らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

僥倖の極み

2016-02-29 | 雑学

毎週月曜日にNHKで放送されている番組に「鶴瓶の家族に乾杯」があります。
この番組は鶴瓶とゲストがある町を訪れ、出会った家族を紹介するもので、シナリオのないヒューマン・ドキュメンタリーと言える番組なのですが、鶴瓶やゲストに突然話しかけられた町の人たちは、驚き、喜び、そして大抵の人は握手や記念写真を求めています。

それもそうでしょう。
テレビでしか見ることのない有名人が、突然目の前に現れるのです。
話しかけられた人にとっては一生の思い出になり、その人のお宝になる事だと思います。
突然、鶴瓶やゲストに出会った人たちは「あっ鶴瓶だ!」とか「鶴瓶さんが来た」、「今日は何ですか?」などと一様に驚きます。
このような言葉を発する人は年配の方が多いですが、若い人の中には「超ラッキー」とか、「何これ、まじー」などと若者言葉で話す人も見かけます。
このような若者言葉を聞くと日本語が乱れていることに気付かされます。

一方で、ドラマでは難しい日本語が時々出てきます。
先日放送された朝ドラ「あさが来た」では、あさの娘で千代の親友の女学生・宜ちゃんが、あさが入院している病室を訪れ、あさに対して次のように語るシーンがありました。
「先生を昔から尊敬して生きてきたので、こうして出会うことが出来て、まさに『僥倖(ぎょうこう)の極み』です。」と。

このドラマの時代設定は明治初期となっています。
当時、社会的身分の高い人に対して、学生や女学生のような若い人たちがこのような言葉を実際に使っていたのかどうかは分かりませんが、ドラマとは言え教養のある難しい言葉を台詞に書いているなあと感心しています。
日本語が乱れている現在の若者言葉とは明らかに違っていますよね。

ところで、皆さんは「僥倖(ぎょうこう)の極み」と聞いてその意味がお分かりでしょうか?
失礼しました。分からないのは私だけでしたね。

そこで今日は自分のために「僥倖(ぎょうこう)の極み」について調べてみました。
「僥」という漢字は、訓読みで「もとめる」「ねがう」と読み、運、願望といった意味を持ちます。
一方、「倖」という漢字は、訓読みでは「さいわい」と読みます。
そしてこの二つの漢字からできた「僥倖」は、思いがけない幸せ・偶然に訪れた幸運の事で、「僥倖(ぎょうこう)の極み」は、「思いもよらない幸い、偶然に得られる幸運がこのうえない」という意味になります。

ドラマで宜ちゃんが尊敬しているあさ先生とお会いできた時、彼女は本当に幸せで、この上ない喜びであること感激し、自然に「僥倖(ぎょうこう)の極み」と表現したものでした。
現在の若者が使う「超ラッキー」とは表現の品位に大きな違いがあります。
この素晴らしい言葉を用いて書き上げた脚本家の先生に感謝します。
古い言葉、美しい日本語は時代が変わっても大事にしてもらいたいですね。