から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

13th -憲法修正第13条- 【感想】

2016-11-30 08:00:00 | 映画


Netflixにて。
次のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門で候補入りが有力視されている1本。
アメリカの人種差別の病巣が、ここまで根深いとは。。。

タイトルの「13th」は修正されたアメリカ憲法の条項を指す。「あらゆる人種の隷属を禁止する『但し犯罪者には適用されない』」という内容で、犯罪者として捕まえれば、人権は無視されるという法の抜け穴だ。

アメリカの全人口のうち、黒人の成人男性が占める割合はわずか6.5%だという。それに対して、犯罪者として収監されている囚人に占める黒人男性の割合は40.2%とのこと。驚きのデータだ。「黒人男性の犯罪率が高い」という理由だけでは片づけられず、本作ではこの異常事態のカラクリを多角的に紐解いていく。
アメリカの奴隷制度から始まった有色人種への人種差別は、南北戦争による奴隷解放以降も変わらず続いている。奴隷という労働力を失った南部の経済は急激に疲弊したが、それを解消するため、憲法第13条の「効力」を活かし、黒人たちを牢屋に入れて奴隷に復活させるという新たな潮流が誕生する。黒人は「犯罪者」というイメージは、白人至上主義者によるプロパンガンダ映画によって形成された。奴隷という概念がなくなった現代においても、囚人の存在は、強固な資本主義を背景に経済と政治に密着している。犯罪者が「増える」のではなく、犯罪者を「増やす」、アメリカ社会の知られざる闇が露わになる。その標的になるのは、アフリカ系を中心とする有色人種の人たちだ。

本作の監督は「グローリー/明日への行進」でもメガホンをとったエバ・デュバーネイだ(読みづらい・・・)。彼女自身もアフリカ系ということもあり、本作で扱うテーマについては強い思い入れがあったと想像する。登場する人たちが、ほとんど問題を肯定する側の人間ばかりのため、真偽については見極める必要があるかもしれない。その一方で、反論する側の人たちは自身の保身のために、出演することを断ったとも考えられた。

本作の訴求力もさることながら、注目したのはドキュメンタリー映画として非常に良く出来ているという点だ。数多くの有識者、事件の関係者のインタビューをベースに、実際の映像とつなぎ合わせた構成であるが、自在に素材を組み合わせ、途切れることのないテンションを保っている。普通のドラマ映画も巧みに撮れる監督らしい手腕かもしれない。

印象に残ったのは、やはり人種迫害の実際の映像である。初めて見る映像も多く、どれも衝撃的だった。無抵抗な人たちを否応なく殴りつける白人至上主義者たちに激しい怒りを覚える。その映像にトランプの人種差別演説をシンクロさせてみせる演出が痛烈だ。トランプはアフリカ系ではなく、ラテン、イスラム系の人たちを指して演説していたが、その本質はまったく変わらないと思った。

【70点】

マンチェスター・バイ・ザ・シー 【気になる映画】

2016-11-27 09:00:00 | 気になる映画


12月が近づき、北米ではいよいよ映画のゴールドラッシュが始まっている。各配給会社が賞レースに当てて自信作を次々とリリースしている。

次のアカデミー賞の主要部門でノミネート確実とされる映画が先週よりまた1つ公開された。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」というドラマ映画。
日本公開はまだ決まってないようなので、もしかすると邦題は変わるかもしれない。

家族を持たず一匹狼で生きてきた便利屋の男が、兄の死をきっかけにその子供(甥っ子)を引き取るという話らしい。

サンダンス映画祭での前評判に違わぬ絶賛レビューを集めており、ロッテントマトでは現時点(11/27)で96%のフレッシュを獲得。一般オーディエンスでも96%というハイスコア。感涙必死の傑作ドラマといったレビューが乱れ飛んでいる。

監督は日本のウィキペディアにも乗っていない、ケネス・ロナーガン。小作ながら、「マーガレット」など佳作を生み出し続けている映画監督だ。主人公演じるのはケイシー・アフレック。「ベン・アフレックの弟」という枕詞は今や昔。演技派の地位を確立している彼が本作にてキャリアベストのパフォーマンスを見せているとのこと。主演男優賞にて「ジェシー・ジェームズの暗殺」以来のオスカー候補になると予想。そして、彼の恋人役を演じるミシェル・ウィリアムズも見逃せないらしい。

他に注目ポイントとしては2つ。
1つは俳優である、マッド・デイモンがプロデューサーに名を連ねていること。映画賞で作品賞に選ばれれば彼がスピーチする可能性あり。そしてもう1つは、Amazonが配給しているという点。Netflixに代表されるように、映像ストリーミング会社のコンテンツ力は年々上がっており、近年ではTVドラマだけでなく、劇場映画でも、その品質面で既存の製作会社を脅かす存在になっている。昨年、Netflixの「ビーストオブノーネーション」がオスカーに嫌われたのは残念だったが、本作の製作にはAmazonは関わってないみたいなので問題はないかと。

ケイシー・アフレックファンとしては、日本公開が待ち遠しい1本だ。


聖の青春 【感想】

2016-11-26 09:00:00 | 映画


「勝負」とは勝ち負けを決めるということ。普段まったく馴染みのない将棋界においては、勝つことにのみ意味があるようだ。将棋界のスーパースターである羽生善治が「光」であれば、本作の主人公、村山聖は「影」といったところか。まるで共通項のない2人が、唯一共鳴したのは勝負への執念だ。「青春」という言葉とは程遠い、村山聖の短くも鮮烈な生き様を描いたドラマだ。

村山聖という人物については、以前、何かのドキュメンタリー番組を見ていて興味を持っていた。童顔でぽっちゃりとした体形は「ネフローゼ」という難病によるものであり、29歳という若さでの逝去は、その持病を起因とした膀胱がんによるものだ。だが、彼の早すぎる死は、自身が選んだ生き方ゆえに起こったものとも考えられた。

