年の瀬が押し迫り、平成23年も今日と明日を残すのみとなりました。
年末の風物詩と言えば、ベートーベン作曲『交響曲第9番』の演奏ではないでしょうか?
特に声高らかに歌われる「歓喜の歌」は、聴いているだけで寒さを吹き飛ばし、気持ちを明るくしてくれるような感動を覚えます。
そこで、今日はこの素晴らしい『第九』の日本初公演について調べました。
ベートーベン作曲『交響曲第9番』が日本で初めて公演されたのは、第1次世界大戦中の1918年(大正7年)6月1日で、徳島の捕虜収容所に収容されていたドイツ兵による演奏だったそうです。
「日本における“第九”の初演奏」
第1次世界大戦(1914年~1918年)では、日本はドイツと中国の青島で交戦していましたが、その戦いで降伏してきたドイツ人将兵たちを収監するために、日本国内に設けられた6か所の収容所の一つに徳島県鳴門市の「板東捕虜収容所」がありました。
この収容所の所長を務めた会津出身の陸軍大佐・松江豊寿の「博愛の精神と武士の情けをもって」との方針のもとに、この収容所ではスポーツ、演劇、新聞発行などの文化活動が盛んに繰り広げられました。
殊に音楽は複数のオーケストラ、吹奏楽団、合唱団、マンドリンアンサンブルが結成される程の隆盛をみたそうです。
そして、1918年(大正7年)6月1日に演奏された『交響曲第9番』は、「トクシマ・オルケスター」と80名ほどの男性合唱、4人の男性ソロ歌手(?)によって全曲演奏されたと言われ、これが日本における『第九』の初演奏と言われています。
「日本での年末の演奏」
日本で年末に『第九』が頻繁に演奏されるようになった背景には、戦後まもない1940年代後半、オーケストラの収入が少なく、楽団員の人たちは年末年始の生活の困窮状態を改善するため、当時、必ず客が入る曲目であった『第九』を日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏するようになり、それが定例となったことが発端とされています。
1960年代以降、年末の『第九』の演奏は急激に増え、現在では、師走になると、プロ・アマを問わず、『第九』の公演が開かれるのが当たり前の光景となっています。