から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

トップガン マーヴェリック 【感想】

2022-06-22 20:00:00 | 映画


一言、トム・クルーズと同じ時代に生まれて幸せだ。

なんちゅう映画よ。実写映画の限界点をまた1つ突破した金字塔。
「本物でないと観客に伝わらない」と、映画の力を信じ、観客を信じる男の情熱。
スクリーンからほとばしる熱量で顔面が溺れた。

黄金のシナリオと未曽有の撮影技術を待たねば本作の実現はなかった。

正直なところ、前作は”アイドル映画”の域を出なかった凡作。
そんな前作すらも輝かせる離れ業もキメてみせる。

何かと時代性や社会性を添加する映画が多いなか、
仲間との絆×ミッションの一点ラインで勝負する。
その潔さと英断に拍手。物語上の全ての展開が正解だ。

ノスタルジーと熱きドラマを積んだアクションは抜群の加速度を得る。
ここ最近不調だったハンスジマーのスコアがドンピシャにハマる。
血沸き肉躍る感覚が止まらない。

空気の摩擦を切り裂き、音速で滑空する飛行シーンの迫力よ。
ミッションクリアと思いきや、”ドッグファイト”のメインディッシュが待ち受ける。

生死のせめぎ合いで試される本能。
その真っ只中に放り投げられる観客。
これを”体験”といわずして何といおうか。

夢を見させてくれてありがとう、トム・クルーズ。

【100点】
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犬王 【感想】

2022-06-04 08:00:00 | 映画


大アタリ映画が続く。。。。(短めに感想)

湯浅ワールド全開。無二の作家性と創造性を、知られざる歴史フィールドで爆発させる。呪われて生を受けた異形の能楽師「犬王」と、呪われた剣によって視力をなくした琵琶法師「友魚」が出会い、バンド(?)を組んで室町時代の京を席巻するという話。バディ映画であり、ミュージカル映画であり、歴史ドラマ、これらの3つの要素が鮮やかに融合し、高ボルテージを保ったまま駆け抜けていく。実在したものの、文献として残っていないキャラクターを想像によって膨らませた物語。じゃあ好き放題やっていいか、とはならず、湯浅監督が考える「歴史」がしっかり守られていて、あくまで本作は時代劇。アニメという表現手法でしか実現できない世界を圧巻のスケールとダイナミズムで具現化する。本作で特筆すべき点は製作陣の豪華な座組みだろう。湯浅政明×野木亜紀子×松本大洋×大友良英、この4者の個性と才能が活かされたまま、見事に1つにまとまった作品ともいえる。想像するに初タッグを組んだ、湯浅監督と脚本家野木亜紀子のシナリオ作りは互いの異なる主張を含め、かなり難航しただろう。だけど結果的に2人の個性がなければ、この作品の成功はなかったと思える。特に、クライマックス後の犬王と友魚の行く末である。何かとミュージカルシーンにスポットがあたりがちの本作だが、個人的に刺さったのは終盤で描かれる友魚のアイデンティティの執着である。ここのドラマは生身の人間を描くことに秀でた野木亜紀子の手腕が効いていたのでは?と勝手に妄想する。そこに湯浅監督が描く時代の残酷で血なまぐさい描写がしっかり抑えられていて何倍もの味わいで響く。そして、何といってもキャスティングの旨み。湯浅作品の特徴はキャスティングに失敗しないこと。アヴちゃん、森山未來、津田健次郎、柄本佑、松重豊がいずれもビタハマり、かつ、見事な演技力。アヴちゃんは他で絶賛されているのであえて言及せず(言わずもがな素晴らしいので)。個人的には森山未來の熱演に圧倒された。ハッピーエンドかバッドエンドか、は見る側によって異なる映画。大いに楽しみ大いに感動した。

【80点】
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流浪の月 【感想】

2022-06-02 19:00:00 | 映画


再び巡り合う2つの孤独な魂の行方。
この物語、そしてこの映画を何から語ればよいのだろう。この記憶は忘れがたく、今年を総括するときに振り返る1本になったことには間違いない。

物語の真実は『少女を苦しみから救った青年』の図。しかし、社会は盲目の理解で2人の絆を壊し青年を貶める。ニュースで語られる事実は後者の社会の視点『10歳の少女を誘拐し、一人暮らしの自宅に連れ込んだロリコン男』。年の差は8歳しかない。少女が仮に成人を迎えた20歳で、男が28歳であれば、これほどスキャンダラスに報じられることはない。物語の本質から外れるけど、頭のなかで考えたのは「純愛」の定義だ。

肉体的接触、あるいは性的な欲望を介した愛は、その定義から外されがちだけど、両者が求めあう結果であればそれは「純愛」といえると考える。小児性愛の問題は子どもが身体的にも思考的にも未成熟な存在であること。だから、双方に合意があったとしても犯罪と認められる。なお、本作での2人の間には肉体的な接触は全くない。だけれど、仮に男の小児性愛が背景にあったとしても少女が救われた事実があれば正義といえるのではないか。。。。なんて、価値観を揺さぶられる感じがした。(本作は小児性愛を描いたものではないし、個人的にも異常な生理現象だと思ってる)

本作の本質的な問題定義は、他者は何もわからず、社会的倫理や法律のムチで個人を大いに傷つける、という点。だが、その問題を声高に訴求する物語ではない。愛おしく、または、愚かしい人間の業を寓話的なアプローチで描きとる。あまりにも悲惨な2人の境遇、出会うべくして出会った運命は15年の歳月を経て輪廻し再び動き出す。2人はただ繋がっていたかっただけ。世界がこの2人だけだったらどんなに楽だったことか。

常に中心にあるのは主人公2人の世界だ。他社は障害、あるいは社会の代弁者として位置する。脇役が2人をサポートすることはない。人と人が交わることで発生する微細な空気の変化がリアルな感触として伝わる。避けることのできない、目を覆いたくなるほどの嫌悪感、暴力性も容赦なく描写する。美しさも醜さもありのままだ。そこに同居する愛の多様性がさらに深みへと引き込む。静的画面の裏に透けるざわめき、緊迫感。青白く冷たいフィルターを通してみる叙情的なカメラショット。150分という長尺を気にさせないほどにスリリングで没頭させる。

李監督の6年ぶりの新作。個人的に苦手な監督のひとり。「そこは描かなくてもよいのに・・」と描写加減が性に合わず、本作でも(原作通り?)、文が落書きで中傷されるシーン、「わざわざスマホで撮影する子どもを挟まんでもよいのに」と思ったりする。しかしながら、本作はそれ以上に監督の丁寧で緻密な演出が光る。

若き役者陣に心からの賛辞を送る。熱演、名演という表現では収まりきらない。その圧倒的な実在感に、俳優として知る彼らのイメージは完全になかった。そこにいたのは広瀬すずではなく「更紗」だったし、松坂桃李ではなく「文」であった。なので「ギャップ」という表現は相応しくない。映画を見送って没入から解け役者陣を振り返ったとき残ったのは、映像の世界で役者として携わることを決めた人間たちの覚悟だ。強いていえば松坂桃李。役所広司からカメレオン俳優の座を継ぐのは彼しかいないだろう。

本作はミステリーでもある。前半、更紗側の視点が一方的に描かれるなか、謎であった文側の真実が解き明かされている。文のあらゆる行動原理、心理的背景を「ファンタジー」として語るのではなく「物理的な真実」として描いたことも物語の輪郭、手ごたえを確かなものにした。あと、本作は「珈琲」映画でもある。傷ついた更紗に振る舞った、文が淹れたカフェオレの美しいこと。珈琲愛好家として堪らなかった。

【90点】
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