幼少期からの病院暮らしのなかで将棋と出会い、めきめきと腕を上げ、奨励会入会後、異例の早さでプロになった。感じるのは「才能」よりも「負けず嫌い」の性分。自身の持病から人生のタイムリミットを計り、生き急いでいたという見方もできる。「将棋を極めたい」ではなく、「早く名人になって引退したい」というモチベーションが特異だ。彼の目標は生きているうちに将棋界のテッペンをとること。

そのゴールを目指すため、自身の病気のケアよりも勝負を優先する。体調が悪化する状況も無視する。「勝負に生きた」というのは少し美化した言い方だろうか。自分が聞いていた村山聖は風呂に入らない不潔な人という印象が強かった。そして、麻雀とお酒が大好物。映画では演じる松山ケンイチの個性もあって、かなりそのあたりがマイルドに描かれているが、常人には理解し難い偏った思考を持つ「変人」気質が少なからずあったと想像する。

どちらが本当の村山聖なのかはわからないが、本作は伝記映画ではないと思うので実在の人物を再現する狙いはないだろう。映画では主人公が身近な存在として感じられた。それだけに、彼に感情移入しやすくなる。勝負への執念だけではなく、生きることへの執着がきちんと抑えられている。大の少女コミック好きであり(「いたKiss」笑)、恋愛に憧れる感覚を持っている。「死ぬ前に一度でいいから女性を抱きたい」という言葉は常人と変わらぬ男子の本音だ。

そんな主人公の生き様に密着するのが、羽生善治というライバルの存在だ。調べてみたら2人は1歳違いの同世代。互いに火花を散らしていたというより、我が道をマイペースで進む羽生善治に対して、村山聖が一方的に対抗心をむき出していたようだ。当時、前人未到の連覇を若くして成し遂げ、プライベートでも芸能人タレントと結婚するという、充実の人生を送っていた羽生善治の存在は、村山聖の目にどう映っていたか。正反対にある2人の位置づけが物語をドラマチックにさせる。

2人の対局シーンが本作の見所だ。一切の解説なして、彼らの勝負の行方を2人の表情と所作、彼らに注目する周りのリアクションだけで描くのが潔い。静かな空間のなかで、互いの気迫が交錯するのがわかる。将棋のルールを知らなくても迫力は伝わる一方で、知っていたほうが、勝負のダイナミズムを感じられたと思う。将棋盤を前にして、静にして動を表現する、松山ケンイチと東出昌大のパフォーマンスが素晴らしい。

体重大増量で役作りに臨み、新たな村山聖像を作り出した松山ケンイチの熱演もさることながら、そのライバルである東出昌大の羽生善治アプローチがハンパない。対局中、実際の羽生善治を見ているようだった。長身という、本作におけるハンデも感じさせないなりきりぶり。良い役者になったな~と感心してしまった。脇を固めるキャストたちも皆好演。主人公の生き方を肯定し見守る師匠役のリリー・フランキー、村山の弟弟子を演じ、勝負の厳しさを知らしめる染谷将太、一瞬誰かわからないほど一般人と化した筒井道隆など、みんなとても良い仕事をしている。

2人の対局シーンの他に印象深いのは、熱戦の対局後、村山と羽生が2人きりで出向いた居酒屋での一幕だ。対局の場以外で交わることのなかった2人がまともに言葉を交わした唯一の場面でもある。会話の内容は、勝負の世界を離れて互いのプライベートの話に及ぶ。2人の趣味がことごとく噛み合わないのが可笑しい。穏やかな時間が流れるなか、次第に2人の勝負に対する思いが浮上していく。羽生の意外な告白に、2人が同じ時代に生き、ライバルとして対峙することになった運命を強く感じる。名シーンだ。

映画は村山の死までを描く。早すぎる死は悲劇であるが、悲壮感は感じられない。勝負の日々の中に命を燃やした彼の人生は清々しくもあり、彼の青春だったのだと思う。

【65点】


アイリス・アプフェル! 94歳のニューヨーカー 【感想】

2016-11-24 09:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
ファッション業界で脚光を浴びるアイリス・アプフェルに密着したドキュメンタリー。彼女の肩書は「服飾品コレクター」。元々は繊維会社を夫と一緒に経営していて、世界各地を巡り、様々な服飾品や生地を半ビジネス・半趣味で収集していた。彼女の場合、ただ、コレクションするだけでなく、自身のファッションとして着こなすことが最終目的である。あらゆる先入観にとらわれず、性別、人種、文化を壁を超えて直感的に好きになったものを手にしていく。40年代、初めてアメリカで女性としてジーンズを着用したエピソードからも、彼女の柔軟性とファッションへの情熱が窺い知れる。ファッションに強いこだわりがあるものの、他人のファッションセンスを批判することはなく、「その人が自分の好きなものを着て、幸せな気分になれることが大事」と、ファッションの本質を突いたようなコメントに納得する。なので、ブランドにこだわることもなく、フリーマーケットで中古品を物色するのも厭わない。
そのファッションセンスは、カラフルかつ大胆。一見、90過ぎのお婆ちゃんが着るようなものには見えないが、それは自身の固定概念であることに気付かされる。ファッションに疎い自分でも、彼女の着こなしは普通にカッコいいと思えるからだ。彼女の日常は、取材や企画の準備で大忙しなのだが、その生活を楽しいんでいる模様。90を過ぎでもなお、腰が曲がらず姿勢よくいられるのは、心身ともに充実した生活の送っているからと感じる。楽しいことをしている人は健康でいられるのだ。彼女の生き様に勇気をもらえる一方で、ドキュメンタリーとしての作りは、彼女の生活密着とインタビューに終始するというものであり、少し物足りなさが残った。
【60点】

