から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

ウシジマくん Part3 【感想】

2016-10-29 09:00:00 | 映画


完全にミスった。
4作目の「ファイナル」の評判が良いので、原作ファンとしては「見に行かねば」と思い、その前の「Part3」を公開終了ギリギリのタイミングで見たが、結果、見なくても良かったと痛感する。まず「Part3」と「ファイナル」は前後編ではなく、話が全く繋がっていない。そして「Part3」がテレビドラマ版と同等であり、映画作品という枠で考えれば、劇場で鑑賞する価値が見当たらない。少なくとも過去作のなかでは一番面白くなくて、作り手の熱量がまるで感じられない。あぁ劇場鑑賞をスルーすれば良かった。事前情報はある程度必要だな。。。。

物語は原作の「フリーエージェントくん」と「中年会社員くん」のエピソードをベースに劇場用にアレンジしたもの。
「フリーエージェントくん」はその日暮らしの人材派遣の仕事で生活困窮する青年が、ネットビジネス講習でカリスマ経営者と出会い、詐欺な手口で大儲けしたのち、堕ちていくという話。「中年会社員くん」は一流企業に勤める中年男が、人事考課の改ざんや横領などの不正に手を出し、浮気、キャバクラ狂いで堕ちていくという話。それぞれのドラマのなかで「金貸し」として丑嶋(ウシジマくん)率いるカウカウファイナンスが関わっていく、いつもの流れだ。映画用に多少のアレンジはあるが、使われるセリフをはじめ、ほとんどが原作の通り。

各エピソードで登場する主人公たちは、利己的でクズな人たちばかりだ。ストーリーの展開はほぼ固定化されていて「栄枯盛衰」。一時は良い思いをするが、確実に堕ちていく。堕ちないまま、成功して終わるパターンはなかったと思う(ハッピーエンドはあるが)。その多くが自業自得であり、「こいつ、終わってるな(笑)」と蔑み、その不幸を見て笑い楽しむような一面がある。おそらく自分含め、読者の大半が経験のない世界を描いており、未知の世界を覗きこむスリルと、人間の欲望と暴力によって生み出されるドラマのダイナミズムが原作の醍醐味だ。

多くのエピソードの中で「フリーエージェントくん」は映像化に相応しいチョイスだと思っていた。但し、このエピソードは原作の中でも1,2を争う長尺で描かれており、コンパクトに映像化するのは難しい。本作はそのエピソードの要点をうまく抽出して組み立てている。金がないのに金があるように見せる、つまり価値がないのに価値があるように見せることを本作では「ブランディング」と言い、そのブランドを売りまくる商法で主人公が大儲けする。「フリーエージェントくん」の連載が始まった際に「与沢翼がモデル」と話題になったが、華々しい生活を送り、その成功体験を魅せることがビジネス、という本筋はこの映画で描かれているとおりだ。売り物が100%詐欺という点は大きく異なるけれど。

問題は主人公が上り詰め、堕ちていく過程のダイナミズムが感じられないことだ。脚本の問題というよりは演出の問題と思われる。描写の1つ1つがハリボテのような嘘っぽさに溢れる。フィクションなのは承知だが、リアルな世界として描こうとしなければストーリーに没入できない。画のスカスカ感と、コントのようなパフォーマンスの軽さ。本当はもっと深刻で残酷な話なのに、そう見えないのがつらい。人間の臭みがなくてキレイ過ぎる。主人公演じた本郷奏多は器用に演技をこなすものの明らかに迫力不足。カリスマ経営者を演じたハマケンの怪演が唯一の救いだが、もっともっと人間の恥部に迫るべきであり、ラストのカリスマ経営者の終焉シーンはあんな程度ではダメだ。

「中年会社員」はエピソードのレベル感を考えれば、可もなく不可もなくといったところ。主人公がのめり込むキャバクラについては、自分は一度しか行ったことがないので共感することはないが、そのキャバクラに自分を連れていった知人が「恋愛ゲーム」と言っていた理由がよくわかった気がする。意中のキャバ嬢をモノにする(抱く)のが目的で、そのためにお金を払っているらしい。本作の主人公も「あのコとヤリたい♪」と借金を重ねてハマっていく。キャバ嬢は主人公に1回きりの「ご褒美」を与え、その幻想を引っ張り主人公から金を絞り出す。主人公演じるのはオリラジの藤森で、その演技の巧さにかなり驚いた。彼の持つチャラさが役柄の軽薄さと相まって、見事「ウシジマくん」世界の住人になっている。キャバ嬢役に筧美和子のキャスティングはズルい。口元がゆるく、肉感的な女子に男子はすこぶる弱い。

同時進行で展開する両エピソードは、どちらも映像作品としてはつまらなくはない。気に入らないのは、サイズとクオリティがテレビドラマ版と変わらない点だ。映画でしか描けないことがほとんどない。放送コードみたいなものを意識したようなヌルい描写に腹が立つ。単に過激な描写を望んでいるのではなく、スリル、恐怖、痛み、恥部をガッツリ描くことが「ウシジマくん」を映画化する優位性なのに、それを活かそうとしない。劇場で放映するのではなく、テレビの深夜枠で放送すれば良い内容だ。「ファイナル」に客を呼び込むための、ケチな策略のようにも見えて嫌だった。

そして、肝心の丑嶋の登場シーンがあまりにも少ない。原作の魅力でもある、丑嶋のダークなヒロイズムを味わう機会も当然ない。

主演の山田孝之は相変わらず素晴らしい役作り。原作とは異なる小柄な体型をモノともしない強いオーラを全身から漂わす。深夜ドラマの「勇者ヨシヒコ~」を見ている最中なので、その役柄のギャップに萌える。本当に勿体ない。

久々にダメなTVドラマの劇場版を見た感じだ。「ファイナル」では、この鬱憤を晴らしてくれることを期待する。

【50点】
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スター・トレック BEYOND 【感想】

2016-10-28 09:00:00 | 映画


大興奮。
前2作にあったドラマやミステリー要素を削り、アクションに比重をおいた設計が成功。溜めて溜めてからのドン!!「グッチョイス」からのズババババッ!!!男子には堪らないアクションの数々に熱中する。嫌らしいほどに畳みかけるアクションの洪水に呑み込まれるものの、その流れに身を任せたい気分になる。「ご都合主義」といった揶揄すら吹き飛ばすパワーあり。SFと3次元空間という新たなフィールドを与えられたジャスティン・リンが躍動する。お見事!
結果、シリーズ3作連続で面白い。今年公開されたアクション映画の中では一番好きかも。

カーク船長率いるエンタープライズ号のクルー一行が、銀河平和を脅かす新たな敵と戦う話。

まずはキャプテンとして立派になったカーク船長の姿を見られて嬉しい。1作目では悪童でトラブルメーカーだった若造が、シリーズを通してクルーたちの信頼を得て、どこからどう見ても立派なキャプテンになっている。演じるクリス・パインの出生作でもあり、その成長ぶりを見ると感慨深い。並外れた度胸の良さと持ち前の正義感に加え、高い危機察知能力とクルーへの愛情の深さを持ち合わせる。キャプテン(統率者)としての資質を兼ね備えており、3作目となる本作では、これまでの様々な経験が彼の自信を強固にしているようで、カリスマ性すら感じる存在感だ。何とも頼もしい。

船長の最大の使命はクルーたちを守ることだ。本作ではシリーズ史上かつてない襲撃を受け、クルーたちが命の危機に晒される。今回の敵となる軍団の攻撃力がハンパない。それは上空から夕立並みの矢が降り注ぐようなもので、エンタープライズ号のシールドは効かず、船体が文字通り「粉砕」される。あまりにも容赦ない攻撃シーンに一瞬引いてしまうほどだ。クルーの大半は宇宙に投げ出され、残されたクルーも命からがら1人用の脱出ポッドで船体から逃れる。とりあえずわかったのは、今回の敵はかなり強敵ということ。

砕け散ったエンタープライズ号と共に、脱出ポッドで逃れたクルーたちは未知の惑星に不時着する。そこで出会うキャラクタ―によって、敵がエンタープライズを襲撃した理由が明らかになる。シリーズの1作目、2作目ともに敵の動機というのが、深い因縁に関わるものだったりと脚本が練られていたが、本作についてはとてもシンプルだ。一応、敵の正体が明らかになる経緯はミステリー要素が強いが、そのネタバラシは淡泊に描かれ、敵イコール悪い奴という見え方でブレない。1作目同様、敵役のエイリアンのビジュアルがいかにも「悪モノ」というわかりやすさが良い。

