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続【サラー〔礼拝〕の徳】

2009年03月08日 | 求める者たちの道しるべ

前編はここ

(★サラーの真髄を完遂させるもの★の続き↓)

③アッラーへの賞賛、畏敬の念。これらは、①アッラーの尊さと偉大さを知ること、②そして自我の下劣さを知ること、以上の二つに分けられる。自我は隷属されているのである。この二つの知から生まれるのは、静けさと畏敬。
 その一つは:ラジャーゥ〔希望〕。これは畏れの気持ちよりも上位に存在する。強力な攻撃力を持つ王を恐れると同時に、彼の善行を望むように、サラーに立つ者は、サラーで報酬を得ることに希望を持つと同時に、サラーの手を抜くことで罰を受けることを恐れるべき。
 サラーを志す者は、サラーの各動作に心を同在させる必要がある。アザーンの呼びかけが聞こえたら、その呼びかけに従い、応えるために袖をたくし上げる。そして「何に応えるのか」「どのような体で応対するのか」を考察すること。
 自分がアウラ〔へそから膝の間の覆われなければならないところ〕を覆うとき、自分の体の恥事を他人に隠すためにそうしていることを知ること。また内面のアウラと、創造主のみが知る自分の秘密を思い出すこと。アッラーに対して隠せることなどなにもない。後悔、恥じらい、畏れの気持ちを持つと、それは消える。
 
 -キブラに向かって立ったら、自分の顔をアッラーの館に向けたことになるのだから、心をアッラーに向けることはより重要。またアッラーの館の方向以外を取り除かない限りその方向を向くことはできない。心も同じでアッラー以外を取り除かない限り心がアッラーに向くことはない。
 
 -サラーに立つ者よ、タクビール〔アッラーフアクバルと両手を挙げながら唱えること。サラー動作の一部。〕をしたら、あなたの心が舌に嘘をつくことがないように。なぜならあなたの心の中にアッラーよりも大きいものがあれば、あなたは嘘をついたことになるから。自分の強い同意が伴った欲望がアッラーへの服従を上回ってしまわないよう注意すること。
 
 -アッラーの御加護を求めたなら、イスティアーザ〔アウーズビッラーヒミナッシャイターニッラジームと悪魔からアッラーに加護を求める祈願〕とはアッラーの許への逃避であることを知りなさい。心で逃避しないとあなたが発する言葉がうわごとであるということになってしまう。あなたが発する言葉の内容を知るようにしなさい。「アルハムドゥリッラーヒ ラッビルアーラミーン」というとき、心で理解するように。「アッラフマーニッラヒーム」の際には、アッラーの優しさを思い出しなさい。「マーリキヤウミッディーン」の際には、かれの偉大さを。
 
 -ズラーラ・イブン・アビーアウファーは、サラー中に、「ラッパが吹かれる時」(74/8)と読むと、死んでしまった。彼は単にその状況を想像したのが影響して死んでしまった。
 
 -ルクーウ時には、謙遜の念を持つように。サジダ時には、さらにへりくだること。まさにあなたは自我をそれに相応しい場に配置させたのだから。そして、アズカールの意味を味わいながら理解しなさい。
 
 【注意】これら内面的な条件でサラーを行うことは、心が錆から抜けて輝き、心の中に光が現れる要因となる。この光によって崇拝される存在(アッラー)の偉大さがほのめくのである。しかし「知る者」のみしかアッラーの秘密を理解できない。サラーの意味を持たず、形だけのサラーに立つ者は、それを理解しないどころか、そんなものなどないと拒絶する。

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