マネーモンスター 【感想】

2016-11-24 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
財テクのテレビ番組の生放送中に、株で負けた男がキレて乱入するという話。監督はジョディ・フォスターとのこと。
番組の司会者がのっけからお調子者ぶりを発揮。演じるジョージ・クルーニーのチャームがハマっていて期待できる滑り出し。いつものとおり番組が始まるが、早々に犯人の男の人質となる。そこから次第に展開が失速していく。あるべき緊迫感が感じられず、スリラーとしての面白みが乏しい。その原因はおそらく事件の真相がスタジオの外にあって、スタジオにいる誰もが関与していないという部分が大きい。犯人が身籠の妻を持つ善良な市民という点も、凶行に駆り立てる背景としては嘘っぽい。あらゆる救出の可能性を断たれた状況にあっても、安心感が拭えず、スタジオを飛び出した状況でも緊張感が高まることはない。犯人役にジャック・オコンネルという才能を配しておきながらとても勿体ない。明らかになる事件の真相についても、ありきたりなフィクションである。スリラーとしても社会派ドラマとしても振り切れなかったのが残念。監督、ジョディ・フォスターには不向きなテーマと感じられた。
【60点】

ウォーキング・デッド シーズン6 【感想】

2016-11-22 09:00:00 | 海外ドラマ


もうめちゃくちゃだ。酷い。
シリーズの中で最低の仕上がり。視聴者をナメてるのか。。。

Netflixでも「ウォーキング・デッド」のシーズン6が解禁になったため、まだ観ていなかった後半パートを観終わった。

シーズン5でリック一行が辿りついたアレクサンドリアから物語はスタート。「暴力による解決が必要」と訴えるリックは、周りから問題視されるが、案の定、外部からゾンビとカルト集団(!?)の襲撃を受ける。その結果、リックのやり方が見直され、リックがアレクサンドリアのリーダーとして受け入れられる。その後、アレクサンドリアの壁が壊され、町中に大量のゾンビが襲来。これが前半パートのクライマックスだ。

いつからだろう。登場キャラがこんなにバカになってしまったのは。。。
「そんなことしたら襲われんだろ?」という当たり前の行動をあえてしたがる。その結果、危険に晒されて、キャラクターたちが大慌てする。脚本家は「スリル」の言葉の意味を理解しているのだろうか。もしくは、逆に笑いを取りにいっている可能性もある。神経を疑うような展開が生死を分ける局面で続いていく。最終的には、リックがブチ切れて、なりふり構わずゾンビを殴打しまくるという展開に(爆笑)。それができるんだったら、最初からそうすればいいじゃないか。シーズンを追うごとに、リックが馬鹿になっているのは気のせい!?。

この一件が収まり、アレクサンドリアに平穏が戻る。後半パートではリックたちの一行が、また新たなコミュニティと出会うことで話が展開していく(このパターンは無限ループ)。「ヒルトップ」という場所に住む人たちで、アレクサンドリアの町民たちと同じ温厚な人たちだ。食糧不足に悩んでいたリックたちは、彼らと取引をする。その内容が「鬼退治」である。ヒルトップの人たちを困らせている悪い奴らを、リックたちが変わりに懲らしめるというものだ。彼らを殺さなければアレクサンドリアにも脅威が及ぶという、理解できない大義を持ち出し、彼らを皆殺しにする作戦が決行される。このエピソードが本当に見苦しい。モーガンのセリフのとおり「彼らを殺さなければならない理由」はなく、無理やりスリルを生み出しているのがよくわかる。そして、殺しの正当性のないリックたちは、敵のアジトに潜入し、寝ている無防備な人たちを次々と殺していく。全くの卑怯者だ。まともだったグレンすらも手を貸していく有様だ。グレンが殺した相手が飾っていて写真が映し出され、さも「殺されて当然の相手」と言っているかのよう。何だソレ?、脚本、下手クソか。何でもアリかよ。彼らの罪は消えませんから。

迷走が甚だしい。
シーズン3までの濃密な人間ドラマはどこに行ってしまったかのか。リックとミショーンが男女の関係になるとか、エイブラハムの三角関係とか、タラとデニースの同性愛とか、どれもこれも腑に落ちない。落ち着いた環境に身を置いたことで恋愛する余裕が出てきたともとれるが、安易に人を結びつけている。このシリーズで初めて、どのキャラクターにも感情移入ができなかった。

シーズン7へ引っ張るため、最終話で一気にギアチェンジして加速する。リックたちがこれまで経験したことのない恐怖が待ち受けている。リックたちのこれまでの「愚行」は、この結末への伏線とも受け取れる。ところが、そこで待ち受ける「救世主」が少しおかしい。さっさと殺ればよいのに、いつまでもゴタクを並べて、焦らしに焦らしまくる(笑)。せっかくの緊迫のシーンが台ナシになる。ラストカットでようやく「衝撃」が待ち受ける。

すでにシーズン7は、FOXだけでなく、huluでも現在放送中である。シーズン7を見ている会社の同僚に、さっそくシーズン6のラストで殺された相手についてネタばらしをしてもらった。かなりの驚き。その展開を巡り、ネット上では炎上しているとのこと。登場キャラを殺すことで視聴者を引きつける手法は、もうやめたほうが良いと思われる。

あと気になったのが、女性と情事に至り、映し出されるリックとエイブラハムの上半身の裸だ。2人とも豊富にあった胸毛を綺麗に剃っている。海外視聴者を意識してのことだろうか。もはや人気はグローバルレベル。視聴者に媚びるのは結構だが、その人気に胡坐をかいて、脚本作りを疎かにするのはやめてほしい。