本シリーズならではの魅力は、それぞれ異なるスキルと個性をもったクルーたちのアンサンブルだ。本作ではクルーたちが離散するという新たな展開となるため、「個」の活躍が目立つようになる。それぞれの持ち味が活かされる場面が多くファンとしては喜ばしい。今まで組み合わさることのなかったコンビも誕生し、なかでもスポックとマッコイのコンビの掛け合いが楽しく、2人のまさかの相性の良さが発揮される。他にもウフーラ、スコット、スールー、チェコフらにもちゃんと見せ場を作っている。スコット役のサイモン・ペッグも名を連ねる脚本陣は本作の魅力とファンの心理を良く理解してるなーと感心する。

クルーたちのモチベーションで最も大きいのは、友情という絆だ。シリーズを通して彼らは家族同然の関係を築き、強い愛情と信頼で結ばれている。「一人はみんなのために みんなは一人のために」なんてクサい言葉だが、彼らの関係を表現するのにピッタリである。それを体現してきたのがカーク船長だ。彼の生き様がすっかり仲間の中にも伝染していて、誰かが危険に晒されれば、身の危険を顧みず、我先にと仲間を救おうと飛び込んでいく勢い。その迷いのなさにいちいち胸を打たれる。「ワイスピ」シリーズで仲間の友情を描いてきたジャスティン・リンにはうってつけの映画だったとも考えられる。

そして、なんといってもアクションだ。シリーズのなかで最もアクションのボリュームが大きい。どれもこれもスベリ知らずの充実ぶり。宇宙モノならではの無重力描写は、自由度を大きく広げ、笑いと迫力のアクションシーンに昇華。三半規管を刺激するような目がグルグル回る描写が多く、しかもそれが目まぐるしいスピードで切り替わるのだが、大いに楽しむことができた。まさか、スタートレックでバイクアクションが見られるとは思わなかった(笑)。ワイスピ(カーアクション)の監督だから、というコジ付けではなく、ストーリー上、必然性を感じる展開で描かれる。JJエイブラムスからバトンをもらったジャスティン・リンはアクション演出家としての手腕を遺憾なく発揮する。ギリギリのところで鮮やかに切り返すスリルと、溜まった鬱憤を一気に吐き出すカタルシスの気持ち良さ。「ノイジーな音だ」(笑)とされるビースティ・ボーイズのSabotageに乗せ、カーク船長の「グッチョイス(いい選曲だ)」からの粉砕逆襲シーンに鳥肌が立った。もう最高。ジャスティン・リンはアクションのツボを本当に良くわかっている。最初から最後まで興奮しっぱなしだった。

シリーズのレギュラーであり、チェコフを演じたアントン・イェルチンは本作が遺作となった。イェルチンといえば、どこか冴えない等身大チックな役柄が多く、身近で共感しやすい個性をもった俳優だった。彼の出演作の中で一番好きだったのは、まだ無名だったフェリシティ・ジョーンズと共演したラブロマンス「今日、キミに会えたら」。最近だと「ゾンビ・ガール」でアレクサンドラ・ダダリオに惚れられる役で激しく嫉妬したばかりだった。早過ぎた死。彼のご冥福をお祈りしたい。

【75点】
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Moonlight 【気になる映画】

2016-10-28 08:00:00 | 気になる映画


今年は昨年と打って変わって洋画の不作年だ。アクション大作が軒並み期待ハズレであり、オスカーに絡んだタイトルも突き抜けた映画がなかった。現時点で私的90点オーバーは上半期の「オデッセイ」と「レヴェナント」のみで、全身が震えるほどのお気に入りである95点オーバーの映画が、このブログを始めた2010年以降初めて、今年は出でこないように思う。残り2カ月の公開ラインナップを見ても期待できるタイトルがない。今年の日本映画は例年と比べると良作が多いけれど、それでも個人的には洋画と比べるとまだまだ見劣りする。

今年は残念・・・ということで、来年公開の映画に期待する。
年末に向けてオスカーレースを意識したタイトルが、ぞくぞくと北米で公開を迎えている。これらのすべてが来年にようやく日本で公開される。(あるいは未公開)

で、前から気になっていた映画「Moonlight」が先週より北米公開され、現時点で今年No.1ともいえる絶賛評を集めている。

マイアミの貧困地区を舞台に、1人の黒人青年の成長を、子ども時代、思春期、青年期と3つの時代を通して描いたドラマとのこと。主人公がゲイであるという点も大きなテーマとなっており、黒人コミュニティ特有のジェンダーに対する意識が主人公の生き様に深く関わっていくらしい。トレーラーを見る限り、とても鮮烈でエモーショナルな物語になっている模様。「Moonlight」(月光)という美しいタイトルの由来も気になる。

現時点(10月27日)で、Rottentomatoでは批評家レビューで99%(!)のフレッシュを獲得。オーディエンスでも93%の支持というトンデモないスコアを叩きだしている。要は誰がみても間違いない傑作ということ。来年のアカデミー賞に絡んでくるのは間違いなさそうだ。

配給は「A24」。最近だと「ルーム」や「エクス・マキナ」などを配給していて、優れたインディーズ映画を扱う配給会社として知られるようになった。

注目するのは本作で黒人コミュニティのボスらしきキャラを演じているマハーシャラ・アリだ。「ハウスオブカード」のレミーである。本作のパフォーマンスで、オスカー助演男優賞にノミネートされると予想。映画の出演は「ハンガー・ゲーム」の脇役など、あまり恵まれていないため、彼が映画界でスポットライトを浴びるのはファンとして喜ばしいことだ。

あぁ気になる。日本での公開が早く決まってほしいな。

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ブラジルのビザ取得が大変だった件。【その2】

2016-10-27 09:00:00 | 日記
1回目とほぼ同じ時間帯で、今度は水曜日に行ったのだが、待合スペースが月曜日と打って変わって閑散としていた。月曜日は元々混む曜日なのかもしれない。VISA申請の待っている人も「0人」だったが、前の人がやたら長く、結局前回と同じ10分くらいで窓口に入った。対応してくれた人は前回と同じ女性で、自分の顔を覚えていたらしく「住民票持ってきました!」をすぐに理解した模様だ。申請書類のチェックが始まるが、事前にオンラインで申請した内容はその場では確認しないようで、提出書類のみをチェックしていた。書類は揃っていたようだが「もっと早い時間に来てください」と普通に怒られた。チェックが終わり最後に、ビザの申請料を払うのだが、領事館ではやっておらず、外に出て大通りを渡った先にある「ブラジル銀行」まで行く必要がある。「窓口が閉まるので早く行ってください」と急かされるが、それを知らなかった自分は「面倒くせ~」と何度も心の中でつぶやく。

ブラジル銀行に到着する。人がほとんどいない。おそらく経営は成り立っておらず、半公的機関として設置されているのだろうと思った。通常の銀行と同じように、受付の発券機で受付番号をとって待つが、2名で対応している窓口がなかなか空かない。日系ブラジル人っぽい人が雑談を交え銀行員の女性と長々と話をしている。これがブラジル人気質なのかな。。。10分過ぎても、終わる気配がなく、昼休みのタイムアップが迫り、焦り始める。その窓口の向こう側に「両替」と買いてあるコーナーがあって、そっちで対応してくれないかなーとフラフラと観に行くと、入口や待合スペースから見えない死角に「領事館専用窓口」の文字が。。。。「わかんねーよ!」と、無駄にした10分に怒りながらその窓口で支払いを済ます。もっとわかるように窓口の場所を表示させておくべきだ。本当に不親切。その後、大急ぎで領事館に戻り、支払った領収書を窓口の女性に渡す。これでようやく申請は完了。ビザの受け取りは一週間後の12時~13時までの間に来ればよいとのこと。昼休みの時間に来れるので助かった。

