らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

卒業式と第2ボタン

2024-03-10 | 季節

卒業式のシーズンとなりました。
嘗て、卒業式には意中の男子に告白して学生服の第2ボタンをもらったり、好きだった女子に贈ったりする習慣がありました。
この習慣は1980年代に大きなブームになりましたが、今でも続いているのでしょうか?

「第2ボタンを贈るルーツ」
第2ボタンを贈るのは次のような逸話からのようです。
太平洋戦争末期に大阪のある学生が学徒出陣で出征するときのことです。
その学生は既に戦地で戦っていた兄の妻に憧れを抱いていました。
秘めた思いを抱えたまま、やがて彼の元にも召集令状が届きます。
そして出征の日、せめて自分のことを忘れないでいてほしいとの願いから、最後に手渡したのが第2ボタンでした。
戦時中のあの頃は、金属が貴重であり、学生の自分が身につけているもので一番大事なものと言えば金属のボタンだったのでしょう。
この逸話が第2ボタンのルーツと言われています。

「何故第2ボタンなのか?」
ボタンの中でも第2ボタンは心臓に近い位置にあることから、自分の気持ちに近いという事もあったのではないかと言われています。
学徒出陣に際して、戦死してもう2度と逢えなくなるかも知れないという旅立ちの際、1番大切な人に想いを伝え、形見として渡したのが着ている服の第2ボタンだったのです。



「卒業式に第2ボタンを渡す習慣」
では卒業式の日に、女性が男性から第2ボタンを貰うようになったのはいつ頃からなのでしょうか?
これは1980年代の歌謡曲が影響しているようです。

・「春なのに」
1983年1月に発売された柏原芳恵の「春なのに」があり、この歌詞の中に、
 ♪春なのに お別れですか
  春なのに 涙がこぼれます
  春なのに 春なのに
  ため息また一つ
  記念にください ボタンを一つ
  青い空に捨てます

と、ボタンが歌われており、更に1985年2月に発売されてた斉藤由貴の「卒業」では
・「卒業」
 ♪制服の 胸のボタンを
  下級生たち にねだられ
  頭を掻きながら 逃げるのね
  本当は 嬉しいくせして

と、この曲にも胸のボタンが歌われています。
これらのヒット曲が、第2ボタンのことを幅広い人に認知させ、女性が第2ボタンをもらうことを定着させたのではないかという事です。

「最近の卒業式では」
時代と共に学校の制服は詰襟からブレザーに主流が変ってきており、これに伴って第2ボタンのやり取りが減りつつあるということです。
ただ、卒業式に大切な人に大切なものを贈るという文化は今も続いており、第2ボタンに代わって花束を贈っているようです。
これは5年ほど前に卒業式に花を贈る動画がSNSで話題になり、それ以来、大阪のフラワーショップでは注文が殺到するようになったということです。
花束は卒業式を終えた高校生の男性が母親にプレゼントしたり、彼女にプレゼントしているそうです。

今でも一部の学生の間では、ボタンに代わって花束を贈るという習慣が続いているようですね。
微笑ましいですね。


エスカレータの日

2024-03-08 | 雑学

今日3月8日は「エスカレーターの日」だそうです。
そこでエスカレーターについて調べました。

「エスカレータの日の由来」
「エスカレーターの日」は1914年(大正3年)3月8日に東京・上野の大正博覧会の会場に日本初のエスカレーターが設置され、同日に運転試験が行われたことに由来します。
このエスカレーターは第1会場と第2会場をつなぐもので、秒速1尺(約30センチ)の速さで動いていたそうです。
しかし不運なことに、この月の29日、エスカレーターの振動によって74才の女性が振り落とされて顔に2週間のケガを負い、更に2歳の少女がステップに足を挟まれてケガをしました。
これらが日本初のエスカレーター事故とされています。

「エスカレータの誕生」
エスカレーターの特許を最初に出願したのは、1859年のアメリカ、マサチューセッツ州のネイサン・エイムズという人です。
「Revolving Stairs(回転階段)」と名付けられた発明でしたが、三角形の辺に沿って回転する階段に飛び乗り、飛び降りるといった危険なもので、さらにその動力源は人力や水力を想定していたこともあったことから、製作されませんでした。