【40点】

「とり野菜みそ」を初めて食べた件。

2016-11-22 08:00:00 | グルメ


テレビの情報バラエティ番組で話題になっていた「とり野菜みそ」を食べてみた。

石川県のご当地グルメとして絶大的な人気を誇る調味味噌であるが、最近、関東地方でもテレビCMが流れるようになり、近くのスーパーでも買えるようになったみたいだ。自分が購入したのは駅前のイトーヨーカドーだ。味噌売り場ではなく、鍋スープの売り場に陳列されていた。「発見した!」という驚きと共に、「高い!!!」と値段の高さに驚く。他の鍋のスープが200~300円なのに対し、「とり野菜みそ」は片手で収まるくらいサイズで600円だった。「特価」というお手頃感を出すポップが出ているが、まるで説得力がない。話題の調味料ということで、一度は試してみようという人たちはたくさんいると思うが、その値段の高さに買うのをためらうだろう。自分も「美味しくなかったらどうしよう・・・」と悩んだが、意を決して購入することにした。

作り方は、めちゃくちゃ簡単だ。4人分の鍋を作るのに、水500mlを鍋に入れ、とり野菜みそを200グラム入れて、沸騰したら鶏肉を投入し、白菜や人参などの野菜を入れて煮込むだけだ。裏面の調理方法のとおり、5分では鶏肉や野菜に火は通らないので、20分くらい時間がかかる。出来上がって、味見をしてみると、かなり塩っ辛い。水は加えず、もやしを追加投入して仕上げた。

で、食べてみた。「美味しい」が、思ったほどではなかった。何か特徴のある味でもなく、極めて味噌汁に近い。このスープを飲んで「とり野菜みそだ!」と一発でわかる人はどれだけいるだろう。逆にこのクセのなさが長く愛される理由なのかもしれないが、テレビで絶賛するほどの味かというと、そうではなかった。そして、どうしても値段の高さが引っかかる。

調べてみたら今年の7月に値上げをしたようだ。石川県出身でとり野菜みそを昔から知っている会社の同僚に聞いてみたら、昔はもっと安かったらしい。「とり野菜みそ」を製造する「まつや」が関東進出を果たした背景には、「マルコメ」との業務提携があったようだ。実際に自分が購入したチューブ型のとり野菜みその裏面には「マルコメ」の名前があった。提携と販路拡大のため、値段を上げる必要があったのかもしれない。

チューブ型が300グラムちょっとの容量だ。濃い味なので150グラムずつ使って、2回分の使用量と考えれば少しはお得感が出るかも。しかし、個人的には、この値段でこの量であれば、他メーカーの鍋スープをチョイスするだろう。リピートはない。値段を再考したほうが良いと思う。

この世界の片隅に 【感想】

2016-11-19 09:00:00 | 映画


2016年日本映画のベストは、アニメの力を借りた珠玉の人間ドラマだ。
70年以上前に起きた戦争の存在を、これほど近くに感じた映像作品はない。だけど、本作は反戦を訴えた戦争映画にあらず。今と変わらぬ「普通」の日常のなかで戦争という障害に直面した人たちの姿を通して、生きることの喜びと希望が力強く唄われた人生賛歌だ。観終って、本作から受けた感動を頭の中で整理できずしばらく放心状態。個人的にはアニメの概念を変えるほどの衝撃だった。そして、年代、人種を超えて1人でも多くの人に本作を見てもらいたいと思った。その価値のある映画と確信する。
主人公「すず」を演じた(能年玲奈改め)「のん」に、今年の最優秀主演女優賞を贈りたい!

水曜日の夜、テアトル新宿のサービスデーとあって劇場は立ち見が出る盛況ぶり。前評判の高さもあったかもしれない。そして、映画が終わりエンドロールが流れる時も、席を立つ人がほとんどおらず、劇場全体が「特別な映画を見た」という高揚感に包まれているのが感じられた。

「戦時下を生き抜いた人たち」的な戦争映画を予想し、少々身構えていたのだが、序盤からその肩の力が抜けた流れにあっさりといなされる。水彩画で描かれた淡く美しい瀬戸内の風景のなか、マイペースでゆったり行動する主人公「すず」のキャラクターに、「のん」の「ぬぼ~」とした広島弁の声が、高いシンクロ率で乗っていく。「座敷わらし」が出てくるなど、リアルな世界に「すず」のイマジネーションをそのまま投影した世界が差し込まれ、その映像が可笑しくも愛らしい。「すず」の不思議な個性に魅かれるのに時間はかからない。

彼女は実直で思いやりのある人だが、激しくトロくて鈍くさい(笑)。自身の心情を理解するのも難しく、その心情を吐露することもままならない。18歳で受けた見ず知らずの人からの縁談では、「相手が気に入らなければ断ればよい」という祖母の言葉にも、「その人が好きなのかも、嫌いなのかもわからない」と、目の前の状況に抗うことなく、そのまま縁談を受けることにする。自身で意思決定ができない人ではなく、環境を素直に受け入れ順応していくのが彼女の生き方であり、幸せなのだと察する。そんな彼女の心情が唯一開放されるのが絵を描くときだ。目で見た感動やその先にある想像の世界を小さな手帳ににすらすらと残していく。

彼女を見染め、縁談を持ちかけたのは子ども時代、すずに偶然出会っていた周作という青年だ。恋愛からの結婚ではなく、結婚から恋愛が始まる当時の恋愛観が新鮮である。夫婦として少しずつ距離を縮めていく過程がコミカルに、時にエモーショナルに描かれていく。互いを「さん」づけで呼び合い、「あんたが楽しければそれでええ」とすずを想う周作の人柄がまた魅力的だ。すずと周作の互いの思いやりと愛情の深さが、観ている側の体内に心地よく浸透していく。

すずを中心に描かれる、実家の浦野家、嫁ぎ先の北条家での人間模様には、とにかく笑いが絶えない。真面目に生きれば生きるほど人間はユーモアから逃げられないものだと思う。本作は日常生活のなかで放出されるユーモアを丁寧に拾い上げて笑い転じさせる。観ているこっちも彼らと同じように笑う。劇場でこんなに笑ったのは久しぶりだ。戦争に入った苛酷な状況においても、すずたち家族の笑いに満ちた生活をつぶさに切り取っていく。そこには貧しい生活を強いられる悲壮感はなく、貧しい生活を知恵と笑いで切り抜ける逞しさがある。悩んで立ち止まっても仕方なし。前を向いて進むのみ。おっとりしたすずの性格とは反対に、テンポよく場面が切り替わっていくのが印象的で、すずの生命力の勢いを表現しているようにも思えた。

