から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

ビリオンズ シーズン1 【感想】

2018-05-31 08:00:00 | 海外ドラマ


Netflixにて。
海外ドラマ「ビリオンズ」(「Billions」)のシーズン1を観終わったので感想を残す。
全12話。1話あたり、みっちり60分近くなのでかなりの見応え。

もうだいぶ前にNetflixで配信がスタートしていたが、面白いという評判も聞いていなかったため、触手が伸びなかった。現在、アメリカでも放送中であるシーズン3のロッテントマトスコアが非常に高かったため、見ることにした。映画同様、テレビドラマのロッテントマトスコアも、かなり信用性が高いことが最近わかってきた。

見終わった結果、「中毒」とまでは行かないもののかなり楽しめた。
終盤のエピソードから急激に面白くなる。

製作は別会社の「SHOWTIME」、日本でのリリースはNetflixのみ。
「ジ・アメリカンズ」と同じ形態だ。

ヘッジファンドの社長で大金を稼ぐ男「ボビー」と、彼の不正に目をつけ、逮捕しようとするニューヨーク州の検事「チャック」の対立を描いたドラマ。

ヘッジファンドを経営する主人公のボビーは、インサイダー取引や贈収賄という犯罪に手を染める。犯罪は犯罪であるが、誰かに実害を与えるものではなく、処罰されるべき悪党には見えない。自ら築いた財産を寄付や基金などの社会貢献に積極的に投下しており、社会活動家としても知られる。それも、カモフラージュではなく、純粋な善意からだ。贈収賄についても、あらゆるリスクを回避するために対応する。一代で会社を築いた苦労人であり、驚異的な頭脳を持つ天才だったりする。

ボビーは「ハウス・オブ・カード」のフランシスと重なる。どちらも凄まじい豪腕で周りの人間をかきまわす。フランシスが持つ力の源泉は「権力」であり、ボビーは「カネ」だ。馴染みの店があることも共通していて、フランシスがスペアリブ屋で、ボビーはビザ屋だ。ボビーは資本主義の鬼である。職場では部下を鋭い言葉で鼓舞し、ときに罵倒し、他社のライバルには牙を剥いて挑発する。徹底的な能力主義者で、気に入らない部下がいれば即クビ。それでも周りの人間たちはボビーについていく。金儲けという才覚に秀でたカリスマだからだ。



億万長者の財力を武器に、面倒なことはすべて金でねじ伏せ、金の力で物事を有利に進める。あれだけの大金をもらえるのであれば、周りの人間は誰でも喜んで力を貸すだろう。不正と知りながら、警察組織も潤沢な賄賂によって彼に様々な便宜をはかる。「世の中、結局、カネなのね」と切なくなる一方、大金が次々と動くダイナミズムに引き付けられる。ボビーにはビジネス、プライベートの両面で強力なパートナーがいる。ボビーの右腕である会社のCOO「ワグス」と、裏仕事も請け負う2人の弁護士。家庭では、ボビーの良き理解者であり、ときにビジネスの面でも協力する妻「ララ」がいる。ボビーのキャリアと財力によって築かれた磐石の王国だ。



その揺るぎない王国に戦いを挑むのが、連邦検察官のチャックだ。ニューヨーク南地区の検察部隊のトップ。ボビーと違って、代々法曹界で活躍してきた家系のエリート。「正義」を心情としており、どんな不正も見逃せない男だ。彼の個性を説明する、公園での犬のウンコ処理を巡るシークエンスが面白い。標的にされるボビーは悪事の印象は薄いため、彼がボビーを追い詰める様子にはあまり力が入らない。ところが、次第に引き込まれていく。本作は正義VS悪の戦いではなく、対立する立場であって、異なる力をもった2人の攻防戦を楽しむドラマなのだ。



この2人の戦いの間に、中立的な立場として登場するのが、チャックの妻「ウェンディ」の存在だ。ウェンディは絵に描いたようなキャリアウーマンで、ボビーの会社で人材能力コーチとして活躍している。チャックと結婚する前、ボビーが現在の会社を創業した当時から、ボビーを支えており、ボビーからも絶大な信頼を得ている。実質的に会社の幹部に近い立場といえる。ボビーは信頼するビジネスパートナーが、自分を追い込もうとする検察官の妻であることを認識しているし、ボビーもまた、自身の妻が逮捕すべき悪徳社長のビジネスパートナーであることを知っている。ウェンディの仕事ぶりはあくまでクリーンであり、公私を完全に切り離しているが、ボビーとチャックの対立が深まるにつれ、簡単に線を引くことができなくなる。そして後半の大きなターニングポイントを作ることになる。なお、ウェンディとチャックの夫婦は、美女と野獣といったビジュアル。そんな2人が結ばれるに至った、もう1つの隠れた絆が「SMプレイ」ww。



本作の魅力の1つは、馬鹿が登場しないということ。登場する主要キャラが、ことごとくキレ者であり、ドジを踏むようなシチュエーションがほとんど出てこない。能力の高い者しか生きられない世界を舞台にしているからだ。高性能キャラたちのヨミ合いと駆け引きが本作のスリルの源泉だ。金融や司法のルールなど、専門用語が飛び交うため、十分に状況を理解できないこともあるが、逐一知らない情報を調べて学んでいくと、エピソードを追っていくうちに状況が次第に明るく見えてくる。なので、慣れるまでには少々時間がかかる。

