から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

リリーのすべて 【感想】

2016-03-31 09:00:00 | 映画


某オネエ系タレントが以前、自身の男性器をタイで切除したエピソードをテレビ番組で話していた。その話を聞いて全身が縮みあがる思いがした。男子の最大の急所であり、それを切除する痛みは想像を絶するからだ。そのタレントの動機は「女に近づくため」というより「体にくっついている異物を除きたい」というものだった。本作「リリーのすべて」で、そのことを思い出させる印象的なシーンが出てくる。鏡に映る裸の男性の肉体。「これは誰の肉体?」。どうしようもない違和感と、それを隠し、視界から消したときの解放感。

世界で初めて性別適合手術を受けたデンマーク人男性「アイナー」と、その妻で彼を支え続けた女性「ゲルダ」を描く。

登場人物の心理と肉体の変容をとても丁寧に追いかけたドラマだ。LGBTの概念自体が存在しなかった時代のこと。妻ゲルダの絵画モデルになるためにたまたまやった女装がアイナーの中の「リリー」を目覚めさせる。しかし、自身の中に女性がいることをアイナーはすぐに自覚できない。美しい女装姿に女性として男性に好意を持たれたことに戸惑い、神経に支障をきたして流血。性同一性障害の前に、自身が何者かわからなくなる自己同一性障害であったということ。その後、女装を繰り返す中でアイナーは「リリー」が本当の自分であることを確信する。

本作のようにトランスジェンダーの苦悩を描いた映画はたくさんあるけれど、本作が放つメッセージが共感性をもって響いてくるのは、アイナーとゲルダを通じて普遍的な夫婦愛を描いている点にある。いや夫婦愛というのは不適当か。2人の関係は親子愛のようでもあり、友情でもあり、広義でいえば人間愛か。ストレートの観客の多くはゲルダ側の視点から物語を見つめることになり、監督トム・フーパーもその視点を意識して本作を組み立てているようにも見える。ゲルダ演じたアリシア・ヴィキャンデルは「助演」として本作でオスカーを受賞したけれど、間違いなく主人公レベルの位置づけだ。

「ある日突然、永遠の愛を約束した伴侶が自分と同じ同性になったらどうなるか?」
その事態を歓迎して「友達ができた」などと楽観的に受け止められる人はどれだけいるのだろう。異性として個人を好きになり結婚したのであれば、その後の夫婦間の繋がりは精神的にも肉体的にも異性であることを求めるに決まっている。一途にリリーになろうとするアイナーに対し、当初リリーを歓迎していたゲルダが次第にフラストレーションを募らせていく過程が生々しい。しかし、どんな状況になろうともリリーを否定することはしない。それだけゲルダのアイナーに対する愛情は深い。「アイナーに戻って」ではなく「アイナーを呼んできて」と懇願するゲルダの哀しさと優しさが胸を締め付ける。

命がけの性転換に挑む夫と、それを献身的に支える妻。2人の絆に美しい愛の形を見た。。。。というのが本作の率直な感想だが、それは本作を観るまでの予想の範囲。こちらの価値観を超えるメッセージがもう少し欲しかったか。また、本作について雑な見方をすれば、自由奔放な夫に振り回される妻という構図だ。アイナーの方向を見ていたゲルダに対して、アイナー(リリー)はゲルダの方向をあまり見ていないのが気になる。自分のことで手いっぱいな状況なのだろうが、アイナーを求めるゲルダに対して「リリー(女の私)を受け止めて!」と突き放すのが、見ていて気持ち良くなかった。そこは綺麗ゴトであってもゲルダに理解を示し、だからこそ余計に苦悩する部分を入れてほしかった。リリーが生まれたことで、ゲルダに新たなインスピレーションを与えたというだけでは不十分。

アイナーとリリーを演じたエディ・レッドメインのカメレオンぶりが凄い。女性の色香を自分のものにして、官能的な所作がいちいち美しい。リリーとして生きることに迷いがなくなってからは、体系がどんどんスリム化してさらに女性らしくなっていく。どっからどう見てもイイ女だ。そして本作の最大の引力はゲルダを演じたアリシア・ヴィキャンデルの名演に尽きるだろう。繊細さと力強さ、悦びと悲哀を同時に演じきれる素晴らしい女優だ。ただ、彼女の巧さは今に始まった話ではなく「ロイヤル・アフェア~」や「戦場からのラブレター」を見れば彼女の才能を確認することができる。今年のオスカー受賞は「エクス・マキナ」での演技が加点されたものと勝手に想像する。(祝!日本公開決定。遅過ぎるけどーー) あと、個人的に嬉しかったのはベルギー俳優マティアス・スーナールツが英語圏映画である本作に出演して好演したこと。彼が演じた旧友ハンスはナイスガイだった。