嫁ぎ先の北条家は広島の呉市にある。日本の戦艦の拠点であり、大きな空襲に見舞われた場所である。亡くなった自分の祖母が東京大空襲を体験していて、昔こんなことを言っていた。「空から降る焼夷弾が花火のように綺麗だった」と。命を脅かす危険物であることは十分に承知のうえで、「普通」の感覚から見えた戦争の情景なのだと感じた。本作でもそれと似たようなシーンが、すずの目を通して描かれていた。その様子はすずの特異な個性ゆえの見え方というよりも、多くの人が感じた情景として強いリアリティを感じた。しかし、本作のすずの場合は、その空襲による暴力が、すずの大切にしていたものを2つも(あるいは3つも)奪うことになる。

描かれるのは「喪失からの再生」といったよくある話ではない。そのあとに訪れるのが「原爆投下」という想像を超える悲劇と、信じた戦争に降参するという国家の裏切りである。初めてすずが感情を爆発させるシーンが胸に迫る。戦争はすずのみならず、すずの家族たちにも大きな傷跡を残す。しかし、これだけの悲劇が起きたにも関わらず、その悲劇を感傷的に長く引きずることを本作は避ける。多くの傷は少しずつ癒えていき、また、いつものテンポに戻り、笑いが起きる明るい生活が待ち受ける。そして、新たな出会いを受容していく。エンドロールで描かれるもう1つの物語がこれまた感動的だ。それでも人生は続いていくということ。

とにかく脳裏に残るのは、主人公すずを演じた「のん」の声だ。絵で描かれたキャラクターに命を吹き込むという役割以上の仕事をやっている。淡泊なタッチの絵で描かれたキャラクターにこれほど実在感を感じるのは、演技という領域を超えて「すず」と「のん」の2人の個性が合致し、同じ価値観のもと共鳴しているからだと感じる。彼女たち2人の出会いが本作の大きな成功要因になったことは間違いない。パンフ情報によると、本作の完成ギリギリのタイミングで、のんの起用が決まったというから、まさに奇跡的な出来事だったといえそうだ。

徹底した時代考証を重ねた結果の、生活風景と戦争風景の再現であったことは想像に容易い。6年という製作期間を聞いて納得する。70年後の現代にいながらにして、その時代の空気を感じることができた映画体験でもあった。それが実写映画ではなく、アニメ映画によってもたらされていることに改めて驚かされる。

豊作な2016年の日本映画の中でも、突き抜けた感のある大変な傑作。
自分にとっても忘れることのできない映画となった。

【95点】

(今年ようやく95点オーバーの作品に出会えた~)

死霊館 エンフィールド事件 【感想】

2016-11-18 09:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
公開館数が少なく劇場鑑賞を諦めた1本。
コメディ映画と並びホラー映画の冷遇も何とかならないか。。。
前作同様、期待通りの秀作ホラー。ジェームズ・ワンはもはやホラー映画の名手だ。

心霊研究家のウォーレン夫妻がイギリスで起こったポルターガイスト現象事件に挑む話。今から40年前に起きた実話モノであり、登場するキャラクターも実在した人物である。このシリーズならではの丁寧なドラマ描写に、体験者たちへの敬意を強く感じる。
悪霊の仕業であることを肯定するのが早かった前作から、本作は変化を加える。彼らが手掛けた事件の多くは心霊現象ではなく、人為的な事由で起こることが多かったらしい。本作でも、アメリカ人であった夫妻がわざわざ海を渡って調査に向かったのも事態の解決のためではなく、心霊現象の真偽を確かめることにあった。
今回、怪奇事件の被害に合うのはシングルマザーと4人の子どもたちの家族だ。調査の焦点は悪霊にとりつかれたという次女の真相を探ることに移り、冒頭より心霊現象を「あるもの」として描き、その存在を肯定していた流れから、逸脱していく可能性を感じさせる。嘘かホントか、真偽が明らかになる過程はミステリーの様相であり、彼らの過去の体験が伏線となる二重の仕掛けが巧い。そしてその真実がしっかり怖い。
ウォーレン夫妻のモチベーションは苦しむ家族を救いたいとする純粋な良心である。リスクを承知で人助けにのぞむ彼らに心を打たれる。彼らも子どもを持つ親であり、家族愛の尊さを知っているからこそウォーレン夫妻の善意に説得力がある。ウォーレン夫妻と被害者家族の交流が本作でも感動的に描かれる。なかでも、エド演じるパトリック・ウィルソンのギターの弾き語りが大きな見所。カッコよくてシビレる。クライマックスシーンのアクションしかり、本作の主人公は霊能力者のロレインではなく、旦那のエドのようだ。
今回出現する悪霊の目的は「子どもたちを脅かすのが楽しいから」とのこと(別の正体があるが)。実に憎たらしい。悪霊に対する恐怖と共に、強い憤りを感じ「やっちまえ~!」とウォーレン夫妻による逆襲についつい力が入る。ジェームズ・ワンはホラー映画を娯楽映画として成立させることをしっかり意識している。さすがだ。
エンドロールでは実話の証明として、前作同様、実際の当時の写真と映画シーンを対比してみせる。実際に「エンフィールド事件」は史上最大のポルターガイスト事件として有名らしい。本作を見て改めて思うのは、現代ではこうした心霊現象が全くニュースとして取り上げられないことだ。幽霊たちがいなくなったのか、そもそも心霊事件なんてアリもしないことなのか。いずれにせよオカルトな話題が少なくなるのは寂しいことだ。
【70点】