登場キャラが魅力的という海外ドラマの必須条件も見事にクリア。

まず、ボビーを演じるのはデミアン・ルイス。「ホーム・ランド」での忘れがたい名演のあと、本作への出演していたのだ。物語は常に彼を中心に回っており、大きな存在感を示す。ビジネスではとことん冷徹であるが、プライベートでは家族思いの父親としての一面をみせる。その妻のララを演じるのは、マリン・アッカーマン。映画「ランペイジ」では酷い扱いを受けていたが、本作ではしっかりまともな役を任されていて、公私に渡りボビーのバランスをとる役割として機能する。チャック演じるポール・ジアマッティは映画俳優としての印象が強いため、ドラマでの出演が新鮮。バイプレイヤーちして確かな演技力をみせるが、対抗馬のボビーと比べるとやはり地味で存在感が薄い。チャック以上に目立つのがドラマのキーマンであるウェンディ役のマギー・シフだ。本作で初めて見た人だが、「サン・オブ・アナーキー」など、テレビドラマで活躍している人らしい。彼女の品性と強さと美しさに一目ぼれ。劇中同様、彼女のカウンセリングを受けたいと欲する。「ブレイキングバッド」や「スーツ」で馴染みのデビッド・コスタビルは、クセ者のワグスを妙演。彼から発せられる下品で猥褻な例えトークが毎回ツボだ。

ボビーとチャックの攻防が一段落した第10話以降から、急激に面白くなってなった。最終話のフィナーレで、シーズン2への期待が高まる。引き続き、シーズン2に突入する。

【65点】


カーゴ 【感想】

2018-05-26 08:00:00 | 映画


Netflixにて。
オーストラリアを舞台に、ゾンビの蔓延から逃避行する家族を描く。昨年公開された「新感染~」とよく似ていて、家族を守る一家の父親が物語の中心にいる。どのような経緯があったのか、物語の背景には一切触れないが、噛まれて感染して人を襲うというゾンビの設定は説明なく踏襲されている。噛まれてから48時間以内でゾンビになるという時間制限と、オーストラリアを舞台にしている点が本作のユニークポイント。特に後者のほう、オーストラリアの先住民「アボリジニ」が物語に大きく関わっていて、アボリジニの死生観がゾンビと交錯する。画として新鮮であるものの、展開のオリジナリティに活かされていないのが残念。人物描写に共感できないことも多く、感情移入を阻害する。「早く離れろよ!」と憤りに近いツッコミを何度も入れ、主人公の父親演じるマーティン・フリーマンの熱演も空回ってみえる。おそらく撮影には細心の注意を払ったと思われるが、赤ちゃんを多用しているのも気の毒に見え、映画の中身とは別の問題で引っかかった。
今年に入ってから、Netflix製の映画が不作続き。大丈夫か!?
【50点】

「インフィニティ・ウォー」、各キャラを採点してみた件。

2018-05-24 08:00:00 | 映画
現在公開中の「アベンジャーズ・インフニティー・ウォー」。
世界のうち、日本だけ興行収入で1位をとれない状況だが(「コナン」最強www)、同年代の会社の同僚らは結構見ていて、ランチミーティングで盛り上がった。
で、登場キャラクターの活躍度を話し合い、それぞれに10点満点で採点してみた。映画への貢献度(映画を盛り上げたか否か)と、対サノス戦における貢献度(サノスをどのくらい追い詰めたか)で点数が分かれたが、その場合は間の数字をとることにした。

アイアンマン:8.0点
冒頭アクションからサノスとのタイマン戦まで、戦闘力の進化をみせつけた。機械感がなくなったのは残念。

キャップ:5.0点
登場シーンだけカッコよかったが、以降、存在感は示せず。支給された盾もカッコわるい。

ソー:9.0点
手に入れた新武器「サンダーストーム」最強。中二ゴコロを熱くさせる。後半の登場シーンにカタルシス。

ブルース・バナー(ハルク):2.0点
サノス家来の一角を倒すも、しょせんロボットスーツの力。「ハルク、出ないかい!」と失望感。

ブラック・ウィドウ:4.0点
序盤、キャップとの連携バトルに熱くなるも、そこまでの活躍。

ドクター・ストレンジ:9.5点
まさかの存在感。魔術の力でサノスと家来たちを翻弄。彼の「ヨミ」とタイム・ストーンが次作への鍵!?

スパイダーマン:7.0点
新スーツのおかげだが、アベンジャーズメンバーを随所で献身的にサポート。

ブラック・パンサー:6.0点
場所と兵力をアベンジャーズに提供。ワガンダの科学技術はやっぱスゴい。彼自身には見所なし。

ヴィジョン:4.0点
サノス軍の武器の力で、本来のパワーを早々に奪われる。ロマンスにかまけてる場合じゃないw。

スカーレット・ウィッチ:8.5点
さすがの戦闘力。彼女がいなければ、ワガンダでの戦いで惨敗していた。

ウォー・マシン:6.5点
活躍シーンが少ないが、ナパーム弾の集中砲火により雑魚キャラの殺傷数はアベンジャーズ1か。

バッキー:4.0点
「ブラック・パンサー」のラストでわざわざ登場していたが、本作では大して目立たず、期待ハズレ。

ファルコン:5.0点
貴重な空中要員として、攻撃だけでなく、偵察の役割を果たした。

オコエ:4.5点
「ブラック・パンサー」で最も光ったキャラだったが、アベンジャーズに合流すると存在感が薄くなり。

シュリ:2.0点
結局、何の役にも立たなかった。

ウォン:3.0点
少し登場しただけ。ドクターストレンジと一緒に、魔術の力を見せつけた。

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ピーター・クイル:3.0点
抜群の間の悪さで、サノス打倒のチャンスを逃す。

ガモーラ:5.0点
評価が分かれた。。。足を引っ張った?映画を盛り上げた??