本作は実話の映画化だ。実話を知らなかった自分はその結末に驚いた。空を漂うスカーフに込めた魂の解放が素敵だ。さすがはトム・フーパーといったところだが、レミゼに続き、本作もシリアスに徹した映画なので、次作では「くたばれユナイテッド~」や「英国王~」で見せたような彼のユーモアセンスが発揮される映画を撮ってほしいと思う。

【65点】

ハウス・オブ・カード シーズン3 【感想】

2016-03-29 09:00:00 | 海外ドラマ


NETFLIXがいよいよ本気を出してきた。

会社の同僚と海外ドラマを話をするたんびに「ハウス・オブ・カードのシーズン3、まだかね~~」と言い合っていたが、今月よりNETFLIXにてシーズン3の全話配信がスタートした。「やっとかよ・・・」と安堵したが、シーズン4も同時に配信していることに気づいて驚愕する。シーズン4は北米と同時配信というスピード!!これがNETFLIXの魅力であり強さだ。何の予告もなかったので、その画面を見たときに歓喜して飛びあがってしまった。「フラーハウス」のテレビCMよりも本作の宣伝をしたほうが絶対に賢いと思うのだが。今や惰性ドラマとなった「ウォーキング・デッド」頼みのhuluとはコンテンツ力で大きな差が開いている。

で、噛みしめるようにしてシーズン3を観終わった。

やはり別格のドラマと実感。脚本、演出、キャストのパフォーマンス。相変わらずどれをとっても一級品。そして人間の業をダークに見つめた視点に「ブレイキング・バッド」に通じる奥深さを感じた。(特に最終話で鳥肌!)

個人的にはめちゃくちゃ面白かったが、これまでのシーズンで本作を好きになった人、全員には薦められないと感じた。前シーズンとは毛色がだいぶ違い、スリラー(でもないか?)としての要素よりもポリティカルな要素が強くなっているからだ。それは作風が変わったということではなく、物語の設定上必然的な流れといえるのだが、見た目はかなり変わっていると思う。理由は簡単で、前シーズンまでは主人公のフランクが大統領就任というテッペンをを目指すための「攻め」を描いていたのに対し、大統領になりテッペンに到達してしまった本シーズンからは、現状のポジションを保持するため「守り」に入らなければならない。上下のダイナミズムは少なくなるので「つまらなくなった」と言うファンがたくさん出てきそうな気がする。

しかし、そもそもフランクの目的は権力を手にすることにあらず。その権力を使って後世に遺産を残すことが目的だ。遺産とはアメリカの繁栄。また、「攻撃こそ最大の防御」であり、彼の大統領就任は安泰を約束するものではなく、大統領として手腕を発揮し、成果を出し続けなければならない。それも選挙によって選ばれたのではなく、先の大統領の失脚によって繰り上げられた格好だからなおさらだ。ロシアとの外交、国内の雇用創出政策、新たな選挙活動と、各エピソードで描かれるスケールは本作でさらに大きくなっている。そのすべてにパワーゲームが存在していて、「チンピラ」なロシア大統領との戦い、雇用創出政策の予算どりを巡る議会との戦い、新たなライバルとなる女性大統領候補(好敵手でナイス!)との戦いなど、どれもさすがの見応え。知性と度胸のせめぎ合いが堪らない!

大統領としての仕事は過密を極めるため、お馴染みのフランクの視聴者へのコメントサービスはグッと少なくなる。まあ、それは仕方ないにせよ、毎回楽しみにしているフランク語録が少ないのは残念か。

(キリスト像を前にして)「ラブ(愛)?お前の売りはそれだけか?私は買わんぞ。」
(像を壊してその破片の耳を拾い上げ)「神が耳を貸したぞ。」
「議会を敵に回す気か?私の敵は衰退だ。どちらも似たようなものか。」

今回、響いた語録はこのくらい。

本シーズンの最大の見どころは、フランクと妻クレアとの確執だろう。これまで支え合っていた2人の絆が大きく揺らぐ。シーズン2でのクレアの不倫事件の比ではない。本シーズンで、クレアがフランクを大統領まで押し上げてきた理由が明白になる。それは彼女が大統領のファーストレディになることではなく、彼女自身も自立したポストにつくことが目的だった。フランクの理解者でありながらも、根本的にフランクとは人格が違うことが露呈し、2人の信頼関係にヒビが入る。クレアには強い正義心と良心がある一方で、フランクは他人に「無条件の忠誠」を求める人間だ。互いの感情が爆発し、これまで見たことがないようなシーンを目撃する。