グランドフィナーレ 【感想】

2016-11-18 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
スイスの山間にあるリゾートホテルに滞在するセレブな人たちの人間模様を描く。鮮やかな新緑、澄んだ空気、清らかな水、美しい自然に囲まれた舞台で、人生に疲れた人たちがその精神と肉体を癒すかのように悠々と時間を過ごす。主人公は80過ぎと思われる爺さん2人組だ。彼らは60年来の友人。2人は引退した有名音楽家と旬を過ぎた映画監督であり、かつての名声は遺物となっている。昔を振り返るなかで、朽ちるはずの老体からは若き日の熱情がにじみ出てくる。原題の「Youth(若さ)」のとおり、彼らがホテルで出会う、若い感性と肉体に触れることで、彼らの人生が再び輝きを取り戻していく。希望も絶望も包含し、人生を肯定した味わい深いドラマが展開。マイケル・ケインらベテラン俳優たちの熟成された演技が素晴らしい。監督はパオロ・ソレンティーノ。同監督の過去作以上に、本作は映像の美しさが光る。ユニークな画面の構図と光と闇のコントラストが人生の機微を鮮やかに浮かび上がらせる。
【65点】

世界侵略のススメ 【感想】

2016-11-17 09:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。面白い。

アメリカの大統領選でトランプがまさかの勝利を収めた今、見る価値のある映画だ。そして、監督マイケル・ムーアがトランプを非難し、ヒラリー・クリントンを支持する理由がよくわかる映画。この映画通りのセオリーであれば、トランプによるアメリカは暗黒時代に突入する。
第二次世界大戦以降、戦争で勝ったことがないアメリカが、戦後初の勝利に向けてマイケルムーア1人に世界侵略を任せたという「設定」のもと、マイケル・ムーアが欧州を中心に諸外国を旅するというもの。「侵略」というタイトルはミスリードで、中身はかなり行儀の良いドキュメンタリーだ。アメリカにはない優れた社会システムを現地の人たちから教えを請うという内容。休みを取りまくるイタリア、子どもたちの学校給食が美味すぎるフランス、宿題なしで学力トップのフィンランド、歴史の責任を国民全員で背負うドイツ、大学費用が無料なスロベニア、刑務所がゆるゆるなノルウェイ、クスリに寛容なポルトガル。。。紹介されるお国事情はどれも驚くべきもので、それを知るだけでも楽しい映画といえる。作り手の作為が見えるドキュメンタリーこそ面白いと考えるが、マイケル・ムーアはそのド真ん中の作家であり、本作でも最終的に彼が主張したいことを描くために多くの演出、編集がなされている。それぞれの社会システムについて良い点しかフォーカスされない。また、「どうしてそんなことが可能になるのか?」という理由が知りたくなるが、紹介されるのは「アイデア」に留まるため、本作の設定通り、アメリカに戦利品として持ち帰ってもアメリカは変わるはずはないと考える。だが、本作の狙いは違った。紹介される多くの社会システムの原点がアメリカにあったという事実が明らかになる。アメリカの可能性を信じたいとするマイケル・ムーアの愛を感じる。ラストカットで映画「オズの魔法使い」でドロシーが靴を鳴らすシーンが使われており(巧い!)、とても素敵だ。
各国の紹介の中で最も印象的だったのは、アイスランドの女性銀行家による成功例である。その本質は「女性を登用せよ!」ではなく、自己ではなく他者利益への理解である。その思考が男性よりも女性のほうが本能的に勝っているということ。本作の解説に説得力があるため、かなり信憑性が高いセオリーと受け止められた。
そこで、アメリカの大統領選の結果だ。アメリカ、そして世界はどうなってしまうのかと不安でいっぱいになる。
【65点】

大量のあんずボーを購入した件。

2016-11-17 08:00:00 | 日記


あんずボーを大人買いした。
9月の頭、まだ気候が暑かった頃、凍らせたあんずボーを食べたいと欲し、アマゾンで箱買いをした。5コ入りを20袋で2,000円ちょっと。

季節は変わり11月に入り、すっかり寒くなった。注文したことをすっかり忘れていた先週、2ヶ月越しにあんずボーが届いた。「いまさら遅いなー」と思いつつ、箱いっぱいに詰まったあんずボーが壮観で少し優越感に浸る。遅くなった理由についてAmazonに問い合わせたら「入荷が遅れて申し訳ない」というだけ。まぁ、アマゾンらしい。

すっかり寒くなった昨今だが、寒い日のアイスはそれはそれで美味しい。
計100本、家の人間含めて順調に消化中。。。。

プリーチャー 【感想】

2016-11-15 09:00:00 | 海外ドラマ


Amazonプライムにて。

「ミスターロボット(MR.ROBOT)」のシーズン2を見るために1か月のトライアル会員となったが、シーズン2が想定以上につまらなかった。主人公ともう1つの人格との葛藤をシーズン2まで引きづらなくてもよいのでは?? 眠気を堪えて見ていたが、4話目の途中でギブアップ。。。。

代わりに面白い海外ドラマはないかと調べたら、AMCが製作したドラマ「プリーチャー」を見つける。AMCは「ブレイキングバッド」を生み出したケーブルテレビ局だ。レンタルビデオでもレンタルされたばかりの海外ドラマだったので、ちょうど良いということで見ることにした。7話目の途中でプライム会員が切れてしまったが、面白さのあまりDVDレンタルで視聴を続けた。

全10話。第8話まで右肩上がりに面白くなっていったが、最後で失速。惜しい!