ロケット:7.0点
ソーとナイスコンビネーション。彼のメカテクなければソーは参戦できなかった。

グルート:7.0点
「サンダーストーム」の「柄」を提供。ワガンダでの戦いでも何気に活躍してたっぽい。

ドラックス:2.0点
いてもいなくても何の影響もなく。

マンティス:3.0点
彼女だけの能力を発揮するも、残念。もう少しだったね。

ネビュラ:3.5点
特段、目立っていないが、次作でアイアンマンを地球へ戻す役割を担いそう。

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サノス:10点
彼にとって最高の結末になった。指パッチン。

ランペイジ 巨獣大乱闘 【感想】

2018-05-23 08:00:00 | 映画


いろいろと乱れている、まさに「大乱闘」な映画。B級色を前面に出した日本の配給方針がハマっている。スケールが大きいのか、小さいのか、よくわからない珍作。
遺伝子実験の失敗によって、ゴリラとオオカミとワニの3体が巨大化し、街中を破壊しまくるという映画。「ビルを壊しまくってなんぼ」のアーケードゲームの映画化であることを知って納得。
ドウェイン・ジョンソン演じる主人公は霊長類学者であるが、筋肉ムキムキで元特殊部隊という無茶苦茶な設定w。腕っぷしも、武器の扱いも、ヘリの運転も何でもござれ。彼が、そののち巨大化するゴリラと友情関係を築いている点が本作のポイント。後半エモーショナルな展開が容易されるものの、感情表現が豊か過ぎるゴリラがあまりにも都合よく設定されていて、感情移入なんてできやしない。そもそも真面目に見る映画ではなさそうだ。
悪役として登場する姉弟が中小企業の従業員にしか見えなかったり、暴走する3体の巨獣がわざわざ寄り道をして町を破壊したり、正気を取り戻したゴリラがまっすぐに他に2体に攻撃をしかけたり、細かいことを上げたらキリがないほど、ツッコミドコロとご都合主義で溢れている。意図的に作られているというよりは、脚本の出来がシンプルに悪いと察する。イチイチ目くじらを立てるのは野暮というもので、笑い飛ばすくらいがちょうど良い。ジェフリー・ディーン・モーガンの余裕しゃくしゃくで話すワンパターンには毎回イラっとしたけど。
クライマックスの3頭による大乱闘は、さすがの迫力で大いに楽しめる。その間にドウェイン・ジョンソンが堂々の参戦を果たす。ありえない展開もドウェイン・ジョンソンだからこそ、画として成立してしまう。彼ならどんな相手にでも負けないという根拠なき期待感と、その可能性が実現してしまうお約束。ドウェイン・ジョンソンを堪能する映画でもあった。
【60点】

孤狼の血 【感想】

2018-05-19 08:00:00 | 映画


東映復活を高らかに宣言した意欲作。
東映の△印に作り手の情熱が滲む。二又一成のナレーションにゾクゾクする。実録モノ×ヤクザ×広島。そこにミステリーが加わる。入り口と出口で味わいが異なる映画であり、終わってみればヤクザ映画というよりも、異形の正義を描いた刑事ドラマと感じた。本作で描かれるヤクザはどこまでも暴力的であり、彼らを取り締まるマル暴は手段を選ばずヤクザを制する。否応なしのバイオレンス描写と、どぎつくて猥褻なユーモア。コンプライアンスなんてなかった時代。不良のエネルギーに満ちた昭和の臭気にむせながらも、引き付けられる。
キャスティングが面白い(全員ハマっているかは別として)。江口洋介、伊吹吾郎、竹野内豊、中村倫也など、クリーンなイメージの強い俳優たちを凶暴なヤクザ側に配する。なかでも「真珠男」を演じた音尾琢真が絶品。「牝猫たち」でもブラックな店長を怪演していたが、本作でも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれる。かなり白石監督にハマっているとみた。主演の役所広司がさすがの安定感だが、それ以上に、相方役を演じた松坂桃李の印象が強く残る。「血」の継承による、後半の覚醒シーンの表情がすさまじく、本作の最大の見せ場といっていい。
主人公の男はマル暴の使命を全うするために「孤狼」として生きることを選ぶ。落ちたら終わりの綱渡りの人生であり、大きな代償を伴うものだ。彼の正体、そして事件の真実が明らかにされるが、その展開がやや冗長かつ綺麗にまとめられてしまった感があり、カタルシスよりも物足りなさを感じた。ヤクザ側の人間関係が、警察側と比べてドラマ不足である点や、極道系映画にしては女性のエロスに踏み込めなかったのも減点。あくまで物語の中心は警察であり、ミステリーとして評価されている原作だけあって、意外と真っ当な映画だった。
しかしながら、白石監督を中心とした製作陣、および、キャストの熱量からは映画界を変えてやろうという気概を強く感じた。間違いなく力作だ。公開2日目に見たが、客層はやはり男性&年配層が多く、若い次世代へリーチするのか心配になる。本作が生み出された影響が、日本映画界の活況に結びつくと信じたい。
【65点】

フロリダ・プロジェクト 【感想】

2018-05-17 08:00:00 | 映画


カラフルでポップな色彩が目に飛び込んでくる。フロリダ、ディズニーワールドの傍にあるもう1つのテーマパークが舞台。小さい頃、世界は今よりもっと大きく輝いていて、無限の遊び場が広がっていた。子どもたちの低い目線から捉えたショットが鮮やかで、懐かしい冒険心をかき立てる。可愛いチビッコたちを愛でる映画と思いきや、シリアスな社会問題が照射される。知られざる現代アメリカの貧困格差と負の連鎖をまざまざと見せつけられる。その過酷なリアルとファンタジーの中に生きる子どもたちをポジティブに描いた秀作だ。大人は子どもに勝てない。ショーン・ベイカーの神がかり的な演出と、主人公ムーニーちゃんの演技を超えた演技に圧倒された。

世界中のディズニーファンが憧れる聖地、ディズニーワールド。そのディズニーワールドの近くには、一般のホテルと同様に、安いモーテルもたくさん建てられているらしい。観光客の宿泊施設である一方、貧困層が暮らす居住地にもなっている。日本でいう、ネットカフェ難民みたいなものだろうか。但し本作の場合、住民の多くが、家族で住んでおり、生活保護を受けている人も少なくないようだ。舞台となるモーテルは「マジック・キャッスル」というファンタジックな名前で、ラベンダー色の外観が実にまぶしい。