中盤あたりのエピソードで本作には珍しく中だるみ感が出てしまったが、やはりこのドラマは文句なしに面白い。レミー、セス、ジャッキーといったキレ者キャラたちも健在。そして冒頭から嬉しいサプライズ。ご都合主義ではなく全然アリです。

シーズン3のラストを観ると、すぐ次のシーズン4をそのまま観たくなるのだが、ここはあえてしばしの我慢。美味しいものは立て続けに食べるよりも、少し待ったほうが美味しい。この間に「ファーゴ」のシーズン2や、ジ・アメリカンズのシーズン2を楽しみたいと思う。

【85点】





名もなき塀の中の王 【感想】

2016-03-27 17:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
劇場公開を逃し、パッケージ化を心待ちにしていた1本。秀作。
少年院から刑務所へ成り上がり(?)で入所してきた19歳の青年のサバイバルと成長を描く。
冒頭のシークエンスで一気に掴まされる。主人公が檻の部屋に収監されたのち、限られた生活支給品をパパッと分解し、あっという間に手製の武器を作る。その武器の隠し技も鮮やかで、青年がこれまで暴力と共に生きてきたことをほんの数分間で雄弁に語る。刑務官たちが制しようとするものなら、「ウェルカム!」と、全身に油を塗りたくり、家具を破壊してまさかの2刀流で瞬時に戦闘モード。主人公は暴力でしか自身の存在意義を表すことができない。それはときに衝動的でもあり、自身を傷つける引き金になることも自覚しない。そんな青年が入った刑務所には父親も収監されていて、受刑者カーストの上層に君臨している。父親の部屋に飾ってある、かつて主人公が幼少期に父親に贈ったであろう「I Love You Daddy」の絵が切ない。凶悪犯だらけの刑務所内で主人公は多くの問題を引き起こすが、そんな彼に手を差し伸べるのがルパート・フレンド演じるカウンセラーだ。自らの体を盾にして暴力を制することも厭わない。彼はボランティアで凶悪犯たちの更生を手伝っており、多くの受刑者から信頼を得ている人格者だ。そのカウンセラーを主人公に好影響を与える脇役で終わらせるのではなく、カウンセラーにとっての意味付けも与えているのが素晴らしい。主人公と父親、主人公とカウンセラー、主人公と受刑者たち。それぞれの間に常に流れる、暴力による衝突が潜んだ緊張感と、予定調和に終わらない展開が生々しくて誠実だ。濃密かつエモーショナルなドラマに最後まで目が離せなかった。前作「ベルファスト~」といい、本作といい、主人公演じたジャック・オコンネルはガチな演技派と確信。アカデミー賞なんかを獲る日もそう遠くないのだろう。
主人公と父親の失われた絆の行く末となる、ラストの抱擁なき抱擁に胸を打たれる。

【75点】

ニセコボーイズが再登場してくれた件。

2016-03-25 09:00:00 | 日記
このときを待っていた。
今週月曜日に放送された「Youは何しに日本へ?」で3年ぶりに「ニセコボーイズ」が登場してくれた。同番組の中のキャラクターの中でもレジェンド中のレジェンドである。MCバナナマンの「お待っとさんでした!!」の振りに共鳴する。

最近の「Youは何しに日本へ?」には物足りなさを感じていた。日本人との微笑ましい交流ものが多く、遠回しに「日本礼賛」(ありがち)に結び付けたような企画が目立つ。自分はこの番組に登場する「You」を通して、日本人の感性を超えた個性と世界に出会いたいのだ。その魅力の象徴といえるキャラクターが「ニセコボーイズ」である。

ニセコボーイズのコンビ、アーランドとオイスティン。
アーランドは3年前の予告通り、現在ヨットで世界を一周中。短髪で清潔感のあった青年が今は長髪と髭をたくわえ、ワイルドな姿になっている模様。一方、リアル破天荒でヤバイほうのオイスティンは前回に引き続き学生中で、今年の夏に大学を卒業するとのこと。相変わらずひょうひょうとしている。彼らのペット「チキンペット」も健在だったのが嬉しい。鶏って羽があんなに生え換わるのね。。。。

