2016年日本映画のベストは、アニメの力を借りた珠玉の人間ドラマだ。
70年以上前に起きた戦争の存在を、これほど近くに感じた映像作品はない。だけど、本作は反戦を訴えた戦争映画にあらず。今と変わらぬ「普通」の日常のなかで戦争という障害に直面した人たちの姿を通して、生きることの喜びと希望が力強く唄われた人生賛歌だ。観終って、本作から受けた感動を頭の中で整理できずしばらく放心状態。個人的にはアニメの概念を変えるほどの衝撃だった。そして、年代、人種を超えて1人でも多くの人に本作を見てもらいたいと思った。その価値のある映画と確信する。
主人公「すず」を演じた(能年玲奈改め)「のん」に、今年の最優秀主演女優賞を贈りたい!
水曜日の夜、テアトル新宿のサービスデーとあって劇場は立ち見が出る盛況ぶり。前評判の高さもあったかもしれない。そして、映画が終わりエンドロールが流れる時も、席を立つ人がほとんどおらず、劇場全体が「特別な映画を見た」という高揚感に包まれているのが感じられた。
「戦時下を生き抜いた人たち」的な戦争映画を予想し、少々身構えていたのだが、序盤からその肩の力が抜けた流れにあっさりといなされる。水彩画で描かれた淡く美しい瀬戸内の風景のなか、マイペースでゆったり行動する主人公「すず」のキャラクターに、「のん」の「ぬぼ~」とした広島弁の声が、高いシンクロ率で乗っていく。「座敷わらし」が出てくるなど、リアルな世界に「すず」のイマジネーションをそのまま投影した世界が差し込まれ、その映像が可笑しくも愛らしい。「すず」の不思議な個性に魅かれるのに時間はかからない。
彼女は実直で思いやりのある人だが、激しくトロくて鈍くさい(笑)。自身の心情を理解するのも難しく、その心情を吐露することもままならない。18歳で受けた見ず知らずの人からの縁談では、「相手が気に入らなければ断ればよい」という祖母の言葉にも、「その人が好きなのかも、嫌いなのかもわからない」と、目の前の状況に抗うことなく、そのまま縁談を受けることにする。自身で意思決定ができない人ではなく、環境を素直に受け入れ順応していくのが彼女の生き方であり、幸せなのだと察する。そんな彼女の心情が唯一開放されるのが絵を描くときだ。目で見た感動やその先にある想像の世界を小さな手帳ににすらすらと残していく。
彼女を見染め、縁談を持ちかけたのは子ども時代、すずに偶然出会っていた周作という青年だ。恋愛からの結婚ではなく、結婚から恋愛が始まる当時の恋愛観が新鮮である。夫婦として少しずつ距離を縮めていく過程がコミカルに、時にエモーショナルに描かれていく。互いを「さん」づけで呼び合い、「あんたが楽しければそれでええ」とすずを想う周作の人柄がまた魅力的だ。すずと周作の互いの思いやりと愛情の深さが、観ている側の体内に心地よく浸透していく。
すずを中心に描かれる、実家の浦野家、嫁ぎ先の北条家での人間模様には、とにかく笑いが絶えない。真面目に生きれば生きるほど人間はユーモアから逃げられないものだと思う。本作は日常生活のなかで放出されるユーモアを丁寧に拾い上げて笑い転じさせる。観ているこっちも彼らと同じように笑う。劇場でこんなに笑ったのは久しぶりだ。戦争に入った苛酷な状況においても、すずたち家族の笑いに満ちた生活をつぶさに切り取っていく。そこには貧しい生活を強いられる悲壮感はなく、貧しい生活を知恵と笑いで切り抜ける逞しさがある。悩んで立ち止まっても仕方なし。前を向いて進むのみ。おっとりしたすずの性格とは反対に、テンポよく場面が切り替わっていくのが印象的で、すずの生命力の勢いを表現しているようにも思えた。
嫁ぎ先の北条家は広島の呉市にある。日本の戦艦の拠点であり、大きな空襲に見舞われた場所である。亡くなった自分の祖母が東京大空襲を体験していて、昔こんなことを言っていた。「空から降る焼夷弾が花火のように綺麗だった」と。命を脅かす危険物であることは十分に承知のうえで、「普通」の感覚から見えた戦争の情景なのだと感じた。本作でもそれと似たようなシーンが、すずの目を通して描かれていた。その様子はすずの特異な個性ゆえの見え方というよりも、多くの人が感じた情景として強いリアリティを感じた。しかし、本作のすずの場合は、その空襲による暴力が、すずの大切にしていたものを2つも(あるいは3つも)奪うことになる。
描かれるのは「喪失からの再生」といったよくある話ではない。そのあとに訪れるのが「原爆投下」という想像を超える悲劇と、信じた戦争に降参するという国家の裏切りである。初めてすずが感情を爆発させるシーンが胸に迫る。戦争はすずのみならず、すずの家族たちにも大きな傷跡を残す。しかし、これだけの悲劇が起きたにも関わらず、その悲劇を感傷的に長く引きずることを本作は避ける。多くの傷は少しずつ癒えていき、また、いつものテンポに戻り、笑いが起きる明るい生活が待ち受ける。そして、新たな出会いを受容していく。エンドロールで描かれるもう1つの物語がこれまた感動的だ。それでも人生は続いていくということ。
とにかく脳裏に残るのは、主人公すずを演じた「のん」の声だ。絵で描かれたキャラクターに命を吹き込むという役割以上の仕事をやっている。淡泊なタッチの絵で描かれたキャラクターにこれほど実在感を感じるのは、演技という領域を超えて「すず」と「のん」の2人の個性が合致し、同じ価値観のもと共鳴しているからだと感じる。彼女たち2人の出会いが本作の大きな成功要因になったことは間違いない。パンフ情報によると、本作の完成ギリギリのタイミングで、のんの起用が決まったというから、まさに奇跡的な出来事だったといえそうだ。
徹底した時代考証を重ねた結果の、生活風景と戦争風景の再現であったことは想像に容易い。6年という製作期間を聞いて納得する。70年後の現代にいながらにして、その時代の空気を感じることができた映画体験でもあった。それが実写映画ではなく、アニメ映画によってもたらされていることに改めて驚かされる。
豊作な2016年の日本映画の中でも、突き抜けた感のある大変な傑作。
自分にとっても忘れることのできない映画となった。
【95点】
(今年ようやく95点オーバーの作品に出会えた~)