らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大河ドラマ「江の古里」ツアー(その3)

2011-12-01 | 旅行

大河ドラマ「江ー姫たちの戦国ー」での主役・浅井三姉妹の故郷の滋賀県長浜市を「江の古里」ツアーのタイトルでご紹介していますが、今日はその3回目となります。

長浜には豊臣秀吉が築城した長浜城があります。
かねてから私が一度見てみたいと思っていたお城の一つですが、残念ながら今回の「江の古里」ツアーの日程には入っていませんでした。
そこで、黒壁スクエアの散策時間を利用して一人で見学してきました。

「長浜城」
長浜城は黒壁スクエアーから徒歩15分くらいの所に建っていました。
長浜はもと今浜といい、建武三年(1336年)、近江源氏の一族で「バサラ大名」として有名な佐々木道誉(ささきどうよ)、諱(いみな)は佐々木高氏が琵琶湖湖畔の今浜に館を構えたのが始まりと伝えられています。



豊臣秀吉は天正元年(1573年)、姉川の合戦で近江の浅井長政が織田信長に滅ぼされると、一旦、小谷城に入りましたが、天正2年(1574年)頃、小谷から今浜の地に城下町を移し、地名を長浜と改め、ここに城を築いて数年間居城としました。
江戸時代になって、慶長11年(1606)には徳川家康の家臣である内藤信成が入城し、その子信正が摂津高槻に移るに至って、元和元年(1615年)に廃城となりました。
現在の天守は昭和58年(1983年)に犬山城や伏見城をモデルにして模擬復元されたもので市立長浜城歴史博物館として運営されているそうです。
散策時間を利用しての訪れだったのでゆっくり見学することが出来ず、お城の撮影だけで集合場所に戻りました。

・復元されたお城は、こぢんまりとした大変美しいお城でした。


秀吉・三成出逢いの像」
JR長浜駅前には「秀吉・三成出逢いの像」が建っています。この像は、長浜市出身の武将石田三成が出世のきっかけとなった、「三献(さんこん)の茶」を表している像です。

「三献茶(さんこんちゃ)」の逸話 武将感状記より)
 秀吉が近江長浜の城主だった頃、鷹狩りの途中にある寺を訪れました。
 そこで、「羽柴筑前じゃ、茶を所望致したい」と申しつけました。
 後頭部が突き出た少年が持ってきた大きな茶碗には、ぬるめの茶が入っていました。
 鷹狩りで喉が渇ききっていたので、秀吉は一気に飲みきりました。

 「小気味よし! 更に一服所望じゃ」と申しつけると、
 二杯目の茶碗は前に比べると小さめで、湯はやや熱め、量は半分くらいでした。
 秀吉はそれを飲み干し、もう一服を命じました。

 三杯目の茶碗は高価な小茶碗で、湯は舌が焼けるほど熱く、量はほんの僅かでした。
 秀吉はこの少年の気配りに感心して長浜城へ連れ帰ったと云います。
 この少年こそが幼名を左吉と言い、次いで三也と称し、後年に石田三成と称する石田治部少輔(じぶのしょう)三成その人だったのです。



「伊吹山」
伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山地の主峰で、標高1377mの山です。
滋賀県の最高峰の山であり、日本百名山、新・花の百名山、関西百名山にも選定されています。
私が長浜を訪れた時には中腹付近まで雪に覆われており、まるで富士山を眺めているような美しさでした。

・北国街道から眺める伊吹山です。


私たちツアーの一行は京懐石料理や総合結婚式場を提供する「グランパレー京岩」で昼食をとりました。

・グランパレー京岩の庭です。


・これが昼食メニューです。自治会の親睦旅行の昼食としては御馳走でした。