その後、大急ぎで会社に戻る。1時間で申請を済ますのは、かなり無理があった。会社に到着後しばらくして、携帯電話に複数着信が入っていることに気づく。留守電を聞くと、「領事館の者です。13時までに戻ってきてください。」と2回入っていた。。。「無理に決まってんだろ」と呆れながら、折り返しの電話をするも、こちらからは繋がらないようになっている(ガイダンスが流れるだけ)。相手がサービス業ではないことは重々わかっているが、いろいろと徹底してるなと実感する。再び窓口に行くのは無理なので、メールで連絡したところ、2時間後くらいに携帯に電話がかかる。「オンライン申請の内容で、両親の名前がない(入力してくれ)」とのこと、最初、何のことか全くわからなかったが、両親(ビザ取得本人)の「両親」の名前が必要とのこと。マニュアルを読んでいた自分は「それって18歳未満の場合ですよね?」と切り返すが、「生死を問わず必ず必要です」とのこと。その指示に従うしかないが、オンラインの作業で済むのにわざわざ窓口に来てというのは本当におかしい。本日中に入力することを約束し、帰宅後、再度マニュアルを見ると、必須項目であることは書いておらず、やはり18歳未満の記入カテゴリーに見える。ホントわかりづらい。

そして一週間後、ビザを受け取るため、再び領事館に行く。

今度は、日本人と思わしき別の窓口の人が対応。その時間帯はビザの受け取りのみのようなので、ほとんど待つことなく、窓口に行きビザが入ったパスポートを返却してもらう。「お客様の受け取りのサインをお願いします」と、「客」扱いされたことに驚く。対応した日本人女性は領事館の人じゃないのかもと思った。受け取り後、「名前、生年月日、パスポート番号、滞在期間が間違ってないか確認してから帰ってください」と言われ、確認し、領事館を後にした。これでようやくビザの取得が完了。

旅行会社に代行を頼めば、1人5,000円で2人で10,000円になる。今回、自分が個人で申請をしたことで10,000円が浮いたわけだ。おそらくビザの申請に慣れていれば、もっと簡単にできていただろうが、不慣れな自分はひと苦労だった。両親がブラジルに入国する目的はイグアスの滝のみ。10,000円というバカ高い申請料と、その申請にかかった苦労に見合う感動を与えてくれることを願う。
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ブラジルのビザ取得が大変だった件。【その1】

2016-10-27 08:00:00 | 日記

実家の両親が、11月にペルーとブラジルの旅行ツアーに行くことになった。各国の出入国カードの提出、アメリカ経由のためのESTA、ブラジル入国のためのビザなど、海外旅行に不慣れな両親にとっていろいろと関門が多い。ツアー会社に任せると、その都度、ウン千円と追加料金が発生するため、今回は自分がすべて手配することにした。そのうち、ブラジルのビザ取得が大変だったので記録を残しておく。

ビザを申請するのは初めてではなかった。10年以上前の学生の頃、スロバキアに旅行するために大使館まで出向き、ビザを発給してもらった経験があって、その時はそんなに苦労した覚えはなかった。なので、国は違えど、容易に取得できるものと考えていた。

まずブラジルのビザの申請料がバカ高い。何と10,400円。今年に入り3,000円から大幅に値上がったらしい。オリンピック開催で使った資金を少しでも回収しようとするブラジル政府の狙いだろうか。確かに、ブラジルまで行こうとしている人がその値上げによって、「やっぱ行かない」とはならないだろうが、観光客の足元を見ているようで嫌な気分になる。

ブラジルのビザ申請は2段階に分かれていて、まず、事前のオンライン申請が必要で、次に、実際に五反田の領事館まで出向き、窓口で手続きをする必要がある。まず最初のオンライン申請がなかなか面倒くさい。詳細な必要情報の文字入力は勿論のこと、各種書類を揃え(これも面倒)、それらをすべてスキャンしてPDF化し、合わせてアップロードする必要がある。さらに、写真をスキャンしてデータ化し、規定のサイズに合わせて加工する必要がある。写真だけでなく、書類の「署名(サイン)」のところだけをスキャンしてアップロードする必要もある。これらの作業が、1つの流れのなかでできれば良いのだが、一旦最後まで登録したのち、そこでようやく出現する申請書類に再び、書き込み、それを再度アップロードするなど、本当に面倒くさい。一次保存できる機能がついているが、それを呼び出すためのレコードを控えておかないとエラいことになる。最悪なことに使用したノートPCのキーボードの調子悪いせいもあって、入力作業がはかどらず、土曜日の昼から作業を始めて夕方くらいにオンライン申請を終えた。

週明けの月曜日、さっそく領事館の窓口に出向く。ビザ申請の受付時間は平時の9時~12時まで。ブラジルの領事館は五反田の駅前にあり、駅から見える「AOKI」のビルの2階に入っていた。偶然だが、職場から歩いて10分くらいの場所にあるので、昼休みを30分前倒して、11時45分くらいに到着。待合スペースが中央にあり、L字でそれを囲うように透明なアクリルで仕切られた窓口が複数ある。領事館に入った正面に、呼び出し発券機があるので、「VISA」のボタンを押して発券された受付番号をとり、待つ。その発券機の画面で表示される待機人数は「2人」だった。待合スペースはかなり混んでいた。顔つきは日本人なのだが、話す言葉がポルトガル語のようで日系人と思われる人が多く目立った。その部屋には日本語の表記がほとんどなく、室内の匂いも独特な匂いがしていたので、異国に来た感じがする。「これは相当待つかも、昼休みで間に合うかな・・・」と心配するが、ビザの窓口は分かれており別対応をしているようなので、10分ほどで窓口に向かうことができた。

さっそく書類を提出し、「両親のビザを申請しにきました」と話すと、「本人が来れない理由を教えてください」とたどたどしい日本語で日系人と思われる窓口の女性が聞き返した。「え!?理由なんているの?」と戸惑うが、「地方の実家に出かけてますので」と答え、了解してもらう。しかし「代理人の場合は、申請者本人と家族関係であることを証明する書類が必要。戸籍謄本か住民票を出してください」と言われ、まったく知らなかった自分は「ホームページにそんなこと書いてなかったですよ」と訴えるが、「いえ、書いてますんで」と突き返された。あとで調べたら、必要書類情報の一番下のところに目立たないように書いてあった。(但し、「身分証明書」が必要なのはどこにも書いてない!)

自分は勘違いしていた。ビザの申請は「第三者でもOK」ではなく「原則、本人が来なさい。やむを得ず来れない場合は相応の代理人(家族内)じゃないとダメです」というものなのだ。ホームページの記載が目立たないのは、代理人を立てて個人で申請する人はあまりいないからかもしれない。思えば、窓口の人の反応もそんな感じだったな。

戸籍謄本は本籍地(東北)でないと発行できないので、自分を含めた全員分の住民票を両親が昼間、役所に行って発行してもらった。そして後日、それを受け取り再リベンジに挑んだ。(「【その2】」へ続く)

ブラジルのビザ取得が大変だった件。【その2】
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永い言い訳 【感想】

2016-10-26 09:00:00 | 映画



期待通りの傑作。「さすが」と唸る西川節。複雑な人間の生き様をありのままに描く誠実さと、人間の嫌みを遠慮なくえぐり出す冷徹さ。演出家であり作家である監督の持ち味が、脚本のそこかしこに発揮されている。主演の本木雅弘が素晴らしく魅力的。西川監督との化学反応はやっぱり間違いなかった。パンフに同封されている特典映像もとても興味深く面白かった。

若い女との不倫中に、バスの事故によって妻を亡くしたタレント作家の男と、同じ事故で妻を亡くしたトラック運転手一家との交流を描く。

公開初日のレイトショー、会社帰りの電車で寝過ごし、上映開始に遅れるという人生初の失態にて2回目の鑑賞。
1回目よりも、あらすじを知っている2回目のほうが面白く感じられた。

「当たり前」と思っていた日常が、ある日突然、消失する悲劇は誰にも起きうることだ。とりわけ家族という最も身近な人間関係においては、「いる」ことが当たり前の風景であり、それだけに喪失したときの衝撃は計り知れない。その感情の多くは悲しみであり、悲しみのあまり泣き崩れることもあるだろう。だけど、不慮の事故により最愛の妻を亡くした本作の主人公「衣笠幸夫」は違った。

