らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

土俵入り

2014-07-27 | 時事

大相撲名古屋場所は今日が千秋楽となりました。
場所前には、白鵬を頂点としたモンゴル勢の3横綱による優勝争いかと思っていたところ、13日目の一昨日には白鵬が敗れて2敗目を喫したことから思わぬ混戦模様となってきました。
そして昨日の14日目では、白鵬と琴奨菊が2敗で並び、3敗で豪栄道と高安が続いています。
今日の千秋楽の勝敗の結果次第では琴奨菊の優勝も考えられ、そうなると8年振りに日本人力士の優勝となります。
さて、優勝の行方はともかく、今日は相撲の土俵入りについて調べました。

「土俵入りとは」
先ず、土俵入りとは、力士が化粧回しを締めて土俵に上がって顔見世披露することです。
土俵入りには、横綱の土俵入りと幕内、十両の3種があり、それぞれ取組前に行われる儀式です。

江戸時代中期の頃から相撲番付上位の力士たちが東西に分かれて登場し、四股踏みと手拍子を打ち、天長地久を祈り、地の邪気を払い清めて安全を願いました。
この幕内力士の土俵入りを採用して、一人土俵入りを行うようになったのは1789年(寛政1年)の谷風梶之助(初代横綱)からと言われています。
当時、腰にまとうしめ縄を横綱と言っていましたが、これは尊称であって、番付上の地位の名称ではありませんでした。
従って、横綱の土俵入りと言うようになったのは明治時代初期の頃からだそうです。

「土俵入りの型」
横綱の土俵入りの型は「雲龍型(うんりゅうがた)」と「不知火型(しらぬいがた)」の2種類が存在し、それぞれ雲龍久吉と不知火光右衛門
が行っていた土俵入りの型を起源として伝えられたものとされています。

「雲龍型土俵入り」
第10代横綱:雲龍久吉が創始といわれており、綱の結び目が一輪で、構えは左手を胸に当て右手を横に広げる型です。
雲龍久吉は1858年1月場所で大関へ昇進、1861年9月場所で吉田司家から横綱免許を授与されました。
・通算幕内成績:127勝32敗15分5預55休 勝率.799(26場所)
・優勝相当成績:7回

・雲龍久吉の両手を広げた現在の不知火型の土俵入りです。


「不知火型土俵入り」
第11代横綱:不知火光右衛門が創始と言われており、綱の結び目が両輪で、構えは両手を同時に横に広げる型です。
不知火光右衛門は1862年3月場所で大関に昇進すると、この場所に発生した前頭・小柳平助殺害事件によって出場を辞退するが、翌年3月場所で吉田司家から横綱免許を授与されました。
・通算幕内成績:119勝35敗15分9預77休 勝率.773
・通算幕内在位:27場所
・優勝相当成績:3回

・不知火光右衛門の片手を広げた現在の雲龍型の土俵入りです。


雲龍久吉は横綱土俵入りのうち、「不知火型」を考案した人物とされています。
通説によると「雲龍型と不知火型の名前が途中で入れ替わった」とされているようですが、これは、雲龍と不知火の土俵入りがあまりにも美しかったために後世になって名前のみが残され、正式に型の名前を付ける際によく調査していなかったことから入れ替わってしまった、という見方があるそうです。