神の力を授かった神父が、迷える田舎町の人々を救済していくという話。
パッケージを観ると下手なB級キワモノ作品のようだが、中身は想定外に面白い。

作品の系統は「ブレイキングバット」×「コンスタンティン」。
ブラックユーモアを散りばめ、上り調子な主人公が様々な災いを起こして堕ちていく様子は「ブレイキングバッド」のようであり、天使と悪魔が登場し、超自然的な現象を肯定する世界観は「コンスタンティン」に近い。

主人公の神父は父から受け継いだ教会を守るため、数十年ぶりに神父として故郷に戻ってくる。主人公の過去は強盗事件など犯罪を繰り返していた相当なワルだったようだ。そして、喧嘩がハンパなく強い。聖職者としてその過去を封印し、神のしもべ、人々の救済者として教会運営に努めようとするが、周りの状況が穏やかにコトを進めない。子どもに手を上げる最低な暴力男に絡まれると、ついつい昔のクセが出てしまい、屈強な男たちを相手にその体格差をモノともせずにコテンパンに返り討ちにする。そのファイトシーンがキレキレで痛快。自身の暴力性が覚醒し、「もう降参!」という相手に対して「いやいや仕上げだ」と腕を一本へし折る。強烈なお灸(笑)。破天荒な神父による「世直し物語」と察し、「ありがちな話」と興味が少し失せる。しかし、それは本作の序の口だった。

神父の大暴れと同時進行で描かれるのが、世界各地で起きる聖職者の自然爆破という奇妙な事故。そして吸血鬼男の上空飛行機からの脱出劇だ。主人公のファイトシーン以上にバイオレンスかつグロ描写が炸裂する。上空から飛び降りた吸血鬼は地上に墜落して体がバラバラになりながらも、持ち前の回復力で生還。その墜落現場が神父が住む田舎町で、ひょんなことから神父と仲良しになる。自身を「吸血鬼」と告白するが、ジョークとして神父は信じない。人間と魔物というコンビは海ドラ「グリム」に似ているが(あっちはオオカミ男)、物語にもたらず役割としては本作のキャラの方が大きくシックリくる。

聖職者の自然爆破は何か透明な物体が彼らの体内に侵入することで起きていた。その透明な物体が主人公の神父の元にもやってきて、体内に侵入する。これまでの流れであれば、神父の体内に入って爆破であるが、その事態は起こらず、その代わりに神父に不思議な力が備わるようになる。それは自身が発した言葉によって人々を意のままに操られるという魔力だ。その力に気付いた神父は悪用することなく、人々の救済のために魔力を使うようになる。彼の力によって多くの人々が教会に集うようになる。主人公が夢みた理想形だ。

ここからが面白い。その魔力の正体を取り戻すために、天から降りてきた「管理人」の2人組のオッサンが主人公に迫る。そこに「天使」のヒットマンが加わり、3つ巴の争いに発展する。主人公は「人のため」と自身の魔力を利用するが、それが次第に悲劇を生み出すようになる。魔力の正体は「神」ではないということ、そして主人公の体内に「居座る」ことを決めた理由が明らかになっていく(ここの解釈は分かれそうだけど)。人間がコントロールする力ではなく、人間がコントロールされる器であったということだ。そして魔力が暴走を始める。

コミカルで魅力的なキャラと、奇想天外でスリリングな展開。そして毒っ気たっぷりの描写の数々。このあたりが本作の魅力だろうか。観る人にとっては生理的に嫌悪するであろう描写もお構いなし。とりわけ強烈なのは、本作の主要キャラである、散弾銃で自殺を試みたものの、生き延びてしまった青年の顔面である。顔に散弾銃を受けたあとの手術痕ということだが、顔がア○ルなのだ。最初見た時はその気持ち悪さにゾッとしてしまった。彼自身はピュアな性格であり、その顔面ゆえに高校の同級生からいじめを受けているという設定により次第に見慣れていくが、それでもよくここまでビジュアル化したなーと感じる。DCコミックが原作ということで元キャラを調べてみたら本作以上に気持ち悪い(笑)。他にも、ファイトシーンでの殺傷の多くはスプラッターであり、観る人を選びそうである。完全に男子向け。

残念なのは最終話の粗さ。あまりにも説明がなさ過ぎてよくわからない。本作の舞台となる田舎町で、西部開拓時代に起こった事件が最終話の伏線となって繋がっていく。それが「なんとなくわかる」感じがどうにも気持ち悪い。クライマックスの神様の登場や、田舎町の大爆発もそうである。いったい何が起きていたのか解説を聞いてみたい。

ラストシーンを見る感じだと、シーズン2があるようだ。次のシーズンでその謎が解き明かされるのかもしれない。続編がリリースされたら見ちゃうな。あと、田舎町のボス演じたジャキー・アール・ヘイリー、すっかり老けたな。あの不気味さが作品の色の合っていてグッド。

【70点】


PK 【感想】

2016-11-13 10:00:00 | 映画


「きっとうまくいく」から3年。同監督、主演による新作はインド映画のさらなる進化を感じさせる。宗教をテーマに攻めに攻めた笑いと、ラブストーリーを軸にエモーショナルなドラマが展開。いやはや、ここまでやってくれるとは思わなかった。様々な常識を偏見のない視点から見つめると世界は変わって見える。脚本がユニークで面白い。インド映画らしい楽天的なノリも健在。終盤にかけて劇場から鼻をすする音が響く。「きっとうまくいく」がツボだったファンには号泣必至な映画のようだ。

地球を探索にきた宇宙人が、宇宙船を呼ぶリモコンが盗まれ帰れなくなり、そのリモコンを取り戻す過程で起こす騒動を描く。

登場する宇宙人は地球人と変わらぬ姿であり「広い宇宙なら人間と同じような宇宙人もいるかもね」とか、宇宙人は服を着ない、手から人の心を読む、とか、これまでのエイリアンの概念にはない設定は、描きたいテーマに繋げるための仕掛けに近い。言葉もルールも全く知らない宇宙人は、その常識外れな言動から「PK(ピーケー)」と呼ばれるようになる。インドでいう酔っ払いの俗語のようだ。PKの住む星では「嘘」は存在せず、正直に生きることしか知らない。地球のルールを知らず、純真無垢なキャラクターが、現代の社会と接触するとどうなるか?という反応が本作の大きなコメディパートになる。「踊る自動車が洋服屋と銀行」に爆笑。下ネタにはデリケートなお国柄と決めつけていたが、軽く笑いのネタにしてしまう余裕に驚く。大笑いとともに、あらゆる偏見を可視化した脚本が見事で「なるほど~」と何度も唸ってしまった。