冒頭、美容師である妻に主人公は自宅の部屋で髪を切ってもらっている。タレント作家としてクイズ番組に自身が出演しているテレビ放送ごしの出来事だ。そこでの2人の会話がぎこちない。というか、主人公が一方的に妻の発言に突っかかっている。「幸夫君って人前で呼ぶな」と文句を言う幸夫に対して、妻は「私は昔からの呼び名で呼んでいるだけなのに」と答える。主人公に愛情を寄せる妻に対して、冷めた想いを露わにする主人公という関係性に見える。その後、学生時代からの親友との旅行に向けて妻は外出する。いつもと変わらぬ光景であり、主人公は妻を見送ることもしない。それが永遠の別れだと知る由もない。妻の外出と入れ替わりで、自宅に若い女子が訪問する。主人公の愛人だ。妻と寝ているはずのベッドで愛人との情事にふける。翌朝、愛人とイチャイチャしているところ、警察から悲報の電話が入る。

事故があった現地で妻の遺品を確認し、妻の遺体を火葬し遺骨をツボに入れ、休む間もなく葬儀を行う。その間、主人公は一切泣くことはなかった。泣かぬまでも悲しみに浸る様子もない。かつての恋愛感情はなくても、自身の生きる道を照らしてくれた妻を幸夫は愛していたはずだ。おそらくはその喪失の悲しみを受け止めるよりも、自身の負い目が勝ったと思われる。妻が冷たい湖の中で苦しみもがいていた最中に、彼は暖かいベッドの中で快楽に溺れ、妻を裏切っていたという事実があるからだ。妻への冷めていた愛が、その死をもっても再燃することもない。喪中に訪ねてきた愛人に対して「堪んないんだよ」と体を求める幸夫ときたら、何と人間らしいのだろう。喪失を欲望で埋める単純さと複雑さ。これぞ西川美和が描く人間だ。

もちろん、一時の欲望なんかで埋められるものではない。そんな彼の前に現れたのが、妻の親友で一緒に旅行に行き、同じバス事故によって亡くなった女性の家族だ。その女性の夫であるトラック運転手、「大宮陽一」と遺族会で再会する。長らく会っていなかったようだが、若い頃、幸夫と陽一は奥さんを通じて知り合っていたようだ。「ユキオくん!」と、主人公が呼ばれたくない呼び名を大声で叫ぶ陽一は、妻の喪失に人目もはばからず泣き崩れている。大切な人の喪失をストレートに悲んでいるのだ。陽一の仕事はトラックの運転手で、2人の幼い子どもを持つ父親でもある。幸夫とは個性も境遇も正反対なキャラだ。しかし、その後、幸夫は陽一の家族と深く関わるようになっていく。トラックの仕事で家を留守がちになる陽一に変わり、幸夫が子どもたちの面倒をみると申し出るのだ。陽一家族の置かれた状況を不憫に思った善意からであるが、本音は幸夫自身も何か「ヨリどころ」にすがりたかったに違いない。

かくして、幸夫が今まで経験したことのない「家族」生活が始まる。幸夫が面倒をみるのは律儀で頭の良い兄と、予想不能で天真爛漫な幼い妹の2人兄妹だ。子どもへの接し方もわからない幸夫の、懸命な子育てがユーモラスに描かれる。子どもたちのテンポと幸夫のテンポのズレが何度も笑いを生みだす。それと同時に、幸夫自身が子どもを持つことの幸せを知っていく過程が丁寧に描かれる。「子育ては男の免罪符」とは実に鋭い言葉だが、その赦しの言葉が形骸化されるほど、幸夫の子どもたちへの想いは確かなものに変わっていく。幸夫の中で大切な人を無条件に愛する感覚が呼び覚まされる。その変化の心象風景として描かれる、子どもたちと出かけた海水浴場で、亡くなった妻が一緒に戯れるシーンが美しく感動的だ。

しかし、その後、亡き妻の知られざる幸夫への想いが明らかになる。幸夫は自身の不倫のことは棚に上げて、思いっきり怒りを露わにする。何ともイタい姿であるが、妻への愛を再確認した直後での出来事だっただけにその衝撃は大きかったのかもしれない。また、どんなに子どもたちを想っても、所詮は実の親(陽一)を超えることはできないことを知り、1人であることの孤独を感じる。陽一家族の元を離れるきっかけとなる、誕生日会での幸夫の独演が切なく印象的だ。吐き出されるのは自身の弱さ、愚かさ、哀しさ。幸夫の言葉の中から、亡き妻の想いが浮上してくる。彼女は幸夫と結婚して幸せだったのか、不幸せだったのか。彼女はもう戻ってこない。

しばらくの時間を経て訪れる、陽一家族との再会が本作のクライマックスだ。愛しい人が日常から消える危機が再び訪れる。子どもたちを想い、幸夫が必死に駆ける。その道中、兄弟のお兄ちゃんと列車に乗るシーンが胸に迫る。陽一親子の間で起きたわだかまりに対して、親身に思いやる幸夫の言葉が、幸夫自身への言葉であることに気付かされる。「自身を大切に思う人」への幸夫の言葉が深く深く心中に響く。その後、1人で帰路についた、列車の車中にて記した「人生は他社だ」の言葉に本作のテーマが集約される。その言葉を吐き出した瞬間、幸夫はようやく大切な妻を亡くした喪失を受け止めることができた。1回目の鑑賞時では見えなかった幸夫の感情の機微が、2回目の鑑賞で鮮明に見えた気がする。

主演の本木雅弘が自身のチャームを発揮して、ダメ男だけど愛すべき幸夫を好演している。パンフ情報より、幸夫の個性が本木本人に良く似ていることがキャスティングの決め手になったとのこと。パンフについていた特典DVDでその経緯がよくわかる。西川監督が「幸夫と本木は似ているが、本木のほうがずっと複雑」ということで「人間」本木雅弘をあぶり出すために、演じた幸夫を通してインタビューに答えてもらうというもの。西川監督の思惑に乗らない本木との鍔迫り合いが面白く、ついにはその設定を西川本人が壊す展開となるが(笑)、本木雅弘がなぜ幸夫を演じることができたのか、証明される内容だった。優れた役者とは演じること以前に、考えることができる役者なのだと実感した。西川美和と本木雅弘は出会うべくして出会ったと感じられ、2人のファンとして嬉しくなった。「捻れた自意識を救う会~」に爆笑。本木雅弘は人としてカッコイイわ。

本木しかり、劇中で描くキャラクターを、演じる役者の個性に寄せる演出は、西川監督の師匠である是枝監督とよく似ている。とくに陽一を演じた竹原ピストルへの演出が象徴的だ。陽一は強面なんだけどお人良しで直情型の人間。竹原ピストルの演技に演じている感覚があまりなく、彼の演技力というよりは彼が持つ本来の個性を西川監督が引き出したように思う。いかつくて強面なので、真顔で来られると一瞬たじろいでしまう迫力あり。そこからの笑顔のギャップが狙いだったのかも。ワンアップのCMでよく流れる「よー、そこの若いの、俺の言うことを聞いてくれ~♪」の彼の唄が頭の中でリフレインする。
幸夫のマネージャーを演じた池松壮亮も相変わらず良い仕事をしている。多くの才能ある監督と組み、主役を張らず、助演として作品を盛り上げていくキャリア形成に彼の明るい役者人生が見える。本作で初タッグとなった西川監督ともかなり相性が良いとみた。いつか、彼を主演にした西川映画を見てみたい。「ゆれる」みたいな色気と怖さのある映画を希望。
そして、名監督は子どもの演出も巧いという事実は本作でも示される。特に兄妹の妹「あーちゃん」の自然な演技が素晴らしく、子どもらしい兄妹ケンカのシーンとか凄いリアリティだ。自身も同じような家族構成だったので「わかるわ~」の連続だった。

大切な人を失った喪失と再生の過程をリアルな人間の視点で描いた稀有な人間ドラマ。どんな悲劇があろうと残された人の人生は続いていくわけで、時間の経過を描くことは本作の必須条件だったと思う。1年という歳月をかけて本作を撮影した西川監督の狙いは見事に的中した。

