らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

自民党は「呉下の阿蒙」か?

2024-03-24 | 時事

今、政界が大きく揺れています。
そうです。自民党の派閥による政治資金パーティー事件です。
この事件では、安倍派による政治資金規正法違反の虚偽記載の罪で一部の議員が起訴され、更に政倫審の場においても「知らぬ存ぜぬ」と事件関与を完全否定しています。
自民党はこれまでもロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件など、十数年ごとに「政治と金」の事件を繰り返してきました。
何故、改められないのでしょうか?
野党に政権担当能力がないことを見越して驕っているのでしょうか?
一向に反省が見られません。
このような進歩のないさまを「呉下の阿蒙」と言います。

「呉下の阿蒙」
呉下の阿蒙(ごかのあもう)とは中国の三国時代、呉の武将である呂蒙(りょもう)の故事からできた言葉です。
この故事の由来となった呂蒙という武将は武勇一点張りだったので、呉の孫権は彼に「武勇ばかりではなく学問も修めたほうがよい。」と助言しました。
呂蒙という人は、呉王の孫権に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人でした。
そのため、書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていたのです。
そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、「いつまでたっても全く進歩のないつまらない人」を譬えて「呉下の阿蒙」と言うようになりました。

「呉下の阿蒙に非ず」
一方で、この故事の由来となった呂蒙は孫権に「武勇ばかりではなく学問も修めたほうがよい。」と助言されたことから、孫権の意に応えるために猛勉強を始め、高い教養を身につけたと言われています。
そんなある日、彼は参謀の魯粛(ろしゅく)と対談しますが、魯粛は彼の高い見識と知識に「すでに武略のみの蒙君ではなくなったな」と大いに驚いたと言います。

この時、呂蒙は魯粛に次のような有名な言葉を残しています。
   「士別れて三日ならば、即ち更に刮目(かつもく)して相待つべし

この言葉は、「たるもの、別れて三日もすれ大いに成長しているものであっ、また次に会う時が目をこすっ違う目でみなけれなりませんよ」という意味です。
刮目(かつもく)とは、目をこすって注意して見ることであり、日々努力しているものは三日も会わなければ目を見張るほど進歩しているということを言っています。
「呉下の阿蒙」は、いつまで経っても進歩しない人のことを指す言葉ですが、一方で、この故事は、人間は勉強と努力で変わるものだと言うことを教えています。

日本の政治を野党に委ねるのは、2009年の民主党政権で大失敗した経験があります。
自民党には優秀な人材が多く在籍しています。
反省すれば、「呉下の阿蒙に非ず」のように、国民からの支持が得られます。
嘗て田中角栄氏が常々言っていた「政治は数、数は力、力は金」から完全に脱却することができます。
大いに反省して国民の信頼を取り戻して欲しいものです。

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1 コメント

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天下の阿呆  (もののはじめのiina)
2024-03-24 08:29:57
「呉下の阿蒙」を見て、はじめての言葉でしたから「天下の阿呆」かな? と思いました。

政治資金パーティー事件の様相は、まさに「天下の阿呆」状態です。


> 一足早くお花見ができて得した気分になりますね。
大陶器市に誘われて出掛けて、満開の桜に出会いました 
そのことを、いま追記しました。

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