また、1892年、ジェシー・W・リノが 「Endless Conveyor or Elevator(無限コンベヤまたはエレベーター)」と題した特許を取得しました。
その後、リノは世界初の実動するエスカレーター(「傾斜エレベーター」と呼んでいた)を制作し、リノ社を設立しました。

さらに、リノが特許取得した数か月後、1892年にジョージ・A・ホイーラーがエスカレーターに関するアイデアの特許を取得しました。
その後、この特許を買い取ったのが発明家のチャールズ・シーバーガーで、彼は研究を続け、1895年にオーチス・エレベータ社と手を組み、1899年に現在のエスカレーターの原型である「踏段式自動階段」を開発したということです。



「日本初のエスカレーター」
日本で初めてのエスカレーターは、東京・日本橋の三越呉服店(現三越百貨店)で、1914年(大正3年)のことでした。
デビュー当時には相当の話題を呼んだようですが、残念なことにわずか9年後の1923年(大正12年)、関東大震災によって焼失してしまいました。

因みに日本初の電動式エレベーターが設置された「凌雲閣」も、関東大震災で受けた被害がもととなって取り壊されていることから、日本におけるエレベーターとエスカレーターの歴史的建造物は、ともに同じ年に失われたという事です。


美味しい「文旦」

2024-03-06 | 家庭果樹

先月、家内の友人のFさんから文旦をいただきました。
Fさん宅の畑には文旦を始め、たくさんの柑橘類や果物の木を植えているので、毎年いろいろな果実をいただいています。
今年もレモンにキンカン、八朔をいただき、昨年はスモモやブルーベリーなどを頂きました。
先日、頂いた文旦を食べたところ、とても美味しかったのでご紹介します。

「文旦」
文旦は、ミカン科ミカン属の果実です。
原産地はマレー半島からインドネシアにかけての地域で、日本には江戸時代に伝わったそうです。
文旦と言えば高知県が有名ですが、高知県で栽培されている文旦は1929年、県の職員が鹿児島県の個人の家からもらってきた木が元になっているそうで、「土佐文旦」という名称で流通しており、柚子と並んで高知県を代表する柑橘だそうです。

・これがFさんから頂いた文旦です。


頂いた文旦のサイズは高さ、直径共に15cmの円球形をした大きなものです。
これを室内で3週間ほどビニール袋に入れて追熟させました。
ネットで保存方法を調べたところ、直射日光の当たらない冷暗所で、常温で保存すれば数週間保存でき、1~2週間おいておくと、酸が適度に抜けてまろやかな味になると書かれていたことから、私が食べた時は丁度、酸がが抜けた頃合いだったのでしょうか、とても美味しかったです。



でも、文旦の皮がこんなに厚いとは思いませんでした。
皮を剥くのに苦労し、更に皮を剥いた後に綿を取り除くのにもまた一苦労でした。
皮を剥く前の直径が15cm、ミカンの袋の径が10㎝だったということは、皮や綿の厚さが5センチあったことになります。

「ブンタン(文旦)の栄養」
文旦にはビタミンCがたっぷり含まれており、美肌効果が期待できるようです。
酸味のもとになるクエン酸は、運動時のパフォーマンス低下に関与する乳酸の血中濃度を下げ、疲労回復に有効のようであり、更に、薄皮に含まれているペクチンには、血中コレステロールを低下させる作用があるといわれています。

・径10㎝の大きな果肉です。

「ブンタン(文旦)の選び方」
なお、文旦を購入されるときは、果皮はきめが細かく、手触りがしっとりしているものを選ぶといいようです。
そして、ずっしりと重いものは水分がたっぷりでジューシーな証拠ということです。


一日中が何故「四六時中」

2024-03-04 | 雑学

近くのEスーパーの2階に「四六時中」というレストランがあります。
私は午前中にスーパーに行った時、長引いて昼を過ぎる場合に時々利用しています。
美味しいのでコロナ前は数十分並ばなければ入店できませんでしたが、コロナ後は客が減り、いつでも直ぐに入店できます。
「四六時中」という店名の由来は知りませんが、今日は「四六時中」という言葉の由来について調べることにしました。