【80点】
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ダイソンの掃除機修理に感動した件。

2016-10-25 09:00:00 | 日記


ダイソンの掃除機が壊れた。購入して2年と半年。

掃除機の電源を入れようとしたら、モーター部分から「ウ~ン」という聞き慣れない音が鳴り、吸引動作がまったく起きない。家の人間が水洗いしたダスト部分を十分に乾かさず装着したため、モーター部分に水滴が入ってしまった可能性がある。慌てて、保証書を探す。ダイソンのメーカー保証は2年であり、その保証期間は切れていた。当時、価格コムで最安値だったコジマネットで購入していた。しかも、5年の延長保証が無料でついていたため、それで対応することに。近所のコジマに持参するが、全額保証ではなく使用年数に応じた保証金額を一部コジマが負担するシステムとのこと。なので、その保証金額に収まらない場合は、こちら側の負担になり、有償での修理になる可能性もあるとのこと。見積もりは1週間後に出る、という言い方をされたため「仕方なし」と待っていた。
ところが、一週間を過ぎても、コジマから見積もりの連絡が入らない。「少し遅れているのだろう」と気にしていなかったが、10日後くらいに電話が入る。

「修理が終わりましたので、メーカー(ダイソン)から直接ご自宅に届けられます」とのこと。無償で修理が完了したらしい。見積もりから修理完了まで3週間程度と聞いていたので、その早さに驚いた。その翌日、ダイソンから修理された掃除機が届く。早速電源を入れて動作を確認する。当然、問題なく動いた。その後、ダストカップがまるごと新しくなっていることに気づく。中を調べたらフィルターも綺麗になっている。「え~そこまで交換してくれるの!?」と喜ぶ。もしやと思い、掃除機のヘッド部分を確認すると、何とヘッド部分もまるごと新品に変わっていた。2年以上使っていると、吸引の要となる回転ブラシ部分がボロボロになる。ブラシ部分だけでも交換したいと思っていたから、これは本当に嬉しかった。まとめるとモーター、ダストカップ(フィルター含む)、ヘッドと、吸引力に影響するすべてのパーツが新しくなっていた。使用感としては新品そのものだ。

家電メーカーの修理クオリティってこのくらい普通なのかもしれないが、とりあえずダイソンの手厚い修理にはすっかり感動してしまった。こうしたアフターフォロー込みで製品が高価格帯ということであれば納得である。これからはもっと丁寧に扱っていこうと思う。
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モヒカン故郷に帰る 【感想】

2016-10-22 09:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。敬愛する沖田監督の新作ながら劇場鑑賞を逃した1本。
恋人の妊娠を機に結婚報告のため、故郷に里帰りしたモヒカン頭のバンドマンを描く。
沖田作品のなかでは一番脚本が面白くないが、沖田演出は相変わらずツボだ。ユルユルな展開ながら最後まで引きつける手腕はさすが。描かれるのは、末期ガンに侵された主人公の父親と、その事実を受け止めた主人公ら家族たちの生き様だ。避けては通れない親の死を目前に、「自分だったらどうするかな」と主人公に感情移入する。死ぬとわかっていれば、病院ではなく自宅で過ごしたいと言うだろうし、寝たきりになれば下の世話を含め介護しなければならない。死ぬ親のためにいったい何ができるか、そして親が望むことを叶えてやりたいと思うのは当然だろう。主人公の父親が筋金入りの「永ちゃん」ファンという設定で、彼に会うことが父親の夢だ。その夢の叶えるため、主人公が無理せず等身大のやり方で「永ちゃん」に会わせる(?)シーンが最高に可笑しい。「父親の死を見守る家族」という感動モノに振れがちなテーマだが、いかなる人間の生き様の中にもユーモアを見出そうとする沖田監督の視点が嬉しい。但し、本作のユーモアは沖田監督にしてはスベリ気味なシーンも多い。最後の「断末魔」は締め方としてイマイチだ。本作は笑いよりもドラマが勝っている。ボケて記憶がなくなっていく父親が、息子の名前を付けた経緯と託した思いを語るシーンに、主人公とともに涙をこらえきれなくなる。沖田映画らしい「食べる」シーンも健在で、父親が思い出のピザを頬張るシーンに胃液が体内で放出した。死にゆく父親を演じた柄本明が、納得の名演を見せる。自分の父親とはまるで違うキャラクターだけど、いろんな思いが込み上げてきた。
【65点】
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何者 【感想】

2016-10-19 09:00:00 | 映画


いろいろと勿体ない。本作の目的が「就職活動」を描くことではないことはわかったが、それでもその美味しいテーマをもっと活かすべきだと思った。「SNS」の闇ってメディアの特性を示しただけなので、クライマックスで「どうだ!」と言われても「だから何?」と答えるのみ。そして、その先の返答がないまま映画は終わった。「何者」とわかったのは主人公だけのようで、せっかく個性豊かなキャラクターを配したのに主人公の一人の物語に完結させたことに違和感を覚える。原作か脚本の問題なのかわからないが、見終わったあとの不足感がとても大きい。有村架純の遠くを見て微笑む表情って、可愛いけど擦られ過ぎて飽きる。三浦大輔の演出ってこんなだったっけ。。。

就職活動に挑む5人の若者たちを描いた話。
客層が「君の名は」に次いで若い。登場キャラと同年代の若者たちが本作を見てどう思うか気になった。

自分の就職活動を思い出す。自分の頃は氷河期と言われた時代だったが、苦労したよりも楽しかった思い出が強い。学生として生きてきた自分が初めて社会に触れる機会であり、いろんな会社を直に覗ける人生唯一の機会だ。その機会を逃すまいと、冷やかしも含め、業種を問わずいろんな会社にエントリーした。本作の劇中でも語られる「合同説明会は視野を広げるもの」という言葉に近い。同じ会社を受ける人たちはライバルであると同時に戦友に近い感覚もあって、連絡先を交換したのち、飲みに行ったりした記憶がある。本作の登場人物たちも就職活動をきっかけに友人関係になる。今の若者たちも同じなのだろう。

就職活動のゴールは企業から内定をもらうことだ。本作の主人公は「分析」を得意をしているらしく、内定をとるためにトランプの「ダウト」が有効だと説く。実力がなくても、巧く表現できれば内定をもらえるということだ(甘い!)。といっても、内定がとれない主人公の分析は、説得力のない戯言にしか受け取れない。一方、主人公とルームシェアをしている元バンドマンの男子は希望の出版社から内定をもらう。内定が取れない主人公に対して「自分が何で内定がとれたのかよくわからない」と話す。実感のないまま、内定をもらうなんざ極めてレアケースだと思われるが、主人公とは反対にありのままの自分をプレゼンした結果だと想像した。

今もそうかもしれないが、自分が就職活動をするにあたり必須準備とされたのが「自己分析」だ。就職活動における自身のPRポイントを探すため、自分の個性を見つめ直し棚卸しをする作業だ。客観的視点を入れるために、仲の良い大学のサークル仲間と集って夜通しファミレスで話し合っていたことを思い出す。自分が思っていた自分と、外から見た自分は異なるもので、自分が知らなかった一面に気づかされたり、知られたくなかった一面が露わになったりする。朝まで互いの評価をかなり突っ込んでやった結果、友人の告白によって知られざる過去が明らかになり、その友人が泣く姿を初めて見たのを覚えている。自身が「何者」かを知る貴重な体験だった。

本作の主人公も就職活動を通して自分が「何者」かを知る。自分と違ったのは就職活動のプロセスを通してではなく、結果によってである。企業からの内定を受け取った瞬間、自分の個性が評価され肯定されたと実感する。一方、内定を取れない場合は、内定が取れない理由を模索する。他人が取れて自分がと取れない理由と、他者と比較して分析する人もいるだろう。主人公もルームメイトが希望の会社から内定をもらうのを目の当たりにして、同じような考えを巡らしたに違いない。主人公は演劇をやっていて、他者を演じてきたという設定が興味深い。舞台で他者を演じるばかりで、自分自身が「何者」かを見失っている可能性がよぎる。そして自身が「何者」かを思い知る出来事が待ち受ける。

