続けた女性「ゲルダ」を描く。
登場人物の心理と肉体の変容をとても丁寧に追いかけたドラマだ。LGBTの概念自体が存在しなかった時代のこと。妻ゲルダの絵画モデルになるためにたまたまやった女装がアイナーの中の「リリー」を目覚めさせる。しかし、自身の中に女性がいることをアイナーはすぐに自覚できない。美しい女装姿に女性として男性に好意を持たれたことに戸惑い、神経に支障をきたして流血。性同一性障害の前に、自身が何者かわからなくなる自己同一性障害であったということ。その後、女装を繰り返す中でアイナーは「リリー」が本当の自分であることを確信する。
本作のようにトランスジェンダーの苦悩を描いた映画はたくさんあるけれど、本作が放つメッセージが共感性をもって響いてくるのは、アイナーとゲルダを通じて普遍的な夫婦愛を描いている点にある。いや夫婦愛というのは不適当か。2人の関係は親子愛のようでもあり、友情でもあり、広義でいえば人間愛か。ストレートの観客の多くはゲルダ側の視点から物語を見つめることになり、監督トム・フーパーもその視点を意識して本作を組み立てているようにも見える。ゲルダ演じたアリシア・ヴィキャンデルは「助演」として本作でオスカーを受賞したけれど、間違いなく主人公レベルの位置づけだ。
「ある日突然、永遠の愛を約束した伴侶が自分と同じ同性になったらどうなるか?」
その事態を歓迎して「友達ができた」などと楽観的に受け止められる人はどれだけいるのだろう。異性として個人を好きになり結婚したのであれば、その後の夫婦間の繋がりは精神的にも肉体的にも異性であることを求めるに決まっている。一途にリリーになろうとするアイナーに対し、当初リリーを歓迎していたゲルダが次第にフラストレーションを募らせていく過程が生々しい。しかし、どんな状況になろうともリリーを否定することはしない。それだけゲルダのアイナーに対する愛情は深い。「アイナーに戻って」ではなく「アイナーを呼んできて」と懇願するゲルダの哀しさと優しさが胸を締め付ける。
命がけの性転換に挑む夫と、それを献身的に支える妻。2人の絆に美しい愛の形を見た。。。。というのが本作の率直な感想だが、それは本作を観るまでの予想の範囲。こちらの価値観を超えるメッセージがもう少し欲しかったか。また、本作について雑な見方をすれば、自由奔放な夫に振り回される妻という構図だ。アイナーの方向を見ていたゲルダに対して、アイナー(リリー)はゲルダの方向をあまり見ていないのが気になる。自分のことで手いっぱいな状況なのだろうが、アイナーを求めるゲルダに対して「リリー(女の私)を受け止めて!」と突き放すのが、見ていて気持ち良くなかった。そこは綺麗ゴトであってもゲルダに理解を示し、だからこそ余計に苦悩する部分を入れてほしかった。リリーが生まれたことで、ゲルダに新たなインスピレーションを与えたというだけでは不十分。
アイナーとリリーを演じたエディ・レッドメインのカメレオンぶりが凄い。女性の色香を自分のものにして、官能的な所作がいちいち美しい。リリーとして生きることに迷いがなくなってからは、体系がどんどんスリム化してさらに女性らしくなっていく。どっからどう見てもイイ女だ。そして本作の最大の引力はゲルダを演じたアリシア・ヴィキャンデルの名演に尽きるだろう。繊細さと力強さ、悦びと悲哀を同時に演じきれる素晴らしい女優だ。ただ、彼女の巧さは今に始まった話ではなく「ロイヤル・アフェア~」や「戦場からのラブレター」を見れば彼女の才能を確認することができる。今年のオスカー受賞は「エクス・マキナ」での演技が加点されたものと勝手に想像する。(祝!日本公開決定。遅過ぎるけどーー) あと、個人的に嬉しかったのはベルギー俳優マティアス・スーナールツが英語圏映画である本作に出演して好演したこと。彼が演じた旧友ハンスはナイスガイだった。
本作は実話の映画化だ。実話を知らなかった自分はその結末に驚いた。空を漂うスカーフに込めた魂の解放が素敵だ。さすがはトム・フーパーといったところだが、レミゼに続き、本作もシリアスに徹した映画なので、次作では「くたばれユナイテッド~」や「英国王~」で見せたような彼のユーモアセンスが発揮される映画を撮ってほしいと思う。
【65点】