今回の密着では、オイスティンと新たに加わった友人2人との、森でのアウトドアに番組スタッフが同行した。零下の世界で枯れた木を切り、ささやかなキャンプファイヤーをする。お昼ごはんのホットドッグから、いきなり夕飯のハンバーガーに移るので、編集で結構カットしたものと思われる。フライパンの上でじゅうじゅう焼ける冷凍パテを見て、たき火を使った料理って良いなーとしみじみ思う。今回の個人的なハイライトはテントなしでの寝袋就寝だ。しかも、なぜか裸で寝袋に入る。確実に凍死する気温なのだが、自然と肉体をできるだけ密着させることが彼らの流儀なのだろうか。彼らのスタイルはブレない。そして、ニセコでのテント生活が朝飯前であったことが証明される。

翌朝、彼らは問題なく起きる。そして、前日から目をつけていた凍った湖に穴を開けて寒中水浴に望む。ぶ厚い氷に穴を空けるのに想定以上に苦労しているようなので、今回については完全に番組用のパフォーマンスだと思われた。まーそれでも凄いのだけれど(笑)。オイスティンは相変わらず「汗かいちまうぜ」のコメントを連発。その強がり(?)含めてナイスキャラなのだ。

今回の取材はその内容よりも、世界一周渡航中のアーランドとオイスティンが日本で合流し、再びニセコに赴くという次回への前フリとしての役割が大きい。もう期待せずにはいられない。1つ懸念しているのは彼らが日本で人気者になってしまったがために、「指差しボーイズ」のように日本での過剰接待に甘んじることである。おそらくニセコボーイズたちは我流を通してくれるだろうけど。彼らを日本で目撃する人たちはそっとしておいてほしい。

そういえば、「You」のその後を追う企画として正月特番では「マーティンさん」の結婚が取材されていたなー。個人的には彼らと双璧をなすインパクトを残した「自転車一家」の後追い企画を熱望。小さかった子どもたちは大きくなっていることだろう。今も一家で世界を旅しているのかな。

ダウントン・アビー シーズン4 【感想】

2016-03-18 09:00:00 | 海外ドラマ


現在NHKで絶賛放映中の「ダウントン・アビー」のシーズン4。
去年の段階でスターチャンネルで録り貯めていたので、一足先に全話を見終えた。

シーズン2と並ぶ、シリーズ最高傑作ではないだろうか。
素晴らしいドラマシリーズだと再認識する。

マシューの突然の死という大ブーイングで幕を閉じたシーズン3。その展開よりもその展開の描き方に、本ドラマに対する信頼が揺らいでいたところだったが、本シーズンで一気に挽回してくれた。

個性豊かなキャラクターで織りなされる群像劇として、その完成度はさらなる高みに達した。複雑なことはせずシンプルな脚本ながら充実の余韻を残す。

シーズン4を一言で表すならば「変化」だ。

それぞれのキャラクターに変化が訪れるシーズンだ。変化し成長を遂げる者、変化を受け入れる者、変化に翻弄される者、変化を楽しむ者。。。。本シーズンで、主役としての存在感をますます強めたメアリーは、マシューの死に絶望しながらも、その死を受け入れ前に進み、新たなステージに上がる。女性が男性と同じ社会的役割を果たそうとした時代の先駆けのようにも見える。メアリーは未亡人ながらモテ女なので、2人の男から求愛を受ける。しかし、彼女の強くしなやかな個性がブレないのが嬉しい。妹のイーディスはようやく幸せを手に入れるか?と思わせといて「そうはさせないよ」とサディスティックな展開に。。。メアリーと同じく伴侶を失っているトムはダウントン・アビーの運営に努めながらも、活動家の熱が密かに再燃。次のシーズンでトムはダウントンを去るような気配だ。昨年公開の映画「シンデレラ」で脚光を浴びたリリー・ジェームズ演じるローズは、物語のトリックスターとして大いに物語をかき回す。ローズの事件から、人種の多様性についてイギリスはアメリカなんかよりもずっと先進的だったと実感する。あと、自分の大好きなキャラであるシャーリー・マクレーン演じるアメリカの富豪マーサが出てきてやっぱり楽しい。名女優対決となるマギー・スミス演じるバイオレットとの対峙において「過去の遺物になるわよ」にグサっときた。バイオレットとイザベルの友情物語は笑ってホロリとさせる。

使用人サイドも多くの印象深いドラマを残した。
メアリーの従者であるアンナには、シーズン史上最悪の事件が待ち受ける。自身に降りかかった悲劇よりも、とっさにベイツを想いやるアンナが不憫で仕方なくなる。アンナ演じるジョアン・フロガットが相変わらず巧い。そんなアンナを受け入れ「君は気高き女性だ」と包み込むベイツのカッコよさよ。復讐の陰がチラついたり、手癖の悪さを発揮するベイツは本シーズンでも大活躍である。アンナの事件の結末として、暖炉の火にくべた「秘密」が印象深く、これがこのドラマの魅力なんだなーとしみじみ。メアリーとアンナの身分を超えた絆にも毎回心打たれる。執事のカーソンや、家政婦長のヒューズにも本シーズンではがっつり見せ場あり。デイジーとアイビーの厨房女子の恋の三角関係も見どころで、彼女たちの成長に繋がっているのがよい。ラストシーンの海辺のシーンが美しく、そこで見せるデイジーのささやかな成長ぶりが清々しい。