ここで登場するのが「SNS」(ツィッター)の存在だ。匿名性で「何者」にもなれるSNSは140文字の世界のなかで本音と建前という複数の自分を使い分けることができる。スマホが普及し、発信へのリーチが会話と同じくらい身近になっている現代において、自分の姿を隠し、本音を語れるSNSにドップリ依存している人が多くいることは想像できる。健全な人間の生態とはとても思えないが、それが現代のリアルなんだと思う。自制しない本音の向こうに見えてくるのは他人を蔑む悪意だ。発信者は当然それを自覚しているので、他者にバレてはいけないことと秘密にする。その秘密がバレれば、他者からの信用を失うとともに、本音でいられた別世界の住人ではいられなくなる。

本作の主人公はその悲劇に見舞われる。その描写はホラーのように映し出され、物語の進路を大きく変える監督の意図が見える。明らかになった事実によって、自身が「何者」かを主人公は知ったようだ。「SNS」という狭い舞台の中で主人公を演じていたに過ぎなかったと気づく。そのシークエンスを、舞台演出家らしい三浦大輔の演出で表現するが、いささかわかりづらいのが難点だ。その後、主人公は本当の自分と向き合い、就職活動に臨むことになる。そこからの展開を待ったが、まさかの終幕になった。エンディングを迎え「それだけ!?」とツッコみを入れる。あのまとめ方では、よくあるSNSの話を持ち出しただけだ。就職活動をフックにした必要性も感じない。社会人への足掛かりとなる重要なイベントに対して多くの要素を削ぎ落し、SNSを通じたコミュニケーションのリアルを再確認するだけって、どんだけ意味があるのだろう。自身の就職活動に対する価値観を無視しても、物語として普通に面白くない。

メインキャストには「旬」を迎える若手俳優が名を連ねる。全員、アイドル俳優ではなく、映画俳優としてキャリアを積んできた人たちだ。そのキャスティングに東宝の勢いを感じるが、本作については彼らの持ち味が活かし切れていない。いずれも実力派らしいパフォーマンスを見せるが、演じるキャラクターが魅力不足だ。結局、映画で語られるのは佐藤健演じる主人公だけであり、他のキャラクターたちは脇役のまま、変化や成長といった機会が与えられないのが惜しい。本作は群像劇ではなかった。様々なキャラクターに感情移入ができた「桐島~」とはまるで違う作りだ。与えられた役柄も、二階堂ふみ演じる意識高い系女子を除いて、どこかで見た風な組み合わせばかりで新鮮味がない。「天真爛漫」要員の菅田将暉に、「微笑み」要員の有村架純。佐藤健は学生を演じるにはもうギリギリだろう。

OB訪問、グループディスカッション、筆記試験など、就職活動のあるあるが描かれ大いに当時を思い出すが、想定以上に感情移入ができない映画。「時代は変わった」という言葉で片付けられるかもしれないけど、もっと描くべきことがあったんじゃないかな。

【55点】
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王の運命-歴史を変えた八日間- 【感想】

2016-10-18 09:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。
今年の米国アカデミー賞の韓国映画選出作とのこと。なるほど素晴らしい。監督は前作「ソウォン 願い」で自分の体内の水分を絞り取ったイ・ジュニク。

日本でも韓国ドラマで知られるようになった、朝鮮王朝史上最高の名君といわれた「イ・サン」。彼が幼少であった頃、父親の「世子」が、祖父の「英祖」によって死罪にされた「米櫃事件」を描く。朝鮮王朝の歴史については全く疎く、少し身構えていたのだが、歴史知識なしでも十分に理解できるドラマだった。ストーリーラインはシンプルで英祖と世子の親子の確執が描かれている。舞台が王宮内で閉じているのでホームドラマっぽい印象もある。王朝政治において親から子供へ王位が継承されるのが常だが、第21代国王の英祖は、実の息子世子に継がせず、その息子(孫)にあたるイ・サンに継がせた。理由は世子の反逆によるものだ。動機はクーデターといった政治的な理由ではなく、個人的な父への恨みというもの。父も息子を忌み嫌い、2人がすれ違い、父が子どもを米櫃に閉じ込めて餓死させるという悲劇に至った経緯が明かされていく。父は王として生きることを選び息子にもその生き方を望むが、息子は父の息子として生きようとした。普通の親子として生きられない宿命は王としての権力を持つがゆえのことであり、常人ではとうてい理解ができない感覚だ。息子を「仇」とするのは、親族間での覇権争いを繰り返した歴史から学んだ教訓と、一国を担う王としての能力や品格を養わせるためだ。しかし、厳格な子育てをする王が立派な人間とは限らない。息子の才覚に嫉妬し、色情に溺れる。英祖の複雑な人間性は、見る側の共感に媚びない。一方の王子である世子は、自分を受け入れない父親に理解を示すことができない。2派に分かれる王宮内の派閥争いも手伝い、2人の溝は埋められないものになっていく。感じるのは権力を持つことの重責と、生まれながらに繋がってしまった親子のサガ。出来損ないのレッテルを張られ、王家の汚点として歴史からも抹消されようとした世子。そんな男から天才的な子ども(イ・サン)が生まれるという運命の悪戯が切ない。

英祖を演じたソン・ガンホがため息が出るほどの名演を見せる。まさに韓国の至宝。現在と過去と時間軸が複雑に行き交う構成ながら、振り回されることなく本作を注視できるのは、彼の功績によるところが大きい。また、前作「ベテラン」で振り切った悪童を演じていたユ・アインは本作では打って変わって繊細なキャラクターを熱演する。幼少期のイ・サンを演じた子役もめちゃくちゃ演技が巧く、父を庇うシーンでもらい泣きさせる。その他、脇役たちの抑えた名演も光る。

成長したイ・サンが父の魂を乗せて舞うラストシーンが素晴らしい。演出、脚本のみならず、撮影や照明などの技術面の高さも特筆すべき点だ。久々に見応えのある時代劇を堪能した。

【75点】
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ナイト・マネージャー 【感想】

2016-10-16 09:00:00 | 海外ドラマ


Amazonプライムにて。
先月開催されたエミー賞で、スザンネ・ビアがTVドラマの監督をしたことを知り鑑賞。
全10話。見応えたっぷり。非常に面白い。

製作はBBCだが、配信はAmazonがやっているとのこと。Amazonが独占配信する海外ドラマは「トランスペアレント」「モーツアルト~」「ROBOT」の3つしか見ていないが、その中では1番面白かった。Amazonもやるじゃないかと見直す。主演のトム・ヒドルストンにメロメロだ。

ホテルの夜間支配人(ナイト・マネージャー)をしていた男が、愛した女を殺した黒幕に復讐するために、国際機関の諜報員となり、その黒幕に潜入するというサスペンス・スリラー。

ホテルマンがスパイになっちゃうという、突飛な設定であるが、原作はジョン・ル・カレということで驚く。「裏切りのサーカス」や「誰よりも狙われた男」など、元MI6の作家ということでリアルな諜報活動を描いた物語が多いからだ。設定はかなりのフィクションであるが、諜報機関の組織内部にある縦と横の関係など、ディテールはさすがにしっかりしている。

オープニング映像が秀逸だ。豪華なシャンデリアが地上に落ちると爆弾のように爆破し、連なったダイヤモンドが落ちると空中で降下爆弾に変わり、海を渡る無数の輸送船の軌跡がシャンパンの泡に変わる。多くの戦争兵器が富を生み、富が多くの戦争兵器を生むという世界の裏の循環。平和を脅かす病巣ともいえる兵器ビジネスを美しい映像で表現すると共に、本作で描かれる舞台を象徴している。

本作の主人公が潜入する黒幕は、億万長者の大富豪だ。表向きは農耕機械の巨大商社であるが、裏の実態は違法な武器商人だ。難民救援などを頻繁に行い、世界的な慈善活動家として知られているが、その活動も武器ビジネスの隠れ蓑として利用している。大富豪の名はリチャード・ローパーといい、血も涙もない「世界一の悪党」である。家族や恋人に対して愛情深い一面があるものの、他人を利用することしか知らないシンプルな「悪」として描かれる。ローパーが本作のヴィランであるが、彼に共感の余地を持たせないのは、主人公のドラマに比重を持たせるためだと考えた。