冒頭、「ホワーーーッツ!!!(な~に~)」と2人のチビッ子がもう1人のチビッ子に対して何度も絶叫している。何をするんでも全力でやらないと気が済まない、子どもの可愛さに一気に胸を掴まされる。その後、子どもたちの遊びは「唾吐き競争」へと流れ、唾液でびしょびしょになった車を見てニヤついた顔がやや引きつる。子どもたちから発せられる言葉は「ビ○チ!」など、耳を疑うほど汚い言葉ばかりだ。周りの人間に対して迷惑をかける悪戯もお構いなし。その「悪ガキ」ぶりが早々に露になる。子どもたちのバイタリティに関心しながらも、育ちの悪い環境に複雑な感情がよぎる。

主人公のムーニーは小学1年生くらいの女の子。年の離れた姉にも見える、若いお母さんと「マジック・キャッスル」で暮らしている。遊び仲間には事欠かず、同じ境遇で同じ年頃の子どもたちとつるんで、モーテルの敷地内や、周りの近所で悪戯三昧の日々を送る。ディズニーワールドの近くということもあって、ド派手な外観のお店がバイパス沿いに乱立している。子どもたちの小さい体と壮観でユニークな建物のコントラストが素晴らしく、インスタ映え必至なショットの数々に気分が高揚する。近所には「幽霊屋敷」や「サファリパーク」まであり、夜になれば「(おこぼれ)花火」が空に上がる。想像力が豊かな子どもたちにとっては、生活の場がそのままテーマパークになっている。

無邪気に遊んで暮らすムーニーだが、その家庭環境はかなり深刻なもの。彼女が発する罵詈雑言は、すべて母親譲りだ。何か気に入らないことがあれば、すぐに相手を罵り、暴力を使って攻め立てる。定職につかず、詐欺まがいの仕事で日銭を稼ぎ、やっとのことで家賃という宿泊代を払っている。こんな母親の元で子どもが健全に育つわけはない。ただし、幼いムーニーにとっては、遊んでくれる良き母親であり、貧しさというものも自覚できておらず毎日が楽しい日々だ。

本作で登場する子どもたちは、みな学校に行っていない。貧困が原因で、同じような子どもたちって、現代のアメリカにはたくさんいるのだろうと想像する。世界一の経済大国ではなく、世界一の経済格差大国か。教育は知識だけではなく、モラルや思いやり、社会性を育む過程でもある。貧困から脱するための術は「教育」、と良く言うけれど、その意味の重さを劇中、真面目に考えてしまった。このままだとムーニーが大人になっても、母親と同じ道を辿ってしまうのでは、と。

とはいえ、本作のテンションはひたすら陽気だ。子どもたちから見た景色の美しさに何度も目を奪われる。過酷な現実も子どもたちの視点によって隠される場面も見受けられる。そんななか、現実的な観客側の想いを一身に背負うのが、モーテルの管理人「ボビー」の存在だ。子どもたちの悪戯に翻弄されながらも、子どもたちを見守り、その将来を案じているのが伝わる。あくまで宿泊客と管理人という関係性であり、その家庭環境に深く干渉することはないが、いざという時に大きな支えとなる。ウィレム・デフォーが円熟味を漂わせ、場末のモーテルで奔走するボビーを好演している。愛くるしいムーニーと、悪役顔のボビーのやりとりが可笑しくて笑みがこぼれる。



本作は、貧しい子どもたちの日常をひたすら追ったものだ。登場キャラクターのステータスが劇的に変わる展開もなく、それだけで見れば、退屈な映画になっていたかもしれない。本作がそうならないのは、主人公ムーニーを演じたのブルックリン・プリンスの魅力によるところが大きい。演技なのか、素なのか、判別ができない表現力は衝撃的ですらある。感情が爆発するラストのアップシーンに揺さぶられる。その母親を演じたブリア・ヴィネイトは本作が演技初挑戦とのことだが、未熟過ぎる母親を説得力たっぷりに演じている。彼女の全身のタトゥーが自前だったことがわかって驚く。彼女たち、そして、他の子役たちに至るまで、リアルな演技を引き出したのは監督のショーン・ベイカーだ。本作の成功は彼の演出力の賜物といえる。前作「タンジェリン」同様、社会から外された人々への暖かな眼差しも強く感じられた。

ファンタジーに振ったラストが唐突で、やや取り残されてしまったが、あとでジワジワと余韻が迫ってくる。もう1度、本作を見返したくなる。

【70点】


アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 【感想】

2018-05-11 23:53:25 | 映画


ノックアウト。
世紀の嫌われ女を描いた伝記映画の傑作。愚かしくもパワフルな人間ドラマ。方向性は違えど、有無を言わさぬ疾走感は「セッション」に似ている。音楽の選曲、編集のセンスが光る。登場キャラの個性は全員強烈。類は友を呼ぶ究極系であり「バカしか登場しない物語」は喜劇であり悲劇といえる。トーニャ・ハーディングを正当化することも非難することもしない視点が貫かれ、真相は結局のところ闇の中であるが、この映画を前にして実話というラベルさえも気にならない。栄光と転落、華麗にリンクの宙を舞うのも、殴られリングの宙を舞うのも、どちらもトーニャの生き様だ。製作を兼ねたマーゴット・ロビーの覚悟を感じた熱演に圧倒される。

1994年のリレハンメルオリンピック。女子フィギュアで競技中に「靴紐の調子が悪い」と審査員に訴えたトーニャ・ハーディング。そのみっともない泣き顔をよく覚えている。フィギュアスケートに関心はなかったものの、ライバルを襲撃した黒幕として連日のように報道されていたのを思い出す。しなやかで美しいナンシー・ケリガンに対し、品がなく勝気でズングリ体型なトーニャ・ハーディングは世間の敵だった。それから時がたって、映画を頻繁に見るようになってからトーニャ・ハーディングの物語はいつか映画化されると思っていた。

