らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

京都の旅(その5)宇治十帖

2014-10-06 | 旅行

宇治市は「源氏物語」宇治十帖の舞台となっていることから、その史跡が宇治川を挟んで点在しています。

「宇治十帖」
紫式部が世界に誇る長編小説「源氏物語」を書いたのは、平安時代半ばの1000年頃であったと言われています。
源氏物語は三部構成になっており、第一部は「光源氏が誕生し、栄華を極める」までの三十三帖、第二部は「その光源氏が、苦悩のうちに生涯を終えようとする」までの八帖、第三部は「その子の薫(かおる)の半生を、悲恋とともに描いた」十三帖です。
特に最後の十帖は、宇治が主な舞台となっているため、「宇治十帖」と呼ばれています。

『宇治十帖(第四)「早蕨」』
宇治神社の北側、「さわらびの道」沿いに宇治十帖(第四)「早蕨」の碑があり、立て看板にあらすじが書かれていました。

・「早蕨」のあらすじが書かれている説明板とその後にある古跡碑です。


『宇治十帖(第三)「総角(あげまき)』
宇治上神社の北、大吉山の登り口に宇治十帖(第三)「総角」の碑があります。

ここの立て看板には、あらすじが次のように書かれています。
 『八宮(はちのみや)の一周忌がめぐって来た。薫君(かおるのきみ)は仏前の名香(みょうごう)の飾りに託して、大君(おおいきみ)への想いを詠んだ。
  「総角に 長き契りを 結びこめ おなじ所に よりもあはなむ」
 大君は父君の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君(なかのきみ)をこそ薫君に委ねたいと望まれた。
 薫君は中君と匂宮(におうのみや)とが結ばれることによって、大君の心を得ようとされたが、意外な結果に事が運ばれてしまう。
 匂宮は中君と結ばれたが、気儘に行動され得ない御身分故、心ならずも宇治への訪れが遠のく。
 大君は「亡き人の御諌めはかかる事にこそ」と故宮をしのばれ、悲しみのあまり、病の床につき、薫君の手あつい看護のもとに、冬、十一月に、薫君の胸に永遠の面影を
 残して、帰らぬ人となった。』

・総角の古跡碑です


コースと時間の関係で宇治十帖は「早蕨」と「総角」の2か所だけとなりました。
なお、与謝野晶子が宇治十帖の五首を詠った石碑がありましたのでご紹介します。

・宇治十帖「橋姫」から「宿り木」までの与謝野晶子の歌碑です




・与謝野晶子の宇治十帖残り「東屋」から「夢浮橋」までの五首です。
  [東屋(あずまや)]:ありし世の 霧きて袖を 濡らしけり わりなけれども 宇治近づけば
  [浮舟(うきふね)]:何よりも 危なきものと かねて見し 小舟の上に 自らをおく
  [蜻蛉(かげろう)]:ひと時は 目に見しものを かげろふの あるかなきかを しらぬはかなき
  [手習(てならい)]:ほど近き 法の御山を たのみたる 女郎花かと 見ゆるなりけれ
  [夢浮橋(ゆめのうきはし)]:明けくれに 昔こひしき こころもて 生くる世もはた ゆめのうきはし

「源氏物語ミュージアム」
時間の関係で館内には入れませんでしたが、このミュージアムは源氏物語ファンに平安文化を理解してもらう為の施設のようです。
館内では宇治十帖の世界を分かりやすく紹介するほか、源氏物語に関する文献、史料、小説などのライブラリー機能を持ち、コンピュータによる情報交換もできるそうです。

宇治のご紹介は今日の5回目で終了しますが、源氏物語の好きな方には非常に魅力のある町となっています。
是非一度訪ねていただきたいと思います。

・源氏物語ミュージアムの入口です。