主人公の名はジョナサン・パインで、エジプトのカイロにある高級ホテルでナイト・マネージャーをしていた。ある日、ホテルに訪れた町の有力者(ギャング)の愛人であるソフィーから、ある機密資料を預かったことが全ての発端となる。その時期、カイロでは民主化への大規模なクーデターが起こり成功したばかりだったが、パインが預かった資料はそのクーデターの裏に武器の闇取引があったことを証明するものだった。パインは正義のために大使館へその資料を持ちこむが、回り回って、その事実が闇取引した当事者たちに知れ渡り、パインに資料を渡したソフィーの元に「制裁」の魔の手が迫る。パインはソフィーを危険に晒した自責と、ソフィーへの愛によって、彼女を国外へ逃がそうと匿うが、失敗。ソフィーが残虐に殺される。その亡骸を見たパインの中で、ソフィーを殺した相手への憎悪が膨らむ。そして、その黒幕のドンがローパーであることを知るのだ。

その後、パインは国際執行機関の手引きでスパイとなり、ローパーの組織内に潜入する。潜入の目的は、内部からローパーの武器取引の証拠を見つけ、ローパーを滅亡させることだ。潜入の足がかりは文字通りの「命懸け」。命を賭けるほどのリスクを負わないと、潜入することができない強敵ということ。パインはホテルマン時代に培った能力と、イラク派兵時代に培った度胸を武器に、組織の中でメキメキと頭角を表していく。彼に降りかかる一部の疑惑の目を撥ね退け、ローパーを信頼を勝ち得ながら、ローパーの闇取引の証拠を捕えるため画策する。いつしか、パインはローパーの右腕までに上り詰める。痛快さとスリルの連続で目が離せなくなる。



絶対的な力持つローパー、美しいローパーの愛人、ローパーの元右腕でありパインに敵対するゲイ小男、世界中にいるローパーのビジネスパートナー、ローパーの競合、パインを引き入れ彼と共に打倒ローパーに燃えるベテラン女性諜報員、ローパーと裏で手を組む政府関係者など、多くのキャラクターが登場し物語を展開させていく。パインの潜入活動と共に、注目するのはベテラン女性諜報員アンジェラの活躍だ。アンジェラは妊婦のオバサンという設定で、「スパイに見えない人がスパイ」というリアリティがジョン・ル・カレ作品らしい。彼女のローパーに対する執念は過去の壮絶な記憶に基づいている。涙ながらにその記憶を語る彼女に感情移入し、もらい泣きしそうになる。アンジェラにはパインとは別の戦いが待ち受けており、彼女たちの機関の上層部が、ローパーと「グル」という問題に立ち向かうことになる。ローパーを逮捕するために上に話を通せば、ローパーに筒抜けという状況だ。そのジレンマをアンジェラたちがどう打破していくのかも見所だ。アンジェラ演じるオリヴィア・コールマンが素晴らしい熱演だった。



スパイスリラーとして高い完成度を誇るドラマであるが、本作の無二の魅力は、主人公パイン演じたトム・ヒドルストンと、パインと危険な恋愛関係に陥るローパーの愛人「ジェド」を演じたエリザベス・デビッキのラブロマンスだろう。2人があまりにも美しく、そのツーショットに凄い眼福感。



ヒドルストンの知的で美しい所作、時折見せる人間臭さが堪らない。シャツで決めてもジャケットで決めても男前。そして脱いでも男前。筋肉質で完璧な裸体を惜しげもなく披露(お尻も)。世界中にいるヒドルストンの女性ファンは本作で悶絶するに違いない。自分も俳優を見て、そのカッコよさにシビれたのは「ドライヴ」のライアン・ゴズリングや「ザ・ゲスト」のダン・スティーヴンス以来のこと。
また、ジェド演じるエリザベス・デビッキの出演にも色めき立った。「華麗なるギャツビー」で一目惚れし、「コードネーム U.N.C.L.E.」の悪女役に萌えた。抜群の長身スタイルに、絵に描いたような美しい顔立ち。クールに見えるビジュアルゆえ役柄が限定されてしまうのが彼女の不幸かも。美女はスッピンでも美女であり、彼女のスッピン顔をたくさん拝めるのも嬉しい。化粧をすればゴージャスになり、飾り気のない表情も驚くほど魅惑的である。絶倫爺さんのローパーがジェドにゾッコンというのも頷ける。しかしローパーとジェドのツーショットは似合っておらず、パインとジェドの美男美女同士の情事に小さな歓声を上げる。

監督はデンマーク人女性監督スザンネ・ビアだ。映画監督がTVドラマを手掛けるのは昨今の潮流であるが、本作はその中でも成功例といえる。人間ドラマやラブロマンスを得意とする人だが、ここまでスリラー色の強い作品を手掛けるのは初めてだと思う。スリラー、サスペンス、ドラマに加え、大規模なアクションも見事に描き切っている。ラストのカタルシスたっぷりのシークエンスも見事だ。彼女らしい遠景の風景描写の美しさも健在。本作の成功を受けてかどうかわからないが、映画「007」の次の監督候補に上がっているらしい。あるかもな。

【75点】
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殿、利息でござる! 【感想】

2016-10-14 09:00:30 | 映画


新作DVDレンタルにて。
江戸時代末期、生活に困窮する宿場町を救うために奔走する人たちを描く。
良い意味でパッケージ詐欺。ドタバタコメディ時代劇と思いきや、まさかまさかの胸アツ歴史ドラマ。時の流れを感じさせるラストに余韻が残る。

現在の宮城県にあたる仙台藩の宿場町「吉岡宿」で起きた史実の映画化とのこと。当時、吉岡宿では藩から宿場間の輸送業務(「伝馬役」)を無償で課せられていて、町民たちの生活を疲弊させていた。宿場町として商売も振るわなかったため、新たな収益を生む政策が必要とされた。そこで出たアイデアが、仙台藩に金を貸し付け、その利子によって収益を得るというものだ。しかし、その貸付金として必要な額は今の換算で3億円という大金。その大金を用意するまでの様子が描かれるが、それが本作の9割を占めていた。貸付金の捻出方法はシンプルで、町民のなかでも金持ちの人間が有志で身銭を切る形で、見返りを求めない寄付によって実行される。恵まれぬ町民のため、そして未来の子孫のための復興資金として捉えられる。しかも彼らのルールとして「慎みの掟」が掲げられ、末代まで彼らの善行が語られることを禁じることとした。大金が大金だけに、その工面は何年もの月日を要し、有志たちも家財を売り払うなど自らの生活を切り崩していく。町を救いたいと誠実に願う者もいれば、自らの利益や誉れを捨てきることができない者もいて、彼らの小競り合いと団結の過程が笑いあり感動ありで描かれる。資金が溜まっていく過程を、その都度現在の価値に置き換えた金額で提示する演出も効いている。
本作の主人公であり、計画のリーダーである穀田屋十三郎は、真っ直ぐな善人だ。時代劇初挑戦となる阿部サダヲが演じるが、その実直さゆえのユーモアを巧みに表現している。計画メンバーの1人で両替屋を演じた西村雅彦の悪あがきっぷりが最高で、とても貴重な存在だ。
描かれるのは自己犠牲と良心の伝播だ。人間ドラマなのに悪意がほとんど見えないストーリーに、甘過ぎる印象を受けなくはないが、大変な苦難の末に彼らの良心が身を結ぶ結末に感動せざるを得ない。彼らのゴールを2段構えにした脚本もいい。
そして本作を特別なものにしたのは、場面が変わりラストに映し出される現代の風景だ。どこにでもありそうな変哲のない町と小さな商店は、当時の舞台となった場所だ。まさか、こんなドラマがあった場所とは到底思えない。人々が懸命に生きた時代があって、その歴史が現代に繋がっているということ。グッときた。

【70点】
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ジェイソン・ボーン 【感想】

2016-10-13 09:00:00 | 映画


人間兵器こと「ジェイソン・ボーン」が戻ってきた。9年というブランクを感じさせないテンションだが、前シリーズと変わらぬストーリーに新鮮味なし。せめて自身の過去を振り返るプロットは前シリーズで終わってほしかったかも。「監視」プロジェクトも今さら感あり。但しアクションはとんでもない迫力。笑いが止まんなかった。グリーングラスの超絶な編集技が冴え渡る。後半のアクションシーンの粗さが惜しい。本シリーズの醍醐味であるカタルシスの程度はまずまずといったところ。

前シリーズで自身の記憶を取り戻し、長年潜伏生活を送っていたボーンが、新たな過去の真実を知り、再び戦いの場に戻ってくるというもの。「世界を救う!」といった大義のためでなく、パーソナルな動機で戦うボーンのスタイルは健在。

