「状況」と知の前線


 南山大学でエリック・ファサンEric Fassin 氏(パリ高等師範学校教授)のお話を聞いてきました(2月21日)。
 
 現代では、日本に外国の偉い先生を招いてご高説拝聴、というのがだんだん意味がなくなってきたとわたしは思いますが――このことにはいろいろ原因があります――、ファサンさんのお話はたしかに聴いて意義がありました。
 タイトルは「治安の悪化は、移民のせい?」というものだったのですがお話はもっと遠い射程をもったものでした。
 わたしも、だいたいそうなんじゃないかなと感じていた「状況」を、ファサンさんが整理した形でお話ししてくれました。

 フランス、ヨーロッパでは露骨な形での人種差別的言辞はオモテに出なくなったが、代わりに特にイスラム、アラブをターゲットにした「彼等euxは女性の解放に反対である。両性の平等を尊重しない。性の扱いの面で我々nousは正しい側にある」という考え方、そしてそこから出てくる「女性が抑圧されている地域、性の扱いが不適切な地域を西洋が解放するのは正しい」という考え方が支配的になっているというお話です。
 一部の国ではイスラム圏からのある程度の長期滞在希望者に、胸を露わにした若い女性や同性愛者の接吻シーンのビデオを見させて感想を書かせる、というようなことまでやっているそうなのです。うわ。(でも・・・ テロリスト傾向をもった原理主義者をあぶりだすにはこういう手が一番だ、とか当局に開き直られたら・・・)

 わたしとしては、こういうのは21世紀型の「文明化使命」mission civilisatrice意識なんだろうなと思います。
 英仏のリビア爆撃もそうだったですけど、20世紀に二度も「世界」大戦をやって大騒ぎした割には結局おおまかな世界図式は19世紀とさして変わってない、ということが丸見えになってきたのが21世紀、という感じですね。げんなりですね。

 ファサンさんの主張は――私の理解する限りですが――女性の裸や同性愛の扱いに対する人の意識・意見というのはヨーロッパ人の間でもいろいろあって定まらないものなのに、それが意識的なアラブ・イスラム差別に使われるのはおかしいではないか、ということだと思います。

 いかにも2012年のお話だなと思います。上でもちょっと言いましたが、今のヨーロッパ、いや世界は状況全体を把握して説明すると称する大理論を持ちえないです。たしかに「おおきなオハナシ」は終わってしまいました。個々の状況においてそれまで先端をいく思想だったものが突然、ある意味色あせるような形になってしまいます。たとえば女性解放を訴える先端的フェミニスムが簡単にアラブ移民排斥運動の中に回収されてしまう、というようなことが現に起こっているわけですね(もちろんそういうフェミニスムに反対するフェミニストもいるわけですけど)。
 こういう状況下でも、やはりフランスでは現状況のはらむ悪弊に警笛を鳴らす人たちがしっかり知的活動しているわけで、彼らは思想界の巨人ということにはならないけれども、やっぱりいてくれると頼もしい存在だなと思います。

 このあたりの議論は、今夏予定の集中講義の内容にも反映したいですが、現状況というものを具体的な音楽、楽曲で示すというのはかなり難しいです。どうしようかな・・・

 ちなみにファサンさんのお話はシェブマミ事件の顛末とも重なるものだと思うので、そのことをお話の後の茶話会でおうかがいしてみたんですが、残念ながら彼はこの事件を知らないようでした。できれば後でネットででも検索してこの事件の概要から何かを掴んでほしいですね・・・

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