後味の悪かった前シーズンとは打って変わって、心地よいラストで締めてくれて大満足だ。

唯一の残念なのは、あのオブライエンが本シーズンから急にいなくなってしまったことか。トーマスとの悪巧みコンビはとっくに解消されているが、コーラとの関係性は簡単に切れるものではなかったはず。まーいろいろとキャスティング上で大人の事情があったのだろう。

当初から違和感をもっていた本ドラマに対する「愛憎劇」という表現については、このシーズンを前にすれば全く当てはまらなくなる。ダウントン・アビーは、100年も前の時代、愛と誠実さをもって生きた人たちの美しきドラマなのだ。

欧米では、昨年のうちに最終シーズンであるシーズン6が終了した。そして、日本でも今年の5月にスターチャンネルで、シーズン5と6が連続で放送されるらしい。「ファーゴ シーズン2」の終了に合わせて今月で視聴解約を予定していたが、来月には待望の「ゲーム・オブ・スローンズ」の新シーズンが放送されるし、もうしばらくスターチャンネルに視聴を続ける予定だ。ケーブルテレビに入ってないから、月額料金が高いんだよな。。。財布イタイけど、海外ドラマの至福には代えられず。

【90点】

マネー・ショート 華麗なる大逆転 【感想】

2016-03-12 11:00:00 | 映画


表裏の原則のとおり、勝者がいれば敗者がいるわけで、敗者がいれば勝者がいる。本作「マネーショート」は勝負ゴトを描いている映画ではないが、現代社会を動かしている経済活動のなかでも、その大原則が絶対的なものとして存在することを明示する。ただし、邦題のサブタイトルである「華麗なる大逆転」という言葉から想起される、勝者の成功を見せつける痛快劇ではない。観終わって残るのは言いようのない鬱屈さ。実は硬い社会派ドラマなので、配給会社の客引き目的は理解できるものの、まるで見当違いな邦題だ。

2004年から続いたアメリカの住宅バブルが崩壊し、世界恐慌のリーマンショックへと流れた当時、その危機を早い段階から見抜き、経済破綻を免れ、お金儲けした人たちを描く。

まず、面食らうのは、良くも悪くもその情報量とわかりにくさ。編集カットがめちゃくちゃ多い。

回収の見込みのない低所得層の人たちに住宅ローンをバラ撒き、その信用度の低い債券を、信用度の高い債券と偽って金融機関が販売して大儲けした。ところが、住宅バブルがはじけ、その債権が嘘っぱちだったことがバレて破綻してしまった。。。

リーマンショックについてこの程度の知識しか持っていない自分にとっては、本作はかなり難解だった。有名俳優のカメオ出演による「わかりやすい解説」というシーンもあるが、「そこはわかってますよ」という内容が多く、本作を理解する上ではあまり役立たない。キャラクターたちの反応から、彼らにとって好況か悪況かの判断はつくものの、その状況に至った原因や、その後の展望がイメージできないのだ。自身の知識不足と読解力を恨みながら、聞きなれない金融用語の波を掻き分け、物語に必死に食らいつく。そして予習してこなかったことを後悔する。鑑賞の主導権は完全に映画側にあり、これは製作サイドの狙いとも思えるが、いずれにせよわかりにくいのは確かだ。

個々の事態については十分に理解できないまでも、物語のウネリは非常に大きいため、ダイナミズムを感じることは容易だ。そのウネリの源は人間の愚行である。多くの人を不幸に陥れた経済破綻は間違いなく「人災」であり、拝金にくらんだ一部の人間たちがクスリでキメたかのようにラリって他人様に迷惑をかけた結果といえる。まともに考えれば誰もが気付けたことなのに、世界経済の中枢であるFRBさえも見過ごしたという驚愕の盲目っぷり。なので、経済危機を察知した登場キャラたちが優秀であったということよりも、当時の世界が狂っていたという印象が強い。