パンフ情報によると、本作はトーニャ・ハーディングをはじめ、事件の関係者のインタビューをもとに描かれたオリジナルの脚本とのこと。多くがトーニャの証言から構成されており、本作の真相はあくまでトーニャの見解が強いようだ。なので冒頭「異論があるだろうが。」とわざわざ字幕が出てくる。ただ、この物語がフィクションであったとしても「ありえる話」として飲み込むことができるし、真実かどうかはこの際どうでも良くなるほど、面白い。

本作の大きな軸は、トーニャと母親の関係性だ。「甘ったれのクソガキ」と、母親は幼少期よりトーニャをけなしまくる。血の繋がった実の子どもなのだが。貧しい生活環境のなか通っていたスケート教室では、練習中トーニャが「トイレに行きたい」と言えば、「金を払っているのはこっちだ、時間を無駄にする気か」とつき返す。結果、リンクの上で失禁してしまえば、今度は「恥をかかすな」と何度も殴りつける。家庭内でも同様で、日常的に精神的、肉体的暴力でとことんトーニャを圧する。その常軌を逸した子育てに開いた口が塞がらない。トーニャの子役時代を演じたマッケナ・グレイスが愛くるしいため、劇中での虐待シーンを見るにつけ、その非道さがことさら強調される。

母親には信念があるようだ。わが子は叩いて伸びる子だと。大成するかどうかはまだ先の話だが、トーニャの性格形成には早々に影響をきたす。暴力的で排他的、周りの人間は敵で、その敵を倒してこそ勝利を手に入れられる。陰口を叩かれれば、相手に中指を立てればよい。本作はフェイクドキュメンタリーの形をとっていて、過去を振り返るトーニャのインタビューシーンで連発する言葉は「わたしのせいじゃない」。呆れるほどの性悪女で、他者に対する思いやりが明らかに欠如している。暴行を受けたナンシーに対しても「私なんて暴力は日常茶飯事よ」と言うだけ。お母さん、娘は逞しく成長しました。

褒められることがなかった人生で、彼女は求められ、認められることを強く欲するようになる。今でいう「承認欲求」というやつだ。スケートで頂点に立つこと、そして、人から愛されること。後者は結婚という形で実現するが、トーニャの人生に大きな悪影響を及ぼす。愛してくれた人はDV男でした。普段は愛妻家の優しい男だが、口より先に手が出るサイテー野郎。トーニャの顔面には生傷が絶えないが、彼女も彼女で、やったらやり返すタチである。暴力を振るわれては別れて、寄りを戻し、暴力を暴力を振るわれては別れて、再びまたくっつく、の繰り返し。病的にも見える腐れ縁だ。その2人の間にさらに誇大妄想症の夫の友人(サイコー爆笑キャラ)が加わり、彼女の人生が狂い出す。カオスな泥沼な人間関係。同類は同類から逃れられない運命なのか。トーニャの才能を信じたコーチの良心が一服の清涼剤だ。

その後、ナンシー・ケリガン襲撃事件の真相、トーニャがリレハンメルオリンピックで泣いた背景が描かれる。どれも知られざる話で驚かされたが、彼女の生い立ちから辿ると起きるべくして起きた事態と思える。それでも、彼女を一方的なヒールとして見ることはできない。彼女のファンだという幼い少女に羨望され心から嬉しがるシーンや、彼女にとって最大の悲劇となる裁判の結果など、彼女の心情を思いやることは必至で、あれだけ距離を置いて眺めていたのに気付けばすっかり感情移入をしてしまっている。かといって、本作はトーニャを美化することも避けられていて、特異で強烈な個性を最後まで持続させる。シニカルな笑いに満ちたインタビューシーンの編集も面白く、笑いとドラマの波状攻撃に終始やられてしまう。不確かな材料を組み合わせ、これだけの娯楽作に仕上げた脚本が素晴らしい。

母親を演じオスカーを受賞した、アリソン・ジャニーの怪演が最大のインパクト。救いようのないサイコキャラかつ、映画の動力源という点で、「セッション」のフレッチャー教授と双璧をなすかも。狂気と天才の表裏というキャラ設定も近い。2人は「ジュノ」で素敵な夫婦役を好演していたが、その後、まさかこんな鬼役を演じることになるとは誰が予想したか。その母親と対峙するマーゴット・ロビーも負けじと凄まじい。自身の美形を捨て、異形なるトーニャの執念と悲喜を鮮やかに体現する。演技派女優としての飛躍を示した堂々たる名演だ。現在「アベンジャーズ」でサノス軍団と戦っているバッキーこと、セバスチャン・スタンは口ひげの胡散臭さが絶妙で、自覚なきサイテー男を巧く演じている。

トーニャが事件後、ボクサーに転向していたことは何かのテレビ番組で観ていた。キワモノ人間の末路と蔑みをもって見ていたが、本作での彼女のモチベーションはかなり違っていて認識を改めた。殴り殴られるリングの上だが、スケートリンクと同じ喝采を浴びるステージなのだ。殴打で倒され、彼女の血反吐を捉えたショットにしびれた。

【80点】


ワイルド・ワイルド・カントリー 【感想】

2018-05-09 08:00:00 | 海外ドラマ


Netflix作品の久々のホームラン。
ここ数年見たドキュメンタリー作品のなかで断トツに面白かった。

計6話で約6時間。連続モノで長時間のドキュメンタリーっていかがなものか!?と敬遠していたが、見始めたら止まらなかった。ドキュメンタリーの概念を変えるようなインパクト。まるで連続ドラマを見ているようだった。扱う素材が面白いのはもちろんのこと、非常にユニークで完成度の高い映像作品になっている。

1980年代前半、オレゴン州の田舎町に、インドからカルト教団が移住し理想郷を建設した。本作はそのカルト教団と地元民たちが対立した事件を振り返ったドキュメンタリーだ。