本作のユーモアから透けて見えるのが「常識」と括られてしまっている価値観への皮肉と本質を見通す目だ。その標的となるのが「宗教」であり本作の最大の見どころといえる。ガンジス川での沐浴風景など、インドといえばヒンズー教というイメージが強いが、実は多宗教国家という事実がある。リモコンを一向に探し出せないPKは、信仰深い人たちの助言を受け「神頼み」を実行する。神を実在するものと捉え、お布施は「料金」であり、信仰は願いを叶えてくれる「システム」と信じ込む。PKがその思考に辿りつくまでのシークエンスが緻密かつ愉快だ。リモコン探しから、神様探しにストーリーがシフトし、複数の神を信仰する社会に鋭くツッコミを入れていく。信仰の矛盾を弄くり倒し、ときに皮肉を交え、その本質を次々と射抜いていく。宗教というテーマを笑いのネタにしながらも嫌みを感じないのは、見ている自分が無宗教であることもそうだが、信仰や神の存在について否定していないからだと感じる。宗教が人々の拠り所になっている状況をきちんと捉えているのがよい。一方、信仰を商売に利用している人間たちには容赦なくお灸を据える。痛快。

「きっとうまくいく」もそうだったが、個人的にコメディ映画としては大いに楽しむが、ドラマ映画としては本作もハマりきらなかった。肝心なところでキャラクターの心情をそのままの言葉で音楽にのせる演出がどうしてもダメだ。ミュージカルのアプローチがハリウッドと似ているようで全く違う。また、本作で目に余ったのが、PKが起こす奇跡に対しての周りのリアクションが大きいことだ。「よく言った!」「そのとおり!」みたいな共感や、もらい泣きによる感動の描写が過剰で、高ぶる感情を逆に冷え込ませる。「そこは観客の想像力に任せてよー」とツッコみを入れたくなる。面白い展開の連続なのに、ダレてしまうという不思議な感覚になる。また、本作で力点を置いている、PKと「ジャグー」のロマンスも、ジャグー演じるアヌシュカ・シャルマがあまり魅力的に見えず盛り上がらなかった。もっとインド人らしい女性を配したほうが自分は好みだった。

「きっとうまくいく」に続き、主演となったアーミル・カーンは「服を着ないエイリアン」ということで冒頭から見事な肉体美を見せつける。「全身ボディメイク!」みたいな言葉が脳内で響いた。彼について調べたら年齢が何と今年で51歳とのこと。撮影時は40代であったかもしれないが、若々しい表情といい、アンチエイジングぶりには驚かされる。若さの秘訣を聞いてみたい。眉を吊り上げ、目を丸くする表情作りに徹し、その固定化された表情の中に悲喜を感じさせる妙演をみせる。たたずまい、1つ1つのアクションといい、往年のチャップリンを彷彿とさせる。

全体的にもう少しコンパクトに仕上げてほしかったものの、伏線回収を散りばめた脚本と、楽しい仕掛けを施した演出、手数の多い編集よるテンポの良さなど、大充実の内容。「きっとうまくいく」からの期待に応えてくれた。

【70点】

トリプル9 裏切りのコード 【感想】

2016-11-13 09:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて
悪徳警官と元軍人で編成される強盗団が、ユダヤ系ロシアマフィアに恐喝され、国土安全保障省の施設に襲撃する様子を描くクライムアクション。まず、キャスト陣の顔ぶれに驚かされる。ケイシー・アフレック、キウェテル・イジョフォー、ノーマン・リーダス、アーロン・ポール、アンソニー・マッキー、ウッディ・ハレルソン、ケイト・ウィンスレット。。。映画ファンのみならず海外ドラマファンにも堪らないキャスティングであり、彼らがどんな絡みを見せてくれるのか期待してしまう。肝心な中身は、バイオレンス描写に溢れた内容。悪徳警官がはびこり、ギャングと警官が裏でつるんでいる地帯で、ロシアマフィアのボスの命令により悪徳軍団が無茶なミッションに駆り出される。強盗のプロである彼らは3分で警官が現場に到着することを知っており、その時間を延ばさなければ、そのミッションが遂行できないと判断。そこで発動されるのが、掟破りの「トリプル9」だ。物語は強盗団側と彼らを追いかける警官側の双方から描かれるが、「トリプル9」はその双方にリスクが及ぶもの。そこにスリルが集中されるべきなのだが、クライマックスの展開が想像以上にあっさりしている。クライマックスに繋がるまでの比重が大き過ぎる。個性豊かなキャラたちのドラマを丁寧に描こうとする意図はわかるが、キャラクターが多い分、綺麗にまとめるのは至難の業であり、本作はそれに失敗している。とりわけ、キウェテル・イジョフォー演じる悪徳警官の切実さが伝わってこないのがつらい。また、ラストに向けて続く、裏切りの連鎖があまりにも節操がなさ過ぎてシラける。
正義感の強い警官を演じたケイシー・アフレックのマッチョなキャラがカッコよい。すっかりいろんなキャラができる俳優になってるんだなとしみじみする。来年公開されるであろう「Manchester by the Sea」に期待だ。そして、本作で最も美味しかったのは、マフィアのボスを演じたケイト・ウィンスレット。オールバックなライオンヘアにクールなメイク。一見、ウィンスレットには見えないルックスだ。自身初の悪役ということだが、堂々としたもので強烈な存在感を放っていた。
【60点】