邦題の段階でネタバレになっている通り、最終的に4組の登場キャラはもれなく勝利者になる。が、その勝ち方は実に泥臭い。そこに本作のポイントがあるように思えた。住宅バブルがいよいよ崩壊して、彼らの読みが的中し、「よっしゃー形勢逆転だ!!」となるべきところであるが、マヒした経済システムがギリギリのところまで悪あがきをして彼らを翻弄する。最終的には崩れ去る運命なのだが、物理的ともいえる必然的な経済論理を惑わすほど、人間の欲望は深く強く、自らの首を絞めるほどの破壊力を持っているという怖さがある。その異常事態に触れたキャラクターたちも、自身たちの賭けが単なるマネーゲームでないことに気付く。富裕層で占められた人間たちの強欲がこの事態を引き起こし、貧困層から騙し取った金が、巡り巡って間接的にでも彼らの賞金となるのだ。勝利が目前にあるにも関わらず、スティーブ・カレル演じるマークが最後の最後まで苦悩する姿に強い共感を覚える。

何よりも気持ち悪いのは、これほどの被害を出しておきながら、A級戦犯である加害者の多くが罪を問われなかったことだ。本作はこうした結末をユーモアを交えて痛烈に批判する。

「知らないことが問題ではなく、知らないことを知っていると思いこむことが問題」という冒頭に出てくる格言が、本作の全てであり自戒の念として響いてくる。しかし、その一方で、資本主義という富める者が社会を支配する構造にあっては、再び同じ歴史が繰り返されるような気がしてならない。

本作で聞いた金融用語を復習して、パッケージがレンタルされたらもう1回観たいと思う。また違った見方ができるかもしれない。

【70点】

第88回アカデミー賞 受賞式の感想

2016-03-12 10:00:00 | 映画


すでに2週間近く経ってしまったが、第88回アカデミー賞の字幕版を観終わったので感想メモを残す。

■クリス・ロックのコメントに共感
 「(評価が偏っているではなく)同等にチャンスを与えられるべき」
■クリス・ロックの最大のブラック発言(会場が一瞬凍る)
 「追悼映像は映画館にいく途中で警察官に射殺された黒人たちを集めた」
■ルベツキの3年連続の快挙。彼のスピーチで、技術賞には珍しい他候補者への敬意。さすが。
■ジョージ・ミラーとれなかったけど、スタッフの受賞にホントに嬉しそうな笑顔。
■「エクス・マキナ」チーム、視覚効果賞の受賞にリアルにびっくりしている(笑)
■モリコーネの受賞、あれは泣いてはいないでしょー。
■クリス・ロックの出し物。クッキー販売のクダリは、2年前にピザでやったじゃないか。。。
■短編アニメ部門、チリ映画が初受賞でめでたいのだが、なんで客席のマット・デイモンに握手を求めたのか。素人丸出しじゃないか(笑)。
■長編アニメ部門でのピート・ドクター(インサイド・ヘッド)のスピーチが今回のベスト。
 「今苦しい思いをしている中高生のみなさん、悲しみ、怒り、恐れを感じるでしょう、だが、どんなときでもモノを作ることができる。映画、絵、文章、それが世界を変えるんです」。用意していたとはいえ感動。まさにピクサーのメッセージ。
■クリス・ロックのインタビューVTR、黒人側にも閉塞感あるんだなと実感。白人側だけの問題ではない。
■ルイス・C・K。クリス・ロックより面白いじゃないか!一番、華のない短編ドキュメンタリー賞をあそこまで盛り上げるとは!
■副大統領の登場に会場がスタンディング・オベーション。日本人には全く理解できない現象。
■ディカプリオの受賞スピーチ。やっぱり環境問題を持ってきたか。。。彼のスピーチだけ時間制限がないように思えたのは気のせいか?また、彼の受賞に泣いているのはスコセッシではないか?
■レイチェル・マクアダムスの背中がばっくり空いたドレス。セクシーで美しいが、露出激しく貧ぼっちゃまを思い出す。。。
■授賞式直後のマーク・ライランスのインタビューを観て、彼で良かったなぁと実感。

字幕版を改めて観て、受賞結果については大いに盛り上がったものの、エンターテイメントとしての授賞式の催しはどれもあまりパっとしなかった印象。授賞式のイベントとして最も心揺さぶられたのはオープニングムービー。大豊作だった昨年度の洋画にあって、その数々の作品の印象的なシーンを切り取り、同じエモーションの場面を繋げ、1つの映像作品に仕上げる神業。2015年の映画を振り返るとともに、それぞれの感動が蘇ってくる。アカデミー賞はその年の映画を総括するイベントでもあるのだ。来年も同じ人にオープニングムービーをを作ってほしいと思う。


Empire 成功の代償 シーズン1 【感想】

2016-03-12 09:00:00 | 海外ドラマ


アカデミー賞授賞式の放送目当てで、先月より加入したWOWOW。そこで先月、海外ドラマの一挙放送をしていたので録画し、観終わった。北米での視聴率が高いと聞いていたので、以前から気になっていた「Empire 成功の代償」だ。

全13話を何とか観終わったけど、久々につまらないドラマだった。かなりガッカリ。同時並行で見ていた「ダウントン・アビー」(シーズン4)とは、全く別ジャンルだけれど、映像作品の完成度という点において雲泥の差。このドラマ、ホントに人気があるのか??