嘘のような本当の話。
こちらの予想を超えて事態がどんどんスケールアップしていく。いろんな意味でアメリカってやっぱり凄い国だ。



教祖が唱えるのは信仰というより精神的な生き方講座に近い。トランス状態に見える激しめの運動によって、肉体と精神を解き放つという行為がなされる。セックスという快楽行為も大いに推奨され、寛容と解放に満ちた生活が人生を豊かにするとのこと。何かを崇めるという信仰は存在せず、教祖自身も特別な人間ではないと言い切る。教祖を神として持ち上げたのは、その生き方に魅せられた周りの信者たちだ。教祖を信じる集団がどんどん肥大化し、世界各地にも支部ができるほどの規模になる。ところが教祖のいるインドはヒンズー教の国だ。スラム街のなかに作られた教団の楽園に脅威を抱いた国家権力はそれを排除しようとする。どこかに生き残る場所はないか。そうだ、アメリカに行こう。

アメリカは宗教の自由を認めてくれる国だ。一見、何でも受け入れてくれる懐の深い国に見えるけれど、その国民の多くが保守的な人たちばかりだ。カルト教団が住みついた田舎町は人も少なく、主産業は広大な土地を使った牧場経営。赤やピンクの服を着た大勢の集団がある日突然、隣人になるわけだから、地元民たちが気持ち悪がるのは無理はない。教団が作った自治体とは距離をとっていたようだが、夜な夜な屋外セックスの声が漏れていたという。教団は周りの家々を買い上げることによって、地元住民との摩擦を避けるようとするが、そう巧くは共存できない。



些細な近所迷惑はあれど、教団側が地元民に対して直接的に危害を加えることはしていない。彼らは彼らの自治体で勝手にやっているだけだ。仕掛けたのは住民側のほう。「銃には銃を」、教団側は自治体を守るために武装をはじめる。。。

その後、驚くべき事態に発展していく。ドラマでもこんな筋書きは描けないはずだ。教団側の思い切った決断力と資金力のなせる業であるが、それを可能にしてしまうアメリカという国の土壌の怖さを痛感する。「マジか。。。」と何度も絶句。回を追うごとに事態がエスカレートし、目が離せなくなってしまった。

ドキュメンタリーなので、当時のVTRと関係者のインタビューで構成されるが、その編集が素晴らしく良く出来ている。おそらく当時のアメリカでは大変なニュースとして扱われたらしく、関係VTRは膨大に残っていたようだ。そのVTRを様々な角度から繋ぎ合わせ、時間の進行を止めることなく1本のドラマ作品のように組み立てている。

また、映画やドラマのように登場するキャラクターの個性が強いのも印象的だ。そして出演者全員がプロの役者ではないかと思えるほど、素晴らしい表情を見せてくれる。教団の実質ナンバー2で絶大な権力を持っていた女性元秘書(この人の狂犬ぶりがすごい)、最後の最後まで教祖のために戦った元顧問弁護士(めちゃくちゃカッコいい)、教団の顔であった元広報担当、暗殺未遂で服役した元女性信者など、当時の教団側の中心メンバーをはじめ、教団と対立した元市長や地元民、教団を追い詰めた元検事、元FBI関係者や、ジャーナリストに至るまで、まさに事件の渦中にいた当事者本人たちが30年以上のときを超えて当時を振り返る。インタビューに答えるメンバーが、もれなく当時のVTRにも登場しており、現在と過去の姿をシンクロさせながら当時の風景を浮かび上がらせる。

彼らに共通するのはそれぞれにとって事件は忘れがたいものであり、まるで昨日のことのように当時の状況を鮮明に覚えているということだ。驚くのは、元教団関係者がみな、今でも教祖を懐かしく思い、輝ける思い出として胸に刻んでいる点だ。それがたとえ偽りであったとしても、生きる拠り所としていた事実は確かなものだ。宗教の真意を垣間見たような気がする。また、インタビューで出演する元教団関係者が当時の事件を経て、30年後の今、どのような人生を送っているかまでを切り取る。彼らがどのように生き、これからどのように生きていくのかを最終回で見届け、本作は紛れもない人間ドラマだったと思えた。見終わってしばらく感動の余韻に浸る。



監督のウェイ兄弟、おそらく実写映画を撮ったら面白い作品を生み出す気がする。
Netflixよ、彼らにチャンスを与えたまえ。

【85点】

ロスト・イン・スペース 【感想】

2018-05-08 08:00:00 | 海外ドラマ


現在、NetflixがテレビCMを始め、様々な媒体で猛プッシュしている「ロスト・イン・スペース」。
Netflixファンとしては、是非とも後押ししたいところではあるが、つまらないものはつまらないと言ったほうが良い。本作を見て「Netflixってこんなもの」と、見限られるのは残念だし、もっと面白いオリジナル作品は他にたくさんあるからだ。

計10話。イッキ見にはちょうど良いエピソード数であるが、7話目で離脱した。

元々「宇宙家族ロビンソン」という名で1960年代に人気を博した米テレビシリーズがオリジナルとのこと。オリジナルは知らないが、1998年の映画版「ロスト・イン・スペース」は昔、レンタルビデオ(VHS)で見たことがあった。

ドラマの概要はざっくりいうと映画版と同じ。地球に住めなくなったため、別の惑星に移住しようとしていたロビンソン一家が、宇宙船で移動中に事故に遭って宇宙で迷子になるという話。

映画版はなんとなくしか覚えていないのだが、「こんなSFだったっけ?」と思い返す。映画版と舞台設定が大きく異なるからだ。

SFは「サイエンス・フィクション」の略だが、この手の映像作品に期待するのは「スペース・ファンタジー」だ。本作はその設定がかなり希薄。宇宙で迷子になるというより、不時着した惑星で脱出を試みるという話だ。その惑星が地球と同じ環境というミラクルから始まる。大気の成分はもちろんのこと、周りの風景も地球とほとんど同じ。人間が不便なく生活できる。「いっそ、この惑星に移住すれば?」というのが最初のツッコミどころ。その後、脱出せざるを得ない惑星の危機が訪れるが、未知の惑星ならではの仕掛けも少なく、地球と変わらない画にSFを見ているワクワク感がない。

