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ハドソン川の奇跡 【感想】

2016-09-29 09:00:00 | 映画


「間違うこともあるさ、人間だもの。」みたいな相田みつをチックな言葉が何度も頭をよぎる。しかし、多くの人命を預かる旅客機のパイロットにとって「間違うこともあるさ」なんて許されない。飛行中の不慮の事故によって大きな決断を下したパイロットの姿を通して見えるのは、人的判断の難しさと可能性だ。だが、本作の核心はその先にあったように思う。なぜ奇跡が起こったのか、その答えは飛行中ではなく着水後にあったと感じる。なので、本作のタイトルについては原題よりも、そのものズバリの邦題のほうがしっくり来た。当初、本作の製作を聞いたとき、映画化するほどの事件ではないと思っていたが、いやいや十分な意味があった。人間の良心にフォーカスしたイーストウッド監督らしい筆致が、静かな感動を呼ぶ良作だ。

2009年に起きたアメリカ国内便のハドソン川への不時着事故。その知られざる全容を事件の当事者であるパイロット「サリー」の視点から描く。当時、日本でも多くの乗客の命を救った英雄談としてニュースになっていたのを覚えているが、そのニュースの裏側にこんなエピソードがあったとは驚きだ。

「パイロットは我が人生そのもの」と言い切る、40年以上のキャリアを持つ主人公だ。その言葉の節々から仕事に対する高いプロ意識と誇りが滲む。その彼の仕事とは、飛行機を操縦して乗客たちを安全に目的地に送り届けることだ。その仕事場は高度ウン千メートルというはるか地上の密室空間で移動するという極めて特殊な状況であり、パイロットの肩にかかるのは乗客たちの命そのものといえる。劇中何度も挿入されるのは、判断を誤り飛行機を墜落させてしまうサリーの幻覚シーンだ。パイロットという仕事の責任の重大さが痛いほど伝わる。多くの飛行機事故の歴史から、航空技術は常に進化を繰り返し、リスクを可能な限り減らす運用がなされているはずだ。しかし、人間の手による飛行操縦においては「100%」はあり得ない。そもそも鉄の塊が空を飛ぶって大変なことだ。

事故当日、副機長のジェフとともにサリーはいつものとおり万全な準備の経て離陸する。しかし、その離陸直後、バードストライクによって両翼の動力がほとんど停止する。不測の事態も冷静に対処するサリーたちの姿が印象的だ。おそらくパイロットの資質としてマインドコントロールは不可欠なのだろう。様々な手をつくし、管制官とのコミュニケーションを経て最善の選択を探る。サリーら操縦士側と管制官のやりとりを交互に見せるのではなく、それぞれの視点単位で2度に分けて描いているのが巧い。「人命最優先」という願いは同じだが、空中の現場と地上の管制塔では状況の捉え方が異なるのだ。どちらのシーンも凄い緊迫感に包まれる。

当時、自分はこのニュースを聞いたとき、あまり気に留めなかった。それは「街に墜落せず、水上に着地できたのだから良かったじゃない」と思ったからだ。ところがホントはそうじゃない。大きな鉄の塊が上空から水面に叩きつけられるようなもので、その衝撃を考えれば管制官が「生還率ゼロ」と絶望したのも頷ける。そのリスクはサリーらも同じ認識だったに違いない。「着水する」と発したサリーに対して「マジか!?」と恐怖と驚きの表情を見せた副機長のリアクションが物語る。ハドソン川への着水という選択は、乗客たちの命を危険に晒すということ。

結果、ハドソン川への着水に無事成功する。そして誰1人、命を落とすことなく事故を乗り切る。機体の操縦士であるサリーは多くの命を救った英雄として持ち上げられる。彼は仕事として、または1人の人間として当然のことをしたまでであるが、加熱するマスコミの反応にサリーやその家族らは頭を悩ませる。アメリカって「英雄」ネタがつくづく大好物な国なんだと改めて思う。しかし、彼に待ち受ける試練はそこからだった。彼のハドソン川への着水という判断は果たして正しかったのか?と、まさかの追求が始まる。「乗客が全員助かったから良いじゃないか」とも考えるが、保険会社も絡んだ事故の処理上必要な手続きであるとともに、再発防止のための調査のようだ。英雄として彼の判断が称賛される流れだったが、そこに待ったをかけのたがコンピュータによるシミュレーションだ。シミュレーションでの検証を重ねた結果、彼の判断は間違っていたと判定される。

避けることのできない事故が起こり、懸命な対応をしたサリーらに責任はないはずだ。しかし、安全な別の選択肢があったとされ「助かったのは結果論」と言わんばかりに乗客を危険に晒した事実が突き付けられようとする。判断を誤ったという新たな責任問題が浮上するのだ。英雄から一転、疑惑の目が注がれる。。。なんて悲惨な話だろう。サリー自身の家庭の問題、将来への不安なども織り交ぜられ、サリーの境遇が一層悲壮感を帯びていく。

クライマックスでサリーが自身の正当性を証明するコンピュータとの攻防が描かれる。そこでサリーが勝利への決定打として持ち出すのが「人的要因」。人間の感情行動に基づく操縦において、コンピュータでは計測できない反応があるというもの。そしてその事実が証明される。当時のコックピットの録音を聞くシーンで、現場の状況描写に切り変わる構成がとても秀逸だ。サリーによって示されたのはコンピュータの限界であり、同時に、人命に関わるような極限の状況でこそ人間の持つ真価(能力)が発揮される可能性だ。派手なアクションのないシークエンスだったが、スリリングで釘づけになった。

主人公のサリーを演じたトム・ハンクスはさすがの安定感。その分野におけるプロの「仕事人」、そして危機に陥ったリアルな人物描写は「キャプテン・フィリップス」の熱演を思い出させる。副機長を演じたアーロン・エッカートは主人公サリーとの強い信頼関係を好演する。口ひげがめちゃくちゃ似合っていてニヤニヤしてしまった。彼がボクシングのトレーナーを演じる新作「Bleed for This」に期待。あと、主人公たちを追求する委員会メンバーとして「Glee」のカートパパ役の人や、「ブレイキング・バッド」のアンナ・ガンで出ていて嬉しかった。

本作で最も胸がアツくなったのは、不時着時の救出劇だ。凍える極寒の川に放り出された乗客たちを、多くの人たちが我先にと救出に向かう。その様子をドラマチックに描くことなく、ドキュメンタリーのような自然な演出で切り取っていく。冷静にそして全力で乗客たちを救おうとする姿に感動する。そして誰よりも乗客の安否を気にかけていたのはサリーだ。沈みゆく機体に最後まで残り、残された者がいないか確認を続ける。生存者100%を意味する「155」という数字を聞いたとき、その数字を何度も反芻するサリーの表情が何ともいえない。ハドソン川の奇跡は多くの人たちの良心によってもたらされたと実感した。

【70点】
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