らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

京都に大仏様

2017-01-15 | 雑学

大仏と言えば世界遺産に登録されている奈良東大寺の大仏が有名ですが、その東大寺の大仏を上回る大仏が嘗て京都にあったことをご存知でしょうか?
その大仏は、1586年に豊臣秀吉の命により造営されるのですが、秀吉は開眼法要を待たずに亡くなりました。
今日は、地元の人にも余り知られていない京都の大仏様についてご紹介します。

・方広寺の大仏殿跡の案内板です。


秀吉が大仏造営を始めたのは、1586年に起きた天正地震がきっかけだと言うことです。
天正地震(てんしょうじしん)は、天正13年11月29日(1586年年1月18日)に日本の中部で発生した巨大地震です。
当時、人々は相次ぐ地震に不安を感じていました。
その人々の不安の解消と安寧を願って秀吉は大仏の造立を発願するのです。
しかし、地震や火事などの災難続きで、秀吉生存中には完成せず、後継の豊臣秀頼によってようやく完成しました。
大仏の高さは、なんと19メートルもあったとのことで、東大寺の大仏18メートルより大きかったそうです。

・京都の大仏です(ネットより)


この京都の大仏様の開眼法要のために造られたのが国家安康の鐘だったのですが、これが悲劇の始まりでした
1614年,すっかり寺観も整い,開眼供養を待つのみとなったとき、世にいう「方広寺鐘銘事件」が起きたのです。
梵鐘の銘文に「君臣豊楽」「国家安康」という語句があり,家康は「国家安康」は「家康」の名を割って呪ったものだと法要中止を求めました。
この後は豊臣と徳川の対立が激化し、大坂の陣へと進んで豊臣家滅亡へ道を歩むことになるのです。

この大仏はその後も度重なる地震や火災に遭遇し、その都度再建されて、1798年(寛政10年)に落雷で炎上するまで「京の大仏つぁん」として、都の人々に親しまれたそうです。


「お詫び」
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1 コメント

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方広寺 (もののはじめのiina)
2017-01-17 08:56:48
方広寺を見物しましたが、因縁の鐘は吊るされたままでした。
しかし、相変わらず梵鐘に「君臣豊楽」「国家安康」と
記されてましたから、因縁をつけて豊臣家を滅ぼす口実にしただけ
だったようです。

「歴史街道」奈良篇をYouTubeにアップしましたから、落ち着きましたら ゆっくりご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/df1dcd8446d796725445a5d2aa950492

> computer-output-microfilm(出力をマイクロフィルムで記録するもの)と説明しているものもあれば、Component Object Model(構成オブジェクト手法)の頭文字、或いは、comドメインとは、インターネット上のコンピュータやネットワークを識別するドメイン名の種類の一つで、企業や商用サービスのために用意されたもので、 “commercial”(商用の)の略と説明しているものもあります。
調べていただき、ありがとうございます。 m(_ _)m

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