「四六時中とは」
このレストランの名前にもなっている四六時中(しろくじちゅう)という言葉はご存じの通り一日中とか常に等の意味があります。
広辞苑でも、①二十四時間中。一日中。二六時中(にろくじちゅう)。
      ②始終。つねに。日夜。
と説明しています。

「四六時中の由来」
辞書が示しているように、この言葉は一日中あるいはいつでもずっと、という意味ですが、でも、なぜ四六時中が一日中という意味なのでしょうか?
調べてみると、もともと、一日中という意味で使われていた言葉は「四六時中」ではなく、江戸時代からの「二六時中(にろくじちゅう)」でした。
それが、1873年に太陽暦、及び24時間制が導入されたことをきっかけに、現在の「四六時中」が使われるようになったと言われています。

江戸時代の「二六時中」については、当時は日の出から日の入りまでを「昼」、日の入りから日の出までを「夜」として、それぞれ昼夜を6つに分けて、一日は「十二時(とき)」としていました。
そのため、旧暦では2×6=12で、『二六時中』という表現を使っていたようです。
それが、明治6年以降に「太陽暦(新暦)」が採用されて一日を24時間で表すようになってから、4×6=24の『四六時中』と言うように変わったということです。

「参考:12刻」
また、なぜ12という数が1日をあらわしていたかというと、江戸時代までは1日を12刻としていたためで、12刻は十二支を使って表現されていました。
1刻は約2時間にあたります。
映画やドラマで「子の刻(ねのこく)」や「丑の刻(うしのこく)」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これらはそれぞれ午後11時から午前1時頃、午前1時から午前3時頃を指しています。

更に、2時間ごとの1刻は30分ずつ分けられ、それぞれ「一つ時」「二つ時」「三つ時」「四つ時」となります。
怪談などでよく耳にする「丑三つ時」は、午前1時から3時をあらわす丑の刻を4つに分けた3つ目、つまり午前2時から2時30分のことです。


飲酒量と健康リスク

2024-03-02 | 情報

先月、厚生労働省が「飲酒ガイドライン」をまとめたとの報道がありました。
ガイドラインでは、健康へのリスクとして「純アルコール量」を示しています。

「純アルコール量の算出方法」
「純アルコール量」とは、酒に含まれるアルコールの量のことです。
その算出方法は、飲む酒の量、アルコール度数、アルコール比重の0.8の3つを掛け合わせて算出します。
(計算式)
 純アルコール量(g)=アルコール度数(%)×飲酒量(ml)×0.8(アルコール比重)

例えば、アルコール度数が5%のビールを500mlのロング缶や中瓶1本を飲む場合、500mlに5%を掛けた25グラムに、アルコール比重の0.8をかけた20グラムが「純アルコール量」になります。
 「500ml×5%×0.8=20グラム 」

「生活習慣病のリスクを高める飲酒量」
ガイドラインでは、生活習慣病のリスクを高める飲酒量として、国の基本計画で1日当たりの「純アルコール量」を
 ・男性で40グラム以上、
 ・女性で20グラム以上
を摂取した場合と定義し、それ以上飲酒する人の割合を減らしていくことが目標になっています。

「健康に配慮した飲み方」
そして、健康に配慮した飲み方として、
・あらかじめ量を決めて飲むこと。
・飲酒前に食事を取ったり、飲酒の合間に水を飲んでアルコールをゆっくり吸収できるようにすること。
・1週間のうちで飲酒しない日を設けること。
などに気をつける必要があるとしています。

・疾病リスクを高める純アルコール量の一覧表


「お酒はほどほどに」
上記一覧表のように、純アルコール量が少なければ少ないほど、飲酒のリスクを抑えることが期待でき、逆に純アルコール量が増えれば増えるほど、疾病のリスクが高まります。
資料によれば、たとえ少量のアルコール摂取であっても、高血圧や男性の食道がん、女性の出血性脳卒中は、飲酒によって発症リスクを高める恐れがあるとしています。
大腸がんの場合は、1日当たり約20g(週150g)以上の量の飲酒を続けると、男女ともに発症の可能性が高まるとされています。

「お酒はほどほどに」とはよく言われますが、その「ほどほど」が純アルコール量で、男性は40g以上、女性20g以上であることが、今回のガイドラインによって明示されました。
お酒を飲まれる方は健康のために、純アルコール量を意識して「ほどほど」の飲酒を心掛けましょう。