そんななか、SFらしい要素を感じるのは地球外生命体の存在だ。それが着ぐるみのキャラクターというのが貧相で残念。地球外生命体というよりも、人間によって作られたロボットのようなビジュアル。このロボットが、物語の大きな鍵を握るが、前半の大半をロビンソン一家の末っ子少年との友情物語に費やす。もはや宇宙空間という設定は必要ない。その友情物語も、末っ子少年の身勝手な判断で一旦終結を迎えてしまう。

もう1人展開をかき回すキャラクターが出てくる。本作のヒール的な役割を担う女子で、その正体は嘘つきの詐欺師だ。展開にスリルを与えるというより、邪魔をする印象が強い。たいしたキャラでもないのに言動がいちいち小賢しく、イライラさせる。このキャラクターの排除をモチベーションにして見続けるのもありだが、他に引き付ける魅力もないので続かない。各エピソードごとにトラブルがちゃんと用意されるが、予想の範囲で事態が終息する。

一家のお母さんを演じたのは、「ハウス・オブ・カード」でジャッキー役を好演し、強い印象を残したモリー・パーカーだ。本作の実質的な主人公としてドラマを引っ張る。一家のお父さんよりも技術的な知識に長け、新たな女性像という現代の潮流を感じさせるキャラ設定だ。しかしその一方、一家の大黒柱であるお父さんが頼りなくて大きく見劣る。一応、ドラマの中ではお父さんが活躍するシーンも出てくるが、お母さんと比べると明らかに不均衡だ。演じるトビー・スティーブンスが一向にカッコよく見えない。ワケあり夫婦の2人の関係性も、7話目まで展開に干渉することはなく、どうにも釈然としない。一家の末っ子少年役の男の子は普通に可愛かった。

図ったように次女のラブロマンスを途中で差し込むなど、茶番なシーンも少なくない。脚本が全体的にぬるい。ファミリー向け作品だからというのは理由にならない。

Netflixのオリジナルコンテンツ。ドラマではなく映画だが、今年に入って「ミュート」や「タイタン」など、ことごとくSF作品がつまらない。一方、ヒューマンドラマ系やドキュメンタリー系は面白い作品が多い。資金の問題ではなく、監督、脚本家のキャスティングを含めた製作過程の問題だろうか。周りの知人の評判も良くないし、本作の続編はないと思われる。

SF作品であれば、Netflix製ではないものの、「スタートレック:ディスカバリー」のほうが断然面白い。

【55点】

君の名前で僕を呼んで 【感想】

2018-05-04 08:19:00 | 映画


陽光、風、緑、水、アプリコット、北イタリアの楽園。半裸、半ズボン、自転車、ピアノ、 鼻血、開けっ放しの窓、夜遊び、教養、性の目覚め、17歳の夏。訪れたのは最初で最後の初恋のロマンスだ。
恋することの喜びと痛み。セクシュアリティを越えた人間対人間の純愛は、自身が若かった頃の恋愛の記憶を呼び覚ます。83年の設定ながら回想ではなく進行形として描いている。ノスタルジーを取り除き、2人が紡ぐ恋愛ドラマにフォーカスする。
人目では恥じる恋愛と知りながらも、2人の恋愛を阻む障害は現われず、夏が終わる別れの瞬間まで熱情が冷めない。セックス描写は、ありのままの見せた「アデル~」とは対照的なアプローチ。行為そのものに関心が向かうことを免れ、恋愛の普遍性が際立って伝わる。肌と肌が触れる瞬間をつぶさに切り取るショットが素晴らしい。
肉体も精神も愛する人の虜となり、自覚も制御することもできない感情の高まりをティモシー・シャラメが見事に捉える。その佇まいと眼差しの魔力に、次代を担うスター性をみる。長身で絵に描いたようなルックスのアーミー・ハマーは知的でミステリアスな色気を放出し、主人公の初恋の必然性を決定づける。名バイプレイヤー(9本中3本のオスカー候補作に出演!)のマイケル・スタールバーグ演じる父親が、本作の隠れたキーマンだ。彼が主人公に伝えた宝石の言葉が、本作のメッセージを集約しているようだった。「痛みを葬るな」ー
【75点】

サイコキネシス -念力- 【感想】

2018-05-04 07:00:00 | 映画


昨年「新感染~」にて映画秘宝的映画ファンを熱狂させた、ヨン・サンホの新作をNetflixで見つける。面白いかどうかは別にしても、映画ファンの話題性を考えれば「ロスト・イン・スペース」の宣伝費を半分にして、本作をPRしたほうが良いと思う。
宇宙からの謎の液体を体内に含んだことをきっかけに、念動力を身につけた男が、娘が暮らす商店街に立ち退きを迫る建設会社と戦う話。
冴えないオッサンが娘のために空飛ぶヒーローになるプロットは、最近見た「いぬやしき」とよく似ている。短編映画並みのスケールかつ、CGのクオリティだが、アクションの魅せ方だけみれば、滑空シーンを含め「いぬやしき」よりも巧い。90分という短い時間だけに、主人公の能力が出し惜しみなく発揮されているのが嬉しく、監督は観客側が求めるものをよく心得ているなと感じる。前作の「新感染~」がシリアスな映画だった一方、本作はどこか力の抜けたアクションコメディだ。見事にオッサン化したリュ・スンリョンの念力中の顔面が楽しく、いちいち吹き出してしまう。ストーリー自体はよくある話で、見せ場はアクションが中心。サイコ女子を演じたチョン・ユミがとても綺麗で、長身美女お姉さんが好まれる美的志向は日本の映画界にも根付いてほしいと思った。
【65点】