今年のアカデミー賞は「人種の多様性が足りない!」と散々言われたが、本作を見ると「ブラック(黒人向け)コンテンツこそ、多様性がないじゃないか!」とツッコミたくなる。

物語はストリートから世界的なミュージシャンに上りつめた男「ルシウス」が一代で築いた巨大レコード会社が舞台だ。そのレコード会社は「Empire」と言い、「帝国」という名に相応しく音楽界で名を轟かす有名なレーベルとのこと。主人公のルシウスがある日突然、難病により余命宣告をされることから物語が動き出す。自分の亡き後の「帝国」を守るため、3人息子の中から後継者選びを始める。そして同じ時期に、かつてのルシウスの妻であり3人の息子の母である「クッキー」が長い刑期を終えて出所し、かつてルシウスと一緒に築いた「Empire」に接触する。本作はルシウスの後継者選びを軸とした「お家騒動」を描いている。

ドラマの設定に特異性はないものの、音楽業界をネタにしている点でいくらでも化けそうなドラマだが、面白いドラマとしてあるべき要素がことごとく欠けている。

キャラクターに魅力がない。
主人公のルシウスが、自身の保身のために右往左往あたふたする様子が目立ち、ドラマの主柱となる存在にも関わらず小物感が強い。そのうえに大の親バカでもあり、トランスジェンダーについても偏見が強く、知性、思考力ともに低く見える。彼の3人の息子であるアンドレ、ジャマル、ハキームの3兄弟はそれぞれ異なる個性をもっているが、まともに共感を持って見守れるのはゲイの二男ジャマルくらいだ。本作で数々の賞をとりまくっているタラジ・P・ヘンソン演じるクッキーは、序盤までは刺激的で新鮮に映るのだが、中盤以降からあまり冴えなくなる。本作のように海外ドラマを見て、出演者のことが気にならないドラマも珍しい。

音楽が盛り上がらない。
本作で多用されるのが、ブラックミュージックの象徴ともいえるラップだ。ラップに馴染みがないので、そのラップがいいのか悪いのか、よくわからない。三男のハキームがラップ担当であるが、そのパフォーマンスが巧いのかどうかもわからない。「女は俺についてこい~♪」みたいなイキった歌詞の連打にウンザリする。そんなハキームを見て「さすが俺の息子だぜ!!」とハシャぐルシウスの姿がウィル・スミスと重なり実にみっともない。映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」で魅了されたラップとはまるで違う。R&B担当の二男のジャマルは素直に歌が巧いと感じるが、彼が歌うオリジナル曲がかっこよくないのでパフォーマンスにも惹かれない。ルシウス演じるテレンス・ハワードは実際に音楽的才能があるのに、何でもっと活かさないのだろう。。。。

脚本が安直。演出が単調。
つまらないドラマは演者のセリフのみでストーリーを語らせようとする。その典型が本作であり、観る人の想像力に訴えるような描写は皆無だ。その物語も家族内での痴話喧嘩に終始し、誰かと誰かが喧嘩をしては仲良しになって、その直後、今度は他の人と喧嘩をし出す。その連続で実につまらない。音楽業界の裏側を描けるという武器があるにも関わらず、その利点を活かし切らず、ドラマのダイナミズムやスケールが一向に広がらない。ルシウスがキャラとして小物であるがために、権力に対する考察もできやしない。あと、無駄に同性愛をブっこみ過ぎである。物語の展開は想定する以下でも以上でもない。後半で予想しない不慮の事故が起きるが、これがしょーもなくてズッコケてしまう。

そして本作をとても窮屈に見せてしまうのが、人種の多様性のなさ。1人だけ白人のキャラが出てくるが、他はみんなアフリカ系で占められる。白人が主人公のドラマであれば、脇役に多様な人種を配置してバランスをとるものだ。また、そこで出てくる黒人女子が一様にグッドヘアー(ストレートヘアー)というのも不自然で気持ち悪い。なぜか秘書役としてキャスティングされているガボレイ・シディベさえもグッドヘアー。それにしても彼女は病的に太り過ぎであり見苦しい。

どうにも悪口が止まらないが、海外ドラマのクオリティが全体的にレベルアップしている昨今において、この落胆は大きかった。次シーズンへの期待を煽る終わり方になっているが、まったく見る気が起こらなかった。

【50点】

ヘイトフル・エイト 【感想】

2016-03-04 09:00:00 | 映画


どこまでも続く雪原を背景に、磔にされたキリスト像が雪をかぶっている。不穏な空気。何かが起きる予感。胸騒ぎのオープニングスコアに引き込まれる。名匠モリコーネの仕事に唸る。(祝、オスカー受賞!)