シリーズものには珍しく、安定的にどれも面白く、回を重ねるごとに面白さが増した本シリーズ。特に、ポール・グリーングラスがアクション監督として覚醒した2作目以降がお気に入りだ。3作目の「アルティメイタム」が間違いなく最高傑作であり、本作の公開に備え、久々に観たがめちゃくちゃ面白かった。そのグリーングラス&マット・デイモンのコンビの新作ということで期待は高まる。

前作のラストでCIAから逃れたボーンは指名手配中のため表社会で生きることが難しく、地下格闘技で生計を立てている。並みはずれた戦闘力を持つボーンにとっては天職と思え、対決する大男たちをなぎ倒すシーンはボーンの強さを再確認させる。その顔つきを見ると「さすがに老けたな」と思うが、重量化された肉体は見事にビルドアップされており、力勝負なら若い頃よりも強そうに見える。戦闘能力でいえばボンドもハントもボーンには太刀打ちできないだろう。

そんなボーンの前に、前作で彼を助けた元CIAのニッキーが現れる。CIAによる新たな極秘プロジェクトとボーンの過去に関わる真実を告げることが目的だ。そのボーンとニッキーが出会い、それを察知したCIAの手から逃れるチェイスシーンが冒頭の見せ場だ。ギリシャで起こった抗議デモを隠れ蓑にしてボーンとニッキーが出会う。大勢のデモ隊と警官隊をぶつかり合う雑踏の描写が凄まじい。そこら中で衝突が起き、火炎瓶が次々と放り込まれ路上が炎上しまくっている。人ごみ&戦争状態のなか、壮絶かつ、針穴に糸を通すようなボーンの離れ業が次々と繰り出される。そのアクションの流れの中で、ボーンの危険察知能力など多くのスキルが発揮される。猛スピードで疾走するアクションに圧倒される。掴みはOKだ。

グリーングラスの編集技が本作でもキレている。北斗百裂拳ばりの手数で次々とカットが切り替わる。しかも、カメラは固定されるのを嫌い、手持ち撮影が多用され、ずっと動きっぱなしだ。しかし、臨場感を狙って目が回るだけの映像にするのとは大違い。グリーングラスのショットは「動」にも「静」にも作用する。アクションだけでなくドラマの空気にも密着することができる。とりわけ張りつめた緊迫感を捕えるのが巧い。微動する画面にキャラクターたちの顔面が映し出される。前作以上にセリフは絞られ、演者たちの語らずとも語れる表現力と、グリーングラスの演出力によってそれぞれの置かれた状況と心情が吐露されていく。やはりグリーングラスは巧いな~と何度も唸る。

1人の男によってCIAという巨大組織が翻弄され喰われる。その痛快さがボーンシリーズの無二の魅力といえる。多くの刺客が束になってかかってもボーン1人に一蹴され、「(ボーンを)殺らなければ、こっちが殺される」という恐怖心さえ与える。その作りは本作でも踏襲され大いに歓迎であるが、物語の構成が前シリーズとほとんど同じというのが気になる。過去を思い出すボーン、その過去の清算するために戦うボーン、突然訪れる悲劇、悪いCIAと協力するCIA。。。とお決まりパターンと片づけるのは雑だが、「新章」として新たな一面を加えても良かったと思われる。約10年という歳月を経ているにも関わらず、ボーンの個性に変化を与えないのが勿体ない。

シリーズの見どころであったアクション演出に、捻りがないのも残念な点だ。クライマックスで描かれるラスベガスでのアクションシーンは「らしくない」仕上がりだ。スケールと物量にモノ言わせ、破壊と暴走を繰り返すカースタントは早々に満腹中枢を刺激する。もうお腹いっぱい。どこがどう繋がってあんなカーチェイスになるのかよくわからない。少なくともあんなに破壊する必要はなかったと思われる。とりあえず迫力は十分に伝わったが、もっと別のところにエネルギーを使ってほしかった。そのカースタントの延長線上で用意される格闘アクションも、ガチンコの長尺肉弾戦で見ていてアガらない。今回のボーンの相手を演じるのはヴァンサンン・カッセルで、相手に不足ナシなのだが。。。

本作で存在感を示すのは、ボーンに味方する、あるいはボーンを利用しようとするCIAを演じたアリシア・ヴィキャンデルだ。オスカー女優となったことで本作のような大作映画への出演が実現する理想的なキャリアだ。彼女演じるCIAは上昇志向の強いキレ者だ。笑顔をまったく見せず、最初から最後までクールな表情を保つ。彼女の目論見が読めず、緊迫した本作の展開に新たなスリルを加える。華奢な体系を感じさせない強い存在感だった。また、今では「BOSSのオジサン」のイメージが定着したトミー・リー・ジョーンズは久々に本領を発揮。目元の大きく弛んだシワが印象的で、悪人ヅラが一層悪く見える。「邪魔者はすべて消せ」の説得力のあること。

本作のリアルなテーマとして、CIAによる監視プログラムが持ち上げられる。劇中でも語られるとおり、スノーデンの事件が影響しているが、SNSサービスと組んでCIAが個人のプライバシーを侵害するといった話をそのまんま映像化されても面白くない。本作で描くとおり、人の命を奪うほど重大性のあることとは思えない。

「ボーンを舐めんなよ」のラストが本作最大の痛快ポイント。しかし、前シリーズはそんなもんじゃなかった。アクション映画としては一定水準以上の出来栄えだが、前シリーズと比較してしまうと魅力不足だ。続編があるとすれば、本作の反省を活かしてほしいな。

【65点】
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ロブスター 【感想】

2016-10-13 08:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。面白い。凄い独創性。
独身は「罪」ということで、45日以内にパートナーを見つけなければ動物にされるホテルに収容された男の顛末を描く。まったく脈略のないプロットを繋げた不条理劇のようだが、不思議な引力がある。登場する素っ頓狂なキャラクターたちはウェス・アンダーソン映画を彷彿とさせるが、こっちはもっと毒っ気が強い。シュールで混沌とした絵が続く。本作の監督のモチベーションはおそらく「遊び」だ。本作を社会的メッセージと受け取るには無理がある。愛に転がされるキャラクターたちを笑い、物語に翻弄される観客たちを笑う。自分はその手にまんまと乗ってしまった。「どういうこと?」といった疑問は違和感ではなく、笑いのツッコミに変わる。ブラックで不可解で下品なユーモアに大いに笑う一方、時折、ドを越した不愉快なユーモアに笑いが引きつる。フィクションでも動物に手を出すのはやめてほしいな。監督はギリシャ人監督とのこと。米英監督の感覚とは少し違うみたいだ。
こんなトンデモ映画にも関わらず、豪華な出演者が名を連ねているのが面白い。演技派な俳優たちが奇妙な世界の住人になる。コリン・ファレル、レイチェル・ワイズ、レア・セドゥの3者の組み合わせが楽しい。レイチェル・ワイズが相変わらず綺麗。
【65点】
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おとぎ話みたい 【感想】

2016-10-12 22:00:00 | 映画


新作DVDレンタルにて。うぅ~自分は苦手。。。
地方に住む女子高生がインテリ文化人な男性教師に初恋するという話。監督のセンスが作品の色にダイレクトに出たような映画。ポエティックで哲学的な主人公のセリフは、リアリティとは別のところにあって、多感な10代の心情を監督なりに解釈して代弁しているようだ。そもそも、ストーリーだけで語る設計ではなく、音楽とダンスを組み合わせた三位一体として観るのが正しいと思われる。日本映画ではあまり見ない稀有な作りで新鮮だったが、自分はまるでついていけず。観る人の感性に懸かる本作の作りは、共鳴できない人間は置いてきぼりを喰らう。50分という時間が長く感じられた。「おとぎ話」というロックバンドとコラボした形で、彼らのライブシーンと交互にストーリーが展開する流れだが、その音楽性に関心が持てないので居心地が悪くツラかった。本作の山戸監督は、来月公開の「溺れるナイフ」で長編メジャーデビューするとのこと。予告編で、チャリンコ2ケツに青春全開な言葉を絶叫する小松菜奈を見て、その新作にもついていけないと予感する。
【50点】
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