ハンドメイズ・テイル/侍女の物語 【感想】

2018-05-03 08:00:00 | 海外ドラマ


昨年、TVドラマの賞レースを総ナメにした話題作だ。
このドラマのためだけにhuluに再加入した。

全10話を見終わったので感想を残す。

大気汚染等の環境の変化や病気の蔓延により、女性の不妊率が大幅に上昇した近未来が舞台。アメリカ国内でクーデターが起こり「ギレアド」という独立国家が、アメリカ国内で誕生する。その国家の方針により、子どもが生める女性は強制的に奴隷化され、「侍女」として国家権力者の家に配属される。そして「儀式」という名の強姦により子どもを生ませる行為が繰り返されるという話。

かなり衝撃的なドラマだ。侍女たちは「歩く子宮」とされ、厳重な監視生活のなか、自由な行動も制限される。支配は暴力によってなされ、脱出しようものなら死刑が待ち受ける。縛り首、あるいはもっと凄惨なやり口でだ。主人公の「ジューン」は家族からむりやり引き離された女性で、社会的地位の高い司令官の夫婦の家で侍女として暮らす。

絶望的な状況のなか、いかに希望を持ち続けるか。一見、女性を虐げるように見えるドラマだが、強固な意志で生き抜く女性たちの姿にスポットが当てられる。また、女性が持つ母性についても考えさせられる物語だ。多くの賞賛を得たのがよくわかる。荘厳な映像美にも魅せられ、特に、差し込む光の使い方が見事で、そのワンカットで1つの絵画になりそうなシーンが多い。

そもそも何でこんな事態になったのか、劇中、回想シーンで明らかにされていく。支配する権力者たちも以前は、普通の倫理観をもった人間だったが、宗教の歪んだ解釈をもと、性の奴隷化により国が存続すると提唱、それを実行した結果がこの状況を生み出した。なので、権力者たちも自身の異常性を自覚している節があり、侍女に対して同情心を持ち合わすケースもある。主人公は一方的に支配されるのではなく、その隙をついて司令官と特別な関係性を築く。一筋縄ではない人物関係と知られざる国家の裏側が、連続ドラマとしての旨みになる。それでも説明のつかない支配者側の「洗脳」ぶりが気になるが、本作を語る上ではあまり重要ではない。

シーズン1の本作ではレジスタンス(反乱組織)の存在や、生き別れて外国に亡命した主人公の家族の姿が描かれており、シーズン2以降で話が大きく動き出しそうだ。

確かに面白かったが、期待値が大きすぎた感はあって、権力者に支配される従者という構図以外に大きな広がりがなく、こちらが予想する以上の展開はなかった。「希望」を実感するシーンも最終話までお預けだったのも少しもったいない。今後も進んでいくドラマの導入部としてはこれで正解とも受け取れるが。
 
主人公のジューンを演じたエリザベス・モスの熱演が素晴らしい。彼女の演技力に引き付けられると共に、TVドラマという枠でこれだけのパフォーマンスを要求する、アメリカの海外ドラマの凄みを感じた。

【70点】

アメリカのhuluがドラマ「ファーゴ」などを手がけたMGMと共同で製作したドラマらしい。間接的とはいえ、資本関係のある日本のhuluでの配信を待っていたが、本国から約10ヶ月遅れでようやく配信がスタートした。昨今、当たり前のように日米同時リリースを続けているNetflixと比べると、日本でのhuluの対応は大きく見劣りする。(ビジネスモデルの差だけど)

ツイン・ピークス The Return 【感想】

2018-05-02 23:00:00 | 海外ドラマ

昨年wowowで放送が完了していたが、今年に入って一挙放送をしていたので、まとめて録画して見る事にした。

全18話、かなり頑張ったが、10話でギブアップ。。。。
残りのエピソードは消去することにした。

たぶんというか、絶対、オリジナルのツイン・ピークスを知らないと入れないと思える。全く予備知識なく、このドラマを見ることは無謀な挑戦だった。前作からの繋がりはもちろんのこと、従来の海外ドラマとは一線を画す特異な作りだからだ。端的にいうと、意味がわからない。意味がないものを見せられているというよりも、自分が理解できないだけだろうか。

カイル・マクラクラン演じる男が別空間、別人格で複数名登場し、犯罪に手を染めたり、「しゃべる木(?)」から啓示を受けたり、コンセントに吸い込まれたり、カジノの大もうけしたりするという話。一応、「犯罪捜査」という1本のストーリーラインがベースにあるようで、1話目で描かれる殺害事件の謎を解く話みたいだが、時間や空間軸の異なる複数のストーリーが同時平行で描かれ、10話まで見てもそれらがどう関係しているのかわからないし、各ストーリー単位で見ても何が起こっているのか、よくわからないのだ。明らかにおかしい主人公の言動に対して、一見、常識的に見える周りのキャラクターも不思議と同調する。。。

この謎が謎を呼ぶ脚本こそが、見る人によっては無二の魅力と映るかもしれない。実際、ネットで検索すると、解説記事がズラっと並ぶ。いずれも「憶測」の域のようだが、それを考える行為こそが楽しいようだ。2017年の映画秘宝のベストに、町山氏を含め、何人かの映画好きがテレビドラマにも関わらず、このドラマを2017年のトップ10の中に入れており、「まさにデヴィッド・リンチの作品だ!」と盛り上がっている。

本作は全話デヴィッド・リンチが監督をしていて、彼自身も劇中、主要キャラとして出演している。デヴィッド・リンチの映画は「ロスト・ハイウェイ」以降の映画しか知らないが、本ドラマを見てデヴィッド・リンチらしいシュールな世界観が良く出ているのはわかる。「マルホランド・ドライブ」は自分もハマってしまいDVDも持っているものの、それ以外はまったく関心を持てなかった。意味を持たせるよりも、センス先行でみせるビジュアルは確かに強烈だけれど。

理解と共感をドラマ任せにしている、甘々な海外ドラマファンの自分にとっては、本作は超えられない壁だった。起承転結が見えないまま、どこかのクラブのライブシーンで、知らない歌手が歌っている最中にヌルっとエンディングになるパターンも独特。オリジナルをそもそも知らないのが一番大きいか。。。

【採点不可】