タランティーノの新作「ヘイトフル・エイト」は前作「ジャンゴ」に続く西部劇だ。「またかよー?」(笑)というツッコミを入れるところだったが、その懸念を吹き飛ばす面白さ。「ジャンゴ」や「イングロリアス~」などの近年作の流れを断ち切り、「レザボア・ドッグス」に近い作風の映画。長尺モノは苦手なのだが、本作については3時間近い上映時間はあっという間に感じられた。

賞金稼ぎ、囚人、保安官、死刑執行人、御者などで構成される8人の登場人物が、猛吹雪の山中で孤立したロッジ(雑貨店)に居合わせ、そこで起きる事件を描く。いわゆる密室劇であるが、映画表現でないと成立しない映像作品に仕上がっている。さすがタランティーノ、相変わらず面白い映画を撮るなぁーと感心する。

その背景を覆い隠すような真っ白な白銀の世界に、得体の知れないキャラクターが順を追って登場する。自身の素性を証明するのは「自称」あるいは「噂」や「記憶」だ。どこに真実があるのかわからない不安定な状況。賞金のために死体を運ぶ男、賞金と自身の流儀のために生きたまま囚人を運ぶ者、仕事のために移動中だった者、生きるために逃れようとする者。それぞれの思惑が1つの箱の中で交錯し、騙し合いの応酬が始まる。そして事件が起きる。

タランティーノが西部劇に魅せられる要因の一端が本作で垣間見られる。南北戦争の存在だ。その渦中には「リンカーン」という歴史上のカリスマがいて、奴隷解放問題をきっかけに同じ国民同士が南北に分かれて命を奪い合った。その戦争の終結は、様々な英雄談と遺恨を生み出した。そんな南北戦争の影響が登場人物たちの相関にも色濃く反映されており、展開の動力としても作用している。

「誰が犯人で、誰がグルか?」
真実が明らかにされようとする過程はミステリーであるが、それよりも、「誰が生き残れるか」というサバイバルが本作の最大のスリルであり引力だ。観客の予想を裏切ることに躍起になって振り回すだけの脚本とは大違い。真実への道のりはあくまでブレることはなく、それでも予想できない人間たちの業があるということ。描かれるのは、嘘と真実がさらけ出された先に待ち受ける衝突。善人と悪人の区別は設定上存在するものの、ラストに向かって物語が加速する中で、善悪の概念は次第に軽薄になっていく。

タランティーノは大好きなバイオレンス描写を用いて、その衝突を表現する。ド派手で流血たっぷりだ。毎度のことながら、過剰なバイオレンスがユーモアに転化し、笑いのツボを刺激してくる。閉鎖的な空間の緊張感を活かし、緊張の糸が切れるタイミングを自在に操る。どうにも目が離せず、完全に転がされる。物語の行方に夢中になるものの、結末はあまりスッキリしたものにはならず、良くも悪くもカオス感が残る。善悪を分けなかった代償ともいえるか。これもレザボアを見た時と一緒な感覚。最後の真相は気になるところだが、そこは伏せておいて正解だったかも。

秀逸な脚本と演出。そしてキャスティングだ。サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、デミアン・ビチル、ブルース・ダーンと、加齢臭を漂わすオッサン俳優をこれでもかと投下する。但し、もれなく実力派揃いなので観ていてまったく苦にならない。観客に媚びないタランティーノの趣味だろう。その中で紅一点のキャスティングとなり、本作の中心軸として役割を果たしたジェニファー・ジェイソン・リーが衝撃的に素晴らしい。彼女が演じるのは「悪魔」であり「毒」だ。オスカー授賞式で彼女のノミネート紹介でも流れたシーンが頭にこびりついている。「キャリー」よろしくな血と脳汁を全身に浴びながら、恨みと憎しみを全身にたぎらせ、地獄の底に叩き落とすと言わんばかりに恐喝する。その破壊力は凄まじく、彼女の強烈なパフォーマンスを見るだけでも価値があるというもの。それと同時に優秀な監督とは、俳優たちのポテンシャルを引き出す達人であることも再認識する。

【70点】